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死刑というのは基本的に、複数殺せば死刑ですよね?
ということは、被害者複数の命を重犯罪者一人の命で贖うという事になります。
犯罪者の命を被害者の命より重く扱うのって、あまりに非人道的ではありませんか?
人を殺すと偉くなるのですか?
私には全く納得がいかないのです。
「死」以外の、同じ尺度ではない刑罰を与えるべきではないでしょうか。
そもそも人間誰でも死ぬんだし、それでは刑罰としては弱く、上記の理由から遺族にも残酷と思うのです。

A 回答 (15件中1~10件)

死刑を実際に見ていないから軽々しく死刑賛成なんていえる部分もあると思います。


日本の絞首刑の場合、最初の落下で首の骨が折れたりショック死できないと、人のよっては30分近くもがき苦しみ苦痛のあまり眼球が目から飛び出すことすらあるなどそうです。
そのため死刑執行に関わった人の中にはその光景が忘れられず鬱やノイローゼになったりする人もいるとか。
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この回答へのお礼

ありがとう。

お礼日時:2008/06/27 00:20

人を一人でも殺せば、死刑にしたほうが良い。

という事でしょうか?

確かにそう思える許せない殺人事件も多いですね。
しかしながら、加害者に同情できる殺人も多いようです。
殺人を犯しても初犯なら5人に1人は執行猶予がつくと言われています。

昔(昭和40年代)、尊属殺人(親を殺める)がありました。
当時は尊属殺人は普通の殺人より重いとされ、被告人にどんなに同情できる事情があったとしても刑法上、執行猶予はつかないと決まっていました。(当時も普通の殺人罪なら執行猶予が付く可能性がある)

しかし、その事件は想像を超えた同情するべきところがあり、尊属殺人を普通の殺人罪にきりかえ情状酌量で執行猶予がついています。

むろん殺人は、誰がみても酌量の余地などないものも多いのですが、強盗や強姦などよりは、わりと情状の面が多い場合もあるようです。
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ん?死刑は死して罪を償うだけじゃないよ。

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他の質問で答えたこととかぶりますが



被害者や被害者の遺族の感情を考慮するということが、死刑の主な理由であってはならないと考えています。

交通事故などの過失致死の場合でも、被害者の人は苦しいでしょうし、遺族の人は苦しみや悲しみを感じるでしょう。
子どもを不注意によって轢死させられた親と、子どもを悪意によって刺殺された親とどちらが、苦しいか悲しいか、なんて比べれるものではないとおもいます。

また、強姦などの犯罪は、殺人よりも被害者に苦しみを与えるという論者もあります。

被害者の苦しみや悲しみを考慮すれば、過失致死や強姦にも死刑を与えるべきかもしれません。
しかし、過失致死や強姦に対して死刑を適用すれば、私たちの社会にとって悪影響があるでしょう。

死刑は、私たちの社会を守るために、やむを得ず行われる手段としてとるべきです。
その人物を生かしておくことで、私たちの社会に大きな悪影響が出る場合など。
ですから、

>そもそも人間誰でも死ぬんだし、それでは刑罰としては弱く、上記の理由から遺族にも残酷と思うのです。
と質問者様はおっしゃりますが、
それに対して私は
「加害者を死刑することによって、被害者の感情が傷つけることになろうとも、死刑をしなくてはならないときはしなくてはならない。
逆に死刑をしないことによって、被害者の感情が傷つけられることになっても、死刑をするべきでないときは死刑をするべきではない。」
とそんな風に考えます。
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>犯罪者の命を被害者の命より重く扱うのって、あまりに非人道的ではありませんか<


この様な場合は、非人道的ではなく、「あまりに理不尽」ではありませんか。・・・ではないでしょうか。
それでしたら、ある面質問者さんの心情に賛同できます。
また、殺人行為そのものは、元々が非人道的な行為ですので、その罪を償う意味での死刑を非人道的と決め付けるのは、一方的で賛同できません。
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殺人という非人道的な犯人に罰を与えるために賛成です。


質問者のおっしゃる
>被害者複数の命を重犯罪者一人の命で贖うという事になります。
ですから、命は一つしかありませんので非常に理不尽だと思います。
個人的には、加害者が被害者を殺したのと同じ方法で死刑が執行されれば良いと思います。
もし絞殺したのなら、加害者は首を絞められる苦しみを味わえばいい。
ただこれが容認されたとしても、執行者が誰もいなくなるでしょうから無理ですけどね。
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質問の意味は犯人ではなく被害者にとって非人道的ということですね?


被害者数人の命を犯人一人の命で償わせるということは、被害者の命を軽くみていることになる。これでは遺族にも残酷という意味ですね?
これを分かりやすく書くとよいかと思います。
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死刑が殺人犯に適応されることだけを前提にお話しします。



ありとあらゆる生物は、自らが命を奪われる状況におかれた場合必死になって抵抗します。野獣の世界であれば弱肉強食が展開され、力の弱いものは命を奪われてしまいます。警察や裁判には、人間の世界のこのような暴力の不平等を均衡にする役割があります。
死刑を廃止した場合には「人を殺しても自分は殺されない」という状況ができあがります。国は犯人を保護し、労働という刑罰は与えるものの、ここには本来あるべき命のリスクが存在しません。それは、野獣の世界以上に理不尽な状況ではないでしょうか?
もし、国という権力が無ければ、殺人者は危険であるとして、他人から命を狙われ続ける人生を送るはずです。また、あなたも大事な人を奪われた場合、犯人に極刑を望むに違いありません。死刑を非人道的と威勢よく否定するならば、むしろそのような被害者の怒りを否定することなどできるのでしょうかと問いたくなります。
「あなたたちは何をしても生命を脅かされることは無い。人を殺しても殺されることはない。少々の刑罰を真摯に行えば許しを与えよう。」
このような慈悲は、被害者の怒りから見れば、実に不自然だと思うのです。

ですから、“誰でも訪れる死とその恐怖”をあえて自らの勝手な判断でで他人に与えたものに対し、死以外の尺度を持って刑罰を与えるのは不自然ではないかと思うのです。

また殺人犯に対しても必ず刑罰が下るわけではなく、精神鑑定等の再評価の制度があります。この再評価は人権の観点から尊重されますが、非常な危険も孕んでいて、何らかの権力がそこに働いた場合、本当に罪のある者を非常に軽い刑にし釈放してしまう可能性さえあるのです。すでに十分な人権擁護が、殺人犯に与えられています。これ以上何を与えるべきだというのでしょうか?
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被害者遺族も、一般の人も、犯罪者を死刑にしても償えたとは思わないでしょう。

また、人間誰でも死にますが、死ぬのは普通嫌なものです。終りですからね。疑問とする所の仮定が間違っていると思いますよ。

標題の疑問の回答になりますが、報復と見せしめでしょう。しかし、報復から生まれるものはあるのか、ということと、見せしめの効果とには疑問があります。報復への執着心は善良な人間、国家を狂わせる場合があるし、狂人には見せしめ効果は働かないと思います。

日本も含めて、死刑のある国家とは、まだ未成熟な社会的途上国だと思います。個々人を死刑にして、満足感を得るよりも、もっと罰さなければならない組織、変えなければならない社会の仕組みがあると思います。

死に神と揶揄されている人もいますが、社会の不満をそらし、個々人の死刑に目を向けさせ、国民の不満解消の一助として死刑を利用していると考えたら怖いですね。
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 死刑になりたくて罪を犯す、という事件も最近はあるようです。


だからというわけではありませんが、本当に
「そういう刑になるくらいなら、自殺した方がまし」
って犯罪者が思うような刑もあるなら、その方がいいかもしれません。
死刑という刑に対して僕自身も、非常に疑問を感じています。

ただ現在は法的には許されているのですから、だったらこそこそしないで
公開にしたり、被害者の意向によってはあだ討ちのようなものを許したり、
何とかならないかと思っています。
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