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 中3男子(アスペルガー傾向)ですが、不登校状態が続いています。標題で”積極的”と書いたのは、引きこもりとか、学校に行こうとすると足がすくむとか、ということではなく、”中学校は行く価値がない”と自分で判断しての結果ということです。(本当はどうなのか、ということはありますが、かかりつけの専門医もそのように考えています。ただし、最近のケースはこのようなものが多いらしいですが。)ですので、塾には行きます。中学校に行くこと以外の外出は全く苦にしていません。

昨今はこのようなタイプの不登校も本当に多いのでしょうか。実体を知りたいと思います。

 内申などの点が出ないことも大いなる問題なのですが、最近の中学校って本人が言うようにそんなに価値がないものなのでしょうか。そんなことばかりなはずではないと親としては思います。本人の言い分としては、例えば子供間のいさかいが起こった場合、学校の先生はその仲裁ばかりを考えて、事の是々非々を検討してくれない、事なかれ主義ばかりだ、生徒も自分の発言などなく、うつむいて黙っているようなのばかりだ、そんなところに行く価値はない、ということです。

 親としてはそのようなことは一面的な見方だと思うのですが、一方、今の社会のあり方を見ていると、なにか逸脱があるとマスコミが飛んできて非難したり、ペーパーワーク的な教育評価の連続、中身よりも形式を重んずる傾向がずっと続いているように思います。中学校も子供の名前を呼ぶときも”○○さん”と言い、清潔で平等な中学校になっているように思います。地球環境問題に関心を持ち、思いやりがあって何事にも積極的に取り組み、一人ひとりの個性を尊重するというようなことを標榜していると思います。実際の理想的な社会の箱庭のような場所なのだろうと何となく推察しています。”外形標準”というような言葉がフィットしそうです。一方、自分の内側から噴出してくる好奇心・動機で行動したいと願っている子供はそのような環境は苦痛だろうと思います。不思議なことに学校の教育理念の標語には、”自立自尊。社会を興す人となろう”などと書いてあるわけで、”やさしい社会変革”みたいな欺瞞を嗅ぎ取ります。うちの子は制服廃止論を考えて、校長先生と談判したいと保健の先生に相談したところ、あわてて止められ、もう中学校には見切りを付けたというようなことを言います。学生一人ひとりがそのようなことを言い出したら先生のキャパシティとして対応できないというのは別問題であることを前提とします。(見どころがあるお子さんの自慢話ですか、と言われそうですが、そうとでも思わないと不登校児を持つ親の心のバランスが取れない)

社会における位置づけとしての中学校のあり方がどのようになってきているのかを知りたくてお尋ねしました。学校への批判的な意見を書きましたが、子供の言い分としてはそうであり、それを尊重するようにと、専門医からはカウンセリングを受けています。学校の立場・自分の動機に折合いをつけてなんとか学校に行って欲しいと願っています。

A 回答 (5件)

No,4です。



丁寧に補足していただき、ありがとうございました。

多分、昔なら議論好きで集団行動の苦手なやつと言われて、それで済んでいたんでしょうね。

小学校まで普通に登校されていたと言うことは、掃除当番なども普通にやり、多少議論好きではあっても、ちゃんとクラスの一員として認められていたと言うことですよね。そして、中学になって登校拒否が始まったのは、そう言った議論好きがこうじて、クラス内で浮き上がった存在になったからと感じますが、どうなのでしょう。少なくとも、制服についての議論を校長と出来なかったからということだけではないですよね。多分、
>実質的な議論が行われない学校の有り様に絶望している
と言っても、「実質的」と言われる部分は、あくまでも中学生が見たものでしょうから、現実の世の中の金銭が絡んだ様々な問題ではないので、そう言った「実質的」と言う判断そのものも、やはり、友人関係を通して判断されているのでは感じます。

最近の教育界は萎縮していると思います。または、隙を見せないように気を使いすぎていると感じます。多分、その背景にあるのは、非常に大掛かりに教育をコントロールして、教育制度を社会のダイナミズムの源とするのではなく、逆に、社会階層化の道具として使うという意思でしょう。
ですから、教員の多くは、自らを支配のための道具として意識するようになっているのです。生徒の感心した顔とか生き生きした表情に価値を置くのではなくて、いかに管理するかに関心が行ってしまっていているのです。
本当は、そう言った形を取ることで、却って、全体的なエネルギー低下を招いているのですが、あまりに管理教育へ向かう意思が大きすぎて、一人一人の教員は足がすくんでしまっているのが現状でしょう。多分、そう言った状況は、skmsk19410さんご自身が教育関係者であると言うことですから、ある程度感じられているのではないでしょうか?

ですから、
>答えを1ヶ月ぐらい待って欲しいとでも言って受け
ると言う対応も、なかなかその余裕がなかったということだと思います。
もちろん、こういう対応は個人の裁量の範囲内のことですから、学校と言うか、そのときの担当者の人柄の問題であり、ご期待されていたような対応をとることもあったはずです。

自分は専門家でも何でもありませんが、次のようなことは考慮してもいいかなと感じます。

1.友人を自宅に呼び、何かのパーティでもして、親御さんが直接話すことのできる友人を数人作るようにする。そして、彼らとできれば、ある程度定期的に親御さんが話をできるようにする。
2.息子さんご自身はアスペルガ-であると言うことを解っていられるのですから、そのことを、学校とかクラス、友人間で理解してもらうよう、彼自身が努力するように彼に言う。簡単に言えば、自分で自分がアスベルガ-であると宣言させる。でも、多分、もう、この段階はやられているのでしょうね。
3.文章を書く、または読書をする習慣を付ける。多分、非常に論理的で感性の高い方なのでしょうから、自分の気持ちや知識を文章の形で表現し、それをもう一度自分で読んで、更に内面化していくということが出来るはずです。ピュリッツア賞を取った記者の書いた本とかを読むと良い刺激になるかも知れません。
4.もし、インターネットに興味があるようでしたら、プログラミングを勧めて見る。プログラミングは非常に論理的で、しかも、すぐにその場で結果が見れることが多いので、こだわりをもってやっていくには非常に挑戦のし甲斐があるものです。
5.息子さんに寄り添うことも必要ですが、乗り越えるべき壁を作ってあげることも必要だと思います。基本的な生活習慣からより高度な社会生活が出来るまで色々なことがあるわけですから、それらの中であまり無理のないものを選び、目標として彼に選び取らせる必要があると思います。多分、学校への登校もその一つとなるのでしょうが、その前に、もっと基本的な生活習慣、つまり、朝定時に起きる、夜自分から床につく、食事等の後片付けをする、などから、挨拶をし、相手に何かやってもらったらありがとうと言うなどです。
6.ダメな奴と思えてしまう人でも、それぞれの人が自分なりに頑張って、それぞれの生活をしているのだということは、社会の見方として言っていく必要があると思います。自分の立場から見てその人の価値を断じることは簡単だが、反対に、彼らから見て自分はどう判断されるかと言ったこともおりに触れ、話題にしてみてもいいかも知れません。
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この回答へのお礼

詳細な回答、本当に有難うございます。

小学校ぐらいからもうトラブルはありました。クラス全員を敵に回しての椅子投げ飛ばし付きの大演説もあり、それによるイジメもありました。これに起因すると思われる暴力行為も受けました(これは、法的な措置も含めて解決しました)。

 ご指摘の通り、私が書きました【実質的】というのはあくまでも”本人にとっての”、という意味です。子供ですから議論は稚拙な部分が多々あります。だからこそ、内容を吟味して問題の部分をきっちり指摘して欲しいと思うのです。しかし(不登校)学生が直接、校長先生に物申すことは制度上(?)できないとか何とかいう手続きに関する理由でシャットアウトになります(内容よりも手続きだけが議論されるというのは空幕論文問題と同じ)。そのように判断された先生の気持ちもわかりますが、親としては”それだけかい?”という気持ちにもなるのです。
 学校教育が萎縮しているというのは、本当にそう思います。先生もサラリーマンですから、意識が及ぶ範囲が限定されることは承知していますが、それにしてもアクティビティが低いなと感じています。例えば平等という概念は重要ですが、それを過度に意識すると誰にでも平等に“不作為”であることが究極の状態となります。さすがにそれだと批判されるので批判されない範囲で不作為方向を目指すというベクトルが働いてくるように思います。一方で教育熱心な先生は、”運動会でのクラスのまとまり”とか“困っている人を助けよう”とか金八先生方向の指導ですね。これも表層的ですよね。

 1~6のご提案も有難うございます。専門医の診察所見でもこのような道を探って欲しいとのことでした。アレコレと少しずつ試しているところです。専門医によると”子供をアインシュタインだと思って”とまで言われています。つまりアインシュタインにならないとこの子には明日が来ないのかなどと思い詰める気持ちになります。物書き、プログラミングなど集中的に能力が伸ばせないかとも思ったのですが、初期の段階で少しだけ山を越える努力が必要ですが、それが出来なくてうまくいきませんでした。それでもあきらめずに少しずつ改善してければと思っています。

お礼日時:2008/11/21 11:00

いつぐらいからアスペルガーの症状が出てきたのですか?


また、中学への登校拒否はいつぐらいからですか?既に中3とのことですから、中2の時は登校されていたのでしょうか?

兄弟はいますか?また、一日の生活状況はどうですか?
中学へ行かない間、家では何をしていますか?

会話はどの程度まで普通に成立しますか?
誰となら普通に会話をしますか?
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この回答へのお礼

回答有難うございます。

アスペルガーの傾向は思い返せば生まれつきそうだったと思います。成長とともに自然と矯正されるものだと思っていたのですが、いつまでもその部分が変わりません。中1のときに数名の方に診断をお願いしたのですが、アスペルガーと断定されたわけではなく、アスペルガー傾向であると言われました。教育カウンセラーと専門医の両方共そのような所見でした。

中1の1月ぐらいから中2の1月ぐらいまでまず1年間完全に不登校で、その後、中3の秋までは50%程度学校にいきましたが、10月の末から本格的にまた不登校です。学校に行くようになってあらためてあそこは行くべきところではないと再確認したと言っています。

兄弟は妹ひとり(小6)です。不登校の1年目は、インターネット、小型テレビゲーム三昧、中2の冬ぐらいから塾通いは続けています。しかし、自宅学習は殆どありません。中3の秋から塾のほかに日中、市立図書館にて自学自習をしています。成績は偏差値50ぐらいで、国数はやや高いですが、英社理のような暗記しないと得点につながらないような科目は偏差値40台です。高校入試が直前ですが、学力と内申の比率が7:3で、3の部分が限りなくゼロなのだろうなと思っています。

会話は、かなり高度な内容を好み、そのことについての自説を述べるという傾向です。これに応じてくれる友達・先生がいないので中学に行くことはしないと言っています。誰とでも会話できます。彼が会話しないのではなく、相手が彼の相手になってくれないという傾向があります。
会話は好きな方ですが、相手が辟易するという感じです。

お礼日時:2008/11/17 21:35

 私も実はアルペルガーと診断された過去を持っています。

お子さんの持っておられる「正義感」、「こだわり」、「自分は被害者。周囲は加害者」といった見方については、「なるほど自分もこう感じていたこともあったなあ」とうなづいています。

 当時、私はあるコンテストに出場して不本意な結果に終わり、非常に落胆したころでした。しかも、その後、今も闘病している病気の存在が発覚したのです。閉塞状況の中で、この苦しみは誰にも分からないと、心の中は自分の殻に閉じこもったような毎日でした。そして、気がついたらアスペルガーと診断されていたのです。

 そこから、ある程度脱却できたと実感できているのは、それは「それでも私は愛されている。私の試練には意味がある。このことを通して、苦しみに会っている人と共感できるようになった。だから、苦しみにあったことを感謝して喜ぶことが出来る。私は以前より大きい人間になれた。将来には希望があるのだ。」そう思えるようになったからです。

 今も自己憐憫の気持ちへの誘惑を感じることがあります。しかし、そのたびに、意識して被害者妄想的な考えを持たないように努めています。結局のところ、誰もあなたの息子さんを(私を)苦しめようとしているわけではないのです。逆に彼は(そして私は)愛情を持って見守っている方々に囲まれているのです。その方々への感謝が心にわいたとき、解決は見えてくるのかも知れません。つまり、「愛」が一番の助けのように思います。

 如何でしょうか。少しでも、お父さん、お母さん、そしてご本人の心の重荷が軽くなれば嬉しいのですが。どうぞ、勇気を持ってください。
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この回答へのお礼

回答、有難うございます。

有る短期間にアスペルガーと判断され、それがある程度回復に至ったということでしょうか。大変なお苦しみがあったことと思います。

ただ、わが子を見ていると、表面的には苦しんでいるわけではありません。内面はわかりませんが。少なくとも苦しくて助けを求めているというメッセージはありません。お笑い番組を見て大笑いします。笑いながら”学校?行かないよ”と言っています。苦しんでいるのは親ばかりです。親が悩んでいるということを当人に見せない方が良いようなので、それでまた苦しみます。

アスペルガーは、一時的にそれになり、あとでそれが回復するというものではないように考えています。顔つきなどのように生まれつきの身体的特徴のようなものであり、加齢とともにその傾向が薄らぐ(逆に顕著になることある?)ことはあっても消えてなくなることはないような、そんなものなのではないでしょうか。

親は本人の側に立てというようなことを医師から言われています。学校などでもそのことを理解して本人の側に立つ人が1名いてくれると良いのですが、と専門家からはアドバイスされています。残念ながらそのような人は居らず、保健の先生でも”(制服廃止論を校長先生と議論する)ようなことは理屈が通らないからダメ”と社会の通常の判断がなされます。中学生が制服廃止論を校長先生と議論する(あるいは公開質問状を出す)ことはそんなにおかしなことなのでしょうか。中学校側としても笑いながら受け止める度量も時間的余裕もないのでしょうか。またその質問(制服廃止論)をしっかり受けて制服必要論を理路整然と説明できないというのも問題ではないでしょうか。答えを1ヶ月ぐらい待って欲しいとでも言って受けてもらえばその間だけでも学校に行けていたと思うのに。←この部分こそがこの質問を立ち上げた主旨であります。

お礼日時:2008/11/17 22:12

障害について詳しくないので的外れかもしれませんが、なんか屁理屈つけてわがまま言っているなあと思われやすい状況だなあと思います。


特に、この問題のように自分の意思による行動は、「障害がもたらした問題の結果の行動」というより、「性格の問題」だと誤解されやすく、他人から寛容的にみてもらえないことが多そうです。

一見すると、息子さんには選民意識みたいのがあって、「自分は特別だから、他のやつらと同じ扱いをされたくない」といっているようにみえます。
質問文を見る限り、そのみえてしまう考え方の根本にあるのは、たぶん人間関係がうまく結べていないことではないかと想像します。

批判をみると、ステレオタイプなマスコミの批判に似ている気がします。
自分を学校という集団から切り離した、第三者の批判という印象がするのです。
まったくの間違いとは言いがたいけれども、どこか他人行儀というか、一線を画した批判のように見受けられます。

自分がその集団の一員として存在しているとは思っていない。
だから「ぼくら」ではなく「あいつらは」という意識での批判をして、「僕が受け入れられない」のではなく「ぼくはあいつらを受け入れない」と転換して自分を保っているのではないかと思います。
「学校へ行くことに価値がない」のは、学校では自分の価値を正当に認めてもらえないから「価値をみいだせない」のではないでしょうか。

もしこの仮説があっているとすると、今後はさらに問題が山積みです。
この仮説の状況は、周囲が受け入れないのは「自分の問題」ではなく、「環境の問題」と捉えている状況だからです。
そうすると、自分の問題には気がつかないまま「自分を受け入れてもらえるところ」をもとめてさまよいます。
高校も長くは続かず、職も長くは続かない。

そうなってからではなかなか打つ手が限られてしまうでしょう。
もしこの仮説のような状況に息子さんがいるのなら、人との関わり方を教えてあげる、あるいは人との関わり方を学べる場につれていてほしいと思います。

最後に、質問である「社会における位置づけとしての中学校のあり方」の回答ではなくなってしまったこと、文章力がなく分かりにくい回答になってしまったことをお詫びいたします。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございました。

 うちの子の考えを要約すると、なぜこんなにも皆は世間語だけを喋りつづけるのかということです。世間語とは、”地球環境問題はいま我々人類が直面している最重要課題の1つである”というようなものです。この内容は一人一人の人間がデータに基づき本当に実感を込めて喋る(個人語として)ことはそう簡単にはできないはずなのに、易々としゃべり、○をもらう、中学校とはそんなところだと本人は断じます。しかも、ほとんどの子供が。彼はそれを1つ1つ吟味し、検討した上で自分の実感に基づいて喋りたいと主張します。その上で、地球環境問題の肯定・否定を決したいと。このような態度に対していくらでも反論できる材料はありますが、決定的なものがない。”そんな時間は無い”、”専門家が言っているのだから間違いないだろ”、”そんなんじゃやって行けないぞ”、”そんなに自分の考えで行きたいならアメリカの学校にでも入るか?”、”もっと肩の力抜きなよ。”、"学校ってとりあえずそんなところ何だよ。”、”そればっかりじゃないだろ”、”中学校って最大公約数を見出すところなんだよ”とか。こちらの苛立ちも見え隠れするし、指導・説得している当方が分が悪いように思うのです。
 本人自身がアスペルガー(軽度と言われていますが)ということの認識もあり、そのため自分の価値を仲良しグループの一員として他者に認めてもらうと言う点では本人としてはもう諦めています。そのことが不登校を引き起こしているのではなく、実質的な議論が行われない学校の有り様に絶望しているというのが実態のようです。私のような日和見主義の人間の遺伝子を本当に受け継いでいるのかなと思えるほどです。

お礼日時:2008/11/16 02:00

 親としてのお気持ちよくわかります。


まずはアスペルガー児が普通学級で直面する『困難』を親が「ちゃんとわかって」やることが重要では。彼らの多くはコミュニケーションが困難な特徴を持っています、要するに『人間関係で引っかかりやすい』ということ。「こだわり」や「相手の気持ちがわからない」という特徴からも、いちいち人と引っかかります。まあいいや、と「受け流す」ことや、悲しませたくない、といった「相手の気持ちを汲む」ことができにくいのですから、無理もない、と。

学校へ行ってもらうには、理屈じゃない、ということを理解してもらうことが必要では。人間理屈では飯は食えない。どんなに嫌だろうが体が疲れていようが、仕事して、賃金をもらって、食物を手に入れなければ、腹は満たされない。ライオンだって、どれだけ腹が減ってフラフラしてても、シマウマを走って捕まえなければ食えないってこと。

人間、どれだけ自分が正しかろうが、どれだけ世の中が間違っていようが、その社会で生きていかねばならないということ。社会の決まりがある以上、どれだけ悪いヤツがいても勝手に殺してはならないということ。(だからこそ、『必殺仕事人』のような仕置き番組が人気出るんじゃない)

学校に行く価値があろうが、なかろうが、「小・中学校は行くもの」です。嫌な、そこの中学と言う必要はなく、転校してでも、どこでもいいから中学ね。何のためにタダで授業が受けられると思っているのか。大人になるのに必要な知識や経験をするためでしょ。金持ちだけでなく、平等に。授業を受けたことのある者ならわかるはず、1度やった授業は二度と習わない。塾などへ行かない限り。君のための席も、今しかないのだ。と言っておやりになっては。

価値があるかないか、なんてのは通り過ぎた後でわかるモンです。生まれてすぐの赤子に価値があるかないか、なんて分からないのと同じ。大きくなって始めてわかる。それまではとにかく大切に育てるしかないのだ、と。

学校でこうなったらこうするといい、というような、手取り足取りの対応(サバイバル)も教えてやるのも手です。屁理屈を言って結局逃げてるだけなんですから。人間関係の面倒な巣窟から。屁理屈もアスペの特徴のひとつです。親が負けてはなりません。当たり前のことを当たり前にやってから、物を言え、といっておやりなさい。世の中が気に入らないなら、政治家にでも文部科学省大臣にでもなって変えてみろ、と。

私はアスペの息子に屁理屈では負けません。そうでなければ、面倒なお前を育てるのに、だれが毎日飯を作って世話をして頑張るかっていうの。とっくに放ってるぞ、と。
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この回答へのお礼

回答、有難うございました。

アスペルガーの専門家の人(この道40年ぐらいの経験)によりますと、説得とか言い聞かせなどの教育的措置は効果なしとのことでした。だから、子供の言い分を認め、子供の内側に入り、そこから、”そうは言ってもね..."と変えていくしかないとのことでした。内側に入るのに長い時間がかかるようです。また、アスペの部分はこれまでの経過により絶対に直らないとも聞いています。アスペはそのままにして、むしろ特長を伸ばせとも言われています。専門医も教育専門家もこの部分では同じ意見です(ちょっと違うところもありますが)。

”当たり前のことを当たり前にやってから、物を言え、といっておやりなさい。世の中が気に入らないなら、政治家にでも文部科学省大臣にでもなって変えてみろ、と。” この言葉は普通のお子さんに言う言葉ですね。”義務を果たしてから権利を主張せよ。”ということです。これが全く通じないのがアスペだと思っています。この後の会話は、
”それでは社会が受け入れてくれないぞ”
”はい、結構です。受け入れてくれないなら野たれ死にします。”
”死ぬ、とか言う奴に限ってそんなことできやしないんだ。”
”心配しないでいいよ。ちゃんと死ぬから。でも未成年の間は食わせてくれよな”
というような会話になります。

アスペルガーのお子さんということですが、親として対決してはいけないというようなカウンセリングは出ていないでしょうか。

中学校問題ですが、子供の不登校は本当に困りものなのですが、一理あると思える部分もあります。(私も教育関係者なので)教室は私語と死後(沈黙)に溢れている、と思います。それが辛いと感じるのならば、本当にきついのだろうなとも思うのです。

お礼日時:2008/11/16 00:14

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