プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

母の友人が入院していた時の話です。
人望が厚く、病気になってからも、同じ病気の人たちを励まし、
不治の病に冒されているとはとても思えないほど気力と元気に溢れていて、
いつも明るい笑みを絶やさない、素敵な方でした。
若い頃から様々な人助けや活動をしておられたようです。
彼女は入院中、ずっと意識がありませんでした。
ご家族と、特にお付き合いの深かった友人何名かで看病に当たっていたようです。
その中に私の母もいました。

それが最初で最後になってしまったのですが、母に連れられてお見舞いに伺ったことがありました。
病室には娘さんと、ご友人がふたりほどいらっしゃいました。
びっくりするほど痩せて、酸素マスクをして横たわっている姿はとてもショックでしたが、母に促されてベッドの脇の椅子に座りました。
すると、母を始め他のご友人たちが、彼女に話し掛け始めました。
「○○さーん、□□さんの娘さんがいらっしゃったわよー」
「○○さん解る、お見舞いに来ましたよー」
耳元で、ほとんど喚くような大きな声です。
私はその様子に非常に違和感を覚えてしまったのです。

意識がなくてもちゃんと聞いている。聞こえている。
そういう話は私も耳にしたことがありました。
ですが、聞こえているのなら普通に話せば良いのでは、と思ってしまったのです。
あんな耳元で大きな声を出されてはうるさいだろうと。
入院中の彼女のお世話もしていない、お見舞いにもたった一度しか行っていない私が言うことではないのかも知れませんが、
お元気な頃であれば絶対にしないことを
(耳元で叫んだり、体を拭く等のお世話以外でむやみに顔や体に触れたり、揺すったり)
意識不明であろうとも、生きている大人の女性にするのはどうなのか、
自分の親がされていたら… 私は嫌だろう。
そう思ってしまったのです。

そばにいた娘さんが、寝ている彼女の手をそっと取って、私に握らせてくれました。
何か話し掛けていましたが、大声ではなく普通でした。
娘さんが内心どう思っているのか聞いてみたくも思いましたが、出来ませんでした。

以来、ずっと気になっていました。
意識不明の患者さんに大声で話し掛けるのは、普通のことなのでしょうか?
私の感じた違和感は、筋違いのものでしょうか?
自分の親にもし同じことをされて不快に思ったら、それを伝えても良いものなのでしょうか。

A 回答 (7件)

意識不明の状態が常態化長期化すればご家族も慣れているので大声は出さないと思います。


慣れていないからつい大声を出すのでしょう。

これは医師や看護師が通常は大声を出さないと同じです。
急激に意識を失った時などは大声を出して意識の有無を確認する場合はあります。

>自分の親にもし同じことをされて不快に思ったら、それを伝えても良いものなのでしょうか。
自分の親が意識不明になって常態化長期化して慣れっこになることが良いかどうかはわかりかねます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。お礼が遅れて申し訳ありません。

母の友人は、2ヶ月ほど意識不明の状態で
結局意識が戻ることのないまま、お亡くなりになりました。
私がお見舞いに行ったのは、1ヶ月くらいの頃だったと思います。
周りの人が慣れるのに充分な期間だったかどうか、は分からないですよね…
ただ、娘さんは大きな声を出していなかったので、そこが気になりました。娘さんも耳元で大声を出しておられたら、そういうものなのかなと違和感もなかったのだと思います。

お礼日時:2009/02/25 11:18

人の感情的な快・不快とは、まったく別の視点で考える必要があるかもしれません。



生まれたての赤ちゃんのような、あまり動かず、言葉を認識しないような人でも、
お母さんが一生懸命話しかけたり、体を動かすことで、
脳が必要な刺激を受け、それによって脳や身体の機能を、維持させたり発達させます。
植物状態の人にも刺激が必要だという話をどこかで聞いたことがあるような気がします。

私は医者ではなくシロウトなので、よくわかりませんが、
意識の無い人に話しかけたり、体を動かすことには、何か意味があるような気がします。

でも、もしかしたら、耳元での大声は必要がなく、周りの人達の誤った働きかけかもしれません。
意識の無い人にどう働きかけるのが適切かを、
担当の看護師や医師に尋ねることができれば、一番いいですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

>意識の無い人にどう働きかけるのが適切かを、
担当の看護師や医師に尋ねることができれば、一番いいですね。
本当にそうですね。
適切、不適切も解らない、聞きもしないのに、不快に思ってしまったのは筋違いだったかも知れません。
いずれにしろ、その方を思っての行動なのには間違いありませんよね。

お礼日時:2009/02/25 11:20

あなたの違和感は、そういう立場になった事がないからだと思います。


友人(母達にとっては大事な人)が意識不明になって、ただ、ひょんな事でもしかしたら意識が回復するかもしれないと、ワラにもすがる思いで、必死に話しかけているんだと思います。
私も、友人の友人(私自身はそんなに親しくない)が事故で植物状態になってお見舞いに行った時、周囲の人(特にご両親)が一生懸命話しかけていました。その時に上記のように思いました。
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この回答へのお礼

傍におられた娘さんが静かな声でお話になっていたので、大声の人たちとのギャップが違和感になったのだと思います。
いずれにしろ、その方を思っての行動には間違いありませんよね。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/02/25 11:22

>意識不明の患者さんに大声で話し掛けるのは、普通のことなのでしょうか?


従姉妹が末期癌で、もう意識不明になったときに、そうしたほうが良いと言うことを聞きました。
普通の人でも意識がぼやけているときは大声で話されたほうが話しがわかり易いですよね。
それと同じようです。
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この回答へのお礼

>そうしたほうが良いと言うことを聞きました。
そうなのですか。大声で話したほうが良いのですね。
その方を思っての、そして適切な行動であったのに不快感を感じてしまって恥ずかしいです。
自分の身近な人が同じようなことになったら、適切な方法をきちんと聞こうと思います。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/02/25 11:25

最近、読んだ本なんですが。

(すいません題名は忘れました・・)
奥さんが交通事故で意識不明の重体に陥り、その後、奇跡的に意識が戻った北海道の歯科医の方の体験記です。

その中で、意識が戻った奥さんが、
「意識のない間も周りの声はずっと聞こえてた。何をしてるかの気配も感じてるしわかっているのに身体が全く動かなかった」
と言ったそうです。
なのでその方も「意識不明でもドンドン話しかけてください」
と書いていました。

ただ、私も。
自分がされてイヤだなと思うことはしない方がいいと思いますね。
耳元で大声とか、身体のあちこちを触ったりとか。
確かにイヤですよね。
どの程度でやめておくかは、個人の良識の問題なんでしょうね。

悪気があってやってるわけではないのできつくも言えないし。
でも、もし自分の親に対して「イヤだな」と思うようなことをされたら。
私だったらやんわりでも相手にやめて欲しいと伝えると思います。

というのが・・・全く関係ない話なんですが。
まだ子供が幼い頃に夫の実家に行った時のことです。
夫の父親が自分のスプーンで孫にアイスを食べさせようとしたんですよ。
それを見て、思わず、
「すいません、虫歯菌って親から感染するらしんですよ。なので、スプーンは別にしてもらえませんか。
いえ、私が虫歯で苦労したものですから・・・・。」と言ったことがあります。かなり勇気が必要でしたけど、義父は
「あっ・・・そうなの。それじゃそうするか」
と言って、それ以後、気を使ってくれるようになりました。
確かに一瞬、雰囲気は悪くなりますけどね・・・

大抵の大人は、その程度で怒ったりすねたりはしないと思います。
内心では「コイツ、言うなあ・・」くらいは思うでしょうけど。
なので言いたいことは言ってもいいと思いますよ。
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この回答へのお礼

そうですよね、悪気があってのことではありませんよね。
もしも自分の身近な人間が同じようなことになってしまったら、
担当医に適切な方法を聞いた上で、何か言うのであればそうしようと思います。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/02/25 11:27

意識不明の重体になった経験はありませんが、それに近い(?)経験はあります。



病気で手術をしたときのことです。
現代医学では命を落とすことはまずない病気ですが、
戦前は命を落としていた病気です。

全身麻酔だったのですが、術後、先生に呼ばれ起こされたときのことです。
先生の声は聞こえるのですが、意識は朦朧とし、目も開けられず、体もうまく動かない。
初めての手術だったので何が起きているのか不安でしかたない。
そんなとき、一人の女性の看護師さん(と思う)が腕をさすってくれ、手を握ってくれました。
「大丈夫ですよぉ。無事終わりましたよぉ。」といいながら。
それがどれだけ嬉しく、心強かったか。
誰かがそばにいて、自分に触れてくれている、これがどれだけ心強く安心できるか、
経験した人にしかわからないでしょうね。

意識のない人は、声が聞こえていても、真っ暗闇の中で
自分がどこにいて、どうなっているかわからない、本当に不安で孤独で心細いと思います。
私のように術後ならまだしも、死の恐怖もあると思います。
そんなとき、誰かに触れてもらうと本当に安心すると思います。

あとはNO3の方と全く同意見です。
あなたはまだ、命にかかわる病気や、身近な人の看護の経験がないからでしょう。
人の感じ方はそれぞれなので、あなたの違和感がおかしいとは思いません。
でももう少し色んな経験をすればまた違った感じ方をするのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

>誰かがそばにいて、自分に触れてくれている、これがどれだけ心強く安心できるか
ここには思い至りませんでした。
ご自身の経験談をありがとうございました。大変参考になりました。

身近な人間がもしも同じようなことになってしまったら、
適切なほうほうをきちんと確かめたいと思います。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/02/25 11:29

どちらの立場も分かる気がします。


一読したとき、質問者さんの意見に傾きましたが、ふと過去を振り返ったとき…。
――あれは、長男が4歳の時の話です。

私の息子は入院当初、髄膜炎と脳炎を併発し意識がほとんど無く、痛みと音にしか反応しなくなっていました。
風邪で熱が出て具合が悪いのかと思っていたら、パタパタと症状が進み、歩くことも笑うことも出来無くなり、五日目に入院が決まったときにはもうその様になっていたのです。

長女と私は息子に付き添って救急車で入院先に行きました。
車中でも息子は、無表情で誰とも視線を合わせることもありませんでした。
体も硬直して、寝返りも打てず、目も半分しか開いていませんでした。
同乗して下さった救命士さんの問いかけにも殆ど反応しませんでした。

病院に着くと担当になって下さった主治医の先生が、息子の意識レベルが低くなっていること、“痛みと音にしか反応していないこと”“脳が腫れて水っぽくなっていること”“過眠状態にあること”を教えてくれました。

――ショックでした。ほんの三日前までは唯の風邪のように思えたのに…。
そんなに熱も高くなかったのに、何故?
脳が水っぽいだなんて、元に戻れるの? 脳が壊れちゃうの?
それより何より、このまま死んでしまうの?
そうだ、三日目には自分でもこの子は唯の風邪じゃないと疑っていたのに…。
泣き方も行動もおかしかったのに…。
自分が鬱だから、持病もあって体調が思わしくないからって…。
自分の言い訳なんか、理屈なんかどうでもいいからもっと早く病院に連れて行ってあげれば!! せめて三日目に病院に連れて行っていたら!!
自分の直感を信じていれば!!
…脳炎って自分の名前も、家族の顔も分からなくなるんじゃなかったっけ?
ご飯も自分で食べられなくなって、寝たきりになったりするんじゃなかった?

そのとき思い浮かんだのは、以前テレビで見た、脳に損傷を受けた息子さんを介護している高齢のお父さんの姿でした。息子さんは車いすに乗って風に吹かれながら、微かに笑っていました。何に反応して笑っているのか、偶然笑っているように見えただけなのか…。

先生に聞きたいことはたくさんあったけれど、怖くて、
「この子は死んだりしませんよね?」
たったそれだけしか問えませんでした。
「死にません。」
気休めかも知れないけれど少しだけほっとしました。
とりあえず命さえあれば、この子は元に戻れるかも知れないのだから。

――でも、せっかく五体満足に生まれてきたのに、私の思慮が足りないばかりに、この子は死んでしまうかもしれないんだ。
助かっても車いすで散歩するしかないの? 元気に走り回れないの?
亡くなった父は私が駄目な母親だから、この子を連れて行ってしまうの?
七五三を早くしてあげなかったから、病気になってしまったの?
…何もかもが悔やまれて、頭の中が破裂しそうでした。
もう本当に祈るしかないと思いました。祈るときに少しでも邪心があると、息子は助からなくなるんじゃないかと思いました。

面会が許されてからは、必死で息子の名前を呼びました。
息子は髄膜炎で首が揺さぶられると痛がっていましたし、脳の病気でしたので体を揺さぶったりはしませんでしたが、一瞬でも目を開けて欲しくて、ほんの瞬間でもこちら側の世界に帰ってきて欲しくて大声で呼びました。
叫ぶ程ではありませんでしたが、呼んでいないとあちらの川を渡って行ってしまいそうで不安だったのです。
看護婦さんも音の刺激が良いからと、部屋にテレビを入れて下さいましたし、呼びかけは良いことだと仰っていました。また、以前から親しい人の声が耳に届くと昏睡状態の人が意識を取り戻すと言う話も聞いていましたので…。そして、何よりもそうしていないと息子の脳細胞が刻々と死んでしまうような気がしたのです。少しでも早く意識を取り戻せたら、脳の損傷が小さくて済むのではないか?機能回復が早まるのではないか?と思ったのです。

いつもと言う訳にはいきませんでしたし、眠っていることが多かったのですが、ちゃんと反応して、目を開けてこちらを見てくれると涙が出そうなくらい嬉しかったです。――それからというもの、主治医の先生が神様に、看護婦さんが天使に見えました。
(今、息子は小学校6年生です。年より幼い印象はありますが、学芸会でちゃんと準主役も務めましたし、体育の授業もみんなと一緒に受けています。普通学級に元気に通っています。)


お母様達がご友人を大声で呼んだのは、そうすることによって意識を取り戻すことがあるからと、医師や看護婦から話を聞いたからかもしれないし、知人にその様な方がいたからかも知れません。
大声である必要はないのかもしれないけれど、やはりこちらの世界に帰ってきて欲しい心の表れではないでしょうか。

想像ですけれど、お母様達はそこにいるご友人に向かってではなくて、向こう側の世界にいる魂に向かって声を掛けていたのではないでしょうか。
近くにいても、遠くにいるように感じられたからではないかと思います。
親しかったから、恩があったからこそ、自分の声をあちらの世界まで届かせたかったのではないかと思うのです。

>自分の親にもし同じことをされて不快に思ったら、それを伝えても良いものなのでしょうか。
…伝えても良いと思います。でも、現実に自分の身内がそうなったとき、必死で名を呼んでくれる人たちを見たら、胸が一杯になって何も言えなくなるかも知れませんよ。
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この回答へのお礼

もう退会されてしまったのですね。お礼が遅すぎました。申し訳ありませんでした。

>お母様達がご友人を大声で呼んだのは、そうすることによって意識を取り戻すことがあるからと、医師や看護婦から話を聞いたからかもしれないし、
そうですよね。私の感じた不快感は、全く根拠の無い無責任なものでした。
その方を思っての行動であったでしょうに、自分が恥ずかしいです。

体験談をありがとうございました。

お礼日時:2009/02/25 11:32

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