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25歳社会人男です
生れてから今まで小学校低学年以下のケンカ以外で
親にも先生にも友達にも殴られたことがありません(殴ったこともありません)
この事を同僚に言ったら「甘やかされすぎ」と言われました
殴られた事が無いというのは欠陥なんでしょうか

ムカついたときに相手に暴力を振るう想像をすることはあるし
物にもあたるタチなので
「痛みをしらない人間は~」なんて話をきくと
自分はDVに走る素質があるのではと不安です
今からでも殴ってもらったほうがいいんでしょうか

A 回答 (17件中1~10件)

ご両親にはそれぞれの方針があると思いますが、


先生にも友達にも殴られたことがないと言うのは、
それだけあなたが対人関係でトラブルを起こさない、ということではないでしょうか?

同僚曰くの「甘やかされすぎ」というのは悪いことをしても怒られなかった、つまり殴られなかった、
というニュアンスで言ってるように思えます。悪いことをしてご両親に怒られたことが
思い出せるくらいあるならば、殴られたことがないからと言って決して甘やかされたことになるわけでもなく、
ましてや欠点、欠陥などではありません。殴られる必要がなかったから、殴られなかったと言うことですね。

「痛みを知らない人間は」と言うのは殴る蹴るの肉体的な痛みではなく、精神的な痛みだと思います。
人を傷つける言葉や人と接する上でのマナーなどを指してるのではないかと。
これは社会生活を営んでいく上で、傷つきながらも学んでいけるものだと思います。
ですので、わざわざ殴ってもらう必要は皆無です。
あなた自身、人を殴ったことがないならばDVとは無縁のようにも思えます。


ちなみに、親に散々殴られたことがある身としては
相手がどういうつもりで殴ってきたのか、わかるようになります。(理不尽か、相手を思ってか)
また、職場の上司などから暴力を受けてもショックが小さく済むのかもしれませんね。
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「痛みを知らない人間」は、人の気持ちを考えられない人間と言う意味だと思っています。


必要がないのに殴るなんてただの暴力で、殴られたことがないのは、それだけの悪さをしていないだけじゃないですか?
甘やかされ過ぎは別問題。悪いことをしてもまともに怒れない親・先生等まわりの指導者による「放任・責任放棄」。

私は、先生にも両親にも殴られたことがあります。それだけの悪いことをしたのだと思います。たまにテレビで、「とにかく叩く親」が出ています。躾と体罰は別だとも思います。単に殴られて育った子供が心の優しい人になるとは思えないし、日常の体罰は恐怖心を植え付けるものと思います。
DVをする人って、暴力でしか人をコントロールできない、そんな自分すらコントロールできない人じゃないですかね?物にあたってるくらいだから、今のところ心配しなくてもいぃんじゃないですか?

力加減がわからなくて重症を負わせた、死亡させたっていうのを聞くと、ある程度のケンカや体罰も必要だとは思いますが…。私は弟とよくケンカをして、我慢と加減と殴る痛みを知りました。
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自分の子供を無菌室みたいな環境で育てたいか、未開地に放り込んでも生き延びる人間に育てたいかの違いでしょ。


もしくは自分がどっちの人間になりたいか。

結論から言うと殴られる経験はしておいた方がいいです。
絶対的に。

皆さん言ってるとおり暴力で人間性が成長するとも限らないし、教育に体罰暴力が必須なわけではないですよ。
殴られなきゃ人の痛みがわかんないってもんでもない。

ましてや日頃暴力的な環境で育った人間なんて、ろくでもない人間の方が多いし。暴力が正しい教育やしつけにとって害にさえなるのもわかります。

たしかに何人もの回答者が言うとおり、殴られた経験なんて無くても立派に生きていけますよ。今の日本ならね。

でも私はイヤですね。
暴力が必要悪であろうが、絶対悪であろうが、現実に人間世界には暴力が大きな力として存在してるんですよ。

その暴力が理不尽であろうが、違法であろうが、トラウマとやらの原因だろうが容赦なく自分に降りかかってくる可能性はあるんです。

街中で理不尽な暴力に邂逅したとき、殴られた経験もなくて自分や家族の矜持を保てるほどの胆力を養う訓練って出来るもんですか?

ましてや日本を一歩出て世界に行けば、暴力や恫喝がひんぱんに横行する社会なんていくらでも存在するんです。

これからの国際社会、いくら人間性を磨こうが、学歴を身につけようが、海外に行って大きな外人に一喝されただけでビビって何も言えないような人間でいいんですかねえ。

特に日本の女の子。
外国の女性と違ってほとんど取っ組み合いのケンカなんて経験ないでしょ。
思いっきり精神脆弱ですもんね。

いつまでもこの平和ボケ社会が続くことを祈るのみですね。

余談ですが、私は暴力全否定の人は、風呂も清潔なトイレもないような秘境には絶対に一人で行けない潔癖症の人を連想しました。
「ばい菌に出会う経験なんて不要です。最近が人間にどんな悪影響を及ぼすか知ってますか。賛成派は自分の子供に除菌クリーナーを使ってあげないんですか。私は一日一回は絶対入浴してても、普通に今まで生きてきました」
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体が成長するように、心も成長します。


成長に必要なのは、机上の空論よりも、実体験であることが多いです。

さて、私の高校3年生の息子の話をします。
私の息子は、部活生で、実家から100キロほど離れた寮で生活しています。
「日本一」を目指して、チームで頑張っていました
ある日、息子の練習見学に行ってみると、
目にアザを作った息子がいました。
息子は「ころんだ」と言いました。 しかし私はすぐにわかりました。

練習後、監督の許可を得て(監督はころんだと信じていました)
息子を連れ出し、心のケアをしました。
殴られた心の痛みのケアです。
息子は少し元気を取り戻し、その後の試合で活躍してくれました。

殴られた体の痛み、心の痛み、殴った痛み・・・
経験していたからできたことです。
経験していない人には絶対にできません。
机上の空論は、現場では役に立たないのです。

大切なのは、殴る殴られるではなく、
自分が受けた痛みを、どのように生かすかですよ。
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殴るという行為が必ずしも正しいとは限りません。


なぜ、殴られたことがないということが“甘やかされすぎ”ということになるのか、理解に苦しみます。
どういった境遇で教育されてきたのか、それに尽きるでしょう。

薄汚い情や痛みなど知っていても、その方が却っておかしな方向に走ってしまうのではないかと思います。
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そりゃ、同僚がおかしい。


 私も生まれてこの方、子供どおしの喧嘩以外で殴られたり殴ったりされた経験は、たった一度しかありません。小学校高学年のころ、たった一度父親に・・
 でも、今でもそのことは覚えていても、何で怒られたかの理由はまったく記憶にありません。今でもそれがトラウマで父に対して冷たくしてしまいます。

 今では家庭では父親であり、外では子供たちを指導する立場ですが、殴るという行為がいかに人のプライド、人格を傷つけるものかを知っているため、私が家族や子供たちに手を上げることは一切ありません。でも、家族や子供たちにとっては、怒らせたら、とっても怖い存在です。家庭では完全な亭主関白ですし、子供たちもジロッと睨んだだけで水を打ったように静かになります。躯体は小さいし、強面でもありません。
 ですから、愛のムチといって手を上げる父親も教師も理解できません。尊敬され畏怖される存在なら手を上げる必要はありません。手を上げてしまったら、その時点で内心では敵意を抱かれ、軽蔑され、それ以後暴力以外に相手をコントロールできなくなります。

≫自分はDVに走る素質があるのではと不安です
 それはないでしょう。DVの原因に生育期に受けた暴力があるという説は、その逆も含めて、現在では否定されています。(出典は忘れました)
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>殴られた事が無いというのは欠陥なんでしょうか



物理的に打撃を受けた経験がないということは大きな「欠陥」とは思えません。
しかし、どう考えても理不尽な目に遭ったときに、自分の心を上手く「処理」して、如何に前向きに考えるか?という経験の「象徴」として「殴られる」ということを持ち出したのであれば、ある程度の理解は出来ます。

人間って、嘘もつくし、間違いもしでかすし、相手が傷つくことを承知で悪いこともする。
その「被害者」になったときに、「こいつは悪いヤツだ」と結論付けて、相手が不幸にならないと自分の気が済まないような人間になってしまうと、30代40代50代と年齢を重ねるのが辛くなる。

嘘もつくし汚いこともする、場合によっては相手も殴る、しかし、人間って本当は心優しく、慈悲と愛の精神に満ちている。
大袈裟に言えば、殴り殴られ、傷つけ傷つけ合った後の和解や一歩進んだ人間同士の心の交流という意味で「殴られる」という言葉を使ったのならば、僕は賛同したい。
言い換えれば、争いや、自分が受け入れがたいと考える相手との和解や譲歩、理解の経験がない人間が、最近はあまりに多いとは感じます。

ごめんなさい。
僕、高校生の時にヘルメットかぶって、随分と殴ったり角材で臑を狙ったり、殴られたりしました。(笑)
まあ、実際に暴力をふるう必要も、ふるわれる必要もないけれども、あまりに「純粋培養」で、ちょっと理不尽な目に遭うと、発狂したような凶暴というか訳がわからなくならないように「訓練」は積んで欲しい。
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先に書きますと「問題ない」と思います。



>自分はDVに走る素質があるのではと不安です
この部分に対して少々書き込みいたします。

>殴られたことがない
>ムカついたときに相手に暴力を振るう想像をすることはあるし
>物にもあたるタチなので
多少無理やり感があるのですが、暴力のコントロールの話と繋がるかとは思います。

ちょっと順序だてて書きます。
まず男性の力を侮ってはなりません。

握力は何キロありますか?
あまり細かく書くのは問題がありますので控えめに武道の専門知識が必要ない程度の一般常識に限る事のみを書きますが、人体の急所と言われる部分に睾丸があります。
2つ同時に潰れると…まぁご想像に任せます。
ちなみに約50~60kgの圧力で潰れます。

つまり、握力のみに頼らずとも成人男性が地べたに寝転んでる相手に体重と握力の両方をかければ簡単に出る力なのは、ご想像できるかと思います。

相手が女性・子供・老人だったとします。
ここからは書きませんが、人体は意外と丈夫ですが脆い部分は驚くほど脆いです。
ゲームセンターにパンチングマシーンがありますよね。
成人男性との条件のみで武道経験はおろか、運動経験すら乏しくとも50kg程度は出るのではないでしょうか(体重からしても最低ランクとしてさえ十分です)
加えて実際に殴る場合、打突面が小さい場合は点としてもっと大きな力がかかります。
前述の睾丸は男性の話ですが、男女関わらず人体共通のある特定の部分は40~50kg程度で破壊される"骨"が存在します(もちろん自然生活では普段衝撃が加わる部分ではないので、生物として強くなる必要もなかった箇所の骨。他にも特定機能のために骨や筋肉の鎧で囲えない部分もあります)

早い話が、四足を想定しての外側(背中)からの方が、衝撃に強い部分が多いです。
つまり人間の対面(腹側)は骨としても人が人としての機能のために弱い部分もあり、通常人を殴る時は弱い側です。

結論を言いますと"成人男性"という理由のみで「ムカついて暴力を振るう」と相手を死に至らしめる可能性もある訳です。

つまり女性・子供・老人からみれば、成人男性は「対抗策すらとれずに一方的に生命を搾取する脅威」になりえます。
子供・老人ならそこに成人女性も加わります。
だから、DVだとかもっての他。
人間辞めたほうがいい部類の”犯罪行為”です。

暴力の話に戻ります。
「子供のうちに喧嘩したほうが良い」
との話、考えもあるかと思います。
この理由の一つが前述の「子供のうちなら大事にならない」故です。
体重も軽く、筋力も未発達なら殴る行為による被害が単純に軽い訳です。

>「痛みをしらない人間は~」
この部分のみの話として、DVに走る云々を言えば暴力の怖さかと思います。それを実体験として”殴られる”ことによって体験しているかどうか。

でも、正直なところこんな話は後付の理由にしかすぎないと思います。
("殴られること"が痛みを知る手段として手っ取り早い体験なのは認めますが)
本当に大切なのは”殴る結果”を真剣に一度考えることだと思います。

質問者様も成人男性ですが、考える知能があるわけです。
ならば別に殴られなくてもよいです。
真に怖いのは「殴る結果を考えない殴られたことの無い人」と「殴る結果を考えない殴られたことのある人」なだけです。

>今からでも殴ってもらったほうがいいんでしょうか
もしこうお考えなら殴る結果を考えてみて下さい。それで十分です。
もし、私の書き込みで「殴る結果の恐ろしさ」の実感がわかなければ、「真剣な武道」を「真剣に」始められればよいです。
汗と一緒に血を流してたまに骨も砕いて。
5年もすれば「ムカついて暴力をふるう」なんて怖いことは絶対に思わなくなるはずです。
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別に全然関係ありません。


関係あると思ってる人は、じゃあ、君は子供が出来たら
殴って育てるの?とでも聞いてあげてください。
まったくばかげています。

大人になって人にも物にも手を出さないのは、
出したらどうなるかを順序づいて考えられるからですよ。

物に当たるのも我慢が足りなさすぎです。
ただ、ストレスというのは貯まる→当たって発散、
と考えがちだけど、そもそものストレスをためにくいように
するために何をしたらいいかを考えると、貯まる事が
なかなかないので、必然的に当たる事もかなり減ります。
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男の子は往々にして小~中学校で同年代との殴り合いのけんかを経験し


その後味の悪さ、自分が傷つく苦しみと相手を傷つける悲しみを学ぶものです。

もちろん、そんなことを経験せずとも人の痛みのわかる人はたくさん居るんですが、
争いそのものを避け続けてケンカひとつせず大人になってしまった人たちが
カッとなる情動を抑えられなかったり、いい年こいて陰湿ないじめをしたり、
「いつか社会に復讐を・・」なんて考えてたり結構ある話です。

いささか偏狭な物言いな気もしますが、
まあそういう感じで同僚は仰ったんじゃないでしょうか?

いずれにせよ、もはや大人が殴るも殴られるも無いですので
質問者様がゆるぎない優しさと強さをお持ちであれば何も問題ないのです。
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