私が、私や私が所属する集合体を守ろうとする、あるいは利益をもたらそうとすることは当然のことでしょう。
ならば、、
彼が、彼や彼の所属する集合体を守ろうとする、あるいは利益をもたらそうとすることも当然のことのはずです。
しかし、この当然のことをしているだけのはずが、互いに排他の関係に陥ることがしばしばあります。
互いの利益がぶつかり合う関係というのは日常茶飯事的に立ち上がってくる問題です。
「排他性」は相手を悩ませるともに、自分自身の精神性にも好ましくない影響を与えます。
しかし、生きようとすると排他の関係にならざるを得ない。
「いや、案外みんな仲良くやってるんじゃないの」という見解もあるかと思いますが、
それは通常の場合、少数者、あるいは弱者に対する排他の上に成立している仲良さであるように私は感じます。
ここで言う「私」や「彼」は個人はもちろんですが、家族、学校、地域、会社、国家、宗教などの代名詞でもあります。
排他性は、イジメ、虐待、商品偽装、収賄、殺人、戦争、テロなどなど、あらゆる場面で発揮されています。
一見なにごともなく過ごしているように見える私たちも実は、この排他性によって互いに影響を受け合い、
また、それが私たちの精神形成にも影響を与えているはずです。
どう考えても「良い影響」であるとは思われません。
「生きようとすると排他の関係になる」から「排他を発揮しなくとも生きることができる」へと転換するためには、どのような哲学が必要と思われますか?
No.62
- 回答日時:
こんにちは。
ここで質問(補足要求)があります。
(2つあるのですが、まず1つめです。)
> 自らの不徳ゆえ
hakobuluさんにとって「徳」とは何ですか?
補足要求をした理由を説明しておきます。
私はまだ
> hakobuluさんの思考回路が理解できず
> hakobuluさんの発想が分からない
のです。ですから
> 『なぜ礼節は必要だと思われるのでしょうか?』
を論理的に説明せよとのミッションに対して
どうアプローチしていくのが最善なのか?
簡単に言えば「伝え方がよく分かりません」。
ですので「hakobuluさんにとっての徳」を
まずヒントに出来ないかと思っています。
宜しくお願いします。
ご回答ありがとうございます。
>hakobuluさんにとって「徳」とは何ですか?
:今回の場合については、
相手の方が、
自由に、
相手の方なりの方法で、
自発的に、
自らの見解を表明しても良い、
と思わせるに足る雰囲気を持っているかどうか。
ということでしょうかね・・・。
つまり、これすらも排他性を遠ざけるための一つの下準備なわけですし、
その下地になるだけの人間形成に怠惰であったこと、を不徳と評してみた、と言ってよいかと思います。
いま、慌てて考えてみたのですが。^^;
> 『なぜ礼節は必要だと思われるのでしょうか?』
を論理的に説明せよとのミッションに対して
どうアプローチしていくのが最善なのか?
簡単に言えば「伝え方がよく分かりません」。
:そうであることは期待しますが、必ずしも「>論理的に」である必要はありません。
全く純粋に、お考えになっていることをそのままお示しいただくことのみ希望しております。
・常識です。
でも、
・孔子を尊敬しているから。
何でもいいのです。
よろしくお願いいたします。
ご返信をいただき感謝しております。
No.61
- 回答日時:
>>「理論と経験(実践)はセットにならないと理解には至らない」
>「>セット」が誰に対しても可能か。
もし可能でなければ見捨てるのですか?
諭せない動物の親なら見捨てるかもしれませんけど、人間は「今此処にこうしている自分」だけが自分ではなく、憧れや目標を持って、それを根拠(灯り、信じてしまって)に進もうとします。なので簡単に見捨てるのが人間として賢明なことじゃないと思いますね。
幸い人間は自分が経験しなくても歴史上の人物の生き方や語り継がれる小説や理論のことも本を手にすることで理解することができます。
環境や身体機能がハードだとするとソフトは選ぶことが出来るし、人生にとって人との出会いと同じくらい本との出会いは大切ですよね。
10代、20代のうちに読んだ本は一生を左右するようになるそうです。
児童書ですが「かもめに飛ぶことを教えた猫/ルイス・セプルベタ」はカモメの子育てをすることになってしまった雄猫の話です。
カモメにどうやって飛び方を教えたか、面白い本ですよ。最後に一番大切なことを猫もカモメも気づきます。そうしてカモメは飛ぶことが出来るようになりました。
>実践が有効であるとしても、礼節を知るという経験がなくて、
その水辺にさえ引っ張っていくことはできないのではないか?
>その重要性を感得させられるような納得(理解)できるに値する理論
が提示されれば、それを経験(実践)によって生かして解決できるので
はないか。
勇気は誰から与えられるものではなく、本人が心から望んで全力(心情と運命は同一の概念)で挑んでわかること。
勇気、これは整った明るい世界で暮すより、不条理や暗い世界の中から求められ、自分の殻や世界の壁に対して必要を迫るようなものと思います。
アラン(フランスの哲学者)は子どもたちの短所とされるところが逆に長所となる可能性も見ています。
子どもの暴力を勇気に、強情を誠実に、遅鈍を粘り強さに、虚栄的野心を教わりかつ教えたいとする願望に転じ、各人は、自分の欠点から、この欠点に似た(もっと正確にいえば、自分に似た)美徳を引きだすことができる。のだという。
欠点を美徳に換えるのは難しそうですが、本人の要領が悪いから他から見ての欠点で、要領が良くなれば方向性は同じなのかもしれませんよね。経験がなくても好きなことや憧れが見つかるなら可能だと言うんですね。宮沢賢治さんも殺人をしてみたいと思ってたようですが、しなかった。全力で自分とうまく付き合おうとしたんじゃないでしょうか。
何一つ指針のない空の雲を掴もうと崖から飛ぶような、原生林の霧の中を手探りで勇気を持った人、自由な人は生きる厳しさを悲しみよりも喜びが深いということで自由を選ぶのだとニーチェもいってました。
排他を発揮するなら自由を選ぶ勇気が必要でしょうね。
>優しくしないで怒らせたり、大切にしないで悲しませたり、もあります。優しさも大切にすることも必要なことですが、優しさと甘やかし、大切にすることと自由を奪うこと、これらを混同してはいけない、ということなのかもしれませんね。
優しくすること、大切にすること、深いですね。私の自由すぎな曖昧なといいますか、さすがhakobuluさん。文面をキチンと方向性をつけてくれてありがとうございます。
自由というものの捕え方に「人に迷惑をかけること」と「人に迷惑をかけないこと」と混同することがあります。私は後者が自由だと思います。
ご回答ありがとうございます。
>幸い人間は自分が経験しなくても歴史上の人物の生き方や語り継がれる小説や理論のことも本を手にすることで理解することができます。
:そうかもしれませんね。
そう言えば、神話の分析も有効と教えてくれた方もいらっしゃいましたね。
>10代、20代のうちに読んだ本は一生を左右するようになるそうです。
:やっぱり古典を読まなきゃ、とこの間テレビでやってました。
>「かもめに飛ぶことを教えた猫/ルイス・セプルベタ」
:面白そうな設定ですね。
読んでみようかな、ブックオフで探して。
>勇気は誰から与えられるものではなく、本人が心から望んで全力(心情と運命は同一の概念)で挑んでわかること。
:そうですね。
>子どもの暴力を勇気に、強情を誠実に、遅鈍を粘り強さに、虚栄的野心を教わりかつ教えたいとする願望に転じ、各人は、自分の欠点から、この欠点に似た(もっと正確にいえば、自分に似た)美徳を引きだすことができる。のだという。
:アランさんいいこと言いますね。
>自由というものの捕え方に「人に迷惑をかけること」と「人に迷惑をかけないこと」と混同することがあります。私は後者が自由だと思います。
:そうですね。
ただ、迷惑の概念が主観の数だけあることが難しい点なのでしょうね。
少しでも共通項を探ることができればいいですよね。
No.60
- 回答日時:
現在の北朝鮮より昭和初期の日本のほうが、頑なであったとの推測そのものが全くもっておかしいと言っているのです。
こういう基本的な認識を改めないとまずいです。その認識の甘さからどこまでもつけこまれますよ。
ご回答ありがとうございます。
> 現在の北朝鮮より昭和初期の日本のほうが、頑なであったとの推測そのものが全くもっておかしいと言っているのです。
:そうでしたか。
歴史には疎いもので、そうなんだと言われれば反論の根拠も持っていませんから、わかりました、と言っておきましょう。
しかし、どうなんでしょう。
逆にお聞きしますが、
「現在の北朝鮮より昭和初期の日本のほうが、頑なではなかった」
という事実はあるものでしょうか。
ま、本題とはずれるのかもしれませんが、もしご見解をお持ちでしたら教えてください。
これが第一の質問です。
>その頑なな日本は敗戦により、いとも簡単に武装解除したではありませんか。北朝鮮はコテンパンにやられたら簡単に武装解除するのでしょうか?
:第一の質問の答え如何に拘わらず、ここが本来の論点になると思うのですが、
つまり、コテンパンにやっつけるしか武装解除する道はない。
ということをおっしゃっているのでしょうか。
これが2番目の質問です。
特に急ぎませんのでよろしくどうぞ。
No.58
- 回答日時:
#15です。
久々に、コメントを書かせて頂きます。それにしても、時間をかけてせっかく参考文献を列挙したのに、それがドサクサで抹消されたのは、残念です。
>有体に言ってみれば、
『なぜ礼節は必要だと思われるのでしょうか?』
ということを知りたいだけなんですけどね・・・。
と言うことに関して、私が関わっている研究分野の方から聴いて、なるほどと思ったことを紹介してみます。人類の歴史を振り返ってみると、不思議なことに今から2千5百年程前のほとんど同じ時期に、それぞれ違った文明の中から、その後人類が存在するかぎり永遠に語り継がれて行く人類の教師が輩出しましたね。孔子様とお釈迦様とソクラテス様です。同じ時期に出て来るなんて、何か不思議では在りませんか。このことに関する、興味ある説明です。
過去を振り返ってみると、人類は数百万年程、旧石器時代を過ごして居りましたね。旧石器時代とは、地球上どこから出て来る石器もみな一様で、統一的で、特別な個性がない石器時代のことです。ところが、今から1万から10万年程前に、その一様で構造らしきものがはっきりとは存在しなかった状態からの分岐が始まり、一様の状態でいることが不安定になり、アフリカ、ヨーロッパ、中国、アメリカ大陸と、それぞれ違った場所から出て来る石器に地方性と呼ばれる個性が出て来るようになった。あそこのはここのとは違う。したがって場所を変えると何か違った物が存在すると言う意味で、平行移動での対称性の破れた、個性のある安定した複雑で新しい構造が自発的に現れて来ました。そして、そのころ人口も急激に増え、都市が形成され始めました。
その後、文字が発明され歴史時代へと移行して来ました。そして、どうやら今から2千5百年程前に、どこでも都市問題がどうにもならないほど深刻に成ってしまったようです。そこで、それぞれの文明は、それを何とか解決しなくてはならなくなった。ところが、この解決法は一意ではなかったようです。
先ず中国では、孔子様がその解決法として「誰でも納得する規則を社会に導入しようではないか」と提案したのです。いわゆる『礼節』の概念の導入です。人生には、どうしても妥協の出来ない場合と、それを妥協しても大したことのない場合が在りますね。この、どうでも良いような場合には、皆さん一々考えることなく習慣的にルールに従いましょう、と言う提案です。例えば、レストラン等で席次を決めるなどと言うどうでも良いことに対しては、実力主義ではなく年功序列にしておきなさい。そうすれば、どちらが優れているのいないのと喧嘩することもなく、皆さん歳を取りさえすれば、生まれや才能に関係なく上座に座れると言う大変民主的な規則ですね。もちろん、いざと言う時には規則を破っても宜しいのですが、普段は規則に従っておけば、喧嘩して互いに傷つけ合うこともなく、都市問題は解決出来るよ、と言う提案です。
次ぎにインドでは、都市問題の別の解法として、お釈迦さまが「この問題の根源は、執着にあり。したがって、皆さん執着から解脱出来るようになれば、都市問題は解決で来るよ」と提案したのです。
そしてギリシャでは、その問題の解決法として「皆さん、思索のテーマを人倫、すなわち倫理に集中させて、この問題を徹底的に論じてみましょう。そうすれが都市問題が解決出来るよ」と提案しました。
前にこの質問の回答として紹介した散逸構造の理論を暗に示唆した見方ですが、2千5百年前の異変を説明するのに、私は中々含蓄のある見方だと思いました。
ご回答ありがとうございます。
>時間をかけてせっかく参考文献を列挙したのに、それがドサクサで抹消されたのは、残念です。
:私としても全くもって残念です。
しかし、#28でご自身に懇切丁寧にわかりやすく概説していただいてますしね。
>孔子様
>「誰でも納得する規則を社会に導入しようではないか」
>いわゆる『礼節』の概念の導入
>どうでも良いような場合には、皆さん一々考えることなく習慣的にルールに従いましょう、と言う提案
>お釈迦さま
>「この問題の根源は、執着にあり。したがって、皆さん執着から解脱出来るようになれば、都市問題は解決で来るよ」
>ギリシャ
>「皆さん、思索のテーマを人倫、すなわち倫理に集中させて、この問題を徹底的に論じてみましょう。そうすれが都市問題が解決出来るよ」
興味深く拝見しました。
いずれも心に変革をもたらすことが可能な道なのでしょうね。
とりあえず形から入るか、
どもかく納得してからでないと入れないのか、
同時に行うしかないのか。
どのパターンからもアプローチできると良いのですけどね。
生育環境によって決定される要素の多い、個人の好みという最大の壁があるわけですから。
No.57
- 回答日時:
回答するのやめようかと思っていたんですが、関係がありそうなので前回の弁解という感じで書かせてもらいます。
前回食い違いが起こり(ついでに失礼者扱いされ)その極点を修正するので精一杯でしたので全体像が見えなくなっていたように思います。
そこで全体像を把握するという形で今回の質問の前向きな兆しになればと思い書かせていただきます。
まず前回の食い違いのポイントはどこかと言いますと、前半はほぼ食い違いはみあたらないのですが後半の「不条理な欲、不条理な管理の境界線が問題になりますね」みたいな発言です、ここでおそらく食い違いが起こったと思われます、なのでここの僕の考えを述べて見たいと思います。
まず前回の質問のNO4さんの回答が僕にとっては最適な回答に成り得ると考えました、そのなかで吟味、妥協、対処療法云々を掲示しました、付け加えれば工夫、説得なども適格かと思われます。この辺は主観へのアプローチとしては成立すると思われます。
しかし、途中で「不条理な欲、不条理な管理の境界線」ということを問題に入れて考えると非常に困難になるということを前回述べたつもりです、しかしご自分は「そんなことはない」見たいな発言があったので食い違ったということです。
ここで、この違いを式にしてみたいと思います、式にすればおおよそ理解していただけると思います。
1・(排他の監視、吟味、妥協、対処療法、工夫、説得etc)≒調和を取るよう心掛ける→管理不要な社会を目指
2・不条理な欲不条理な管理の境界線を織り交ぜる→(1)hakobulu:必ずしも難しくない,(2)TENNTENNSEVENOK:織り交ぜると難しく感じる
<2-(2)条件>ここでなぜ2が難しく感じるのかというのを説明すると、2の場合多様性を扱うので結果、一義的に扱うのが多様になるなので一概にこれと回答し難くなる。しかし、一義的に扱えない訳ではない、その場その場の一義的対応は可能である。
ここでなぜ「不条理な欲不条理な管理の境界線」というのが出てきて難しくなるのかといえば、この境界線に多様性が含まれているというポイントです。もしこれが例えばhakobuluさん本人がこの辺だろうと思い込んでいる場合はhakobuluさん主体で答えられるわけで多様性も聞きだせるという特権が付きますが、しかしこれは二義性と一義性が常に絡んでいる境界線なので多様性が発生する、ということになります。無論共通の欲みたいなものは主体にありますので、その一面でボーダーラインを考え示唆することも可能かと思います、無論「この辺をボーダーラインとするのはどうでしょうか?」という意見に関しての賛否は大いに答えますが私がボーダーラインを決るのは滅相もないので大いにご自身がお決めになることに厭いはしませんが「ボーダーラインを決めてください」という要望には答えられる器ではないのでご了承下さい。
ご回答ありがとうございます。
> 前回食い違いが起こり(ついでに失礼者扱いされ)その極点を修正するので精一杯でしたので全体像が見えなくなっていたように思います。
:わかりました。
ま、細かいことはね、放っておきましょう、お互いに。
>回答するのやめようかと思っていた
:のに、その排他性を乗り越えて投稿していただいたことに敬意を表しておきます。
>多様性を扱うので結果、一義的に扱うのが多様になるなので一概にこれと回答し難くなる。しかし、一義的に扱えない訳ではない、その場その場の一義的対応は可能である。
:それはおっしゃるとおりと思います。
>無論共通の欲みたいなものは主体にありますので、
:そうなんですよ。
ユングさんじゃないですが、(ちょっと意味は違いますが)集合無意識的なものはあるはずで、それに気づいていないというパターンが多いのでしょうね
>その一面でボーダーラインを考え示唆することも可能かと思います、
:それを求めています。
いくつかボーダーラインの材料は収集しているのですが、欲張りなのでさらに求めているところです。
投稿してくれてありがとう。
No.56
- 回答日時:
> 頭のいい方は、ここという肝心要のところを
> 平気でスルーするものだという経験を最近しまして、
多分、違うと思います。
決して頭がいいわけではないから
hakobuluさんの思考回路が理解できず
返す言葉を失ってしまったのだと思います。
自分が頭がいいとは思っていないからこそ
汗を掻いて知識と経験を積み重ね
リアルな努力によって世界の理解に努めてきたので
hakobuluさんの発想が分からないのだと思います。
少なくとも私はそうです。
>「>セット」が誰に対しても可能でしょうか。
> もし可能でなければ見捨てるのですか?
私は、世界が自分の思い通りには決してならないことを知っています。
私は、自分が全知全能でないことぐらい分かってます。
私は、凡人です。
凡人の私は、理論だけで世界を救うことなど出来ません。
凡人の私は、たった一人で全ての人にセットすることなど出来ません。
一人の力で全ての人を救うことなど出来ません。
凡人である私一個人には限界があります。
どんなに最善を尽くしても
及ばない、至らない、未達成の部分が残るでしょう。
悔しいけど、悲しいけど、未達成の部分が残るでしょう。
その悔しい悲しい未達成の部分を
> 見捨てるのですか?
と非難されるのであれば
もはや何も言い返すことは出来ません。
どうしてそんな冷酷で残酷なことが言えるのだろう、と
どこまでも困惑しながら沈黙するしかありません。
過剰な排他に走る人達には、それぞれの原因があることでしょう。
虐待体験、過剰な欲望、貧困、などなど。
凡人の私であっても、一人ずつ原因を探り
一人ずつ対話を続けることが出来れば
一人ずつには解決のきっかけを考えることが出来るかも知れません。
しかし、机上で考えた理論で
誰に対しても解決のきっかけを与えることが出来るなどとは
絶対に思いません。
もしここに完璧な理論があったとしても
理論を操るのは人間です。
完璧な人間など、いません。
完璧な理解など出来ず、解釈の相違に悩み
一部の者たちは解釈することすら面倒臭がるでしょう。
何度も言いますが
私は「論理だけでは解決できない」と考えています。
少なくとも「私には論理だけでは出来ません」。
まあ、そう思っている時点で、私にはこのご質問に対して
回答する資格がなかったのでしょうね。
場違いな言動をお許し下さい。
ご回答ありがとうございます。
>どうしてそんな冷酷で残酷なことが言えるのだろう、と
どこまでも困惑しながら沈黙するしかありません。
:これほど寛容でやさしい CUE009 さんにこのように言わせてしまうとは、自らの不徳ゆえであろうと推測し忸怩たる思いが湧きます。
そのような物言いとお感じになったのであれば謝罪いたします。
有体に言ってみれば、
『なぜ礼節は必要だと思われるのでしょうか?』
ということを知りたいだけなんですけどね・・・。
>私は「論理だけでは解決できない」と考えています。
:論理も必要だとお考えになっているわけですよね。
経験(実践)については、礼節を尊ぶということでお話いただいたのですが、
片方の論理という側面についてもお聞かせ願えないでしょうか。
ただ、これだけのことをお聞きしたかっただけなのですが、
言葉足らずというか、口の利き方を知らないというか、その点に関してはお詫びしたいと思います。
No.54
- 回答日時:
CUE009です。
意図が上手く伝えられていないように感じるので
今回は単刀直入に書きます。
(そのぶん文体の印象がキツクなるかもしれないのでお許しを。)
私は
理論と経験(実践)はセットにならないと理解には至らない
ということをお伝えしたいのです。
しかし、hakobuluさんから
経験(実践)は脇において欲しいというご要望をお聞きし
理論での説明を試みるのですが
> 知らないことを説いても意味がない
> 都合が認められた経験を持たない者が、そのようなことに気づけなくなってしまうように
と、経験の必要性を持ち出されるので
回答に窮しております。
このままでは
位置づけを欠いた思考が、狭い机上をフラフラと彷徨うばかりで
一向に外へ出けなくなりますよ。
経験がないから分からないと言いながら
机上の理論に閉じ込もろうとするのは何故ですか?
この回答への補足
ご回答ありがとうございます。
まず、
「私見では、自分の都合が認められた経験を持たない者が、そのようなことに気づけなくなってしまうように考えます。」
と述べた点についてですが、
『>「あ、そうだよな…」と直感的に納得できるのは
経験知から類推解釈できるからだと思います。』
と CUE009 さんがすでにおっしゃっていることと同じことかもしれません。
ただ、
【都合が認められた経験を持たない者】というのは、
阻害され続けてきた(無意識的なものも含む)記憶しか持たない者、というニュアンスです。
無意識的なトラウマとでも言ったらよいでしょうか、それが原因で他者に対して(むろん無意識に)排他的にならざるを得ない人たちのことです。
排他するものは程度の差こそあれ排他されてきたものではないか、という気がするわけです。
「実践としての経験」というよりは、「圧倒的な理不尽さを伴なう体験」を強いられてきた人。
そして、自らもそれと気づかず排他することでしか自分を守れないと考えてしまうような人。
というような表現でもいいのかもしれません。
あえて「私見」と冠したのはこのような理由からでした。
【知らないことを説いても意味がない】
と述べたのは、礼節を知らないものに強引に「礼節は必要なことだから」とだけ説いても効果はあがらないのではないか、ということです。
礼節を知るという経験がなくても、その重要性を感得させられるような論理というか、ともかく納得できるような哲学(的なもの)がそこを解決できるのではないか。
ということです。
(つづき)
以上も踏まえ、
>経験がないから分からないと言いながら
机上の理論に閉じ込もろうとするのは何故ですか?
:とおっしゃる点については、次のようにお答えできると思います。
ごくごく最近の例ですが、4歳の幼児を、言うことを聞かないといって水風呂に沈めて殺した母親とその内縁の夫が逮捕されました。
この4歳の子は日常的に虐待を受けていたようで、こぶやあざや脱臼に気づいた幼稚園側から児童相談所に2度も連絡があったにもかかわらず、無視も同然の扱いを受けていました。
女性園長は「無念の一言」と絶句していましたが、たとえば、この4歳児が成長して礼節を知らぬ者になったとしましょう。(必然性はないでしょうが確率は高いと私は考えます)
その際に、
>理論と経験(実践)はセットにならないと理解には至らない
:という点に関して基本的には同感なのですが、少なくとも「(礼節の)経験(実践)」からアプローチすることが可能(有効)だろうか、と思うわけです。
納得しなければ人は行動できない、と思います。
「礼節をなぜ重んじなければならないのか、この俺が」
彼は、こう思うのではないでしょうか。
実践が有効であるとしても、その水辺にさえ引っ張っていくことはできないのではないか、ということです。
(もしかすると納得できないかもしれないにせよ)納得できると思われる理論(哲学)提示し、後は、本人の理解によって自然発生的に実践に移されるのが望ましいのではないか、と思っています。
「理論と経験(実践)はセットにならないと理解には至らない」
とおっしゃる CUE009 さんのおっしゃることは全くそのとおりで大いに共感するものですが、
セットでなくても、納得(理解)できるに値する理論が提示されれば、それを経験(実践)によって生かしてみようか、という自発的な萌芽も期待できるのではないでしょうか。
「>セット」が誰に対しても可能でしょうか。
もし可能でなければ見捨てるのですか?
(ここは明確にご返答いただきたいのですが。頭のいい方は、ここという肝心要のところを平気でスルーするものだという経験を最近しまして、あえて念を押させていただきます。)
No.53
- 回答日時:
ぽこぺろぽです。
運ぶるさん、ちょっと納得が行かないところが出てまいりました。70年前の日本は北朝鮮より頑なだったんですか?では70年後の北朝鮮は現在の日本ほど頑なではありませんよね?その頑なな日本は敗戦により、いとも簡単に武装解除したではありませんか。北朝鮮はコテンパンにやられたら簡単に武装解除するのでしょうか?当時の日本が北朝鮮よりも頑なだとのお考えは矛盾に感じます。
簡単に「刀狩り」に応じた日本は、もともと頑なではないともいえます。北朝鮮の排他性に比べればカワイイもんではありませんか?当時の世界情勢や地理的状況が日本を軍国化させたのであり、軍事的排他性は日本のエートスではないと思います。失礼ながらあなたの認識はソフトすぎるのではありませんか?
ご回答ありがとうございます。
たぶん、私の表現不足があったのかもしれませんね。
> 70年前の日本は北朝鮮より頑なだったんですか?
:歴史は詳しくないのですが、
「70年前の日本」は「(現在の)北朝鮮」より、対国際社会という観点から見て頑なだったように思います。
>では70年後の北朝鮮は現在の日本ほど頑なではありませんよね?
:今の北朝鮮は、という意味ですよね?
対国際社会という観点から、当時の日本が頑なであった以上に頑なであるとは言えないように感じます。
>その頑な日本は敗戦により、いとも簡単に武装解除したではありませんか。
:原爆を2発落とされた後ですからね。
「>いとも簡単に」というご見解はどうでしょうね。
>当時の世界情勢や地理的状況が日本を軍国化させたのであり
:それは今の北朝鮮も同じ主張をすると思いませんか?
南北分断によって戦後復興のきっかけを掴み今の繁栄につながった日本です。
恩に着る必要はありませんが、あたかも向こうだけが根本的な悪であって、こちらは全く純粋の善である、といったような感覚であるならば、排他性がエートスと化してしまうように思いますけどね。
甘いと言われればそうなのかもしれませんが、「>すぎる」という意味ではどっこいどっこいではないかなあ・・・。
歩み寄りなりバランスなりを探るしか無いように思うのですけどね。
かの国の問題に限らずですが。
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