私が、私や私が所属する集合体を守ろうとする、あるいは利益をもたらそうとすることは当然のことでしょう。
ならば、、
彼が、彼や彼の所属する集合体を守ろうとする、あるいは利益をもたらそうとすることも当然のことのはずです。
しかし、この当然のことをしているだけのはずが、互いに排他の関係に陥ることがしばしばあります。
互いの利益がぶつかり合う関係というのは日常茶飯事的に立ち上がってくる問題です。
「排他性」は相手を悩ませるともに、自分自身の精神性にも好ましくない影響を与えます。
しかし、生きようとすると排他の関係にならざるを得ない。
「いや、案外みんな仲良くやってるんじゃないの」という見解もあるかと思いますが、
それは通常の場合、少数者、あるいは弱者に対する排他の上に成立している仲良さであるように私は感じます。
ここで言う「私」や「彼」は個人はもちろんですが、家族、学校、地域、会社、国家、宗教などの代名詞でもあります。
排他性は、イジメ、虐待、商品偽装、収賄、殺人、戦争、テロなどなど、あらゆる場面で発揮されています。
一見なにごともなく過ごしているように見える私たちも実は、この排他性によって互いに影響を受け合い、
また、それが私たちの精神形成にも影響を与えているはずです。
どう考えても「良い影響」であるとは思われません。
「生きようとすると排他の関係になる」から「排他を発揮しなくとも生きることができる」へと転換するためには、どのような哲学が必要と思われますか?
No.42
- 回答日時:
世界を散逸構造によって読み解いてみました。
けど選民だけを残して他の人類は滅びましたじゃ笑っちゃうよ。
その次の段階の話に進んでるのかと思った。
だからこその
幾春秋 分岐分岐を掻い潜り やっと辿り来し 山の入り口
と読んだんだけど違ったのか。。。
ちと買いかぶりすぎっちまったかな。
ご回答ありがとうございます。
>世界を散逸構造によって読み解いてみました。
けど選民だけを残して他の人類は滅びましたじゃ笑っちゃうよ。
:これじゃ読み解いたことにならないじゃないですか。
「>選民」という意図は含まれてないと思いますが。
「存在しているものとは残っているものだ」という事実と、その構造を述べているだけでしょう。
No.41
- 回答日時:
外国に長く住んでいる人は顔つきまで外国人っぽくなるようなところがあって、アメリカに長く住んでると楽観主義になれるんですかね。
散逸構造は人類を含まなくても成り立つんでしょうね。
いや
なるようになる
なるようにしかならない
ということで私も別にこのままでもいいんですわ。
後は自分の人生を楽しめばいいので
ご回答ありがとうございます。
>私も別にこのままでもいいんですわ。
後は自分の人生を楽しめばいいので
:同感です。
それが理想ですよね。
でも、本当に「>このままでもいい」と思っているのなら、投稿したりはしないんじゃないでしょうか。
どうやってもどうにもならないこともありますが、
どうかやればどうかなることもあるような気がするんですけどね。
No.40
- 回答日時:
No.30&19&10です。
★ (No.30補足欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
過去の(ふがいない)自分に復讐し、つまり精算行為であり、自己アイデンティティ確立の一環なのではないか、ということです。
「いじめ続ける」目的で自分の手元に引き付けておく、支配としてのいじめの構図があると思います。
これは支配の場合ですが、排斥の場合においても生育環境によって、その必要性に自ら駆り立てられるのではないかと考えます。
よって、
>それが 明確に現われるのは やはりおそらく 一定の社会全体に 支配構造が形作られたあとではないか
:というご見解については、もう少し勉強してみてからというふうに思っています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ 了解しました。
ただし
★ 「いじめ続ける」目的で自分の手元に引き付けておく、支配としてのいじめの構図があると思います。
☆ という構図は 集団においての《クーデターによる首のすげ替え》問題として わたしが 物理的な力による制圧にかんしては 扱いませんと申し上げた事態です。
★ せっかち
☆ と言われるとすれば 伸びてしまったそばは あまり好きくありませんとお答えします。偶然の理論によって 偶然のもたらす新しい秩序の再形成が過程されるのではなく 自由意志による井戸端会議における相互の批判を推し進めることによって あたらしい社会に移行すると考えます。
それでは。
ご回答ありがとうございます。
> ☆ という構図は 集団においての《クーデターによる首のすげ替え》問題として わたしが 物理的な力による制圧にかんしては 扱いませんと申し上げた事態です。
:あ、そういう事態の範疇に含まれるわけですね。
わかりました。
ご指摘いただきありがとうございました。
> ★ せっかち
☆ と言われるとすれば 伸びてしまったそばは あまり好きくありませんとお答えします。
:余計なこと言ったのにご丁寧に応じていただき感謝します。
私も伸びたそばは好きくありません。
そばは毎日のように湯がいて食べています。
今日も食べました。
面倒なので2、3日分ぐらいまとめて湯がいてしまうのですが、湯がきたてのそばはいくら水を切っても麺の間に水気が残ってしまい、そばつゆ本来の味が堪能しづらいようです。
伸びる伸びないの話とは違うのですが、湯がいた翌日とかに食べるそばのほうが腰もあるような気がして好みです。
>偶然のもたらす新しい秩序の再形成が過程されるのではなく 自由意志による井戸端会議における相互の批判を推し進めることによって あたらしい社会に移行すると考えます。
:同感です。
基本線は全く変わっていません。
「存在しているものとは残っているものだ」という事実と、その構造を興味深い視点から教えていただいたと思っています。
No.39
- 回答日時:
たしかに、物語は終わったので
めでたしめでたしなんですが
彼女の物語には、もう一つの結末があるので
一応、それを伝えにきました。
色々ここが違うとか言いたいこともあるのですが
まずは「ありがとう」
詳しいことは、語るとえっらく長くなってしまう女性に
きいてください。それに、個人的にまた以前のような文章が見たいから。
前回は多分これで、
「Air/まごころを、君に」
今回はこれです
「世界の中心でアイを叫んだけもの」
後、いつもおかしなこと言ってすみません。
散逸構造の理論の入門書があれば、よかったら教えてください。
ありがとうございました。
>後、いつもおかしなこと言ってすみません。
:これは私に対しての発言ではないんですよね。
そんなこと思ったことないですし・・・。
それに「>いつも」というほどお話したこともないはずですし・・・。
いずれにせよ、これからもよろしく。
No.38
- 回答日時:
またまた#33です。
目出度ついでに、僭越ながら金粟王如来ジュニアの正確な座右の銘を紹介させて頂きます。
さいおうがむまいことなどおこりしは あとからうしがくるとおもへや
むまのあとうしがくるかとおもいしに わがいきざまにしかがくるなり
始めの一首は江戸時代から伝わる狂歌です。後のは、金粟王如来ジュニアの返歌です。
ご回答ありがとうございます。
金粟王如来ジュニアさんも、なかなかのしゃれ者ですね。
いや、お見事。
むまのあときたりししかもまねきいれ うしないしものなどかたりあかさむ
金棒猿悟空
No.36
- 回答日時:
#33です。
>:ははあ、怖れ多いですが?私の座右の銘のひとつと同じですね。^^;
ただ、人事を尽くして天命を待つ、といったようなことに思いを馳せることも時折あります。
ななな、なんと、この両方の至言に関して、全くの同意見とは。私も、両方とも座右の銘にして居ります。や~~驚き々き、人生の極致に到達したのは、南方熊楠大明神の言を借りれば、我を金粟王如来にも比すべきに、その域に達せし如来がこの地球上に他にも居られたとは。朋有り遠方より来たる、亦た楽しからずや、の心境です。
どの文化や文明にも、似たような金言や逸話があるものですが、南方大明神に言わせると、塞翁が馬系統の話は西洋には無いそうです。実は、私は前に触れた散逸構造の理論の生みの親、プリゴジン教授とお会いしたことがあり、教授に塞翁が馬の話を紹介したことがあります。教授は「中々面白い話だ。だけど、その話は人生の入門編だね」とおっしゃいました。そして、なるほど、とまた教わってしまいました。
幾春秋 分岐分岐を掻い潜り やっと辿り来し 山の入り口
や~~~目出度い目出度い
ご回答ありがとうございます。
>「中々面白い話だ。だけど、その話は人生の入門編だね」とおっしゃいました。
:ははあ、入門編ですか。
裏を返せばそれだけ普遍性のある諺だったわけですね。
安心しました。
いや~良かった良かった。
楽しいエピソードありがとうございました。
No.33
- 回答日時:
#28です。
質問者さんの認識に概ね賛成です。ただし、
>私の考えるところは、均質性を求めているものではなく、程度の低い異質性にこだわることを無くしていくことが、おっしゃるところの「>前よりより複雑で豊富な存在形態に移行」できる、むしろ条件にさえなり得るのではないか、ということにもなりそうです。
と言うところに、私個人的には同意しきれないところがあります。不安定性を引き起こす原因は、もともとその存在にとって不愉快な事や物ですから、それに、程度が高い異質性とか、程度の低い異質性という分類が意味をなすかどうかに、一抹の不安を覚えるのです。新しい構造が出来上がるためには、ぎりぎりの、最早どうにもならない不安定点の近傍まで立ち行く必要があると言うのが、散逸構造理論の結論です。場合によっては目に余る不条理が、その後のより多様で豊富な構造の出現に必要になってくることもしばしば在るのです。
散逸構造その物は、一旦出来上がると、それが環境との成り行きで出来たと言うその理由により、暫くの間、大変安定して存在できるのです。ただしその構造が出現する過程では、不安定性が不可欠だと言っているのです。そして、多様性の寛容はその安定期に対して当てはまる事であり、その反対の、多様性への不寛容は、散逸構造が出来上がる不安定期の原動力になっていると言うことです。
ただし、こう言ってしまうと不安になりますが、自然界を見てみると、どうしてどうして、そんなに悲観する事もなさそうです。例えば、散逸構造理論のもう一つの好例として、我々人間の誰にでもやって来る思春期を思い出して下さい。この場合、個体を不安定に持ち込む要因は、個体の外部の変化ではなくて、個体の体内に起こるホルモンのバランスの変化などの肉体的変化や、成長とともに増加する知識量の変化です。それによって、本人の目の前で世の中が変わっているわけではなく、本人の世の中の見方が変わって来ているにも拘らず、それを、世の中が変化していると誤解するのが通常の反応です。若者にとっての共通した誤解は、世の中が急速に進歩していると思い込む誤解です。車に乗っている者が、自分でなくて周りの景色が動いていると誤解するようなものです。
いずれにしても、本人の内部に起こるこの変化が、その個体を不安定系へと誘導して行きます。そのとき、個体の内部での世界観や行動様式の小さな揺らぎが、その不安定性故にどんどん増幅され、信じられないような僅かな偶然による外部状況の変化で、その個体は、自分自身に途轍もなく自信をつけたり、あるいは、失望のあまり自殺したりします。このような揺らぎの増幅は、安定系では決して起こりません。思春期は、子供と言う安定期から、大人と言う新しい構造を持った安定期に移行する過程ですので、新しく、より複雑な散逸構造が出来上がるための、分岐点なのです。だからこそ、新しい構造を産み出すために思春期にいる者は、自分にとっての異質物に過剰反応を起こし、多様性に対する異常な排他性を示しているです。
くどいようですが、散逸構造の出現は本質的に偶然に支配されております。ですから、思春期の若者がどういう道筋で、どういう構造に落ち着くかは、神様でも分からないと言うのが、散逸構造の理論から示唆されます。ところが、その理由がどうしてなのかは私には判りませんが、確かに思春期には自殺等の異常な結末に至る例が他の世代よりは目立って多いのですが、それでも、その時期を無事に通過して、新しい安定した大人に成長する人の数の方が圧倒的に多いというのが、経験的な事実です。多分、私の個人的な性格によるのかもしれませんが、私は、この経験事実の重みを簡単に受け入れてしまう単純で楽観的なところがあるようですので、「散逸構造の理論によると、人間万事塞翁が馬、世の中、成り行きに任せていれば、なるようになるよ」と高を括っております。
僭越ではありますが、私は、「お前ら、もっと散逸構造の理論を勉強せい、私は塞翁が馬の現人神、あるいは権化であるぞよ」と不届きな事を物理を勉強している若者達に捲し立てております。
この回答への補足
ご回答ありがとうございます。
>不安定性を引き起こす原因は、もともとその存在にとって不愉快な事や物ですから、それに、程度が高い異質性とか、程度の低い異質性という分類が意味をなすかどうかに、一抹の不安を覚えるのです。
:「>不愉快」とは相対ではないでしょうかね。
ウィルスにとってワクチンは不愉快でしょうが、これによってウィルスは進化しますし、進化したウィルスに対抗するためにさらにワクチンも進化します。
この繰り返しによって、異質性のせめぎ合う水準が高くなるように思ったわけですが、
程度の高低は曖昧性を含みますし、とりあえず次の段階へ進むことができそう、と言い直したほうが良いかもしれませんね。
>多様性の寛容はその安定期に対して当てはまる事であり、その反対の、多様性への不寛容は、散逸構造が出来上がる不安定期の原動力になっていると言うことです。
:雨降って地固まる的なことなんでしょうね。
>若者にとっての共通した誤解は、世の中が急速に進歩していると思い込む誤解です。
:私にも一応若い頃はありましたが、たしかにそういう面はあったかもしれません。
ただ、よくも悪くもですが、文明の発達は本能性から遠ざかることになります。
本能が四つん這い、あるいは地に足をつけて歩くことだとすれば、文明の発達は(必ずしも否定的な意味ではなく)背伸びをし、思考の守備範囲を広げて行こうとするものでしょう。
思春期とは、ここに至る過渡期であり、どうしても不安定になります。
たしかに内的要因ではあるのですが、その内的要因は外部刺激によって相当の影響を受けるのが通常ではないか、と思われます。
しかし、このへんに関しては、基本的には大体同じことを言っているのかもしれませんね。
(つづき)
>新しい構造を産み出すために思春期にいる者は、自分にとっての異質物に過剰反応を起こし、多様性に対する異常な排他性を示してい
:ここはちょっと見解の相違がありそうです。
排他性を剥き出しにするかしないか、の違いであって、剥き出しにするぶん、性質はいいんじゃないでしょうか。
その質の内容にもよりますけれど。
>くどいようですが、散逸構造の出現は本質的に偶然に支配されております。
:はい。
ここは大変参考になったところです。
>「散逸構造の理論によると、人間万事塞翁が馬、世の中、成り行きに任せていれば、なるようになるよ」と高を括っております。
:ははあ、怖れ多いですが?私の座右の銘のひとつと同じですね。^^;
ただ、人事を尽くして天命を待つ、といったようなことに思いを馳せることも時折あります。
No.32
- 回答日時:
hakobuluさんは哲学が非情なもの、不条理なものいいに感じてきている?
心理学は直接的に観察、統計したり演繹する学問に対して、哲学は主に直観を含めて思考実験による理想や逆説を述べることが多いので、哲学の専門家であっても実証が難しいのです。体系として確立された理論もあまりないらしく。
「子供に言葉によって物を教えても間違った観念(観念は言語とともに現われるものだから)で覚えてしまうので、猫のしつけと同じく必ず経験から学ばせるようにする(ルソー)」「」「望まれるのは行動です(師匠)」というように自分が教育者となるか生徒になって共に体験しなければ殆ど仮説の粋を超えない空論です。
>互いの利益がぶつかり合う関係であっても排他を発揮しなくとも生きられる哲学とは?
「スピノザの世界」からの引用、エチカ第4部定理を要約したものでは
「徳を欲して自己の利益を追求するなら、何の問題もなく欲する徳(善)を他の人々のためにも欲するだろう。問題は妬みや憎しみに妨げられて、そうしようとしないところから生じる」
問題は利益というのが徳ではなく、潤う得を誰でも欲するところですよね。
徳は損する、見返らないイメージがあることですね。
ましてや現実の生活が一杯いっぱいな、優雅に振れる袖もない者にとっては、花より団子欲しい。
武士道に出てきた徳にどんなものがあるか並べてみます。
・平常心(運命に服従する)
・勇猛(勇者にとって知的な教義、遊戯に過ぎない陽気な側面もある)
・我慢
・主君に対する忠節・祖先に対する崇拝・親に対する孝行
・道徳の手段としての智恵
・仁(良き友とする価値のあるものを敵とする勇気)
↑ライオンの子育てみたいなもの?
・誠実、正直(所徳の中で一番幼いそう)
あぁ、ここまで調べましたが、武士道には一杯“徳”な説明があったけどどれもストイックですね。
徳や善について私が質問したいぐらいですが、今、それどころじゃない問題が山積みで、しばらく書き込めません。
もっと良い回答が届きますよう~。
ご回答ありがとうございます。
>哲学が非情なもの、不条理なものいいに感じてきている?
:いえいえ、そんなことは全くありませんよ。
どうして?^^:
>自分が教育者となるか生徒になって共に体験しなければ殆ど仮説の粋を超えない空論です。
:なるほど。
でも、(ほとんど読んだことありませんが)哲学書など読むのは面白そうです。
miko-desi さんはたくさん読んでいるほうじゃないかと思いますけど、有意義なことも多いでしょうね。
>「徳を欲して自己の利益を追求するなら、何の問題もなく欲する徳(善)を他の人々のためにも欲するだろう。問題は妬みや憎しみに妨げられて、そうしようとしないところから生じる」
:わかりやすくて、良い箴言になってますね。
色紙にできそう。
徳だけじゃ生きていけないのが悩ましいところなんでしょうね。
>徳は損する、見返らないイメージがあることですね。
:#29さんもおっっしゃってましたが、それはあるようです。
自分が自分に納得させられるといいのでしょうけどね。
宗教とかじゃなく。
>ましてや現実の生活が一杯いっぱいな、優雅に振れる袖もない者にとっては、花より団子欲しい。
:同感です。
>・主君に対する忠節・祖先に対する崇拝・親に対する孝行
:私には殆んど欠けています。(-_-;)
>・仁(良き友とする価値のあるものを敵とする勇気)
:自分にとって良い友でも、信義的に問題があれば対決する勇気、といったようなことなんですかね?
>↑ライオンの子育てみたいなもの?
:自分にとってかわいい子供でも、大自然の掟のためには突き落とす、という意味で?
「>みたいなもの」と言えば「みたいなもの」かもしれませんね。^^;
>武士道には一杯“徳”な説明があったけどどれもストイックですね。
:何しろ三島由紀夫ですからね。
()内の説明がどれもどても面白かったです。
端折らないで書いてくれてありがとうございました。
>徳や善について私が質問したいぐらいですが、今、それどころじゃない問題が山積みで、しばらく書き込めません。
:わかりました。
この質問ともなにか共通点があるかもしれませんね。
>もっと良い回答が届きますよう~。
:そんな~。^^;
十分良い回答ばかりですよ。
理解力不足でご迷惑ばかりおかけしているところです。
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