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大部分の人間は戦争に反対でしょう
また暴力による解決も社会正義に反しています

しかしながら、物語では戦争物や暴力による解決物など洋の東西を問わず今も昔も人気です

スターウォーズ、ガンダム、プリキュア、ドラゴンボール・・・

現実世界では戦争や暴力に反対していても架空の世界では武力や暴力がある世界が好まれるのはナゼなんでしょうか?

A 回答 (8件)

自分が主人公になっているから。


ほんとうに戦争の最前線で戦闘を経験した人ならば、無残な死の恐ろしさ
を否定しないでしょう。

ドラマやアニメも戦闘シーンをドラマチックに表現していますが、バラバラ
になった家族や友人の映像はめったに出しません、そこがリアリティの無さ
につながっているのでしょう。

復讐のために悪と戦う、それはあると思います、しかし、個人として感じる
べきです、国民単位だと情報操作が介入してしまい、民族単位での憎しみに
変換されて、憎しみは止まらなくなってしまいます。
個人的に戦うのも現実的ではありませんけど

スポーツも戦いです、熱狂的ファンを見ていると、大概自分に近い(地的、民族的)
という理由でチームや人を応援しています、本質的に民族主義で争い好きなんだ
ろうかとも思ってしまいます。

戦争論で、戦うべきだと言いながら、司令官という前提や強力火器、最新鋭
戦闘機のパイロットでいる自分しか想像出来ない者が多いと思う。

小銃一丁で地雷だらけの前線に送られるなんて考えてなどいないのでしょう。
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こんにちは、



性善説とかに関わることかもしれませんが、
私たち人間は本当(本質的)に、戦いが嫌いなのでしょうか?

質問者さまが看破されたように、本質的には、戦いが嫌いではない・・・好きかも知れません。
私たちは、自分に被害が及ばない戦いが大好きです、
そのために、スターウォーズ、ガンダム、プリキュア、ドラゴンボール・・・
など、物語としての戦争モノが大好きです。

9.11の時に、アメリカ(国民)がイラク攻撃を叫んだのも、(国民性も大きいですが)
アメリカ国内でなく、他国で起る戦争だからです。
私たちは、頭では戦争が行けないと考えていても、長年のDNAに刻み付けれた、
闘争心がそれに打ち勝つことが、しばしば起ります。

闘争心の薄い、民族や種族は滅びてしまったでしょうから、これは、ある意味で、
人類が生き延びる為に背負ってしまった十字架と言えるかも知れません。

しかし、反面、主人公の側から見ると、戦いの物語は、人間の成長の物語でもあります。
ルーカスがスターウォーズの構想を神話学者ジョセフ・キャンベルの講義に
ヒントを得て、神話の構造を物語りに取り入れたのは有名な逸話です。
http://www.vcafe.jp/spiritualsource/blog/entry-7 …

とても簡単に端折って書くと、
英雄が現れ⇒英雄は旅に出る⇒英雄は様々な困難や敵と戦いこれに打ち勝つ、
⇒数々の戦いで英雄は成長する⇒英雄は故郷へ帰る
という感じです(笑)

これは、世界中の神話にもある程度共通して、見られる構造で、
要は「人間の成長の物語」だと思われます。そして、
質問者様が、例として挙げていた色々な物語にも、ある程度共通して見られる構造だと思います。

私たちは(自分に被害が及ばない)戦い・・・は大好きです。
 ボクシングやレスリングは戦いその物ですし、スポーツのほとんどは、
 形を変えた(ルールを決めた)戦いに外なりませんし、それを見ることで、
 私たちの脳は興奮し、アドレナリンを大量に発生させ、快感を得ます。

そして、「戦いの物語」は同時に「成長の物語」でもある為に、
私たちは、戦いの物語を好むものと思います。
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人間としては、法律的及び理想論として、戦争がきらいといっているのであって、これは生物学的には、間違いですね。


人類までのの進化の過程で、爬虫類時代の記憶が脳に記憶しあるためです、攻撃性は、脳内常駐プログラムなのであります。日ごろは、法律とか、理性とかで、行動にうつす事を、プログラムロックをしてるが、例えば行動を伴わない場合は、プログラムロックが、働かなくなるため。  
ゲーム、映画では、アニメでは、戦争物が、すかれるわけです。
又、女性の化粧もそうだそうです。 男性の自動車とかね
暴力は社会正義に反します、其れは確かですが。しかし 3000年の歴史で暴力を、解決してきたのは、暴力なのです。
違ったのは、ガンジーの一例だけであります。しかし これが後の、インド パキスタンの衝突を招いたと、ガンジー自身が、述べている。
完全な暴力反対には、賛同できません。でも基本的には 反対です。
この生命体、人類は非常に扱いにくい、生物の種類です。圧倒的な暴力が無いと、争いをやめない。現在は武装警察であり、アメリカ 核兵器であります。
悲しいことです。本当に悲しいことですが、人類という生命体は、地球上の生物のなかで、類を見ないほど、残虐性を有してますから。
気持ち悪いから、蛇を殺す 虫を殺す。他の哺乳類は食べるために殺すだけです。
人類は、平和主義者ではありません。
他の動物からすれば、人類はウイルスであり、最大の戦争生命体なのです。
社会正義は、人類に対してのみでよいのでしょうか?
社会正義そのものが、本当はそんざいするのか?

質問者様 色々考えることが出来ました、ありがとうございました。
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戦争の無い、世界平和を実現するには、人の心の中を、平和にする事が必要です。

人の心は、不調和世界の脳の自我と、調和世界の自然の無我が、合体して出来ています。不調和世界の脳の自我は、自己を主張するので、競争や争いばかりです。不調和世界の脳の科学は、自然を破壊しました。他方、調和世界の自然の情緒は、人の心を癒し、人を育て、社会を調和に導きます。だから脳が思考してる時は、人と自然との交流を、脳が遮断するので、心がストレスになります。脳が休むと、人と自然の情緒が交流するので、心が癒され平和になります。だから人の心を、平和にするためには、脳を休める事が必要です。昔の日本人は、生活の中に、間や情緒を入れて、脳を休ませる工夫をしていました。また娯楽も、脳を休ませるためにパターン化された、ステレオタイプが好まれました。幸い日本には、脳を休ませる方法がたくさんあります。仏教では禅があります。また日本の伝統文化も、脳を休めて、心の癒しを、自然の情緒を追求しています。茶道、華道、雅楽、能、文楽、日舞、日本画、演歌、和歌、など、実践すると、人の心が自然の情緒と交流して、平和になります。また世界中の人が、実践すれば、世界平和が実現します。
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補う効果があるのではないかと。



例えば<はてしない物語>の主人公は、いじめられっこ。
でも、別世界では世界を救う勇者。


現実では実現できないことを、架空の世界を作ることで、補うという作用が、映画やアニメなどにあるのではなでしょうか。


ヤクザ映画を見たがる人って、現実ではヤクザとは正反対の行動をとっていると思います。
防衛機制の中の<同一視>だと思います。
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いわゆるはなしが簡単だからではないでしょうか。

同じ人間模様などでも心理的な話よりもずっとわかりやすいからだと思います。
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暴力を快感に感じるという感覚が人(動物)の心の奥に備わっているんじゃないでしょうか。

少し違う話かもしれませんが、動物はよく狩りの遊びをします。犬がボールを追いかけたり、猫が食べるわけでもない虫を捕まえたり。
人間は平和を望むので現実世界での暴力には反対で、空想の世界の中で暴力を楽しんでいると言うことではないでしょうか。
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宇宙の大元は、完全調和の世界です。

しかしこの地球は違います。仏教では、仮の世界だと説明しています。不調和世界の脳の自我と、調和世界の自然の心、である神の無我が、出会うために作られました。だからこの世界は、不調和と調和の異なった世界が、同時に存在しています。戦争と平和、悪と善、破壊と建設、悪い事と良い事、争う心と協調する心、だから戦争を好きな心と、戦争を嫌いな心が、同時に存在します。
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