No.8ベストアンサー
- 回答日時:
理屈はさておいて、私は「的を得た発言」で、何ら問題はないと思います。
現実にそのような持ちい方をされているわけですし、今さら「的を射た」に直すべきだ、と言われても、おいそれと修正する気にはなりません。
「的を射る」のは、射手が「弓の矢を射た」ということで、的は関係ありません。
一方、「的を得た」は、矢が的に「当った」ということです。
そういえば「正鵠を射る」という言葉があるなぁとぼんやり考えておりましたが、あれは正しくは「正鵠を得る」だそうで、「正鵠」は的の中心の黒丸のこと。
矢の立場から見れば、的を「得た」わけです。
そもそも「的を射る」のではなくて、「的に(向って)(矢を)射る」わけで、そうすると「的に射る」と表現する方が正しいのかなと思えてくる。
「正鵠を得る」のが「的を得る」と表現を変えても、何らおかしいことはないように思えます。
この回答への補足
実際、会話で「まとをいた」と「まとをえた」を使う方の比率はどちらが多いのですかね。私の記憶では「まとをえた」という方の方が多いと思います。言葉として本来正しくなくても、皆が使えばそれがデファクト・スタンダードなので、それはそれで正しいと思います。「お湯を沸かす」と「水を沸かす」で、皆「お湯を沸かす」といいますよね。これも理屈から言うとおかしいですよね。
結局、私は、今後とも「的を得る」を使う方針で行きます。それをおかしいと言う方はその方が使用すればいいのであって、他人のことにちょっかいするのは、あまりかっこいいものではないと考えます。
No.9
- 回答日時:
これは定番中の定番、大間違いの日本語表現です。
>「まとをいた発言」と言う方はいないと思います。
そんなことはありません。ニュースキャスターなどの発言をよく注意して聞いてみて下さい。「まとをえた発言」と言っている人が間違いなのです。多数派だからといって流されないで下さい。
変換の問題については、「えた」と入力した以上「射た」に変わらないのは当たり前です。入力した時点からすでに間違っているのですから。「いた」と入力すれば何番目かの候補で必ず「射た」が出ます。
「まとをえた」などと、わざわざこむずかしい言葉を用いようとするからいけないのではないでしょうか。正確に言葉を使い分けられない方は、もっと勉強するか、まずは簡単な言葉をお使いになったらよいかと思います。
No.7
- 回答日時:
No.5、6です。
> 今後、「的を得た」とかくのは間違いならひらがなで「まとをえた」と文章に書こうと思います。日常使っていろよみを文章に書けないのはつらいです。
ひらがな表記にしても、おそらく掲示板などでは指摘してくる人がいると思います。
そういう人には、国内随一の収録語数を誇る国語辞典/類語辞典である『小学館日本国語大辞典』や『大修館日本語大シソーラス』には載っている、とだけ言って、あとは気にされなくていいと思います。
それでもしつこく言ってくれば、私が添付したURLの書き込み内容(下に添付した「はてなキーワード」に同じ内容が載っています)を説明してあげればいいと思います。
質問者様が(無知によるものではなく)あえて書いているということを相手に知らせることができればそれでいいのではないでしょうか。
ひらがな表記が質問者様のストレスになるようでしたら、ここは堂々と掲示板・ブログなどに漢字で表記されてはいかがでしょうか。
個人的な意見ですが、そう頻繁に書く状況が訪れるとは思えませんし気にされることはないと思います。
「的を得る」 は、間違いじゃない
http://tak-shonai.cocolog-nifty.com/crack/2006/0 …
的を得る?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …
的を得る
http://yaplog.jp/oreore/archive/113
はてなキーワード > 的を得
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C5%AA%A4%F2%C6%C0
No.6
- 回答日時:
#2
興味深い内容になっていますので、ぜひご覧になってください。
Re: 的を得た×?的を射た◯?
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m& …
(一部抜粋引用)
> 語源の『大学』・『中庸』にあるように、「正鵠(せいこく)を失う」という表現からきています。
>
> ~中略~
>
> 必ずしも的に、まして正鵠に当たるかどうかは示していない表現が「的を射る」です。
>
> ~中略~
>
> “[中庸、十四]子曰く、射は君子に似たる有り。
> 諸(こ)れ正鵠を失するときは、反って諸れを其の身に求む。(平凡社『字通』白川静著)”と「失する」という表現をしています。
> 「失」の反対は「得」であり、「射」ではないのです。
> そうでなくても、もともと「得」という字には「あたる」という意味があります(白川静の前掲書)。
>
> ~中略~
>
> また石川啄木は「我等の一團と彼」という文章で「兩面から論じなくちやあ議論の正鵠は得られない」という表現を使っています。
> つまり「得る」ということばに「当る」の意味があるということです。
>
> ~中略~
>
> 現代の中国でも「正鵠を得る」という表現があることです。
> 王鳳賢著の中国語論文「毛澤東的倫理思想及其傳統文化背景 」に、人人皆得其正鵠矣(じんじんみなそのせいこくをえたり)
>
> ~中略~
>
> 的を射る、という行為が、すなわち的に「当たる」ことを意味しないのは、『大鏡』の道長と伊周が競射する場面を読むとよく判ります。
真相は私には分かりませんが、もしかしたらもとは「得る」であったものが、後に「射る」とされだしたのかもしれませんね。
ご趣旨を読み違えておりましたら申し訳ありません。
No.5
- 回答日時:
こんにちは。
ニ分割になります。> 現代では実際に弓矢で放つ場合は「まとをいる」と発音しますが「まとをいた発言」と言う方はいないと思います。
私の読解不足であれば申し訳ありません。
> 国語的には「的を射る」が正しいと思うのですが
このお言葉から判断して
質問者様がおっしゃっているのは「(的を)射る」とは「矢を放つ」という意味で「射る」には「あたる」という意味はなく、「うまく言い“当てた”発言」という意味では「的を“得る”」という表現が正しいのではないかということでしょうか。
もしそうでしたら、確かに古い時代の意味としては「矢をはなつ」だけであったようです。
※私は古文のことはほとんどよく分からないためこの理解が間違っている可能性もありますが、少なくとも以下の辞書には一つの意味しか書かれていませんでした。
|【射る】(動上一)矢をはなつ
|
|(a)「丈夫(ますらを)の猟矢(さつや)手挟み立ち向かひ【いる】まとかたは見るに清けし」〔万葉一・六一〕
|(b)「帥殿(そちどの)【い】給ふに、いみじう臆し給ひて、御手もわななくけにや、的のあたりにだに近く寄らず、無辺世界を【い】給へるに」〔大鏡・道長・上〕『三省堂例解古語辞典』
しかし現在の国語辞典には「射る」の二つ目の意味として「的に当たる」という意味が記載されているようですね。
> 「的を射た表現」と記述した場合でも「まとをえた表現」と読めるのでしょうか。
純粋な発音のことをおっしゃっているのであれば、もちろん「いた」としか読めませんが
この場合の「読める」とは「解釈できる」のか、という意味になるのでしょうか。
つまり、「的を射た表現」が「正確に要点をとらえた表現」を意味するのかどうか、というご質問だと解釈しました。
現在多くの国語辞典に載っているのが「的を射る」=「正確に要点をとらえる」という慣用句ですので、ここは多くの人がそういう理解でいるのだと思います。
ただ、以下につきましては、私も現在の大勢に反発してまで強く主張するつもりはありませんが、ニュアンスも十分伝わりますし「的を得る」を完全な誤用だと判断するのはどうだろう、という気がいたします。
> 「的を得た発現」と書き込んだらおかしいと指摘されたのですが
『小学館日本国語大辞典』
『大修館日本語大シソーラス』
などには「的を得る」が掲載されているようです。
これをもって正用だと言うつもりはありませんが、次に引用するURLをご参照くださればお分かりになると思いますが、現在の国語辞典の大勢が「射る」であるからといって、(以下の記述を信頼して考慮すれば)完全な誤用とすることには少し戸惑いを感じてしまいます。
「正鵠」の場合は「射る/得る」両方が辞書に載っていますしね。
だからといって「的を得る」を私も使い出すということではないですが、少なくともこの先は「完全な間違いである」とは言わないだろうと思います。
#1
この回答への補足
文章中では、「的を射た」と書いてある場合、声をだしてよんでいるわけではないので深く考えずに理解してしまいます。
ただ日常会話では「まとをえた」と自分も発言しますし、私の周りのひとも「まとをえた」と発言する方が多いと思います。今後、「的を得た」とかくのは間違いならひらがなで「まとをえた」と文章に書こうと思います。日常使っていろよみを文章に書けないのはつらいです。
No.4
- 回答日時:
>「まとをいた発言」と言う方はいないと思います
その表現自体使わないですが、使うとしたら「まとをいた」と発音します。
#1の方もおっしゃるとおり「当を得る」との混同なんですよね。
同様の混同に「汚名挽回」などがあります。「汚名返上」「名誉挽回」が混同された言葉で、「汚名を取り戻す」という意味になっちゃってるんですが。
しかし、「的を得る」と誤用している人が多くなりみんながそれで通じるとなってきたら、それはそれで新しい日本語表現なのかもしれません。
「的を射落として、落ちている的を手で拾って得る」という意味だと考えて…。(苦しいか)
前にも「一所懸命」を誤用して「一生懸命」という人がある程度多くなったときに「もう一所懸命でいいじゃん」という雰囲気になったことがありしました。
小学生向けの教材などでも「一所けん命」と書くと、もう子供には意味が分からないだろうということで「一生けん命」と書いたりすることがあります。
誤用だったものが「まあいいか」になることを「許容」と言いますが、でもまだ、今の段階では「的を得る」は許容になっているとはいえないですね。
>「的を射た表現」と記述した場合でも「まとをえた表現」と読めるのでしょうか
標準語では無理です。
が、地方で「い」と「え」の発音分けがあまりない地域ではそういう風に発音する人も多いんじゃないでしょうか。
この回答への補足
文章中では、「的を射た」と書いてある場合、声をだしてよんでいるわけではないので深く考えずに理解してしまいます。
ただ日常会話では「まとをえた」と自分も発言しますし、私の周りのひとも「まとをえた」と発言する方が多いと思います。今後、「的を得た」とかくのは間違いならひらがなで「まとをえた」と文章に書こうと思います。日常使っていろよみを文章に書けないのはつらいです。
No.3
- 回答日時:
確かに「的を得る」と変換できますが、
これは単語の範囲が「まと」「を」「える」で区切れているためであって、
日本語として正しいのは「的を射る(まとをいる)」のままです。
変換できる=正しい、ではありません。
私も「まとをいた」と発音しますよ^^;
「まとをえた」を発音する人も多いですが、その場合は
漢字で書く際にも「的を得た」と間違えていることがほとんどですね。
つまり、そもそも間違えているのです。
「一応」を「一様(いちよう)」と間違える(そして漢字で書いても間違えている)
のと同じ系統だと思います。
No.2
- 回答日時:
> 現代では実際に弓矢で放つ場合は「まとをいる」と発音しますが「まとをいた発言」と言う方はいないと思います。
えっ?本当ですか?
私は「まとをいる」と発音しますし、他にも何人も「まとをいる」と発音する人を知っていますよ。
「的を得る」と発音している人のほとんどは「的を得る」だと間違えて覚えているんでしょうね。
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