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昔、高校生の交通事故が何たらでバイクの3ない運動が行われていたようです(私は当時既に社会人でしたので知りませんが)。はっきり言って他の人(自動車のドライバーや歩行者)を巻き込まずに事故を起こして怪我しようと死のうが自己責任でしょう。それに事故を起こさないと解らない奴なんだから事故の怖さを体感するのもいい経験になると思います。文部省の上の人達は何でこんな馬鹿馬鹿しい規定作ったんですか?

A 回答 (11件中1~10件)

>運転免許は、事故を起こした際には絶対に責任を負う事を前提として取得する仕組みですよね。

従って、私としては自己責任であると考えています。

絶対に責任を負う事→自己責任→取得自由、ということですか?
であれば、絶対に責任を負う、という前提が16歳の少年に確約できるでしょうか?
保険を万全にすれば責任が果たせるわけではないです、そういう意味では免許制度はむしろ一定の条件を満たせば許可を与えることを前提としてますので、その枠内で個別に制限をかけるという判断は、理解はできます。
繰り返しますが、もちろん乗せて教える、という形を社会が作るべきと思ってはいますが。

あなたの論理では、16歳の息子に免許はまだ早いと親が言うのも間違い、ということになりませんか?
もっと言うなら、誓約書さえ書けば免許不要で何でも運転できるべき、となってしまいませんか?

私見ですが、免許とは本来不可のものを条件付で許可する、というものと思います。
16最未満はダメ、試験にパスしないとダメ、一定期間で更新しないとダメ、反社会的行為を繰り消すとダメ、ここまではお上が決めたもの、ここに親や学校がさらに制限加える、ということもありえるでしょう。
双方とも教育的監護者です、教育的配慮という大義名分はすぐにつきます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
車もそうですが、使い方を間違えれば凶器になるのは確かです。しかし、暴走族の所属する学校だと思われたくないからと言ってバイクに対する安全教育を怠るのもどうかと思います。

お礼日時:2010/02/17 20:15

論点がズレるかも知れませんが、一部のルールを守らない人達やズルく、心ない人達の為に全員の制限が厳しくなるのは仕方の無い事です


社会全体において、全てがこの仕組みで成りたっています
そもそも、不特定多数の誰しもが全員同じ方向を向くのは不可能であり、それらを罰則という形で律するのが法律というルールです

まぁ先に述べたように3ナイ運動に関してはいささか浅はかな感じはしますし、私自身も人の事言えた身分じゃありませんけどね
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親が介在しておれば、各地のバイク通行禁止というのが


なかったのではないかという意見には大いに賛同します。

「なぜ、なにゆえに?」という警察に対するわれらの強い抗議にたいして、
「困っている人たちの要請です。
走りたいなら、頑張って逆の住民運動でバイクを走れるようにしてください。」
と、言われてから、長い時間がたっています。

大体バイクで路面にブラックマークなんか作れるわけでなし、
バイクはその辺でも弱者だったはずなのに、

バイクだけ通行禁止。
サーキット代わりにしていた連中は
とっくにサーキットで世界を相手にやっていたような。
親の言うことをきかないで暴走してたやつも
とっくに淘汰されていたような。
(迷惑はあまりかけずに)

峠を4つ輪はOKで、バイクは禁止というやつ
なんとかしませんか?

それと50ccの30km/h制限と二段階右折。
それ以上の排気量が60km/h制限で他車両と対等なんて
小沢さんがどうのこうのより、
ふざけた規制です。
これもなんとかしなくては。
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三無い運動は、いまだに有効で過去の話ではないです。


これと同じようなことは、日本は大好きですよね。
「二輪車による事故が多発したため、二輪車通行止め」なんていうところはいくらでもあります。つい先日も関東では「奥多摩周遊道路の奥多摩から檜原村への下り坂」が終日二輪車通行止めとなってしまいました。これも、発想の根っこは同じですよね。

当時、私は高校生で三無い運動の渦中にいました。
これは、文科省の上の方の人の発案ではなく、末端の教育委員会や保護者などからの運動などからではないかと思います。

もちろん、ほかの人を巻き込まずに完結できれば勝手!との意見はわからなくは無いですが、その手のまるっきり自己完結の事故などと言うのは、ほとんど存在しません。(事故処理にも人手はかかりますし、自爆事故でも事故処理のために渋滞したり…)

高校生はほとんどの場合は未成年ですから、法律上でも保護者の監督下にあるわけですので、「自己責任」や「それも経験」では単純に片付けられないとおもいます。

ある意味では、「二輪車の事故多発により二輪通行止め」よりは「保護者の監督下という付帯条件が付くために未成年でかつ学生である高校生は、安易に社会的な責任が重くのしかかる状況下(バイクも自動車も含めて)に手が届かないようにしてはどうか」と言うのは主張としては理解できなくは無いと感じます。
もっとも、それが問題の根本的な解決にはなっていないのは、明確であるので不合理であるとは思いますけれど。

現在は、総務省や文科省などは三無い運動には否定的な立場であるようです。
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本来はこの様な規定は学校外の事であり、学校が規定するべき事では有りません。


親が管理すべき物です。
管理できない親が(暴走族に入ろうものならぶん殴り暴走族に殴りこみを掛けるぐらいの気合は必要ですが)一番悪いです。
高校としては「学校外なので事故しても本高には関係有りません」と言えばいいのです。
当然怪我で学校にこれないと落第します。
2輪のレーサーを目指す人は色々大変みたいですね。
免許を取る為に通信制の高校に行ったり。
我々一般市民も16歳になれば免許が取れるのですから「大人」と全く同じ対応をすれば良いかと思います。
若いうちに乗らないほうが安全も一理有りますが、就職してから2輪に乗ると金が有る為大きなバイクから乗り出します。これで大怪我した者も私は知ってます。原付2種までだったらもっと軽い怪我だった?
私は未成年だったら免許を取る取らないに関わらず、将来バイクに乗るのであれば親がちゃんと交通教育を行うのが義務であるとは思います。

親は責任と義務を果たし無さすぎ。学校は余計な事に介入しすぎ。マスコミは無責任に報道しすぎが今の日本ですね。
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先に私のスタンスを申し上げておくと、危険だからと遠ざけて蓋をするという趣旨の指導は、根本的解決にはつながらない、と思ってます。




3ない運動は82年にはっきり命名されて始まったようですが、それ以前から高校生がバイク免許取れない状況はあったようです。
私は82年卒業組ですが、私の高校は周辺高校の中で例外的に免許を取れたところで、他のところは免許はとっても「一応」自主的に提出するとなってました。
その頃に社会人であったということは、私とほぼ同年代以上ということになりますね。

>はっきり言って他の人(自動車のドライバーや歩行者)を巻き込まずに事故を起こして怪我しようと死のうが自己責任でしょう。

これはただの言葉遊びに近いと思います、巻き込まないで自分だけ死ぬ、ということがすべてであるはずもなく、逆のほとんどの場合に直接的間接的に他者に迷惑をかけることになります、二人乗りして転倒、自動車との接触、単独転倒さえ借り物のバイクであったりすれば迷惑ですし、自己責任ということを拡大解釈した前提付けに過ぎません。

>それに事故を起こさないと解らない奴なんだから事故の怖さを体感するのもいい経験になると思います。

事故を起こさないとわからない奴、というのはどういう根拠がありますか?
そんな気がするということだけを頼りに憤慨しても、意味のないことです。論理の飛躍、ということです。

3ない運動とは、「乗らない」「買わない」「(免許を)取らない」ですが、納得はしませんが理解はできます。
安全にバイクに乗せる、ということの前提にはその安全について積極的に学校側が関与する必要があります、つまり学校側で安全教育する必要があるのです、許可だけして放置すれば許可したものに責任を問う声が上がりかねないからです。

しかし、教育全般に言えることですが万全ということはありえず、それが安全に関してのものなら、それは命に直結します。
つまり許可するより禁止するほうが簡単なのです。
現在でも、まったく自由に取れるところのほうが少なく、何らかの誓約書ややむをえない事由を申し立てる必要があるところのほうが多いそうです。安全教育の必要性についてはかなり認知されるようになって来ましたが、それ以上に以前に比べて道理のわからない親や子供が増えている(つまりモンスター、ですね)からではないでしょうか、ここは私の推測ですが。
無条件許可はまだ難しいでしょうね。

この回答への補足

運転免許は、事故を起こした際には絶対に責任を負う事を前提として取得する仕組みですよね。従って、私としては自己責任であると考えています。PTAとか保護者も運転免許の意味を完全に間違えているんじゃないの、と私は思います。そんな事言ってたら、18歳以降、自動車の免許を取る事も危ないと言っているようなもんです。
10キロしか出していない車で事故を起こして亡くなる方も居れば、時速300キロの暴走車で高速道路を爆走しているにも拘らず、事故を起こした事がないって方だって居ます。要は、そんな規制を作っても死ぬ人は死ぬんだから放っておけばいいじゃん、って事です。

補足日時:2010/01/19 20:17
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私の高校では、OKでした。


他校は、ほぼ全部駄目。
いきなり、中型を取り、70ccのバーディーで遊びました。
学校には通学禁止だったので、通学駅駐車場では、先生がナンバープレートを控えて、警察と連携して生徒の通学を検挙していたと聞いています。

禁止だった学校では、その後の話ですが、結局免許を取り、乗り回し死亡事故、下半身不随後遺症、骨折、などなど、停学どころか、学校に来れないケースが続発していました。禁止してもこの様です。

ただ、自分がそうでしたが、18くらいだと、かなり無茶な運転ができますので、年齢が上がった方が、怖さを感じて、事故を起こす可能性は低下してきます。そういう意味では、原付はOK、中型(普通ですね)はNGのような適応があってもいいかと思います。

>怪我しようと死のうが自己責任
年齢的には、保護者がいて、自己責任と言い切れるか微妙な高校生ではありませんかねぇ?

>事故を起こさないと解らない奴
これは、私も転倒、事故、色々やっていますので、限界を超えないと運転は経験を積めないという点で、多くの人に当てはまりませんか?

自己責任だからと言って、ノーヘルで死んじゃうのはNGで、高校で免許とって、大型免許を一発で合格して普通の道路を240kmで飛ばして、トラックに激突してもいいのか?
(当然、駄目だと思いますが)
こういう事が、起こらないように、社会としては、規制をかける必要があったから、大型は教習所で取れなくなったし、(解除されましたが)高校生には学校によっては、規制がかかった。
ということで、社会が構成員をどう扱うかは、法律や規制に制限されるんだと思います。

良いかどうかは、別問題ですが・・。しょうがないと言う意見です。
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監督責任を問われたくないといったことでしょうね。


私のときも言われましたし、その高校の息子の入学式のときにも
しっかりいわれましたね。
笑ってしまったのは、次にはいった大学です。
3年生まではバイク禁止だと親に約束を取り付けさせられました。
過保護まるだしですね。
で、言われたまま、4年で乗り出すなんて(絶句!)
おかげで、事故知らずですけどね。
やっぱりバイクは「はたちになってから乗るもの」。
かな、なんて思ったりします。
それまでは、可能性を追求するお年頃ですから。
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社会が人個人で成りたっているわけでは無いという事です


単独事故であれそれらを処理する人は必ず存在します
対人、対物に関しても同様ですね

若い人材が亡くなる事で将来生産すべき可能性減る場合も考えられるでしょう
若い世代の可能性を広くする為の処置だったとも考えます

まぁ単純に非行防止といった浅はかさが見える線が一番考えやすいですね
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文部省が決めたルールではなく、PTAから要請を受けた各都道府県の教育委員会が自主的に決めて各校にて運用をしていたと記憶しています。

ですから、各都道府県によって運用が異なっていました。

交通事故というよりは、当時社会問題となっていた暴走族=バイクというイメージから、単純にバイクに乗らせなければ暴走族にならない、という判断だったかと。
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