アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

昔のTV事情を聞かせてください。

このサイトではモノクロテレビ時代の思い出も数多く語られておりますが、当方はその時代はまだ生まれていなかったので、知らない部分も多くあります。
なので、昔のテレビ事情(とくにモノクロ~カラー初期)の思い出を聞かせてください。

※当方が生まれた頃(80年代初め~半ば)は、カラー化をほぼ終えて次の世代の放送システムを見据えていた時代でした。テレビは家具調が多かったですね。リモコンやビデオ入力はまだなかったものが多かったです。我が家にあったのは東芝でした(その後も地デジAQUOSの購入までうちのTVは東芝かソニーだった)

A 回答 (14件中1~10件)

テレビには4本足がついていた。

観音開きの扉がついたテレビも。
よくわからないフィルターが付けられていることも。
カラー放送の場合は【カラー】と表示される。
チャンネルはガチャガチャ回す。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。

4本脚のテレビ…そういえばありましたね。

お礼日時:2010/07/27 23:56

私が子供の頃はもちろん白黒で、テレビはチャンネル式、時々チャンネルが取れるのでそういう時はマイナスドライバーで中央部の金属部分をひねってました。


それとブラウン管の前に青いカバーがかかっていました。
テレビ自体は4本足、家によってはじゅうたんのような布製のカバーがかかっていました。
電源を切ると、ブラウン管の中央部に点のようなスポットが表れて、それが消えるまで見ていました。

カラーになると、「高雄」というような豪勢な名前が付いているテレビや、トリニトロンカラーというような用語が流行りました。

リモコンになったのはかなり後かと思います。
それまでは、テレビのチャンネル部分がボタン式というものがありました。

この回答への補足

すみません、別質問のお礼を誤って書いてしまいました。

ダイヤルチャンネルや日本風の名前は、今となっては懐かしいですね。

補足日時:2010/07/28 00:07
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。

いわれてみればアメリカは野球(MLB)・バスケット(NBA)・アメフト(NFL)・アイスホッケー(NHL)が4大スポーツですので、サッカーはどうしても陰に隠れがちという印象がありますね。

お礼日時:2010/07/28 00:03

こんにちは。

1965年生まれです。

昔のテレビ番組事情ではなく「テレビ事情」なのですねw わかりました。
私が幼い頃にうちにあった白黒テレビには、リモコンがありました。ただし、受像器本体とケーブルで繋がった「なんちゃってリモコン」です(笑)本体のチャンネルはガチャポンのように回す式で、リモコンのチャンネルスイッチを押すと「ばちょん、ばちょん」と結構大きな音がして本体の回す部分が回る仕掛けでした。
また、白黒テレビなんですが、ブラウン管の前に特殊なプラスチックカバーを掛けるとアラ不思議!カラーテレビに早変わり!!という「なんちゃってカラーテレビ」みたいなアイテムもありましたw
メーカーは不確かですが、、おそらく東芝だったと思います。あぁ、そう言や、当時のテレビには四本脚が生えていましたねぇ。
というか、実は四本脚の白黒テレビ(東芝製)は、まだウチにあったりします。数年前に数万円かけてオーバーホールして外部入力端子を付ける改造を施しました。昔々のニュース映像やアニメなどのDVDを映してレトロな雰囲気を楽しんでます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。

アナログ放送はなくなりますが、それまでの数々の思い出は、これからも残っているでしょうね。

お礼日時:2010/07/28 00:06

思い出で良いですか?



昔はリモコンなんて当然なくて、チャンネルを変えるにはテレビ本体のΦこんな感じのところをガチャガチャ回すのです。
で、テレビは一家に一台しかありませんからチャンネル争奪戦は熾烈を極めました。

チャンネル部分はスポンッと抜けるので、チャンネルを変えられないように取り外して隠すのですけど
ペンチを持ちだされて結局はチャンネルを変えられてしまうのですね。

思い出して悔しいから書いてしまいましたが
そんな質問ではなかったように思います。

番組でモノクロといえばノラクロです。
これも違いますかね??
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。

回答自体はどちらも大丈夫ですよ。
チャンネル争奪戦は昔は家族が少ない家庭でもそれなりにあったみたいですね。昔はテレビは1世帯が複数台持てるような代物ではなかったので、宿命でした。

お礼日時:2010/07/27 23:59

ありますなぁ~。


くやしい思い出が。
もうメッチャクチャくやしい思い出が。

昔、TV番組で西部警察と言うのがありました。
舘ひろしが乗っていたバイクの、GS650Gやカタナがカッコよくて。
その頃世間では殆どカラーTVでした。
しかしウチは親父がTV嫌いで。
長い事白黒TVのままでした。
ある時、西部警察のキャンペーンで、舘ひろしのカタナをプレゼント!なんて企画がありました。
おお~!!
あのカタナをプレゼント???
メッチャすげー。
クソガキながらに興奮した事を覚えています。
何が何でも応募するつもりでした。
プレゼントの条件は、番組内でのあるクイズに答えること。
その回の放送は目を釘付けにして見ましたね。
そして番組の最後にクイズが出題されました。
よーし。
どんとこい。
何でもいったるでぇ~。
なんて意気込んでいます。
そして出題されたクイズは。

「犯人が逃走に使った車の色は、何色だったでしょう!」

・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・。
・・・・・・・。
判るかアホウ。

俺の家のTVは白黒じゃ~~~!!!!!!!

恨みましたよ。
オヤジを。
あのクソオヤジを。
そして思いました。
自分で稼ぐようになったら、どでかいカラーのTVを絶対に買ってやるぅ~!!って。

後日談ですが。
その後、間もなくヤ○ザの幹部だった叔父貴が亡くなり、遺品として当時としては超弩級のステレオカラーTVが家に舞い込んで来ました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。

しかしお父様がテレビがあまり好きではないとはいえ、なぜ白黒のままである必要があったのかが気がかりですね。
当方も今の番組はあまり好きではないですが、地デジの用意だけはしていますし…

お礼日時:2010/07/28 00:08

昔はどこの家でもテレビは「高級品」だったので


茶の間に1台しかないっていう家が多かったと思います。
家族でどの番組をみるか「チャンネル争い」あたりまえでした。

今はチャンネル争いなんて死語ですね。
そもそもチャンネルなんてないですね。

あとテレビそのものにアンテナがついてました。
そのアンテナの向きを変えるとテレビの
うつり具合が良くなったり悪くなったりしてました。

滑稽な話では、テレビのうつり具合が悪くなると
「テレビをたたく」人もいてウチでもやってたことがあります。
するとテレビのうつりが急に良くなることもありました、
今思えば不思議です。

あと話が少し変わりますが
むかしのテレビ番組が制作費がかかってたせいか
面白い番組がたくさんあって
「毎週見るのが楽しみ」って多くの人がいうような
高視聴率番組もありました。
「8時だよ、全員集合」とか「ザ・ベストテン」とか、
家族みんなで楽しめるようなドラマとか。

そんな時代が懐かしいです。
(ってこんなこと書くのって年寄り的ですね、笑)
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。

テレビが1台しかないのが普通だった時代は、家族が少ない家庭であっても「チャンネル争い」は宿命だったのかもしれませんね。

お礼日時:2010/07/28 21:02

私が2歳か3歳の頃(今から半世紀も昔です…)の写真(もちろん白黒です)に


テレビの裏を覗いている私が写っています。

昔は、ハの字形になった4本の足があって、テレビを見ない時は、
お相撲さんの化粧まわしみたいな形で、
ペルシャ絨毯みたいな柄の厚手の布を垂らしていました。
その後、家具調テレビと言って、やたら大袈裟なテレビになりました。

カラーテレビになった時には、ご近所の人たちが我が家に集まって観ていました。
特に、プロレスの時は大勢集まって来ました。
流血シーンの迫力が違うということで、ご近所の皆さんは大興奮でした。
母も私も妹も、プロレスは恐かったので嫌で嫌でたまりませんでした。

記憶違いかも知れませんが、
今の天皇陛下のご成婚パレードが放映されるということで、
お美しい美智子様を一目観たくてテレビを買った人が多かった…はずです。
間違っていたらごめんなさい。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。

カラーテレビを初めて見た感動など、白黒時代を知らない当方にはどうも理解できない部分がありますが、プロレスは特に昔は人気番組だったみたいですね。

お礼日時:2010/07/28 21:02

テレビやラジオを叩く。

これは真空管時代のスーパーテクニックです。

本体を叩く事により、真空管とその接続ソケットの微妙な導通性を変化させて現状を打破する。(かえって調子が悪くなる場合も多々あり)

その後トランジスターの出現で、叩く事が無くなりました。

テレビもオールトランジスタとか、ソリッドステイトとか宣伝していましたね。

我が家の白黒テレビの時代が長かったのですが、家の近所の電気屋さんのショーウィンドウに飾ってあったカラーテレビをマンガが始まる時間に見に行ってました。

巨人の星の飛馬の目が真っ赤に燃える。明日のジョーの血反吐が不気味。

その後、「謎の円盤UFO」の月面基地の女性隊員の髪の毛が紫色との話を学校で聞いて、親にカラーテレビをねだりました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。

いずれも懐かしい思い出ですね。
来年から完全デジタルに変わりますが、思い出はいつまでも残ることでしょう。

お礼日時:2010/07/28 21:14

すみません、もうチョイ古い時代で1952年生まれ(寒冷地)です。


幼稚園時代まではうちにはテレビは無く、もっぱら娯楽は木の箱で出来たラジオだけでしたね、当時は1町角に1件だけテレビを買った家があり、相撲時期になるとよく近所の人たちが集まったものです。初代若乃花や栃錦戦でしたね。当時のテレビはまだ足も無くただの木の箱状のものでした。
うちにテレビが来たのは小学2年生のときですから58年くらいでしょうか、真四角の木の箱でまだ足も無く、ブラウン管の下は左右にダイヤル(電源スイッチとボリュームを兼ねたダイヤルとチャンネル切り替えダイヤル)が二つとその間に画像調整のつまみが4~5個ぐらい並んでいました。スピーカーは横面に1個のみ。当時は17インチで大型の部類でした。
その頃はまだ真空管式で画像が出るのに時間が掛かり、また受信も安定していなかったせいか画面が上下にパラパラ移動をはじめたり、縦方向や横方向に伸びたり縮んだり、画面が暗くなったり明るくなったりすることが多く、しょっちゅう調整しながら見ていたものです。うちには真空管の予備まで置いてありましたよ。勿論アンテナはテレビの上の室内アンテナでさわると画像が変化してしまったものです。
月光仮面や鞍馬天狗、少年ジェット、初代キングコングなどを見ましたね、力道山や豊登のプロレスも覚えています。
うちでは70年くらいまではカラーテレビは無かったので2代目の白黒(トランジスタ化)になってからも初代のテレビを自分の部屋にもらいうけ、自分で真空管を交換したり修理してなんとか映るようにし、夜な夜な親に内緒でイレブンPMなどを見たものです。
いや、ついつい長くなりました。なつかしい思い出を語れるご質問をありがとうございました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。

真空管はもはや過去のものとなりましたが、古き良き思い出がおありのようですね。

お礼日時:2010/07/28 21:37

昔のテレビの画面(ブラウン管)は現在の画面のようにキッチリ四角いカタチではなく、楕円形かと思うような角の無いもので、新型になるにつれ次第に角張っていったと思います。


カラーの時代、キャビネットも豪華になり、各社とも派手な名前が与えられていました(家のはサンヨーのサンカラー薔薇)。

我が家のモノクロテレビはUHFチューナーが付いておらず(周りのテレビも無かったと思います)、新規開局した地元放送局のUHF放送受信のため、外付けUHFチューナーを買わなければなりませんでした(今の地デジの状況に似ています)。

カラーテレビの18型は電気喰いました(確か300W以上)価格は30万円したと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。

外付けチューナーも懐かしいですね。このほかに音声多重チューナーもありました。
旧式のテレビで音声多重放送を楽しむためのもので、スピーカー付きの製品もありました。

お礼日時:2010/07/28 21:35

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!