A 回答 (72件中11~20件)
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No.62
- 回答日時:
返信回答が遅くなりすみませんm(_ _)
他人の心は、自由にはなりません。
自由になるのは、自分の心以外にないことは、明白なことです。
しかし他者の心を他者が動かすことは、可能ではないでしょうか。
何故今まで、成し得ていないのか?
これから成すだけの事だと思っております。
自分世代だけでなく、次世代、更に次世代……。
個として、100年足らずの人生の中で、他者に影響を与え、心を動かせる行動をとれる年数は、せいぜい50年。
与えられる影響はいかばかりか?
しかし
死後も語り継がれ、影響を残すような発想と考え方が現せれば、必ず叶うはずです。
地球の裏側でも砂糖は甘いのです。共通の幸福認識が無いわけはないと考えています。
何故成し得ていないのか?
個が個の為に生き、我欲にまみれてて来た結果だと考えています。
何度繰り返しても、懲りない面々が、安きに流れ同じような失敗を体験しながら、それでも経験を積み上げて、ここまで来ていると思っています。
だから、まだ途上だと思うのです。たとえ何万年であろうと。
私のような考え方の方が増え、子や孫の世代までその意志が途切れず、継がれ広がり続けることで、【必ず成し得ると信じる心】が、明るい未来を築いていくと信じています。
昨今のマスコミの報道姿勢が、暗い未来を築こうとしているようでなりません。
恐怖心を煽り、スキャンダラスに伝えないと、儲けが薄い。
全国の一般新聞の記事の八割~が事件・事故・不祥事…。
そんな中に、何の違和感もなく生活している人々。
この現状を、おかしいと思えなければ、あと何万年かかるのでしょう?
それでも私は信じて生きます。
どんな事も、始まりは「ひとり」です。
その「ひとり」となるべく、私は不幸生産新聞を当たり前と思う多数派を、私「ひとり」からでも、幸福な方向に影響を与えられればと思っています。
この回答への補足
kor7ponさん。
ご解答ありがとうございます。
そして、返信が遅くなってしまいすみませんでした。
もしかしたら今後も返信は緩やかなものとなってしまいますが、それでも目は通しておりますし、まだまだ伺いたい事もございますから、kor7ponさんさえ宜しければ今後もQ&Aにお付き合い下されば嬉しい限りです。
とても頼もしくて力強いご意見だと思いました。
実は、人類69億人が幸せで生きられる社会の実現についての質問は、多くの方が実現は不可能だと仰います。理想や夢として掲げるのは良い事だし、そうであって欲しい希望はありますが、それでも現実のものとして実現させるのは無理だと判断される方が多いです。
本Q&Aのやり取りを観ましても、多くの方が現実的には不可能であるというスタンスであったり、条件付きのものとして実現は可能であるというスタンスが大半でございます。
僕は、条件付きの実現可能性であれば、条件によって変化してしまう脆いものではないかとの立場ではございますが、もし仮に条件付きであったとしましても、その条件をクリアさえすればその先にといけるのですから、実現を阻む条件、実現を推進する条件を整理した上で、それを乗り越える事で実現は可能なんじゃないかという気がしております。
実現が不可能であるならば、不可能な理由や条件を明確にすれば良いというスタンスですね。そうすれば、その条件をひっくり返せば実現は可能になりますし、現実のものとする為に推進が起こります。
その上で、kor7ponさんのお考えをお聞かせ下さい。
・人間は、1000年かかって出来る事を、100年という僅かの間で果たす事は今からの未来において出来るものなのでしょうか?或いは歴史的に観まして、今まではどうだったのでしょうか?
・人間は、個が個の為に生きるという現在地から、他社に影響与える生き方や未来に影響ある生き方へと変化する事は、今からの未来においてありえないものなのでしょうか?或いは歴史的に観まして、今まではどうだったのでしょうか?
長らくお付き合い下さいましてありがとうございます。
大変に参考になっております。
ペースは落ちるかもしれませんが、今後とも宜しくお願い致します。
ご回答ありがとうございます。
やはり、返信が遅くなってしまいましたね。
引き続き、kor7ponさんの観点を楽しみにしております。
No.61
- 回答日時:
こんにちは。
まだ回答ができなくてすみませんしばらくお待ちください。
>一般的には教育とは画一的なものとして理解される場合が多いのではないかと思うのですが、如何なる理由から教育は多様な価値観の創出となっているのでしょうか?<
教育をある程度受けた人は、まずは、興味を追求して、何が自分にとってどのようなことが良い方向になるか、判断をして、行動を起こす。問題の解決の仕方が人のよって違うのです。
それが、道徳や宗教などに向かって努力して、なんとか1人でも幸福になるようになるのではないでしょうか。
しかし、そこに国家というものが入ると、戦前の間違っつた方向に行く可能性があります。
この回答への補足
zakky74でございます。
>こんにちは。
>まだ回答ができなくてすみませんしばらくお待ちください。
構いません。関心を頂いてる事が伝わります。
gaiseiさんのペースでお願いします。
>>一般的には教育とは画一的なものとして理解される場合が多いのではないかと思うのですが、如何なる理由から教育は多様な価値観の創出となっているのでしょうか?
>教育をある程度受けた人は、まずは、興味を追求して、何が自分にとってどのようなことが良い方向になるか、判断をして、行動を起こす。問題の解決の仕方が人のよって違うのです。それが、道徳や宗教などに向かって努力して、なんとか1人でも幸福になるようになるのではないでしょうか。
確認ですが、教育を受けた人が現実にその様になっているから・・・という理由であると理解して宜しいのでしょうか?
>しかし、そこに国家というものが入ると、戦前の間違っつた方向に行く可能性があります。
つまり、教育には国家が入らないのが理想であるとお考えなんですね?gaiseiさんによりますと、教育は興味が現れてくる様な内容であれば望ましい・・・という様に受け取りましたが、その理解で宜しいでしょうか?
No.60
- 回答日時:
自然と人間の関係性、非常に面白いと思いました。
確かに今の文明自体が自然とは調和しないと思います。<もし宜しければ、オタクを含めた人間論や学問について、
<b-w-stepさんの得た知見をお聞かせ下さいませ。
他の回答でも答えた内容ですが……。
<なぜオタク文化は流行るか。>
これは色々と調べた結果、ある結論が浮かんできました。端的に言えばオタクは『オタク文化に優しさを求めている』です。昔、日本には松田聖子さんや山口百恵さんの様ないわゆるアイドル歌手がいました。90年代は安室奈美恵さんや篠原涼子さんやモーニング娘。00年代は浜崎あゆみさんや最近はAKB48になっています。ちなみに80年代以前は歌自体よりもアイドルの人気で売り出していたようです。90年代はアイドル全面よりも歌を全面に売り出したようです。小室さんが典型的です。最近はAKB商法に見られるように再びアイドルを全面に売り出しています。ただし初期のアイドルは『アイドル自体』を値打ちにしていました。売り出すべきアイドルをまさしく神様や仏様のように尊敬させてあがめさせる。聖子ちゃんカットが見られたように、アイドル自体を全面に押し出したもの。それが日本の戦後20年位からのアイドルです。これは戦前の天皇崇拝もアイドル崇拝に影響していると考えられます。80年代の後半辺りから今度は歌を全面に押し出してアイドルを売り出しました。90年代あたりは小室ファミリーが歌を全面にアイドルはどちらかというとオマケとして売り出していました。90年代後半あたりからは再びアイドル自体を全面に押し出したようです。浜崎あゆみさんはファッションリーダーとして売り出していました。彼女から再びアイドル自体の人気に日がついたとも言えそうです。AKB48は売り出すためにアイドルとして選んだのは『交流』でした。オタクの人間が増えると同時に現実の女性にもてない男性が増えてきました。そのために『振り向いてくれるアイドル、交流できるアイドル』として売り出したのです。逆に最近のアイドルを尊敬されるべく売り出すのは困難でもあるといえます。それはオタク文化は文化の中の女性を尊敬していると思われるからです。また、時代が殺伐としているので尊敬されるべき人間として振舞うことは非常に困難ともいえます。
さて、ここで問題にしたいのは『優しさ』です。松田聖子さんなど、昔のアイドルは守ってあげたくなる様な『優しさ』を持っていました。『清純』で『可愛く』て『優しい』。それが昔のアイドルでした。それが時代を下るにしたがって『優しい』アイドルから『イケイケ』のアイドルへと移行してきました。80年代はまだ優しい印象の人が多かったものの、90年代の小室ファミリーはイケイケの人も増えてきました。安室奈美恵さんはセクシーでした。彼女には清純さはあまりありませんでした。浜崎あゆみさんはギャルでした。AKB48は今時のイケイケです。これは時代の推移と供にストレスが増大してイケイケにならざるを得ないことも関係しているでしょう。ストレスの増大は高度な文明によるものと私は考えます。高度な文明は文明維持の努力も高度です。努力が多ければストレスも多い。それゆえに文明が高度化した現代はストレスも高度化します。それによって優しい人間アイドルも成立しなくなったのが現代です。現代では優しい人は苛め抜かれます。ただ高度な文明も完全に悪いわけではありません。何事も一長一短があります。
アイドルは元々『偶像』という意味があります。『偶像崇拝』という言葉があるように、昔のアイドルは『崇拝』されていました。『聖子ちゃんカット』という言葉あるように、男性だけでなく、女性からも崇拝されていた。それが昔のアイドルです。昔はアイドルを真似て女性は身だしなみを整えました。それに比べて今のアイドルは『崇拝の対象』ではなく『綺麗な女性』という印象に変わって来ました。特にAKB48は一般女性とそれ程変わらない印象すらあります。今のアイドルはアイドルと言うよりもモデルに近い気がする位です。モデルの女性は全ての人間に崇拝されると思いますか? 私はNOだと考えます。ただ綺麗なだけであって崇拝の対象、もっといえば『理想化』の対象にはなりません。綺麗な女性の場合、彼らの『外見』は文句のつけようがありません。しかし『中身』は分かりません。『崇拝の対象』となる女性は外見も中身も完全でなければいけません。崇拝とはそういうものです。昔のアイドルは中身も崇拝されるように、芸能スタッフが苦心したものです。高貴な神秘感を出す為にわざと『無表情』で歌わされたアイドルすらいます。WINKは無表情アイドルです。
さて、考えてみて下さい。仕事から疲れて帰ってきたあなたは何を求めますか? モデルの『綺麗』な女性よりも『癒し』の対象となる『優しい』女性を見たいと思いませんか? 綺麗なモデルでは下手なことを言っては怒らせてしまうかもしれません。気を遣います。しかし優しい女性なら何を言っても大丈夫と安心して疲れません。現代はストレスの多い時代なので優しい女性はあまり成り立ちません。まして優しい女性は虐められます。それで優しさを売りにしたオタク文化がはやっていると考えます。
昔のアイドルは、いえ昔の日本人の女性は男を立てました。文句を言っても『ハイ、ハイ』と男についてくる女性が多かったのです。ですので昔は世界中で言われました。『料理なら中国、女なら日本だ』と。それ程昔の日本人の女性は優しかったのです。残念ながら、現代の女性で『優しさ』に溢れている人は殆どいません。それは現代はストレスの多い時代なので『優しい』人間は虐められてしまいます。それゆえに『イケイケ』にならないといけません。そうしてストレスの多い現代では優しい、崇拝されるような女性はほとんど消えてしまいました。私も昔の女性を色々と知っていますが、やはり現代女性よりは優しい人が多いと感じています。このあたりはラフカディオ・ハーンの著書を読むと痛感するはずです。夫に世話を焼くのを人生の楽しみにする妻。現代ではそういう女性は殆どいないのではないでしょうか。少なくとも私は知りません。
ここであなたは考えます。(じゃあ昔のアイドルを好きになればいいのでは)と。そうです。今のアイドルに優しさが感じられなければ昔の松田聖子さんなどに戻れば良いと考えるのは自然です。しかし松田聖子さんはAKB48の子達よりも美人ですか? 確かに『優しさ』では昔の女性が上回っています。しかし『美しさ』では現代のアイドルの方が上と感じます。それは現代は情報量が多いので誰もが賢いのでしょう。その賢さで美しく見えます。また、現代の日本人は食べ物も良いので体つきも良くなっています。そのあたりからどうしても昔の女性は見劣りしてしまうのでしょう。その為、いくら松田聖子さんが優しくても今のアイドルと比べると美しさに劣ってしまうので悲しくなってしまいます。そうすれば『崇拝』の対象となりません。また、昔のアイドルは『昔』は綺麗でも『今』は年をとったり亡くなったりしているので現在ではなかなか適用されにくいでしょう。
時代が下ってストレスが増えればオタク文化がはやるのでしょう。以上の構造で。
<学問に対する暗記中心の姿勢についての問題提起なのかな、と受け取っております。特に、日本の。
仰るとおりです。学問は最終的には暗記です。しかし現代では『用語』と『年号』と『解答法』などの暗記です。学問の本質を突いた勉強をしていないと感じます。前の回答で挙げた質問は大学入試の頃の自分では1つも解けなかったと思います。『部分暗記』ではなく『総合暗記』の勉強が大事ではないでしょう。英語で言えば外人の発音は曖昧です。母音の前の『the』は『ジ』とは発音しない人も相当数います。また、英語の発音記号自体も外国では意外と守られていません。変なアクセントが突いている外人も相当います。そのあたりから察するに日本の学問のあり方には疑問を感じることもあります。応用が利かない学問という印象があるのです。
<日本には洗練させようとする心はあります
仰るとおりです。洋書は造りが雑です。これは偶像崇拝を禁止するキリスト教の影響もあるはずですが、どうも欧米圏の人は繊細さに欠ける人が多いと感じます。オバマさんの演説でも小心者を否定するような演説がありました。日本人は器用です。同じアジア系でも東南アジア人は日本人よりも不器用な印象があります。(気にされた方がいたらすみません。誰かを傷つけるつもりではありません。)
<学術の土台に致命的弱点がある以上
致命も何も学術は芸術です。ソクラテスの無知の知が証明するように私達は何も分かりません。逆に学問にここまで依存するのは良くない面もあります。教育産業が何も知らない子どもをネタにお金儲けをするのはやめてもらいたいです。中学入試の問題はあまりにもマニアックで人生には必要ありません。理科の臓器の問題など医者でも使いません。(私は医者の国家試験の問題を知っているのでそう言えます)そもそも学問自体が絶対的であるという前提が間違っています。大学入試の英語も実際に使う英語とはかけ離れています。日本の今の英語自体も文法英語です。実用英語ではありません。実際に洋書を読んでいても仮定法や完了形はまず見ません。それなのに日本では仮定法や完了形をしつこく学びます。これは労力の無駄だと感じます。逆に簡単な連語や成句は疎かになっています。文法英語からの脱却が必要です。これは新学習指導要領で改善されましたが……。
長々と読んでくださって有難うございました。
zakky74でございます。
>アイドルは元々『偶像』という意味があります。
これは初めて知りました。
とても面白いです。
>『部分暗記』ではなく『総合暗記』の勉強が大事ではないでしょう。
同意しますが、総合暗記までのプロセスが大事でなかろうかと思います。重要な事は、覚える・・・というプロセスに到達するまでに、理解できること、イメージできること、という段階が含まれている事でしょう。
理解できる事とイメージできる事によって、総合暗記になるかと思います(最も、その場合はよく分からなくても覚える暗記ではなくて、明確に理解出来ている状態から覚えますから、明記・・・とでもなるかもしれませんが・笑)。
今の時代、この日本では既に、それが可能です。
>致命も何も学術は芸術です。ソクラテスの無知の知が証明するように私達は何も分かりません。逆に学問にここまで依存するのは良くない面もあります。
仰る通りです。
ですから、総合暗記が必要なんでしょう。
その場合、知と知の疎通・交流が必要ですし、言語と言語の疎通・交流が求められてきます。それを邪魔させるのが、知の完全性であり、その知の完全性に対して一石を投じようとしたのが、ソクラテスの無知の知でした。
ソクラテスの無知の知は、知の完全性に対する投げ掛けであり、次の段階へと上昇させる一つのステップでした。
ソクラテスの無知の知さえ、途中段階である事をこの時代の人間は知る時です。ソクラテスの無知の知は、更に次の段階に向かう途中のプロセスの事を言っています。ですから、何も知らなくて良いだとか、知らない事が良いという事とは違います(その様に誤解されている方が多いみたいですが)。
b-w-stepさんからは、知の限りない上昇に対する意欲を感じて止みません。ただ、これからは誰もが皆、そんな風に変わる事を確信しています。
全てを補い合う姿勢へと繋がります。
今からは、全ての知が繋がりだします。
そして、上昇された知へと進化します。
日本のオタク文化が知の上昇と出会う時、世界中に優しさが溢れる事をb-w-stepさんの得た知見を見ても確信が深まるに至りました。
とても参考になりました。
ご投稿ありがとうございました。
No.59
- 回答日時:
>>私というたった一人との意思疎通に1週間以上かかっているように思います.同時に複数の人と行なったとしても,とても有限時間内(人の一生のレベル)に世界の人たちと幸せを共有できる世界は出来るとは思えません.
>でも観点が変われば、全く違う観方もございます。
>その場合、世界の人たちと幸せを共有できる世界は到来します。観点が変わる時に、その道について語り合いましょう。
もしそれが実現できればいいと思います.
>>>実は、僕とmasudayaさんは同じ事を別の角度から言っているのですが、masudayaさんはお気付きでしょうか?僕側では、僕の観点でも、masudayaさんの観点でも、疎通・交流の何たるかが見えてきているのですが、masudayaさんは僕の観点でもご自身の観点でも疎通・交流が果たせる状態でしょうか?
>>すみませんがどのような観点から述べていらっしゃるのかをお教えいただけませんか.
>masudayaさんによる投稿No.51の、
>【ある意味測定基準は~必ずしも測定基準は目的達成の手段と同じ次元にある必要はないと考えてます.】
>の間での、僕の観点とmasudayaさんの観点において、です。
>僕は、自分の観点とmasudayaさんの観点の両方を疎通・交流させる事が可能になってきました。masudayaさんは如何ですか?
すみません,その質問者さんの観点を具体的にお教えいただけませんか.
察しの悪い方なのですみません.
>masudayaさんの提案を受けて、僕が69億人に焦点を合わせている事の背景をお伝えしたものです。それで、
>これは、僕がお伝えしたかったイメージが、かなりmasudayaさんの自己流で伝わっているのを感じます。なぜ、69億人の幸せの実現というところに焦点を合わせているのか?という点と、masudayaさんの観点ではいきなり・・・であっても、僕の観点ではいきなりではないという事をお伝えしています。
ですから,質問者さんの観点を明らかにしていただかないと,
少なくとも私には理解できませんし,あまりに理解できない話に
長々つきあっていく義務ありませんので,どのような観点なのかを
お教えいただけませんか.自己流で伝わっていると仰っていますが
人との交流なんてこんな物で,誤解をただしたり誤解の中から新たな発見があったりして,
いろんな話が出来ると思っています.その意味でも,面と向かって話をする
と言うのが一番話が伝わると思っています.
>>>言い換えれば69億人が運命共同体となっているのが実情です。自分の周りの人、手の届く範囲の人、それが69億人だという事です。僕にとっては、目の前の人は69億人そのものであり、人間全体であり、地球そのものなんですね。
>>言い方によっては,その通りなのでしょう.しかし仕事等を通じて思うことは,顔と顔を突き合わせて話する以上に,意思の疎通が出来る方法は無いなと思う実感です.つまり影響を及ぼせるのは,やはり文字通り手の届く範囲であると思います.
>masudayaさんの観点、及び測定基準では恐らくそうなのでしょう。
>そして、それはそうだと思います。
>そこから観たらその通りでございましょう。
>ですが、僕の測定基準では違います。
>ですから、69億人の幸せの実現をテーマとしています。
>masudayaさんは、時間が有限である問題、対象が無限(に近く思えてしまうが実際は有限)である問題、に対して現実的なところを見ていらっしゃる様です。
>ですが、現実は観点が変われば変わるものです。
>歴史が証明しています。
>文明も証明しています。
歴史や文明が証明しているかどうかは知りませんが,
観点が分かれば物が違って見えるのは賛成です.
>時間の問題、全人口数の問題は、観点が変われば幾らでも変わります。観点が変わらなければその様に見える事があっても、観点が変われば当たり前の様に変わります。
>観点が変われば、現実の見え方が変わる事について、masudayaさんはその様には思われないという事なのでしょうか?観点が変われば、現実の見え方がガラッと変わる事について、masudayaさんの考えをお聞かせ下さい。
観点が変われば見え方が変わることはその通りと思いますが,どのように観点を変えるかが分からないと
ついて行けない話です.また,そのように観点を変えることが出来るかどうかも分かりませんし.
何となく,手品が出来ると言っているが見せてもくれないし,種明かしもしないというのはどうでしょうか?
>ここでは、可能性についてのmasudayaさんの許容についてお伺いしています。masudayaさんの感情や心情によって可能性を否定されてしまうのか、それとも論理的な裏づけや根拠をお持ちの上での可能性の否定をしているのかを観たかったのでございます。
その結果,どっちだったのですか?
>そして、ここに残念な点があります。破れを見付けるのは、必ずしも科学者とは限らないのではないでしょうか?そして、科学者であったとしても、発表しない科学者もいるかもしれませんし、発表しても取るに足らないとして取り上げられない事も有り得るのではないでしょうか?
破れを見つけるのは科学者とは限らないというのは正しいと思います.発表しない科学者はいません,
研究成果を発表することこそが科学者の仕事だからです.さらに熱力学の法則が破れているという
発表は,それこそ新聞の一面に出るくらいの衝撃です.取るに足らないなどと言うことはありません.
(但し追試や実験条件の詳細の提示は要求されると思います.)
>masudayaさんの判断でありまして、それと事実は必ずしも一致しないのではないでしょうか?人間の判断は必ずしも事実とは違いますし、信じている事であっても必ずしも事実とは限りませんよね?
確かに私の判断ですが,科学自体がたくさんの現象の帰納として出来ていると言うことを
考えるとき,科学的従って判断することと事実は一致しているものと思います.
>破れが見つかった・・・という事は、今まで破れがどうして見つからなかったのか?という理由までが同時に見えてしまいます。上昇された論理は、それまでの論理を含みえるものです。
上昇された論理とは何でしょうか?論理は一般的に新しい物を導き出しません.
新しい物を導き出すのであれば,理論と言うべきです.
>例えば、地動説が明確に理解できてしまいますと、一体どうして天動説では沢山の疑問が生まれていたのか?とか、その疑問が解明できていなかったのか?が明確に見えます。それだけでなくて、一体どうして天動説の様に考えてしまっていたのだろう?というところまでが透明化されます。
天体の運動は相対運動であり,別に天動説だろうが地動説であろうが
座標の中心をどこに持って行くかの違いでしかないので,
記述はどちらでも可能です.ただリ解くのを簡単にするためには,
太陽と地球の関係においては太陽を座標の中心に持って行った方がよいと言うだけだったと思います.
>僕が、破れている事の可能性についてmasudayaさんにお尋ねしているのですから、破れている時の可能性の究極までをお尋ねするのは僕の観点からは当然でございます。
なので,破れているにしても,測定限界以下だと思いますと回答していますが...
>この思考実験にも前提があるのですが、その事はご存知でしょうか?しかも、この思考実験に既に残念な点がある事にお気付きでしょうか?
どういう点なのでしょうか?
質問者さんの話は,さっきも言いましたが,手品が出来ると言って,
手品も見せてくれ無ければ,種も明かしてくれません.
物理を専攻されているのであれば都合がいいのでどこが破れているのか指摘していただけませんか.
私は20年以上前に勉強したきりなのでどの辺が間違っているのかをお教えいただきませんか.
私自身は教科書の内容に大きな疑問は抱かなかった物で...
>僕は、研究とは言っていません。開発、と言っています。研究段階では遅いでしょう?今は、開発が求められている時です。
ご自身で調べてみましたか?研究と開発は工学の分野ではほとんどイコールですよ.
放射線は除去不可能なのに,永久機関は作れると....!!
>その範囲を超える場合、熱力学の法則は破綻する可能性がありますよね?その点はどの様にお考えなのですか?
その範囲が超えた瞬間に破綻することはないと思っています.段々ずれが見えてくると思います.
ただそのずれも,永久機関を作るのに有利な方にずれるとも限りません.
余計不利な方にずれることもあり得ます.(一般的には不利な方にずれることが多いですが)
そもそも,この議論は永久機関の話からきました.
永久機関を地球上で使うために数千万度などに温度を保つとなると
このためのエネルギーの方が永久機関から得られるエネルギーより大きくなりそうですね.
それでは意味がないと思いますが...
>物理学全体の前提、土台について、masudayaさんはどの様に捉えていらっしゃるのかを楽しみにお待ちしております。
特に何も考えていませんが,観測でき再現が出来,定量化可能なものと思っています.
何度も言いますが,何かたねをお持ちならお教えいただけませんか.
前にも言いましたが,あまりに私が理解できないのであれば,
お互いにとって時間の無駄なので,これ以上の議論は不要かと思っています.
この回答への補足
>すみません,その質問者さんの観点を・・・すみません.
masudayaさんの観点をお伝え致します。
・測定可能である事と実現する事は次元が違う。
僕の観点をお伝え致します。
・測定可能である事と実現する事は次元が同じ。
>>僕の観点ではいきなりではないという事をお伝えしています。
>ですから,質問者さんの観点を・・・伝わると思っています.
僕の観点をお伝え致します。
・一昔前は、全人類の繋がりは弱い。
・部分的な領域が全体であった。
・だから幸せは、その時代の全体である部分的な領域、若しくは手の届く範囲だけで良い。
・ここ近年で、全人類は密着。69億人は運命共同体。
・全体が、部分的な領域から人類69億人へと拡張。
・だから幸せは、この時代の全体である69億人が基本単位。
・幸せを考える基本単位が、一昔前と今では変わっている。
・幸せの実現についても基本単位が一昔前と今では違う。
です。
>観点が変われば、・・・考えをお聞かせ下さい。
>観点が変われば見え方が・・・いうのはどうでしょうか?
本主題で言えば、観点は、思考の出発を69億人へと変化させている事です。その観点から出発して、masudayaさんは69億人のコンセンサスが必要だとか定義が必要だと提案してくれたと受け止めています。
これが、思考の出発を自分の手の届く範囲とか知人・友人から広がる範囲、としてしまうと本主題においては大きく外れてしまいます。出発を、全体に設定しているところに本主題の目的があります。
>>ここでは、可能性についての・・・でございます。
>その結果,どっちだったのですか?
masudayaさんが仰る事は事実ではありません。投げ掛けている質問、提示した可能性をそのまま肯定文にしたり、可能性ではなく現実に起きているものであると理解して頂いて結構です。
それは、物理学・数学の致命的弱点は勿論、学術全般のウィークポイントを明確に理解しているから言う事です。
>>そして、ここに残念な点・・・ではないでしょうか?
>破れを見つけるのは・・・思います.)
ここで重要な事を確認しておきますね。
学術の前提には致命的な弱点があります。
その事に気付くのは、必ずしも科学者とは限りません。
そして発見を科学者の儀式に従って発表するとも限りません。
新聞の一面・・・よりも凄まじい衝撃が起こせます。
察するにmasudayaさんでしたら、その事の意味・価値を理解出来ているかと思います。そんな素晴らしい事と、実際目の前にいる人が既に出会っているなどとはmasudayaさんは思われなかったのでしょう。
しかし、僕はこれまでにも何度も可能性を示唆する様な投げ掛けをしています。masudayaさんは、測定基準の話題のところで何を測定基準にするかは可能性は何でもありだ・・・としながら月に行くのを確認する手段として体重計を選ぶ事は認めますのに、一体どうして今回は認めていただけなかったのでしょうか?
masudayaさんは、可能性を認める姿勢によって測定基準の話をしたというよりも、僕の論理を否定する為の論理として可能性の話を持ち出した様に勘ぐってしまいます。そうなのでしたら残念です。
同じ可能性の話なのでしたら、僕がmasudayaさんに投げ掛けた可能性に対して、もっと興味・関心を示したでしょう。測定基準の話のところでmasudayaさんも仰っていましたが、それは話してみて皆で決めるとありましたし。
ところが、永久機関の話に入りましてからは僕側がお伝えする可能性を、masudayaさんの記憶によって切り捨てています。内容がすごい事なのですから、もっと関心を示してくれるかなぁと思っていた期待が、逆に仇となったのかもしれません。それは、勝手に期待した僕側の問題ですが。
>>破れが見つかった・・・ものです。
>上昇された論理とは何でしょうか?論理は一般的に新しい物を導き出しません.新しい物を導き出すのであれば,理論と言うべきです.
論理と論理は噛みあわない事があります。
それは、まずは論理を表現してみる事で分かります。噛みあわない事が分かったら、次に疎通・交流が始まります。次に合一です。その次が上昇です。
論理に上昇が起きると、噛みあわなかった論理と論理は、何故噛みあわなかったのか、噛みあう為にはどうするのか、が明確に見えている状態です。
>>例えば、地動説が・・・透明化されます。
>天体の運動は相対運動であり,・・・だったと思います.
ここもmasudayaさんが、ご自身の判断基準によって僕側の観点と違う事を引き合いにされています。仰る事は分かりますが、僕が引用した天動説・地動説のイメージとは違う部分に触れていらっしゃいます。
>>この思考実験にも前提があるのですが、その事はご存知でしょうか?しかも、この思考実験に既に残念な点がある事にお気付きでしょうか?
>どういう点なのでしょうか?
話の内容に入るよりも、とても重要な事があります。masudayaさんは、適用範囲や適用条件の事は語るのに、前提条件を語らないのはどうしてなのでしょうか?
とても重要です。
前提の理解があってこそ、本当は思う存分進む事が出来ます。土台がしっかりしてこそ、その土台の上に建物を建てる事が出来ます。実際、建築物は高い建物を建てるときほど、深く掘って土台をしっかり組むといいます。
理解もそうです。
学術もそうです。
土台が何であるかに対して無知の状態でありましたら、その上に成り立っている全ての情報知識・論理は全て崩れ去ります。
前提が破れているかどうかは別としましても、前提が何であるかを明確に理解するからこそ、物理学を扱う事ができるのではないでしょうか?
ここを確認する事はとても重要です。
永久機関が実現不可能であるmasudayaさんは言い切っていますが、言い切る為には十分にそれを確認できる根拠があります。判断基準ですね。その基準を知らないのが、masudayaさんの現在地であるという事です。
この点、如何でしょうか?
永久機関が実現不可能・・・それを言い切る事は出来ません。実現可能かもしれませんし、実現不可能かもしれませんが、学術の土台に則り、その適用範囲に沿った理論から考える限りでは実現不可能だというのでありまして、未だ結論は出ていません・・・と表現するのが適切であろうかと思います。
>>僕は、研究とは言っていません。開発、と言っています。研究段階では遅いでしょう?今は、開発が求められている時です。
>ご自身で調べてみましたか?研究と開発は工学の分野ではほとんどイコールですよ.放射線は除去不可能なのに,永久機関は作れると....!!
僕は、学術では放射線を明確に定義できず放射能の除去技術開発は不可能であると言っています。学術の土台だから出来ない!と言い切ったんですよ。
同様に、学術を土台とすれば永久機関は無理でしょうね。
>ただそのずれも,永久機関を作るのに有利な方にずれるとも限りません.余計不利な方にずれることもあり得ます.(一般的には不利な方にずれることが多いですが)
限りません・・・そうです。勿論、余計不利な方にずれることもあり得ます。ここで重要な事は、限る事が出来ない、判断し切る事が出来ないという事です。やはりmasudayaさんも既に理解されていたのですね。
>そもそも,この議論は永久機関の話からきました.永久機関を地球上で使うために数千万度などに温度を保つとなるとこのためのエネルギーの方が永久機関から得られるエネルギーより大きくなりそうですね.それでは意味がないと思いますが...
masudayaさんの観点からではそうでしょう。
そして学術の観点からではその通りでしょう。
>>物理学全体の前提、土台について、masudayaさんはどの様に捉えていらっしゃるのかを楽しみにお待ちしております。
>特に何も考えていませんが,観測でき再現が出来,定量化可能なものと思っています.何度も言いますが,何かたねをお持ちならお教えいただけませんか.前にも言いましたが,あまりに私が理解できないのであれば,お互いにとって時間の無駄なので,これ以上の議論は不要かと思っています.
この話題は、僕のNo46での補足で触れた疑問から始まっています。
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No46での補足
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ここで気になるのは、永久機関が実現できないという点です。ここには疑問が残ります。「実現できない」と分かっている事は、既に計っている事の意味でしょうから計っている事の基準を知りたいのでございます。
と言いますのは、そもそも実現できるかどうか「分からない」というmasudayaさんの立場において、そこから判断基準を探すという立ち位置にいるだろう、と僕が受け取っているからです。
永久機関が実現できないと「分かっている」のでしょうか?
永久機関は実現できるかどうかは「分かっていない」のでしょうか?
どうも前者のニュアンスで受け取れてしまったのでお聞きします。
つまり、永久機関が実現できないという判断基準は何でしょうか?そして、その判断基準が正確である理由についてお聞かせくださいませ。
永久機関の理解については繊細でありたい為に、横道に逸れる様に映るかもしれませんが、是非お付き合い下さいませ。
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とても参考になっています。
ありがとうございます。
その節はお応え頂きありがとうございました。
>何度も言いますが,何かたねをお持ちならお教えいただけませんか.
今は、僕側にたねがあるのを確認する時ではないと認識しています。補足欄にも触れていますが、まずはmasudayaさん側の判断基準、若しくは根拠についてお尋ねしております。
現段階で分かる事は、その根拠は物理学においていらっしゃる様ですし、その根拠はと言いますと
>特に何も考えていませんが,観測でき再現が出来,定量化可能なものと思っています.
というところにおいていると理解しています。
ですがその前提は、全体の内の一部分にすぎませんので、その前提だけに頼る限りでは、永久機関が実現出来ないのは当たり前なのではないでしょうか?一部分だけで全体を計る事は出来ない様に、一部分の前提条件のみで全体を計る事は出来ません。
ですから、masudayaさんの観点からでは、永久機関に対するイメージやアイディア、また永久機関を実現する方法などが分からなかったのでしょう。masudayaさんが、もしご自身の観点をハズして宇宙自然の仕組みや、モノを観ます時には、全く違った観え方が起こるのではないでしょうか?
観点が変われば、現象や現実は全く違って観えます。
masudayaさんがご自身の前提を横に置いておいたまま、それこそ色んな可能性がある訳ですから、全く別の観点に変化・運動・移動させる事を通して、色んな可能性が観えてくるのではないでしょうか?
逆に、masudayaさんがご自身の観点に固定されたままですと、固定された結論しか目に入りませんでしょう。その場合は、masudayaさんが仰る通り、
>特に何も考えていませんが,観測でき再現が出来,定量化可能なものと思っています.
絶対に永久機関の実現は不可能(の様に見えるの)でございましょう。
>何度も言いますが,何かたねをお持ちならお教えいただけませんか.
はい。
ご自身の観点を動かす事です。
観点が動く事によって、全ての結論は変わります。
・放射能除去技術の開発が出来ない。
・永久機関の実現は不可能。
それもまた、観点が動く事によって変化します。
そうしますと、主題『世界68億人が幸せになる社会は実現できますでしょうか?』についての結論も、変化するかもしれませんね。
No.58
- 回答日時:
どちらにしろ自然は大事です。
幸せには自然は必須条件です。絶景の中で不幸のどん底に沈む人はいません。そういう意味では自然は幸せを創ります。現代では自然が失われたので幸せも失われつつあると思います。昔は自動車もありませんでした。そのために日が沈むまで遊んだものです。子供は風の子。最近は聞きませんね。死語になったのでしょうか。悲しいものです。小野田さんの自然塾では子供はサバイバルをするそうです。最初は嫌がる子供達も最後には日本に帰るのを嫌がるそうです。自然というのは想像以上に偉大なのですね。文明大国日本よりもサバイバルを子供達は選ぶのですから。このあたりからも自然が人間にとっていかに重要かが見えてくるはずです。人間も自然の一部です。<b-w-stepさんの問題提起には、まさにそうした機能があったかと思います。
<観点が人間に固定されている事は真の意味で人間と向き合っているとは僕も思いません。
学問というのは無駄なものが後で効いてきます。理系も文系も複雑に絡み合っています。サブカルチャーも大事です。私は人間論としてオタク文化と日本人の性質の変化について研究しました。そこから人間が求める人間性が見えてきました。なぜ日本ではオタク文化がはやっているのか。オタク文化はなぜ流行るか。今は時間がありませんが、要求がありましたがこの場で説明いたします。この情報は多くの方に共有していただきたいものです。一笑に付しがちな物事をも大事にする。学問というのは全てを大切にすることが大事です。
<問いを学ぶ事、が学問だという理解をしています。
仰るとおりです。いかに上手に問うか。学問とはまさしく問いを学ぶ、です。これは今気付きました。有難うございます。
<その観点から観て、今の学問は問いを学ぶというよりは答を学んでいるというジレンマがありますし、<知的好奇心をそそるよりは、まだまだ覚えなければならない倦怠感を感じさせる事も一方では多かったです。
仰るとおりです。学問に終わりはありません。また、この世には終わりのある事柄は殆どないと考えています。また、現代の学問はあやふやです。歴史は年号と事件名・人名を中心に学びます。年号など、10年ずれていることはよくあるものです。未だに鎌倉時代の始まりの年号は議論されています。そのような『人間が定義する学問』にはそれ程価値はないと私は考えている面も大きいです。日本では入試問題・テスト問題は用語を問うものが多くて嫌になります。海外の学生は学術用語を答えるというチンケな問題とは出会うことはほぼありません。海外のテスト問題はひたすら『~について論ぜよ。』です。今、手元に英語圏の『高校の生物の教科書』がありますが、問題は次のようなものばかりです。引用します。
『生物学を定義せよ。』
『イオンを定義せよ。』
『熱力学の3法則を説明せよ。』
『なぜ水は生物にとって必須の物質なのか。説明せよ。』
嫌になりませんか? 欧米圏は高校からこれです。以前、こちらのホームページでオーストラリアの高校生の化学を教えたことがありますが、その生徒は日本では大学で習う化学まで課題で出されていました。また、アメリカの高校あたりの歴史の宿題は
『もし南北戦争で南が勝っていたら歴史はどうなったか。論ぜよ。』
です。私は日本の学校で学んでよかったです。しみじみそう思います。
と、話が飛びました。大事なことは学問は『議論するものである』ということです。用語は時代によって変わります。年号も時代によって変わります。大事なのは学問の本質を突くことです。歴史には流れがあります。人々の心理には共通項があります。意外と先頭に立つのは女性という法則などです。フランス革命、日本の米騒動。全て女性が先導しました。女性は逞しいです。こういう大まかな流れをつかむこと。歴史について語れること。人間について語れること。学問とはそういうものであり、年号や用語を覚えるのはどうでも良いことです。(気にされた方がいたらすみません。)日本は平和が一番の国なので何かを追求するのは苦手かもしれません。
戦後、日本が経済成長できたのは日本の勤勉性、親切さ、平和主義、戦後の荒廃によって生まれた国内市場、繊細さによる文化(漫画、アニメ)あたりが要因と考えています。過ごすなら日本は最高です。最近は治安が悪化してきましたが。
実際に学術書は今でも洋書の翻訳が主流です。曖昧にする国民性が学問の追及、普及という面ではむしろマイナスに働いていると感じます。そういう意味で現在の学校制度によって勉強嫌いが増えているとしたらまことに悲しいことです。本当は学問ほど楽しいものはありませんが……。推理小説と同じで発見にあふれているのが学問です。
<高級情報は、使いようによって何にでも変化します。
<出来れば、69億人の幸せの実現に使いたいんです。
すみませんでした。それほど高級とは知りませんでした。それなら是非幸せの実現の手段として使って下さい。
<幸福論の4つの質問の私の解釈をお聞きできないのは残念ではありますが、現段階で、
<しかもこのQ&Aサイトの様なオープン過ぎる環境下で、直接の面識も無い状況で共有する事は、
<控えさせて下さい。
仰るとおりです。私がどういう人間かも他の人からは分かりません。実際、私自身は自分をあまり良い人間とは思っていないのでそれほど高級な情報を頂いても責任を持って管理できないでしょう。言い辛い事を書かせてしまって申し訳ないです。
多少、日本に対して厳しく書いてすみませんでした。2017年を楽しみに生きていきます。有難うございました。
>どちらにしろ自然は・・・人間も自然の一部です。
b-w-stepさんの仰る事はよく分かります。自然と文明のアンバランスが指摘される様になって久しいですし、最近では指摘されるまでもなく身近にまで感じる様になってきましたね。
このアンバランスを僕はこの様に整理しています。
宇宙自然の仕組みによる自然現象は、人間に対して演繹的です。砂時計で表現すれば、砂が落ちてくる下部に人間がいる状態ですね。常に、上部から砂が落ちてきますね。
自然は、人間に対して演繹的です。
ところが、人間は宇宙自然の仕組みを知る時には、部分だけしか認識できず、全体を認識する事が出来ず、帰納的です。砂時計で表現すれば、下部にポジションを取って砂が落ちてくるのを下から受け取るしか出来ませんから、上部構造では何が起きているのかを分からない状態ですね。
人間は、自然に対して帰納的です。
これでは、自然と人間のバランスは取れません。
両方の循環が、同時に帰納的でありかつ演繹的である時に、自然と文明は調和できると観ています。因みに、今共有したのは自然と文明の調和に対する解決策やビジョンの事ではなく、何故、自然と文明が不調和であるのかを僕がどう理解しているかのお話でした。
<b-w-stepさんの問題提起には、まさにそうした機能があったかと思います。
<観点が人間に固定されている事は真の意味で人間と向き合っているとは僕も思いません。
>学問というのは・・・にすることが大事です。
もし宜しければ、オタクを含めた人間論や学問について、b-w-stepさんの得た知見をお聞かせ下さいませ。出来れば、後に主題「世界68億人が幸せになる社会は実現できますでしょうか?」に纏わる話に発展しましたら、尚の事嬉しいですが、もし関わりなき場合でも、僕側で質問を展開しつつ、何とか主題と重なる事をとても望んでいます。
>『人間が定義する学問』にはそれ程価値はないと私は考えている面も大きいです。日本では入試問題・テスト問題は用語を問うものが多くて嫌になります。海外の学生は学術用語を答えるというチンケな問題とは出会うことはほぼありません。海外のテスト問題はひたすら『~について論ぜよ。』です。今、手元に英語圏の『高校の生物の教科書』がありますが、問題は次のようなものばかりです。引用します。
学問に対する暗記中心の姿勢についての問題提起なのかな、と受け取っております。特に、日本の。
>日本は平和が一番の国なので何かを追求するのは苦手かもしれません。
そうかもしれません。
ですが、日本には洗練させようとする心はあります。サムライの精神やわびさび美学などですね。常に常に上昇させる気概があります。今の時代、この日本にも、明確にサムライ・わびさびは残っており、日々成長しています。
ですので、そうした追求が得意や国や民族と共同でやっていけば良いと思っています。日本は論理とイメージにはとても弱いですが、論理とイメージをとても得意とするパートナーと共に、日本は益々発展していきますね。
>戦後、日本が経済成長できたのは日本の勤勉性、親切さ、平和主義、戦後の荒廃によって生まれた国内市場、繊細さによる文化(漫画、アニメ)あたりが要因と考えています。過ごすなら日本は最高です。最近は治安が悪化してきましたが。
実際に学術書は今でも洋書の翻訳が主流です。曖昧にする国民性が学問の追及、普及という面ではむしろマイナスに働いていると感じます。そういう意味で現在の学校制度によって勉強嫌いが増えているとしたらまことに悲しいことです。本当は学問ほど楽しいものはありませんが……。推理小説と同じで発見にあふれているのが学問です。
実は、日本の勉強嫌いや学術離れは時代の意志だと思います。学術の土台に致命的弱点がある以上、そして今からは日本の可能性が益々芽生えていくタイミングである以上、寧ろ希望を感じさせてくれます。
多くの人は、それを悲観的に捉えますが、僕は、だからこそ日本が大変革の時であり世界の引っ張っていく時である事を確認しています。
>すみませんでした。それほど高級とは知りませんでした。それなら是非幸せの実現の手段として使って下さい。
人間であれば、誰もが一度は考えた事のある様な疑問・・・だけど、誰もそこに答を出せないから、答は無いんだと諦めた様な疑問・・・そういう数々の疑問を、全て解消できる内容へと繋がっていきます。
それ故に、全てのテクノロジーが進化され、かつ理想的な融合を図るにまで至ります。永久機関や剰余発生メカニズムの実現にも繋がる話です。ですので、ここではすみません。
>仰るとおりです。私がどういう人間かも他の人からは分かりません。実際、私自身は自分をあまり良い人間とは思っていないのでそれほど高級な情報を頂いても責任を持って管理できないでしょう。言い辛い事を書かせてしまって申し訳ないです。
ダイナマイトは何に使うもの?と聞いたら、人を傷つけるものだとか戦争の為の破壊に使われるものだと言う人が多いです。道具を何に使うのか、人間側の意識イメージによって道具は大きく変貌を遂げます。
アインシュタインの相対性理論は原子爆弾の圧倒的な威力を予言しました。彼自身は、そんなものを開発する為に追求していた訳ではありません。原子爆弾が開発される事、原子爆弾が投下された事・・・彼は、何とか心情の整理を迫られるものの、とても思い苦しみ悩んでいたでしょう。
だからこそ、ノーベルやアインシュタインの発見・発明を上回る情報知識を扱う場合は、彼らの心情は基より、人類歴史の意志を汲み取った上で活用する事を理解していたいと思うのです。
今は、69億人運命共同体ですしね。
>多少、日本に対して厳しく書いてすみませんでした。2017年を楽しみに生きていきます。有難うございました。
僕は、日本の未来は基より、人類の未来、世界の未来を、とても希望で観ています。日本に対する厳しさは裏を返せば愛でもあり、日本の可能性を極度に高めてくれるものでもあります。
日本から始まりますよ。
黄金時代は。
No.57
- 回答日時:
連続投稿すみません.字数に制限があるのですね.
【今のところ破れは見つかっていない・・・事と、今後破れる可能性が無いという事は等価ではありませんね。】
それは仰るとおり等価ではありません.しかし破れが他の体系に対しても影響しますので
測定限界以下でしか破れは検知できないと思っています.
【また、破れは見つかっていないという情報が一般常識化されている事と、実は破れがみつかっているのだけれども未だ一般常識化になっていないだけ、という可能性もありますね。】
それはないと思います.破れが見つかっているのにそれを発表しない科学者はいないと考えていいからです.
【更には、僕が既に破れを明確に理解しており、】
【また僕だけではなく多くの人が破れに対して理解している現状があり、】
少なくとも私は,破れているとは思いません.
【加えて一体どうして今までは破れが見つかっていないのか、についての理由までも今の時代、この日本では突き止められているという可能性も無い訳ではありませんよね?】
どういう意味でしょうか.
>僕は、「永久機関が実現できない」という測定基準「熱力学の第1,第2法則」について、正確な理由・・・つまり破れていない理由について、その根拠を科学的に伺えると思っていたのですが、それがありませんでした。
これらの解説を行なうのであれば,熱力学の教科書を読んだ方がよっぽど早いし為になりますよ.
簡単に言うと第1法則はエネルギーは保存すると言うことで,
何もないところからはエネルギーは生まれないと言っています.
第2法則は(エントロピー増大の法則ともい言う)エネルギーには有用度(エントロピー)があり,
エネルギーを変換するときは必ず有用度は同じか低下する(エントロピーが増大する).
これは思考実験で導かれる物で,最高効率の機関(カルノーサイクル)と他の機関を
用いて仕事と熱の出入りなどを考察することで得られます.
質問者さんは,ここで,熱力学の講義をしろとおっしゃているのでしょうか.
私にはそういうことをする力量もありませんし,そういう場所でもないと思いますが.
>本人たちは一生懸命やっているでしょう。ですが、69億人が望んでいる程には一生懸命ではありませんし、自分たちの自己満足に留まっています。今や、科学者たちは更にもっと必死にならなければならない時ですのに、部分的見解、部分的理解に留まった非常に視野の狭い領域に固執しています。
ですから未だに放射能除去技術の開発にも向かえません。
放射能除去技術とは?定義が明確でないので良く分かりませんが.
あんなに準備に不手際(津波の掛かるところに非常電源をおいたこと)
が合ったにもかかわらず,現在の所,危機的な状況になっていないのは
放射能をコントロールできる技術があるからに他ならないと思っています.
当然,放射能を除去する技術なども研究されているようです.
逆に69億人が望んでいることは何なのでしょうか.一人1票であれば,
日本では放射能除去技術かもしれませんが,世界では飢餓の解消なのではと思います.
砂漠に植物を植える研究では,日本は世界をリードしているはずですし,
もっと他の人が何をしているのかを見ておく必要があるのではと思います.
>加えて物理・科学が既に限界である事を、彼らこそが分かっているにも関わらず、プライドがあるからか認めようとしません。最先端の科学者たちこそ「分からない事が分かりました」と宣言します。
どの科学者が限界がないと言ったのでしょうか.科学は適応範囲があるのは当たり前です.
それに科学者は大部分"分かっていることより分からないことの方が多い"と思っていますよ.
>科学には前提条件がある事をご存知ですか?
一般には適用範囲と言います.
>熱現象における通常の測定基準・・・と仰いますが、そこにも条件・状況・環境が潜んでいる事を分かった上で、その条件・状況・環境の中だけで成り立つ部分的な法則である事を理解していなければなりません。
現象が確認されている条件は,詳しくは知りませんが,温度で言うと,-273℃(0.15°K位)~数千万℃(プラズマ)
圧力でいくとほぼ真空~1000MPa(10万気圧位)だと思います.
但し,この二つのパラメータを自由に動かしての確認はしていないと思います.
ただこのこの範囲で成立が確認されていると思って良いです.
パラメータを振ってと言うのはあれば,-200~数千℃,ほぼ真空から~数百気圧程度は可能と思います.
>お尋ねしたいのですが、永久機関とは前提条件内のものなのでしょうか?それとも前提条件を超えているものなのでしょうか?
前提条件を超えるという前提条件とは何でしょうか?
>masudayaさんの永久機関が実現不可能である根拠は、科学・物理学によっていますので、その前提が崩れれば、永久機関が実現不可能であるという測定基準が揺らぐ事となります。
言葉から言うと仰るとおりですが,現実味が全くありません.
どのように,どんな前提が崩れるのでしょうか?
>>質問者さんに言いたいのですが,他人が作った地図は信用するけど,同じように先人達が作った物理法則を信用しないという態度はいただけないと思います.
>それは僕が思っている事ではなく、masudayaさんが受け取ったmasudayaさんの中にいる僕の態度なんだと思います。
今までのやりとりの中で質問者さんは,地図があり目的地を地図上に打てば,
目的地にいけると発言していたと思っています.
そのことから,地図は信じるんだと思いました.
>その事は物理法則を信用していないという事ではありません。先にもお伝えしましたが、条件・状況・環境の中だけで成り立つ物理法則であるという事を明確に理解しているだけです。当然、その条件を超えている領域については物理法則以外を適用するのが妥当かと思っております。
物理法則は適用範囲内で成立している(予想を付けるときは適用範囲を超えて見たりしますが,)
というのは当たり前のことで,さらに日常の条件であれば,適応範囲に含まれますので
普通は適応範囲を気にしないのが一般的です.さらに言うと条件を超えても物理法則に従います.
このことは,ニュートン力学は重力が弱く,速度が光速より十分小さい場合に適応されます.
速度が光速に近づく場合は,特殊相対論が適用されます.
重力が大きい場合は一般相対論が適用されます.
適応範囲が異なるだけで,どれも物理法則です.
物質についても,一般には,古典物理が適用されます.
ミクロな効果を確認したい場合は量子統計物理などが適用されます.
その意味においては,熱力学は適応範囲が広い物理学の一つです.
物理学は物理現象に対して適用される学問ですので,適用範囲を超えても物理学の範疇になります.
この回答への補足
>連続投稿すみません.字数に制限があるのですね.
2000字だったところから、最近では4000字に増えたそうです。ですが、僕も時々オーバーしてしまうんですよ。それで、ついつい1投稿にまとめる為に、内容をカットしてしまうんですが。
連続投稿という手がありましたか。
今後も、もし4000字をオーバーする様で、区切れが悪かったりした場合には、連続投稿して頂いても構いません。僕は気になる人ではございませんので。
【今のところ破れは見つかっていない・・・事と、今後破れる可能性が無いという事は等価ではありませんね。】
>それは仰るとおり等価ではありません.しかし破れが他の体系に対しても影響しますので測定限界以下でしか破れは検知できないと思っています.
ここでは、可能性についてのmasudayaさんの許容についてお伺いしています。masudayaさんの感情や心情によって可能性を否定されてしまうのか、それとも論理的な裏づけや根拠をお持ちの上での可能性の否定をしているのかを観たかったのでございます。
【また、破れは見つかっていないという情報が一般常識化されている事と、実は破れがみつかっているのだけれども未だ一般常識化になっていないだけ、という可能性もありますね。】
>それはないと思います.・・・いいからです.
そして、ここに残念な点があります。破れを見付けるのは、必ずしも科学者とは限らないのではないでしょうか?そして、科学者であったとしても、発表しない科学者もいるかもしれませんし、発表しても取るに足らないとして取り上げられない事も有り得るのではないでしょうか?
多分、無いだろう・・・
・・・ハズです
というのは、それこそmasudayaさんの判断でありまして、それと事実は必ずしも一致しないのではないでしょうか?それは、masudayaさんに限らず、人間の判断は必ずしも事実とは違いますし、信じている事であっても必ずしも事実とは限りませんよね?
【更には、僕が既に破れを明確に理解しており、】
【また僕だけではなく多くの人が破れに対して理解している現状があり、】
>少なくとも私は,破れているとは思いません.
はい。masudayaさんの観点から観た時には、masudayaさんにとってはそうは見えておりませんし、僕や僕以外の多くの人にとっても破れに対して理解している現状がある様には見えませんでしょう。
masudayaさんの観点からは仰る通りです。
残念な事は、人間の判断は必ずしも事実とは違うという点であり、自分が信じている事が必ずしも事実ではないという事です。
【加えて一体どうして今までは破れが見つかっていないのか、についての理由までも今の時代、この日本では突き止められているという可能性も無い訳ではありませんよね?】
>どういう意味でしょうか.
破れが見つかった・・・という事は、今まで破れがどうして見つからなかったのか?という理由までが同時に見えてしまいます。上昇された論理は、それまでの論理を含みえるものです。
例えば、地動説が明確に理解できてしまいますと、一体どうして天動説では沢山の疑問が生まれていたのか?とか、その疑問が解明できていなかったのか?が明確に見えます。
それだけでなくて、一体どうして天動説の様に考えてしまっていたのだろう?というところまでが透明化されます。
つまり、破れが見えているという事は、その時点で何故今までがどういう観点に固定されていたから破れが見えていなかったのか?という点までもが透き通って見えるという事でございます。
僕が、破れている事の可能性についてmasudayaさんにお尋ねしているのですから、破れている時の可能性の究極までをお尋ねするのは僕の観点からは当然でございます。
そういうお尋ねでございました。
>>僕は、「永久機関が実現できない」・・・それがありませんでした。
>これらの解説を・・・仕事と熱の出入りなどを考察することで得られます.
この思考実験にも前提があるのですが、その事はご存知でしょうか?しかも、この思考実験に既に残念な点がある事にお気付きでしょうか?
>質問者さんは,ここで,熱力学の講義をしろと・・・そういう場所でもないと思いますが.
僕は、物理を専攻しておりました。
僕側は一切、問題ではありませんし、質問者としては寧ろ望んでおります。masudayaさんが仰る為の根拠について伺っています。
根拠が理解から来るものでしたら、masudayaさんがその説明を為さって下さい。根拠が暗記から来るものでしたら、その旨をお伝え頂き、僕は教科書を観る事にします。
ですが、その場合は熱力学の教科書において、破れ、若しくは残念な点、或いは前提条件が潜んでいるという事が明らかになってしまいますので、その心の準備をしておいて下さいませ。
つまり、ショックな出来事と出会います。
>>本人たちは一生懸命やって・・・開発にも向かえません。
>放射能除去技術とは?定義が・・・と思っています.
その様に見る事もできるかと思います。
ですが、もう一度お伝えします。
69億人が望んでいる程には一生懸命ではありません。
自分たちの自己満足です。
>当然,放射能を除去する技術なども研究されているようです.
僕は、研究とは言っていません。開発、と言っています。研究段階では遅いでしょう?今は、開発が求められている時です。
>逆に69億人が望んでいること・・・必要があるのではと思います.
いいえ。日本でも海外でも放射能除去技術の開発は不可能です。放射線は、光よりも細やかな領域を扱わねばなりません。今の様なモノを変化・運動・移動するレベルに留まる科学技術では不可能です。放射線が何であるかを明確に理解しているならば、不可能である事がよく分かります。
>>加えて物理・科学が既に・・・と宣言します。
>どの科学者が限界がないと・・・と思っていますよ.
限界のイメージが少し違います。
僕がお伝えしている限界とは、物理・科学の前提が既に限界であると言っています。適応範囲の事ではありません。そもそも、一体どこから適応範囲が出てきたのでしょうか?
>>科学には前提条件がある事をご存知ですか?
>一般には適用範囲と言います.
僕がお伝えしたかったイメージは、全ての適用範囲であったとしても、その土台となっている条件の事です。適用範囲さえも生まれる前段階に既に組み込まれている条件の事です。それを前提条件と言いました。これについては説明不足でした。
ですが、masudayaさんが適用範囲として受け取った事は分かりました。
>>熱現象における通常・・・いなければなりません。
>現象が確認されている条件は,・・・は可能と思います.
その範囲を超える場合、熱力学の法則は破綻する可能性がありますよね?その点はどの様にお考えなのですか?
そして、僕がお尋ねしたかったのは、全ての物理条件の適用範囲であったとしても、その土台となっている前提条件が何であるか?についてお尋ねしたものでした。そして、その前提条件を理解しないままに、物理条件の適用範囲であるとか、その適用範囲において成り立つ理論であるとかは、ギャグの様な話ではないでしょうか?
前提条件に気付かずに論理を展開しているからです。
>>お尋ねしたいのですが、・・・ものなのでしょうか?
>前提条件を超えるという前提条件とは何でしょうか?
前提条件に関するそもそものイメージがお伝えし切れておりませんでしたので、今回この質問はスルーしますね。必要が出ました時にはまた戻ってきます。
>>masudayaさんの・・・測定基準が揺らぐ事となります。
>言葉から言うと仰るとおりですが,現実味が全くありません.どのように,どんな前提が崩れるのでしょうか?
現実味が無い事は理解出来ます。
まず今までの可能性の部分、揺らいでいる部分、その領域についての観点をお持ちになる事によって自然と見えてくるものがございます。
現実は、観点が変わる事によってコロッと変化してしまうものです。観点が変化しない状態では、当然現実味が帯びませんでしょう。それは、この交流が寄り合う中で共有いたします。
重要な事は、masudayaさんが未だに前提条件が何であるかに気づいていませんし、根拠が出てきていないという点です。
科学・物理を拠り所にする方の中で、とても多くの方が適用範囲は勿論、前提条件の事について無知と言いますか、理解がありません。その分だけ、科学・物理の進化発展にも限界が生じています。
残念な点です。
>>その事は物理法則を信用・・・と思っております。
>物理法則は適用範囲内で・・・物理法則に従います.
その事によって、多くの事を見落としているのではないでしょうか?また、それが何を意味しているかを理解している人は少ない様です。
>このことは,ニュートン力学は・・・超えても物理学の範疇になります.
繰り返しますが、そうした物理条件である適用範囲全ての土台にある前提条件について、僕は問い掛けをしています。
それと言っている本人が、実は何の事を言っているのか分からないという事が物理学者の間、或いは科学者の間ではよく起こります。それと似た様な事が、まさに今起きている様な雰囲気を感じました。
物理学全体の前提、土台について、masudayaさんはどの様に捉えていらっしゃるのかを楽しみにお待ちしております。
ご回答ありがとうございました。
今、横道に入っている様に見える永久機関から続くこの話ですが、これは僕の疑問から始まりました。それが
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永久機関が実現できないと「分かっている」のでしょうか?
永久機関は実現できるかどうかは「分かっていない」のでしょうか?
どうも前者のニュアンスで受け取れてしまったのでお聞きします。
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に始まっています。疑問が晴れた後に主題へと戻りますので、今しばらくお付き合いくださいませ。とても参考になっています。改めて、ありがとうございます。
No.56
- 回答日時:
>タイミングとは、抽象的な領域から具体的な領域へと入る切り替わりの事です。
現段階では、未だmasudayaさんと僕の間でのイメージ共有がなされていない状態ですので、具体的な領域には入れないと僕が判断しています。私というたった一人との意思疎通に1週間以上かかっているように思います.
同時に複数の人と行なったとしても,とても有限時間内(人の一生のレベル)に世界の人たちと
幸せを共有できる世界は出来るとは思えません.
>実は、僕とmasudayaさんは同じ事を別の角度から言っているのですが、masudayaさんはお気付きでしょうか?僕側では、僕の観点でも、masudayaさんの観点でも、疎通・交流の何たるかが見えてきているのですが、masudayaさんは僕の観点でもご自身の観点でも疎通・交流が果たせる状態でしょうか?
すみませんがどのような観点から述べていらっしゃるのかをお教えいただけませんか.
>幸せの定義の必要性。
>その一方で、定義する事による幸せの実現の難しさ。
>量子論的な、揺らぎの様なものを感じます。
人間を扱うような社会科学の話の中に,物理などの理系用語を用いるのは
基本的に避けるべきです.もし用いるのであれば,明らかに
アナロジーが成立している場合のみと思います.
これは,人間について論じているのに,フラクタル次元の話をしたりという論文がありますが
フラクタル次元を理解していれば,(たいていは書いてる人も十分に理解していないので,
役に立たない比喩になっていることが多い)比喩的に理解できるのでしょうが,
本当に知りたいのは人間についてなのに余計なことを行っていることになると思います.
また,この手の理系用語をちりばめて適当に作った論文での事件"ソーカル事件"
などもあるので,上のように明かなアナロジーある場合に限り
使っていただきたいと思います.
>ここからは僕の観点です。
>今の時代、インターネットで全世界が繋がり、人・モノ・金・情報は地球上を激しく巡りめぐっております。一時期の様に、部分的な空間、部分的な関係性の平和というのが起こりえないのが今の時代ではないでしょうか?
69億人がインターネットでは繋がっていませんし,インターネットが出来るのは全世界で考えれば,
ほんの一部です.日本においてもやっていない方は数十%のオーダがいますので,すべてが繋がっている
訳ではありません.一方北アフリカの民主活動などを見るとインターネットの力を見せつけられる部分
はありますが,不公正の世界ではあっても安定を壊すと言うことは,不安定状態になると言うことで
今後の状況を良く確認しなければいけないと思います.私は,日本に住んでいることもあるためか,
仰っている部分的な平和を享受していると実感しています.
私は宮城県に住んでいますが,あんな地震の後でもちゃんと並んで物を買ったり
暴動が起きないというのは,日本という部分的な空間での平和であると思います.
インターネットが出来る人口は今後も増えると思いますが,実際に手をさしのべる必要のある人は
インターネットが出来ない人ではないかと思います.日本で言えば幼児とか高齢者,
世界に目を向ければ,食べるものも食べられない人々.
>言い換えれば69億人が運命共同体となっているのが実情です。自分の周りの人、手の届く範囲の人、それが69億人だという事です。僕にとっては、目の前の人は69億人そのものであり、人間全体であり、地球そのものなんですね。
言い方によっては,その通りなのでしょう.しかし仕事等を通じて思うことは,
顔と顔を突き合わせて話する以上に,意思の疎通が出来る方法は無いなと思う実感です.
つまり影響を及ぼせるのは,やはり文字通り手の届く範囲であると思います.
この回答への補足
>>タイミングとは、・・・僕が判断しています。
>私というたった一人との意思疎通に1週間以上かかっているように思います.同時に複数の人と行なったとしても,とても有限時間内(人の一生のレベル)に世界の人たちと幸せを共有できる世界は出来るとは思えません.
その様に見えますよね。
でも観点が変われば、全く違う観方もございます。
その場合、世界の人たちと幸せを共有できる世界は到来します。観点が変わる時に、その道について語り合いましょう。
>>実は、僕とmasudayaさんは同じ事を別の角度から言っているのですが、masudayaさんはお気付きでしょうか?僕側では、僕の観点でも、masudayaさんの観点でも、疎通・交流の何たるかが見えてきているのですが、masudayaさんは僕の観点でもご自身の観点でも疎通・交流が果たせる状態でしょうか?
>すみませんがどのような観点から述べていらっしゃるのかをお教えいただけませんか.
masudayaさんによる投稿No.51の、
【ある意味測定基準は~必ずしも測定基準は目的達成の手段と同じ次元にある必要はないと考えてます.】
の間での、僕の観点とmasudayaさんの観点において、です。
僕は、自分の観点とmasudayaさんの観点の両方を疎通・交流させる事が可能になってきました。masudayaさんは如何ですか?
>>幸せの定義の必要性。
>>その一方で、定義する事による幸せの実現の難しさ。
>>量子論的な、揺らぎの様なものを感じます。
>人間を扱うような社会科学の話の中に,物理などの理系用語を用いるのは基本的に避けるべきです.もし用いるのであれば,明らかにアナロジーが成立している場合のみと思います.
これは失礼致しました。
仰る通りです。
masudayaさんにとっては、アナロジーが成立していませんよね。大変、失礼致しました。活用する場合は、masudayaさんにとっても明らかに分かる様な形で論理展開をする必要がありましたね。
言葉足らずでした。
以後は気をつけます。
>これは,人間について論じているのに,フラクタル次元の話をしたりという論文がありますがフラクタル次元を理解していれば,(たいていは書いてる人も十分に理解していないので,役に立たない比喩になっていることが多い)比喩的に理解できるのでしょうが,本当に知りたいのは人間についてなのに余計なことを行っていることになると思います.
そういう意味では、幸せの定義について語る際に、僕が空間の尺度や重さの尺度を例として持ち出してきた事そのものが、既にmasudayaさんからは違和感がある訳でございますね。
また、僕が空間尺度や重さの尺度を人間の幸せのアナロジーと可換が可能である事をasudayaさんにとっても分かり易く、理解出来る様に話したのならば、まだ道も譲れますが、それもしないままに、急に次元の違う尺度を持ってこられる事が頂けないという事はよく分かりました。
実は、この点、僕はとても共感します。
それだけに、大変失礼致しました。
>また,この手の理系用語をちりばめて適当に作った論文での事件"ソーカル事件"などもあるので,上のように明かなアナロジーある場合に限り使っていただきたいと思います.
ソーカル事件なるものは初めて知りましたが、masudayaさんがその様に受け取っていた事は理解しました。
>>ここからは僕の観点です。
>>今の時代、インターネットで全世界が繋がり、人・モノ・金・情報は地球上を激しく巡りめぐっております。一時期の様に、部分的な空間、部分的な関係性の平和というのが起こりえないのが今の時代ではないでしょうか?
masudayaさんの提案を受けて、僕が69億人に焦点を合わせている事の背景をお伝えしたものです。それで、
>69億人がインターネットでは繋がっていませんし,インターネットが出来るのは全世界で考えれば,ほんの一部です.日本においてもやっていない方は数十%のオーダがいますので,すべてが繋がっている訳ではありません.一方北アフリカの民主活動などを見るとインターネットの力を見せつけられる部分はありますが,不公正の世界ではあっても安定を壊すと言うことは,不安定状態になると言うことで今後の状況を良く確認しなければいけないと思います.私は,日本に住んでいることもあるためか,仰っている部分的な平和を享受していると実感しています.
>私は宮城県に住んでいますが,あんな地震の後でもちゃんと並んで物を買ったり暴動が起きないというのは,日本という部分的な空間での平和であると思います.インターネットが出来る人口は今後も増えると思いますが,実際に手をさしのべる必要のある人はインターネットが出来ない人ではないかと思います.日本で言えば幼児とか高齢者,世界に目を向ければ,食べるものも食べられない人々.
これは、僕がお伝えしたかったイメージが、かなりmasudayaさんの自己流で伝わっているのを感じます。なぜ、69億人の幸せの実現というところに焦点を合わせているのか?という点と、masudayaさんの観点ではいきなり・・・であっても、僕の観点ではいきなりではないという事をお伝えしています。
>>言い換えれば69億人が運命共同体となっているのが実情です。自分の周りの人、手の届く範囲の人、それが69億人だという事です。僕にとっては、目の前の人は69億人そのものであり、人間全体であり、地球そのものなんですね。
>言い方によっては,その通りなのでしょう.しかし仕事等を通じて思うことは,顔と顔を突き合わせて話する以上に,意思の疎通が出来る方法は無いなと思う実感です.つまり影響を及ぼせるのは,やはり文字通り手の届く範囲であると思います.
masudayaさんの観点、及び測定基準では恐らくそうなのでしょう。
そして、それはそうだと思います。
そこから観たらその通りでございましょう。
ですが、僕の測定基準では違います。
ですから、69億人の幸せの実現をテーマとしています。
masudayaさんは、時間が有限である問題、対象が無限(に近く思えてしまうが実際は有限)である問題、に対して現実的なところを見ていらっしゃる様です。
ですが、現実は観点が変われば変わるものです。
歴史が証明しています。
文明も証明しています。
時間の問題、全人口数の問題は、観点が変われば幾らでも変わります。観点が変わらなければその様に見える事があっても、観点が変われば当たり前の様に変わります。
観点が変われば、現実の見え方が変わる事について、masudayaさんはその様には思われないという事なのでしょうか?観点が変われば、現実の見え方がガラッと変わる事について、masudayaさんの考えをお聞かせ下さい。
No.55
- 回答日時:
<僕は、b-w-stepさんは学問そのものに楽しんでいるというよりは、
<知的欲求であったり、自己を拡張する姿勢の事ではないかと思っていたのですが、
<学問だと聞いて驚きました。
学問は人類に於ける最高の芸術です。学問を自分の向上の道具としがちですが、そのような利己心からも離れた時に学問の本当の価値が分かります。と、いうよりも私にはその様な自己向上欲は基本的にありません。それも欲であり苦を生むからです。自分を無にすること。無、即ち何者にもとらわれない透明であるためには学問に対しても純粋な気持ち、好奇心で向き合うことが重要と考えています。学問を向上の道具と解釈したとき、学問に対して純粋に向き合えなくなってしまいます。利己心からも離れて学問に向かう。学問それ自体を楽しむ。そうすることで結局は学問は自分にとって大きな喜びになります。これが学問という人類最大の芸術の楽しみ方です。そもそも学問はハテナ? の集まりだったはずです。それがいつの間にか権力者集団に使われてしまって本当の魅力を失ってしまいました。だからこそ学問は本来の姿であるハテナ? の追求、芸術としての営みに立ち返ることも必要ではないでしょうか。
<人間を完璧に離れる事が出来たのか、どうかですね。
<人間を離れていないけれども動物を観察する事は出来ます。
<ですが、あくまで人間として動物を観察しています。
<動物・動物・・・と言いながら、結局、自分は人間です。
仰るとおりです。少なくとも私は完全に人間からは離れていません。
<それ故に、突っ込んだ質問で恐縮なのですが、b-w-stepさんは
<・動物が達成した快挙
<・動物の喜び・楽しみ
<・動物のマンネリ
<・動物の苦しみ
<・そしてそこから来る動物としての限界突破
<についてどの様に捉えていらっしゃいますか?
快挙は明確には分かりません。ただ敢えて言うとしたら進化論が正しいと仮定して人間を生み出したこと。生物の多様性を達成したことでしょうか。動物は自然の中に生きています。よって自然に囲まれる喜びがあると思います。まず動物は子孫を残す事柄にしか喜びや楽しみを見出せないのではないか、とも言えます。植物などを使って遊ぶことは良くありますが、動物は毎日がマンネリに近いと思います。動物は毎日毎日ヒマに耐えているという印象さえあります。よって動物は意外と人間に懐きます。大体の動物はヒマそうです。動物の苦しみはマンネリによるもの、闘争によるもの、飢えや病気によるもの、でしょうか。カマキリでも重病にかかることもあります。動物の限界突破とありますが、少なくとも人間である私には動物の限界は分かりません。また、限界突破自体もなぜ必要なのか分かりません。あなたのこれらに対する考えも教えてくださると嬉しいです。教えてくださったら幸福論の4つの質問の私の解釈も説明しようと思います。等価交換です。
色々と教えてくださって有難うございました。
zakky74でございます。
>そもそも学問はハテナ? の集まりだったはずです。それがいつの間にか権力者集団に使われてしまって本当の魅力を失ってしまいました。だからこそ学問は本来の姿であるハテナ? の追求、芸術としての営みに立ち返ることも必要ではないでしょうか。
問いを学ぶ事、が学問だという理解をしています。
その観点から観て、今の学問は問いを学ぶというよりは答を学んでいるというジレンマがありますし、知的好奇心をそそるよりは、まだまだ覚えなければならない倦怠感を感じさせる事も一方では多かったです。
>仰るとおりです。少なくとも私は完全に人間からは離れていません。
分かりました。人間としての観点から伺います。
>快挙は明確には分かりません。ただ敢えて言うとしたら進化論が正しいと仮定して人間を生み出したこと。生物の多様性を達成したことでしょうか。動物は自然の中に生きています。よって自然に囲まれる喜びがあると思います。まず動物は子孫を残す事柄にしか喜びや楽しみを見出せないのではないか、とも言えます。植物などを使って遊ぶことは良くありますが、動物は毎日がマンネリに近いと思います。動物は毎日毎日ヒマに耐えているという印象さえあります。よって動物は意外と人間に懐きます。大体の動物はヒマそうです。動物の苦しみはマンネリによるもの、闘争によるもの、飢えや病気によるもの、でしょうか。カマキリでも重病にかかることもあります。
動物はヒマという話には、何だかとても面白みがありました。毎日ヒマに耐えているという辺りは、ホントに苦しそうでというか、人間っぽさでもあるなぁ、と笑みがこぼれたくらいです。
闘争や飢えなどは、人間からでもイメージし易いですが、ヒマという観点はとても刺激的かつ独特な観点で、その形で幾つかの動物でイメージシミュレーションしてみたんですが、僕にとってとても愛嬌が持てる映像でした。
今回、この質問をしたのは、その中身やコンテンツがどうであるというよりは、本来は動かす事が出来ない固定観点を、しかし質問を投げられる事によって、意志によって観点を移動させようとする試みによって、普段とは違う光景と出会える事があります。
そのb-w-stepさんの観た光景を共有してもらいたいなぁと思って投げ掛けた質問でした。やがては69億人の幸せの話に戻ろうとは思いますが、少し脱線しすぎましたか^^;
>動物の限界突破とありますが、少なくとも人間である私には動物の限界は分かりません。また、限界突破自体もなぜ必要なのか分かりません。あなたのこれらに対する考えも教えてくださると嬉しいです。教えてくださったら幸福論の4つの質問の私の解釈も説明しようと思います。等価交換です。
等価・・・というところが大変恐縮なんですが、とても言いにくい事なんですが、それはb-w-stepさんの判断基準から観ての等価ではなかろうかと思います。
すみません、質問の答ともなると実はそれは大変な高級情報です。b-w-stepさんは、踏み込みが鋭いと言いますか・・・多分知的好奇心によるものだとは思うのですが。
つまり試して頂ければ分かるかとは思いますが、どこをどの様に調べても、その答は分かりません。それは観術が突破した世界によるもので、現段階では学術においては大変な高級情報である為に、人を見て、心を観て、疎通・交流する事を現段階では心がけています。
高級情報は、使いようによって何にでも変化します。
出来れば、69億人の幸せの実現に使いたいんです。
幸福論の4つの質問の私の解釈をお聞きできないのは残念ではありますが、現段階で、しかもこのQ&Aサイトの様なオープン過ぎる環境下で、直接の面識も無い状況で共有する事は、控えさせて下さい。
その代わりと言っては何ですが。
産業レベルとして、バイオテクノロジー・ナノテクノロジー・ロボットテクノロジー・ITとの融合が起こる様になる頃、恐らくは2017年頃でしょうか。この頃には、誰もが皆、もはや接する事が出来る様になってくるのではなかろうかと思っています。
あと何年かはお待ち下さいませ。
それにしても、動物がヒマという話には価値がありました。何らかの形で、b-w-stepさんの価値に変わる交流が出来ればと、心を新たにしております。
No.54
- 回答日時:
<幸せは何であるか?というところにも差し掛かるかとは思いますが、
<b-w-stepさんのこの観点によりますと不幸が存在する事を認めてしまっているという事でしょうか?
そもそも不幸は不幸なのかを考えてみてください。不幸自体が不幸なのでしょうか。私達は不幸と思われがちな事柄を不幸と名づけているだけでしかないのではありませんか? 不幸の本当の幸福を知らずに。ある本に『幸福は不幸の裏返し』という言葉がありました。その言葉が真実か否かには議論が分かれそうですが。よって
1:不幸は裏返せば幸福である(不幸には知らないうちに幸福が含まれている。不幸で成長する等)
2:不幸があるから幸福である(苦しみを知って喜びが分かる。不幸は幸福を知るための必須条件)
と言えませんか? この事柄に対するあなたの考えを教えていただきたいです。
人間は自分にとって不都合になる物事(表面的には不都合、実際は都合の良い物事まで)を『慣用的に』不幸と呼んでいるだけではありませんか? 良薬口に苦しです。真に良き言葉は耳に痛いものです。人生万事塞翁が馬という言葉が象徴するように。人は幸福や不幸という言葉の定義をしっかりと持っていないのではないでしょうか。ただ何となく不幸や幸福という言葉を使っているのではないでしょうか。よって人が口にする不幸と絶対的な意味での不幸はそもそも違うのではないのでしょうか。私は本当の不幸は不幸を知らないことだと思う位です。
<即ち、やはり不幸は消えないもので、不幸があるから幸せなんだという事でしょうか?
仰るとおりでしょう。そもそも不幸を悪いものだとと定義すること自体が間違いなのではないか、ということです。不幸を回避しなければならない邪魔者と解釈することが本当に正しいか。そのことを考えてみてください、ということです。不幸は本当に不幸か。なぜ不幸が無い世界が社会が正しいのか良いのか。そのことに対するあなたの考察も知りたいと思います。
回答しておいてすみませんが、あなたにとって不幸と定義される事柄を挙げていただけませんか? 分かりやすいように一応質問をまとめておきます。
1:不幸が必要無い理由
2:不幸の定義
3:不幸自体の幸福
4:不幸が創る幸福
以上の4つの事柄に対するあなたの考えを教えていただきたいと思います。他の事柄はまた明日に回答します。私も他の質問にはしっかりと回答しますのであなたも回答をよろしくお願いします。また厳しい文面になりましたが、読んでくださって有難うございました。
ご回答ありがとうございました。
幸せに対する再定義についての投げ掛けをしてくれていると受け取っています。その投げ掛けとして、道具として不幸に対する思い方を角度を変えながら、別の思い方もあるという事例を幾つか出しながら、不幸の再定義を訴えている様に受け取りました。
結果的に、幸せと不幸を対極に観ている場合や、相対として捉えている場合には、不幸を再定義すると同時に幸せの再定義にもなります。
僕個人的には、幸せの再定義や幸せの再規定については何人かの方も仰っている様に賛成ですし重要な事であると思っています。
その場合、69億人全員が幸せでいられる幸せとは何でしょうか?この関心が広がっていく事はとても大切であろうと思っています。
No.53
- 回答日時:
連投すみません。
不幸という調味料のない人生は不幸とは思いませんか? 不幸というスパイスがあって幸福が際立つと思いませんか? 本当に不幸は不幸でしょうか。不幸だからこそ人間は成長できます。
誰にでもあるはずです。劣等感にのた打ち回ったことが。闘争心に燃えた日々が。憎しみや恨みでわれをわすれた瞬間が。悲しみで枕を濡らした幾十、幾百の夜が。
もし嫌な人が存在しなければ成長の種すら失われてしまいませんか? 誰かを打ち負かしたい。その強い信念。見返してやる。その決意。認められたい。その熱情。それらによって肉体的や身体的、人間的に大幅に成長した人々がいくらでもいます。いえ、その様な不幸こそが人間の成長を導くのではありませんか? 不幸がなければ成長もないと思いませんか?
たとえば村山聖という棋士を御存知ですか? 彼の一生は不幸です。とても不幸です。しかし彼の一生を描いた『聖の青春』という本は日本中に感動の嵐を呼び起こしました。もし彼の不幸が無ければ人々はもっと不幸でした。また彼自身も己の幸福をバネに棋士として日本有数の人間となりました。名人にこそなれなかったものの彼は8段となりA級棋士になれました。もし彼が幸福だったら日本でも有数の人間になれずに平々凡々な人生を歩んだことでしょう。また、彼の写真では苦しむほどに優しく素晴らしい顔に変化していったことが見て取れます。
あなたは大平光代さんを御存知ですか? 彼女は幼い頃に虐められて極道にも入りました。彼女もとても不幸です。しかし彼女は奮起して中卒ながらも司法試験に受かって弁護士になりました。今では結婚して子供もいて大学教授という職業もしています。もし彼女が幸福ならば彼女に発奮されて幸福になった人々もいません。またもし彼女が普通の人生を歩んだ場合、彼女は弁護になれず大学教授にもなれず人々に大きな感動と勇気を与えることは出来なかったのではないでしょうか。
もし、不幸が存在しなければこの世に芸術も存在しないと思いませんか? 芸術とは不幸によって創られます。不幸が芸術を生みます。
神曲を描いたダンテは敗れた初恋の相手、ベアトリーチェを天国編に登場させます。もしダンテが幸福ならば神曲の面白さは半分は失われたはずです。
聴力を失ったベートーベンは恋が叶うこともなく、人々にさげずまれる人生でした。しかしだからこそあれほどの名曲を残したのではありませんか?
もし幸福しか存在しなければ芸術はありません。
日本にある国分寺、国分尼寺、薬師寺も不幸がなければ建ちませんでした。建立に18年もかかった薬師寺は天皇の后が重病になったことで建設されました。病気という不幸ですら後世に大きな幸福を残します。
幸福しかなければ建築も発達しません。成長とは過去の自分の否定。自分を鍛える事柄は大抵は悲しみと苦しみに裏打ちされています。幸福とは不幸の上に成り立つもの。不幸が無い世界では幸福すら成り立たないと思うのは私だけですか?
不幸は人を情け深くします。不幸のお陰で他人の不幸を気遣うことのできる人間となれます。人間失格にもあります。『不幸な人は他人の不幸にも敏感なのだ。』と。もし幸福な人生を歩む人ばかりでは他人の不幸を思いやれない人間ばかりが生まれてしまいます。失敗したのことの無い人が心の底から他人の失敗を許せるでしょうか? 幸福しか知らない人間が他人の不幸を心から思いやれるでしょうか?
不幸は成長の種、自己改革の種です。不幸を除けばその様な種を奪ってしまうと思いませんか? 本当に不幸は不幸でしょうか。私は絶望の底、暗闇のただ中で何者にも変えがたい宝物を見つけました。落ちぶれることの無い人生は谷底へ行ったことのない登山者のようなものです。落ちぶれることの無い人生は野菜の煮汁を捨てる兵士のようなものです。人間は落ちぶれなければ見つけられない宝物はいくらでもあります。真っ暗闇で彷徨い、もがき苦しんで初めて気付く優しさ、強さ。不幸を奪うことはその様な宝物をも奪うことを意味しませんか?
ローマの休日という映画があります。私はその映画がお気に入りです。映画は一般人の男性と皇女のたった1日を描いたものです。もちろん身分の差があるので最後には結ばれません。言い方を変えればバッドエンドです。しかしお互いに結ばれないと分かっているからこそ、そのたったの一日が最高の思い出になります。伊豆の踊り子という小説も結ばれないからこそ傑作となったのではないでしょうか。不幸が幸福を作り出すこともあると思いませんか?
幸福は白です。不幸は色です。怒りと言う赤。悲しみと言う青。なげやりの緑。この3色が混ざればどんな風景も描けます。もしかしたら真っ暗闇も出てくるかもしれません。しかし幸福だけでは何も描けません。幸福は一色ゆえに変化がありません。不幸のお陰で多様性があります。そう考えたとき、果たして不幸は本当に憎むべき事柄だと思いますか?
闇を知らぬものに光は見えません。飢えたことのない人に食事をとることのできる本当の喜びは分かりません。失恋を知らぬものには恋愛成就の本当の喜びも分かりません。寝たきりにならなければ歩ける幸福は分かりません。全てが破滅に追いやられる死を目の前にしなければ生きていることや存在すること自体を祝福できないでしょう。不幸にならねば幸福も分からないのです。
『不幸とは不幸を知らないことである』
だいぶ感情的、格好つけな文章ですみませんが、私は不幸ですが幸福です。もし私が幸福な人並みの人生を歩んでいたら今ほど肉体的にも精神的にも頭脳的にも成長していなかったでしょう。優しくもなれず思いやりももてず人を許せない困った人間になっていたに違いありません。人を傷つけ、傷つけられ、憎み、憎まれて、落ちぶれて、たまには楽しみ、喜び、癒され、癒し、尽くし、尽くされ、少しずつ角がとれて丸くなりました。不幸も大事だと思いますがあなたはどう思いますか? 幸福も大事です。でも不幸も大事です。人間は幸福と不幸の両方が必要だと思います。よって私は世界は今のままで良いと思いますし、不幸がはびこっているのも悪くは無いと思うのです。
長文ですみませんが読んでくださって有難うございました。誰にとってもたった一度きりの人生さ。いい旅を。という言葉を最後にこの回答を締め切らせていただきます。あなたにも不幸に含まれる幸福に気付いていただきたいです。不幸が不幸でないこと。不幸が幸福を運ぶこと。不幸などそもそも存在しないこと。それらに気付くとき、きっとあなた自身の人間性も更に磨かれることと思います。時々失礼な言葉も含まれていたかもしれませんが、他意はありません。気にされたらすみません。繰り返しになりますが、長々と読んでくださって誠に有難うございました。
この回答への補足
ご回答ありがとうございます。
幸せは何であるか?というところにも差し掛かるかとは思いますが、b-w-stepさんのこの観点によりますと不幸が存在する事を認めてしまっているという事でしょうか?即ち、やはり不幸は消えないもので、不幸があるから幸せなんだという事でしょうか?
zakky74でございます。
「不幸ありきの幸福は偽者ではないか?」
その様な意見も数多くありました。これは色んな場面で話が深くなってくると出くわす問題提起です。本Q&Aでも、似た様な話が出てまいりました。その時は、色んな方が色んな表現をされていますが、類似してくる事かと思います。
例えば、No.42にてntttmさんは、この様に仰っています。
「僕は、人の数だけ価値観があると思います。そして68億人もいれば、どうしても価値観が相対してしまう人がいっぱいいると思います。妥協しても幸せな人もいるでしょうし、妥協したら幸せを感じられない人もいるでしょう。」
そして、No.30ではHANANOKEIJさんはこう仰ります。
「多数の人々の幸福のために、一部の人間は、排除されます。根本的な改革は、社会の矛盾をとりのぞくこと。」
この時の価値観の相対とは、人数が複数人いる時に、同じ現象と遭遇しても価値観が違う為に受け取り方が違うという様な事について触れているかと思います。
そして、No.38ではmasudayaさんがこの様に仰っています。
「となりの人の不幸をみるのが幸せというような人もいる訳で....」
これは先ほどの場合と少し違って、一人の人の価値観に焦点が当たった話ではありますが、その場合にも隣にいる人とも影響を及ぼしあっているという事を受け取る事が出来るかと思います。
No.22ではsuper-1998さんが、
「今生きてる人が、人生の中で一瞬でも幸せを感じればアナタの言う、全ての人が幸せ、に該当するのか?色々問題はあるね。」
という問い掛けを通して、個人の一瞬の幸せは全ての人の幸せに当てはまるかどうかは別問題としながら、瞬間的な幸せ、部分的な幸せ、個人に留まる幸せに対して、疑問符を投げています。また、
No.17では、noname#126472さんが
「不幸を感じることが幸せを感じないことではないし。やっぱ難しいね。全世界の人を不幸にさせることは出来そうなのにね。」
としながら、幸せの反対は不幸ではないというニュアンスを投げながら、幸せとは何なのかについて投げ掛けています。
一体、幸せとは何なのでしょうか?
No.15ではo-saiさんが
「「幸せ」の定義から議論しなくてはなりません。」
とお応え頂いていますしmasudayaさんも、幸せの定義の必要性について仰っています。そのキモチも分かる気がします。
どの意見もそうだな、と思います。
そして、それぞれの観点を統合的に観ますと、相対的な幸せだけではなく、絶対的な幸せの必要性を感じるのでございます。
不幸というのは、そもそも不幸なのでしょうか?との問い掛けも、幸せとは何であるかの問い掛けに類似するものだと思っています。幸せに対するイメージや、幸せの再定義を迫るコメントでもあると思っています。
その意味で、色んな方の意見を踏まえまして、相対的な幸せだけでは定義としてはバランスが悪いと思いました。それ故に、お尋ねしたかったのでございます。
ご回答ありがとうございました。
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