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世界68億人が幸せになる社会は実現できますでしょうか?

皆さまのご意見をお聞かせ下さいませ。

A 回答 (72件中1~10件)

無理だと思います

この回答への補足

返信が随分と遅くなりました。
回答をありがとうございます。

その様に考える方も沢山いらっしゃいますね。

343r110さんは、一体どうしてその様に考えてらっしゃるのですか?もし宜しければ、その様に判断された理由をお聞かせ下されば嬉しいです。

宜しくお願いします。

補足日時:2014/02/27 03:03
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無理でしょう。

資源が足りない。
まあ幸せなんて人それぞれですから資源は関係ないかもしれませんが。
なんかセニトロンやらドーパミンやらを分泌させる
あやしい薬を世界中に撒いたりしたら出来るかもしれませんね。

この回答への補足

返信が随分と遅くなりました。
回答をありがとうございます。

forest36さんは、実現が不可能だと考えていらっしゃるんですね?そして、その理由は資源が足りないから、、、という事でしょうか?

しかし、ご自身でも仰っていますが、幸せは人それぞれなんだとしたら、資源が足りない事は世界71億人が幸せになる社会の実現には確かに関係が無くなるものなんでしょうか?

補足日時:2014/02/27 03:02
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全員は無理ですね

この回答への補足

返信が随分と遅くなりました。
回答をありがとうございます。

一体どうしてその様に考えてらっしゃるのかをお伺いしたいですので、もし宜しければ、その様に判断された理由をお聞かせ下されば嬉しいです。

宜しくお願いします。

補足日時:2014/02/27 02:58
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千年先なら、実現しています。

古代社会と未来社会は、人類すべてが幸せな社会です。

なぜ、今すぐに実現しないといけないのでしょうか?

68億人、69億人の、すべての人の顔を名前を知っていますか?

あなたが、この数字を出したときに、議論は終わっているのです。

あなたが解決できるのは、ご家族と親戚、友人、知人の数百人くらいです。

祖母の、百歳のお祝いに、百人以上、親族が集まりました。その後、死んだり、自殺したり、

不幸は、人の数だけあります。

生きているのも地獄、死んで天国の、この世です。

お住まいの、都道府県の住民の幸せのために、もっと限定して、市区町村の、全員の顔と名前と

暮らしを知っている、半径数kmくらいの人々の、幸せのために、働いてください。

1日に、人と会って、話をする時間は、限られています。出会った人、すべての問題を、全部解決しても、

それだけです。

できないことは、できないのです。気持ちは、わかりますが、人には、人の持ち場があります。

たった一人の人間を、変えることの難しさ、これがわからない人に、問題の提起の資格はありません。

毎日毎日、不幸のなかで、絶望的に死んでいく人々、どうして助けられないのか?

自分にできることは、何か?

人生の残り時間が、少なくなってきました。

みんなに、幸福になる自由と、不幸になる自由も、許してもらえると、息苦しくなくて

結構なことです。

この回答への補足

返信が随分と遅くなりました。

・千年先なら、実現しています。古代社会と未来社会は、人類すべてが幸せな社会です。

これは何とも希望溢れるお言葉ですね。
今は人数がまた増えている様ですが、

【世界71億人が幸せになる社会は実現できますでしょうか?】

については実現出来る!
ということでしょうか?

しかし、その後の話の展開によりますと、
どうも実現は不可能だと仰られている様にも。

それは、時間によるものだとお考えですか?

僕たちが生きている間には実現は不可能であると。
そして、1000年んという時を超えた先には実現が可能であると。

実現可能
実現不可能

それらを分けているのは、時間だと考えていらっしゃるのでしょうか?

補足日時:2014/02/27 02:43
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このような長い議論が続けられていてすごいな!と感じました。



ただ、この価値観が多様化した世の中では「幸せ」という言葉の意味が人によって違っていて、ある程度以上の話になると、この単語を使って議論するのが難しくなると感じました。

ダニエル・ギルバートは著書「幸せはいつもちょっと先にある」の中で幸せを、感情の幸せ、道徳の幸せ、判断の幸せの3つに分類しています。 このうち感情の幸せはその場で心地よく感じる事です。後のふたつは人によって様々になるようです。

感情の幸せを満たすなら、(何人かが仰るように)全員に食料を行きわたらせ、(ここは違いますが)後はゲームや映画などの物語の娯楽を与えることだと思います。

要は快楽を感じるもので、他の人に害のないものにアクセスすればいいので。
「快楽中枢ボタン」であるゲームとの付き合い方
http://ameblo.jp/mowcomiworld/entry-11175887378. …

ただ、それだけでは幸せといえないというのはきっとあると思いますが、その辺りから解釈の違いになると思いますので。


後、こういった議論をすることが私もすごく意義があると思い、
運営しているSNSに、熱く語り合いたいコミュニティを作りました。

前向きに真面目な話題について語り合い、未来を創っていきたいとずっと思っていました。

一人で結論が出せなかった考えをもとに、誰かが続きを考える。
そんな一人一人の思いを紡いで、新しい希望や幸せが産み出せれば幸いです。

モーコミワールドを未来を創っていく拠点したいと思っております。
前向きに未来について考えたい、創っていきたい人は是非ご参加ください!

日本の未来について 語り合いたい
http://mowcomi.com/forum/view/i/3/

インターネットの未来について 語り合いたい
http://mowcomi.com/forum/view/i/4

お金について 語り合いたい
http://mowcomi.com/forum/view/i/5

働くことについて語り合いたい
http://mowcomi.com/forum/view/i/6

世界の未来について語り合いたい
http://mowcomi.com/forum/view/i/8

モーコミワールド
http://www.mowcomi.com/

参考URL:http://www.mowcomi.com/

この回答への補足

snsloveさん。

回答をありがとうございます。
そして、返信が随分と遅くなりました。

・ただ、この価値観が多様化した世の中では「幸せ」という言葉の意味が人によって違っていて、ある程度以上の話になると、この単語を使って議論するのが難しくなると感じました。

について、成る程!そうだ!と思いました。
snsloveさんは、主題についてはどの様に思われますか?

【世界68億人が幸せになる社会は実現できますでしょうか?】

補足日時:2014/02/27 02:09
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<返事が遅くなってすみません。


いえいえ。あなたとのやり取りでは学ぶことが非常に多いので待つのが苦になりません。

<今後も、以前の様なペースでは返信出来ないかもしれませんが、
<それでも宜しければお付き合い下さいませ。
私からもよろしくお願いいたします。

>幸福な世界では「餓鬼」で「傲慢」で「鍛錬」を軽視する人間が
大量に生み出されてしまう気がしてなりません。あなたはこの問題をどう解決するべきだと思いますか?
<まず、この事を問題だと認識しているのは、僕側の問題ではございません。
つまりあなたはこの事の重要性が理解できない、ということですか? 学校教育や道徳教育、人にはそれが必要だとは思いませんか? この世の悲惨さも教育と私は思っております。私自身、大変な苦労をしてきましたが、それらによって人格が磨かれたと自負しております。不幸は悪です。しかし不幸によって気付くことが無いとあなたは思いますか? 人生で挫折をしたことのない人間は本当に人に対して思いやりを持っていますか? 人生に挫折したことのない人はパチンコをする人の気持ちは分かりますか? ソープランドに通う人の辛さも分かりますか? 殺人犯、ヤクザ、麻薬の売人。悪に染まったことの無い人間は彼らを心から許せますか? 自分も悪いことをした。自分も落ちぶれた事がある。自分も不幸だった。だから「悪い人」「落ちぶれた人」「不幸な人」に心から愛を与えられるのではないですか? 幸福しかない世界では「悪人を赦せる心」を持った人はいないのでは? 幸福しかない世界では「落ちぶれた人」の悲しみを本当に理解できる人もいないのでは? 幸福しかない世界では自分が染まったことの無い「不幸しかない人生」の本当の苦しみを分かってあげられる人もいないのでは? 逆に私の知人では貧困層、苦労人は大体は素晴らしい性格の持ち主です。しかし人生で一度も挫折していない方々は困った人が多いです。特に会社の社長の2代目、会長の2代目には困った人が多いです。底辺を這い蹲る人に悪い人はそうはいませんが、上にいて甘い汁を吸っている人間は人格的に問題のある人が多くて困ります。結局、甘い汁だけを吸うのは良くない、ということです。だからこそ現世で徹底的に苦しむことが必要です。悪事を働けば、悪人を許せます。上のほうにいる悪によって苦しめられれば悪が心底嫌になります。幸福しかない世界ではそもそも「悪を心の底から憎む」ような資質が育ちません。悪がはびこるからこそ悪が心の底から嫌いになります。それが死後の世界で生きます。悪に苦しめられること自体が必要なのです。

<は、b-w-stepさんが認識している世界なのでしょうが、僕が認識している世界ではありませんし、
<恐らくは他の方が認識している世界でもないのでしょう。
あなたは意見を主張するのは良いのですが、その根拠は何ですか? 意見にはその根拠が必要です。あなたの文では「根拠」が足りません。「僕側の問題ではない」と「意見」を述べているだけで全く説得力がありません。また、あなたはそのことを認識していない、つまり理解していない、ということですか? 逆に私は「根拠」を沢山述べました。

<幸福な世界では・・・と続き、次に『「餓鬼」で「傲慢」で「鍛錬」を軽視する人間が大量に生み出さ<れてしまう』と触れていますが、それをもって幸福な世界だとする理由が僕には分かりません。
この文脈は意味があやふやであまり褒められたものではありません。上の2文では「それをもって」の「それ」の指す内容が不明確です。「それ」という単語は今までに出てきた事柄の大体を指し示すことの出来る特殊な単語です。まずは「それ」の内容を明らかにして頂けませんか? 「それをもって幸福な世界だとする」。あなたは私の文脈からどういう世界を想像していたのですか?
 
なぜ、あなたは分からないのですか? 幸せしか無い世界。それは闇を知らない世界。そういう幸せだけの世界では餓鬼で傲慢になります。子供を全くしつけなかったらとんでもない育ち方をしますよね?
生物にも魂にもしつけが必要です。子供もしつけないと正しく振舞えませんね? この世界は「しつけ」の世界です。他の生物を食べないと生きられないのがこの世界ですので、この世界での幸福はありえません。立花隆「臨死体験」を読んだことはありますか? 死後の魂は天国へ行くそうです。いきなり天国に放されては良くないので現世で苦労しましょう、ということです。その代わり天国では素晴らしいことが沢山あります。天国で楽しむために今は頑張って勉強しましょう、ということです。

よく戦争は危険だ、といいます。しかし今の日本人は戦争の悲惨さを知りません。いくら知識で知っていても身体で覚えていません。それゆえに今の若者の中には革命、戦争を起こしたい、という意見もあります。しかし実際に徴兵されて命がけで戦えば戦争が心から嫌いになるでしょう。不幸というのも同様です。不幸になってみることで不幸が心から嫌になるのです。他人から虐められたことのない人間は他人をいじめかねません。不幸になったことのない人間は他人を不幸にする大変さも分かりません。それで、人を虐める側にまわるのです。

逆に私から質問させてください。

1:不幸がなぜ排除されるべきなのですか?
2:幸福しか知らない人間は「悪を許せる心」「不幸の辛さを分かち合える心」「悪を無くしたい心」「不幸な人を本当に労われる心」「相手を不幸にする大変さを知った心」もありませんが、そんな人々が溢れる世界は本当に幸福ですか?

耳の痛い言葉も多かったはずですが、読んでくださってありがとうございました。

この回答への補足

大変にご無沙汰しておりました。


・つまりあなたはこの事の重要性が理解できない、ということですか?

b-w-stepさんから観れば、
正にその通りで、
仰る通りなのかも知れません。


・ 学校教育や道徳教育、人にはそれが~ <恐らくは他の方が認識している世界でもないのでしょう。あなたは意見を主張するのは良いのですが、その根拠は何ですか?


根拠について確認したいのですが、
b-w-stepさんが僕に求めている根拠とは、

1.b-w-stepさんが認識している様に僕も認識していないと言う根拠
2.b-w-stepさんが認識している様に他の方は認識していないと言う根拠

の事ですよね?そして、b-w-stepさんが示した根拠とは、

b-w-stepさんが認識している様に、僕も、他の方も認識しているという事の根拠

という事で良かったですか?それとも、違いますか?



・逆に私から質問させてください。

エキサイティングですね。

上記にある根拠について、僕はまだ捉え間違いをしている可能性もあり、お応えし切れない現状があるので、先に根拠について捉え間違いをしていないかの確認をしてから、質問に対して応えてみたいと思います。

補足日時:2014/02/27 01:56
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歴史は繰り返すと言います。


地球の歴史上いくつもの文明が栄え、そして滅びて、その繰り返しの中に今があります。

誰しも、今が最高度に発展していると思っているように感じます。


しかし、現代科学で解明出来ない過去の文化・文明があるのも事実です。

つまり、その時々を生きた人々が、その時々において最高を求めて努力し、ひとつの高みを築いたのが、文明でしょう。


ひとつの文明、つまり集合体が出来るためには、秩序や規律、助け合う心が無ければ、国と呼ばれるレベルまでは大きくはなれないものです。

また、集合体が大きくなれば、ある一定の割合で秩序や規律を外れてしまう人々も現れて来ます。


創造の側と破壊の側。
文明の発展期には、この割合は創造側が圧倒的に多いと考えます。


文明がその隆盛のピークを迎え、その恩恵によって物質的豊さを享受すると、創造のエネルギーが減少し、破壊の側、つまり個が個の欲望を満たしたいという、退廃的な考え方が大きくなって文明が滅びて行く。
この繰り返しが、人類の歴史と考えます。


このような繰り返しの中、人類は少しずつでも、心の発展も成し得ていると考えます。
その根拠は、発展の速度(協力し合う心)に見て取れると思います。


今の時代がどのあたりか?

まだ発展のピークとは思えませんが、個の意識がついて行っていない気がしてなりません。

物質的豊かさに心を奪われ、それがすべてと思う人類が増え過ぎて、文明の退廃期の様相を表しているように感じます。


作用・反作用と考えると、発展速度が急な分、あまりにも物質的に捕らわれて、心の発展が大きく遅れ、発展の途上にありながら、国の衰退や争いが起きている。

これが、現代の置かれている状況だと考えます。


ここから導かれる人類救済策は、前回に記したような個人の意識改革しか無いと思います。
破壊側へ向かう個人の意識変化は、あらゆるところに見られます。

人が創る最小の国家…家庭。
自己を尊重するばかりに、結婚率の減少と離婚率の上昇。
お金を払えば、してもらう事を当たり前と、言いたい放題・やりたい放題の消費者。

義務を果たさず、権利ばかりを主張する人々。

国のせい、環境のせい、他人のせい。何でも責任を自分以外に押し付ける、「移せい人」(


不幸や恐怖ばかりを煽り、儲け主義のマスコミ。
このような人々が増えてくれば、この先どうなるかは明白でしょう。




心の改革!これが必要です。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。

>ここから導かれる人類救済策は、前回に記したような個人の意識改革しか無いと思います。

>心の改革!これが必要です。

ホントそうだと思います。
なるほど、個人の意識改革や心の改革はそうだと頷きます。

前回の投稿で、kor7ponさんは、

>自由になるのは、自分の心以外にないことは、明白なことです。

だと仰っていました。

ここについて、更に聞いてみたい事があるのですが、自分の心が自由になるのであれば、これだけでも力強い前進だと僕は思っています。

それで、自分の心が自由になるという点に焦点を宛てた質問をさせて下さい。

自分の心・・・
心とは一体何なのでしょうか?

kor7ponさんは心は一体どの様なものだとお考えですか?

補足日時:2011/09/23 14:34
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仮に幸福な世界が実現したと仮定します。

それは本当に幸福でしょうか? 闇を知らぬ者に光は見えないのではないでしょうか。幸福な世界で本当に幸福をかみしめて生きられるのでしょうか。不幸だからこそ幸福の喜びが分るのではないでしょうか。

たとえば一生お金を使い放題の生活を送れるとしたらまさしく「餓鬼」となっていつまでも「もっともっと」に縛られてむしろ不幸な気がします。どこまでで満足するか。満足できるようになるか。幸福だけではその「満足感」を養えないのでは? 少なくとも知人の富裕層の人々の所有欲には終わりがないようです。彼らはお金持ちな一方で、支出も大変な額に上っています。それでいて満足を知らない人も多いです。よく独裁者も徹底して支出しても人生に満足できないそうです。ご存知マリー・アントワネットはあれだけ恵まれた人生を送っても処刑前の一夜で髪が真っ白になるほどの恐怖を味わったそうです。やはりあれだけ恵まれた人生のマリー・アントワネットでも「満足」しなかったのですね。幸福しか知らないと彼女の様に「餓鬼」になってしまうと考えるのは私だけでしょうか。

ちなみに知人のエリート層の人々は挫折を知らないが故に(失礼ながら)彼ら自信を過失しています。また、彼らは弱者になったことがないゆえに本当の優しさを知りません。それで知人のエリート層では意外と冷酷な人が多いのが現状です。(これは私だけかもしれませんが)弱者になりえない世界、絶望を知らない世界では「弱者の辛さ」を理解する機会がなくなってしまうのではないでしょうか? 弱者の苦しみは自分が弱者になって初めて身に沁みるものです。イギリスの王子の様に元々が安全な身分でホームレスを「体験」するのではなく、明日をも知れない絶望が身に沁みなければ、やはり弱者へのいたわり、悲しみ、共感の能力は育たないのではないでしょうか。

また、本当に幸福しかない世界では「自分を鍛える」ことも無くなってしまうと思いませんか? 子供の頃のあなたや、苦労を全く知らないあなたでは幸福しか無い世界では楽な方、楽な方に流れて困った人間になるとは思いませんか? 私は苦労しなければ間違いなく困ったさんになっていた確信があります。(今でも色々と困った性質がありますが……)最近の子供はしばしばゲームをしているのが見受けられます。もし、今の子供がゲームやり放題の世界と、道具を何も持てない探検という遊びを選べるとしたらどうなると思いますか? あなた位の年齢ならば外遊びをして探検をするスリルや恐怖や苦労や成功したときの喜びも知っていると思います。しかし外遊びというのは基本的にゲームよりも「辛い」「苦しい」ものです。みんなで集まってゲームをするよりも「危険」です。ゲームをするだけでは(休みを入れれば)まず大怪我をすることはないでしょう。一方、探検というのは気を抜けば足を滑らせて坂道を転げ落ちて体中が痛くなったり、川で溺れて死ぬことも多いのです。ゲームという遊びでは鍛えられるのはゲームの中の架空のキャラクターです。一方で外遊び、探検は自らが鍛えられます。しかし鍛えるというのは基本的に苦しいことです。もし私が現代っ子でお金持ちの家に生まれていたらゲーム三昧で一生を終えそうな気がしてなりません。そうすれば自分を鍛えられずに死んでいってしまうでしょう。幸福なだけでは「克己心」や「精進の心」を養えないでしょう。

幸福な世界では「餓鬼」で「傲慢」で「鍛錬」を軽視する人間が大量に生み出されてしまう気がしてなりません。あなたはこの問題をどう解決するべきだと思いますか? 

色々と忙しいので、ここまでのやり取りをしっかりと読んでいないので重複する内容があるかもしれませんが、ご了承下さい。また、私は直情型の人間ゆえ、嫌な表現があっても許していただけたら幸いです。気にされた方がいらっしゃたらすみません。誰かを傷つける意図はないのであしからず。

この回答への補足

返事が遅くなってしまいすみません。

今後も、以前の様なペースでは返信出来ないかもしれませんが、それでも宜しければお付き合い下さいませ。

>幸福な世界では「餓鬼」で「傲慢」で「鍛錬」を軽視する人間が大量に生み出されてしまう気がしてなりません。あなたはこの問題をどう解決するべきだと思いますか?

まず、この事を問題だと認識しているのは、僕側の問題ではございません。また、この様な認識をされているのも、僕側の認識ではございません。

b-w-stepさんが仰っている事ですし、b-w-stepさんが認識されている事ではないでしょうか?即ち、

>幸福な世界では「餓鬼」で「傲慢」で「鍛錬」を軽視する人間が大量に生み出されてしまう気がしてなりません。あなたはこの問題をどう解決するべきだと思いますか?

は、b-w-stepさんが認識している世界なのでしょうが、僕が認識している世界ではありませんし、恐らくは他の方が認識している世界でもないのでしょう。

幸福な世界では・・・と続き、次に『「餓鬼」で「傲慢」で「鍛錬」を軽視する人間が大量に生み出されてしまう』と触れていますが、それをもって幸福な世界だとする理由が僕には分かりません。

本当にそれは幸福な世界なのでしょうか?
一体、どうしてそれを幸福だと思われたのでしょうか?
問題があるとすれば、そこではないかと思います。

補足日時:2011/09/23 15:01
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生まれた時の環境からの影響の深刻な格差を、


どうして地球上だけで克服し得ましょうか?

オイミャコン等の環境は酷いですよね。

この回答への補足

返事が遅くなりましてすみませんでした。

今後も、遅いペースでの返信になるかもしれませんが、それでも構いませんでしたら、お付き合い頂ければ嬉しいです。

>生まれた時の環境からの影響の深刻な格差を、どうして地球上だけで克服し得ましょうか?


ハッとさせられる質問とコメントですね。

地球上の問題を解消解決するのは、地球上だけの閉じた世界の中で克服するのは無理だとの指摘をする意図が、この質問にはおありなのでしょうか?

そして、主題「世界68億人が幸せになる社会は実現できますでしょうか?」についてはOshimaAtsukoさんはどの様にお考えでしょうか?地球上だけでは克服できないとお考えなのでしょうか?

補足日時:2011/09/23 14:50
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こんにちは。


戦前の、戦争に近づくほど教育に国家思想が濃くなって、思想統制が始まって、個人の幸福がなくなってしまった。
幸福感は、国からの拘束のない考え方だと思う。
個人個人の幸福感は、基本的な考え方は一定していると思う。
それは、お金のみでは全ての幸福は買えない。
ボランティアも小さいかもわからないけれど、一つの幸福を与えるものだと思う。

この回答への補足

「何によって幸福は決まるのか?」

そんな問いかけを頂いた様に思います。

確かに、個人の幸福と、国や組織が与える幸福には、開きがある様に思います。ですが、国や組織というのは、個人の幸福の為に生れましたし、機能するのが、本性の様に思っていましたが、中々に難しいものですね。

国や組織がなくなってしまったら、個人は幸福を得るかと言われるとそうではない気がします。国や組織は、人間が人間である為にも、次のステップに行く為にも必要なものかと思います。

ですが、国や組織は進化する必要があるのかもしれませんね。

ところで、個人の幸福と、国や組織としての幸福のバランスはどの様にして取ればよいのだと思いますか?

その道が観えない限りですと、やはり主題「世界68億人が幸せになる社会は実現できますでしょうか?」は、実現不可能となるのでしょうか?

補足日時:2011/09/23 14:40
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