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世界68億人が幸せになる社会は実現できますでしょうか?

皆さまのご意見をお聞かせ下さいませ。

A 回答 (72件中31~40件)

僕は、人の数だけ価値観があると思います。


そして68億人もいれば、どうしても価値観が相対してしまう人がいっぱいいると思います。
価値観が相対してしまった人々を全員幸せにするためには、誰かが妥協しなければいけません。
また、妥協しても幸せな人もいるでしょうし、妥協したら幸せを感じられない人もいるでしょう。
なので僕は、世界が幸せになる社会は実現できるかもしれないが、世界68億人が幸せになる社会を実現するのは難しいんじゃないかと思います。つまり、人口が多すぎると無理かな~って思います。
それでも、そんな社会が実現できると信じたいです。

この回答への補足

何人の方が指摘しています通り、幸せの基準や価値観の基準など、一人ひとりが皆違ってバラバラであります為に、非常に難しいという話題が挙がります。この点は僕も非常に同感です。

ntttmさんが仰る通り、69億人が幸せになる社会の実現は難しいものかもしれません。それでお聞きしたいのですが、その場合ですと一体何人ならば幸せは実現可能となるものなのでしょうか?

そして、現在は69億人おりますし、益々人口増加が見込まれていますが、これだと69億人が幸せに生きられる社会は実現不可能だという事でしょうか?

追加となりますが、意見をお聞かせ下さい。

補足日時:2011/05/05 10:22
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

イベントに参加した事があるんですよ。「人類69億人が幸せに生きられる社会は実現可能なのか?」というテーマで、Yes派とNo派で分かれてディベートをやるんです。

その中で、多くの人が実現不可能の札を挙げて主張をしていたのですが、その意見の中に幸せの基準がバラバラだからというのが多かったです。価値観とも近いイメージですね、幸せ観とか幸福観となるんでしょうか?

その意見をいう人の中には、ntttmさんが仰る様に人数が多すぎるという事を言っておられる方がいましたよ。その方は、日本人口くらいになれば可能だと思うと言っておられましたが。

中々に難しいテーマですね。

お礼日時:2011/05/08 13:29

こんにちは。


私の質問に対してご回答ありがとうございました。
zakky74さんのサイトを見て、何か質問されているのかと思い拝見しましたら、この質問がされていましたので、自信のある回答ではないのですが。
NHKでのハーバード大学のサンデル教授の番組を興味深く見ていました。
最初は、質問に対してサンデル先生が最後に回答を期待してみていましたが、先生から回答なしで未消化な番組だなんて思いがっかりしましたが、この前の3.11の震災の番組でこの問題の解決はいろいろな意見を出してそれぞれの人が考えて良い知恵を出すことだと私なりに思いました。
哲学は、私なりの考えでは疑問を持ってこれをいかに自分なりに考えて、人の意見をとりいれるものだと思うようになりました。
原発問題にも共通すようなところもあると思います。1人でもあることに対して危険だと思ったらその意見を無視することなく解決できなければ、ある一定の共通点を見出すように努力しなければならないと思う。福島の原発は、経費の節約の方向に向かってできた原発にしか見えません(全国の原発にも言えることだと思う)
さて本題に入ります。
現実問題としては、無理かもわかりませんけれど、世間にはいろいろな考え方の人がいますのでその方々の意見である程度多くの方が幸せの方向に向かうことできると思います。
(幸せになる社会は実現)
なぜゆえに日本では、明治時代初期に当時の国民に初等教育を義務づけたのか。教育がないと自分の生き方すらもわからないので、他人のことなんかわからないのではないでしょうか。つまり、共同の行動ができないでは、国も困ると思ったのではないでしょうか。例えば、軍隊での共同行動。
もし、この災害で日本人の教育程度が低かったらこのような行動がなかったと思います。
このような教育を教育率の低い国から始めるべきだと思います。
教育を行えば年々少しずつ減る方向に行くのではないでしょうか。
私の回答は、ゆっくり読ましていただいてからしますのでしばらくお待ち下さい。

この回答への補足

質問を見つけて下さり感謝しています。
また、お応え頂き、ありがとうございます。

回答者の回答を見る事で、その回答者は他にはどんな質問に応えているんだろうか?とか、どんな質問をしているんだろうか?と知りたくなる時が僕にはあります。

僕の質問にまで辿りついて頂いたのは何だか嬉しいですね。
今後とも宜しくお願い致します。

主題は、人類69億人が幸せに生きられる社会は実現可能であるかという事についての皆さんの意見を聞かせて欲しいという事でした。

gaiseiさんは、教育を重要視している様に僕は受け取っています。

僕も教育はとても重要ではないかと思っています。人間が動物と違うのは、未熟なままでお母さんの体から外に出る事を通して外から入ってくる情報と融合する中で、長い時をかけて完熟に至るという点です。

動物は、直ぐに完熟してしまいますので訓練だけに励みます。

人間は、未熟の期間がとても長いのでその間に教育が重要視されますね。人間は教育と訓練が同時です。これによって、生まれた時は非力でとても自然や動物とは太刀打ちできない人間が、全ての動物の機能を上回るにまで至っています。

人間は、教育によって人間になるという言葉を聞いた事がありますが、真にその通りだと頷くものです。

ところで、お聞きしたい事がございます。

教育の重要性はよく分かります。ところが非常に難点でもあると思っています。gaiseiさんもご指摘の通りですが、

>現実問題としては、無理かもわかりませんけれど、世間にはいろいろな考え方の人がいますのでその方々の意見である程度多くの方が幸せの方向に向かうことできると思います。

現実問題としてはとても無理だという意見が多いのですが、他の回答者さまの意見に耳を傾けてもそうですし、昔、街頭アンケートをした事がありますが、その時の意見としても非常に多かったその理由が、幸せの定義や幸せの感じ方が一人ひとり皆、違ってバラバラという事でした。

教育の難解な点は、幸せが一人ひとりがバラバラで違うというのでしたら、教育する事によって幸せ感が画一化されたり、個性が打ち消されたりするのではないか?という点ですね。

この点はいかがお考えでしょうか?

補足日時:2011/05/05 07:07
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございました。

僕は、このQ&Aのサイトもそうですが、極力は対話や交流を大切にしたいと思っております。ですので、お一人お一人の観点や価値観との交流を極力は意識しております。

gaiseiさんとも、gaiseiさんの観点や価値観として交流していければと思っておりますので、

>他の回答者の方の回答が私にとって難しい答えになっているので、このぐらの答でよいのかと考えてしまいました。

この様に考えて頂ける事は、向き合ってくれている事の意味ですから大変嬉しいのですが、かと言って他の回答を意識しすぎる事によってgaiseiさん自身が失われていく事を僕は良しとしません。

参考にはなされても、どうかgaiseiさんそのものが掻き消えていく様な事が起きません様に願っています。

貴重なご意見をありがとうございました。
今後とも宜しくお願い致します。

お礼日時:2011/05/17 16:33

私はキリスト教的な洗脳によって人類全体の幸福は『実現可能である』と思います。


ただしキリスト教と同じ考えではよくないと思います。誰もが死後は必ず天国へ行ける、という前提です。実際、カプラン臨床精神医学にはそういう記述がありました。救われる為には自らが罪人であると告白する必要はありません。
そして隣人愛の実施です。
これで人類全体の幸福は実現可能だと思います。何か至らない点があったら教えてくださると嬉しいです。

この回答への補足

隣人愛の実施に想いが籠っている印象を受けました。また、隣人愛の実施がキリスト教的な洗脳だと仰っている様に受け止めています。

もし違うのでしたら、修正してください。

ところでキリスト教的な洗脳によって人類69億人が幸せで生きられる社会が実現するのでしたら、その様にしたいと思いますが、他の回答者さまの応えに耳を傾けますと、幸せの定義がバラバラであるという点や、具体例として宗教によっては他の宗教を認めていないという点などが挙がっています。

この点はいかがお考えですか?

また、隣人愛の実施が真に行われるならば、それはキリスト教というものを持ち出さなくても良いものなのでしょうか?それともキリスト教的なものを持ち出さないと隣人愛の実施はそもそも不可能なものなんでしょうか?

補足日時:2011/05/05 06:51
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

隣人愛の実施にキーワードが込められている様に思います。実は、僕もシンプルに表現すれば隣人愛の実施だとか、人を自分の事の様に愛するだという事に尽きると思います。

ですが、歴史を見ても、或いは今ある現実を見ても、とても実践は難しい様ですね。特に、誰か一部の人だけが隣人を実施しても世界に及ぼす影響がとても小さく感じてしまう程のギャップというかジレンマがあります。

知の第一の爆発が起きた仏陀、孔子、老子、孫子、ソクラテス、プラトン、イエスキリストなどの時代は、身近な範囲を導けば使命を果たした事になります。

ですが、知の第二の爆発となる学術の時代を経て、今からから始まる知の第三の爆発の時にあっては、身近な愛の実施・実践ではとても足りず、地球全体、人類全体を自分の事の様に愛する事が実践となる時代に突入しています。

共に追求していきましょう。

お礼日時:2011/05/08 13:44

4度目の回答です。



『命のリレーを安心して行える』に『幸せの洗脳』が必須と考えます。誰もが幸せについて同じ意見を持つためには洗脳するしかありません。また、何があっても(不幸な事故があっても)嫉妬や怒りに狂う必要が無くなる為にはやはり洗脳しかありません。仏陀がこの世は『苦』といいました。実際、その通りです。ですから苦を苦でないようにする方便が必要になります。その苦を追い払う手段としての『洗脳』です。

仏教では輪廻転生という教えがあります。その考え方はカルマという苦しみを生み出しかねません。また、輪廻転生を通して成長すると教えても私の様な理屈っぽい人には通じません。『成長とは何か』『輪廻転生を繰り返すうちに堕落する可能性が産まれるのではないか』『成長しなければ幸せになれないのか』『なぜ成長の手段として輪廻転生なのか』『そもそも善悪は何か』と突っ込むからです。

よって私はキリスト教的な教えを全人類に洗脳するしかないと思います。キリスト教が最善かどうかは別として、です。そうすれば不幸があったとしても(神様がこの不幸から何かを学べと仰っているのだ)と思えます。嫌なことをあっても『敵を愛せ』の考えでいけば簡単には戦争にはならないと思います。神様に愚痴をこぼせますし……。そう考えた時、神様という存在は不可欠です。

あとは持続可能な生活です。まずは食事だけを保障します。基本的に食糧生産が最優先です。人口抑制の為、あと200年ほどは一人っ子政策をとりましょう。そして人工が10兆ほどに落ち着いたら芸術などは『余暇として』行います。学問も芸術ですので強制しません。財産制度は否定します。私有財産制が産まれてから人々の差別が始まりました。これは縄文時代と弥生時代あたりを学べば分かります。本などは図書館に行って読めば良いのです。個人では何も持ってはいけません。本を読みたければ図書館に行きます。本は公有の財産です。音楽を学びたければ音楽教室に行きます。楽器も公有の財産です。個人の差別に繋がる事柄は全面禁止です。運動や音楽などでは大会は開きません。あくまでも食糧生産を最優先します。学校は全面的に廃止します。上述の通り、学問は芸術に過ぎません。現代の様に宇宙事業に手を出して数億円の出費をするのは論外です。そのお金があれば何百万という人間を救えるのですから。学問を追及する人間は学問追及に費やすお金の分だけ弱者を殺していると念頭に於いて欲しいです。個人的には加速度装置による素粒子探求は愚の骨頂と思います。と、話が逸れました。幼い頃から人々は話し合います。隣人愛を実践します。問題があったらみんなで話し合います。基本的には間接民主制を採用します。村で話し合い、納得が行ったら村の代表がもっと大きい所へ行く……の繰り返しです。現代の政治とは違って上の役目ほど悲惨な環境にします。そもそも政治家は奉仕事業にすべきです。お金目当てで政治家になること自体が本末転倒です。新しい社会では政治家は政治を行える代わりに普通の人よりも悪い環境に生きなくてはなりません。具体的には食事の量を減らしたり、交友関係を排除したりします。また、図書館などの公共施設への出入りも禁止します。善とは自己犠牲ですから、それ程の自己犠牲が出来る人間しか政治家になれないようにします。そうすれば政治家になろうとする人は減るはずです。物質文明は最低限にします。そうして運動を奨励します。

ただ、一度痛い目を見ないと物質文明の本当の怖さを分からないのかもしれません。そういう意味で第三次世界大戦も必要な気もしないではありません。

これが幸せかどうかは分かりません。社会として正しいかどうかもわかりません。しかしそれしかありえないと思います。私は嫌ですが……。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

事実として、輪廻転生など起きていないのにそれが起きていると人間が錯覚している様に、事実の認識を誤っている状態を前提としたモノの見方は非常に多いですね。

素粒子の確認など、真に同意です。
もっと直接的で、誰もが皆、確認する方法がありますのにね。

前提を間違えると、その土台の上では全てが間違ってしまいます。教育は、とても深刻な問題かとは思いますが、突破口がない訳ではなさそうですね。

ところで、キリスト教的な教えを洗脳する事についてもう少し聞かせて下さい。人類69億人が幸せになる社会は実現可能でしょうか?・・・という主題ですが、キリスト教的な教えを洗脳する事によって、実現可能であるとb-w-stepさんは仰っている様に受け取りましたが、その理解で宜しいでしょうか?

お礼日時:2011/04/28 22:33

コンセンサスを得れば,幸せになれるというような簡単な物では無いと思いますが....


例えば,となりの人の不幸をみるのが幸せというような人もいる訳で....
(実際にはもっと複雑で,宗教によっては他の宗教を認めていない物もある訳だから
それどころか,イスラエルのように隣国から国として認めていなかったりする場合もあり)
それにしても幸せを定義しないと実現を測定できませんよ.
と言いたかった訳です.

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。
仰る事は、一段階分かりました。

ただ、少し疑問が残りますので、追加で質問させて下さい。

>それにしても幸せを定義しないと実現を測定できませんよ.と言いたかった訳です.

幸せを定義しないと実現を測定できません・・・とmasudayaさんは仰います。そこで僕は、

>>これは、幸せという事の定義において、世界69億人のコンセンサスを得る事を通して、実現は可能であると仰っているのでございましょうか?

とお尋ねしましたが、

>コンセンサスを得れば,幸せになれるというような簡単な物では無いと思いますが....

とお応え頂きました。

定義しないと測定は出来ないですが、定義しても実現可能とは言い切れない・・・それは、測定だと言えるのでしょうか?何かこう・・・測定そのものが揺らいでしまっている印象を受けてしまうのですが。

つまり、その測定の基準、判断基準は間違っているという事にはならないのでしょうか?

補足日時:2011/04/27 12:05
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

実は僕は計る事は大切だと思っております。孫子の兵法にも、13篇ある中の一番最初には、始計編と言いまして「計る事から始めましょう」というのがあります。

その点で、masudayaさんが仰る定義する事について、そして測定する事については大切な事だと思っています。

ですが、疑問であるのは何を持ってして計るのか?という疑問や追及が同時に必要ではないでしょうか?

孫子も、計る項目について5・7・13の項目を挙げております。

そして同時に気になるのは、そもそも計る事は事を為す為に計るものでございます。何の為に計るのかと言えば、到達する為ではないでしょうか?

その観点から、判断する基準についてお聞きしたかったのでございます。

お礼日時:2011/05/08 13:51

「当事者意識」を踏まえますと、


「止揚」と「中庸」との意外な違いが明瞭になりますね。

甘えず、其処から御自身で考えて下さい。

この回答への補足

JidousyaGaisyaさん。ご回答ありがとうございます。

ただ、今回のご投稿はよく理解できませんでした。
それで、もう一度尋ねさせて下さい。

まず、前回の投稿はJidousyaGaisyaさんによる条件付の回答であったと受け取っています。それであれば、その条件がどういった性質のものであるのかについて更に質問を重ねたのが前回の投稿の補足によって質問させて頂いた事です。

それについてのお応えが、今回の投稿と受け取って良いのでしょうか?

それで、

>甘えず、其処から御自身で考えて下さい。

というのは、これ以上の事はJidousyaGaisyaさんからお聞きする事は出来ないと理解して良いのでしょうか?

文章を、そのままの意味で受け取りますと、まずは僕自身が考えてから質問して下さい・・・という様な意味になりそうですが、考える為のヒントというか道筋の様なものが、

>「当事者意識」を踏まえますと、「止揚」と「中庸」との意外な違いが明瞭になりますね。

として挙げられていると理解して宜しいのでしょうか?


すみません。

今回、JidousyaGaisyaさんの仰る事が僕側でよく分かりませんでしたので、確認から入らせてください。

宜しくお願い致します。

補足日時:2011/04/27 11:57
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この回答へのお礼

道半ばな気が致しましたが、お時間を割いて頂いた事とお応え頂いた事に感謝致します。ありがとうございました。

お礼日時:2011/09/23 13:41

まずは,幸せということを定義しないと実現後の測定が出来なくなります.


バブル辺りの頃は,お金という面では裕福でしたが心の中がみんな幸せと感じていた訳ではないですし,
逆に衣食住が満足している世界を幸せな社会と定義することも可能です.
その辺のコンセンサスが必要なのではないでしょうか.

この回答への補足

なるほどですね。

これは、幸せという事の定義において、世界69億人のコンセンサスを得る事を通して、実現は可能であると仰っているのでございましょうか?

それともそうではないのでしょうか?

補足日時:2011/04/22 19:41
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2011/04/27 11:50

貴方は此処のページでの議論の司会者なのでしょうか?



此の問い方は、「OKWave様の方針」と食い違っていませんか?

この回答への補足

どういう事でございましょうか?

もし宜しければ、何がどの様に食い違っているのかをお示し頂ければ、それに対してお応えできるかと思います。

宜しくお願い致します。

補足日時:2011/04/07 20:14
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この回答へのお礼

OshimaAtsukoさん。

未だに、OshimaAtsukoさんからの回答を得ておりませんので、OshimaAtsukoさんの質問の背景や意図などが、僕側で理解できておりません。

お応えしたいキモチはあるのですが、もし未だOshimaAtsukoさんが投稿された

>>貴方は此処のページでの議論の司会者なのでしょうか?
>>此の問い方は、「OKWave様の方針」と食い違っていませんか?

を受けて、僕からお伺いした

>もし宜しければ、何がどの様に食い違っているのかをお示し頂ければ、それに対してお応えできるかと思います。

について、お応えいただければ、Q&Aを閉じていない限りはいつでもお応え致しますので、お時間ある時にでもご投稿下さい。

宜しくお願い致します。

お礼日時:2011/04/27 11:49

若し謙譲の科学の研究が「本物(?)の福音」を齎してくれるのでしたら、


それもが叶い得るのでしょう。

この回答への補足

なるほど。それは心強いですね。

主題『世界68億人が幸せになる社会は実現できますでしょうか?』について尋ねますと、多くの方が不可能であると応える中で、JidousyaGaisyaさんは、

>若し謙譲の科学の研究が「本物(?)の福音」を齎してくれるのでしたら、

という条件を満たすならば、可能だと仰っています。

それでお尋ねをしたいのですが、謙譲の科学の研究が「本物(?)の福音」を齎してくれる事はあるのでしょうか?

補足日時:2011/04/02 10:10
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

JidousyaGaisyaさんの回答では、条件を満たすならば・・・という条件付の回答であると受け止めております。もし、そういう意味でなかったのなら仰ってください。

条件付の回答でしたら、その条件について更に深める質問をさせて頂きたいと思い、補足の様な質問を致しました。更なる質問で恐縮ですが、ご回答宜しくお願い致します。

お礼日時:2011/04/27 11:36

NO11.20に続いて3度目の回答です。


 結局、人類にとっての幸せと言うのは『命のリレーを安心して行える』世界なのです。生物にとっては命のバトンを渡すことが最大の幸福なのです。小説を読んでください。音楽を聴いてください。殆どが男女関係のものではありませんか。大体の芸術作品は恋がテーマではありませんか。恋愛をし、子を成し、命のバトンを渡していく……。繰り返しますがそれこそが人間、ひいては生物にとっての最高の幸せです。
 物はあくまでも『手段』です。どれ程パソコンが発達しようと、デジタルテレビが出ようと、素粒子が判明しようと、食べ物が食べ放題だろうと、結婚して子を成せなければ大抵の人は不幸です。昔、銀行でオールドミスの女性がトイレでひとりでこっそりと泣いていたのを私は知っています。当時の銀行員はエリートです。エリートでお金もいっぱいあって物には困らなくても、結婚できなかったから泣いていたのでしょう。逆に言えば物が乏しくても安心して命のバトンを下の世代に渡せれば幸せなのです。
 新聞にある記事が載っていました。サザエさんに憧れる人々、というものが。サザエさんのように物が多少無くても、温かい家庭。それこそが幸せです。物が発達しても人々の交流が失われ、孤独死をしては不幸です。現代は『手段でしかない物を追求して目的である命のリレーを疎かにした』本末転倒社会と言えます。昔から言われます。『子は宝。』と。『金銀に勝る子宝』と万葉集の頃から歌われていました。
 いかに『安心して命を繋げるか』を追求すれば皆が幸せになれます。
 逆に言えば『命を確実に繋げられるだけの最低限の文明』で十分です。高度な文明ほど維持が大変です。高度な文明を生きるために求められる知識の吸収は大変です。しかるに高度な文明ではストレスも高度です。だからこそストレスを減らす為にも最低限の物質文明にすべきと私は考えます。最近しばしば言われますね。『性的に乱れる若者』と。では若者を性的に乱れさせているのは誰でしょうか? 昔は高校でDNAすら習いませんでした。今の高校ではクォークまで習います。昔より多くの勉強をさせられればストレスも昔より多くなります。さすればそのストレスが性の乱れに向いても仕方が無いと思いませんか? 今は小学生から英語を学びます。勉強量が増大すればストレスが増大するのは当たり前ですね? 誰でも勉強は嫌いです。と、なるとストレスフルの現代というのは『高度な文明』によるものです。
 立派な物は本当に立派ですか? 食塩の使用で高血圧が生まれ、砂糖の使用で虫歯が流行しました。本を読めば視力が低下する上に植物が伐採され、車が登場すれば環境を大幅に壊しつつ運動不足になり、テレビの出現と共にいじめが発生し(たと私は思っています。テレビが出る前は芸人を見る機会が殆どありませんでした。テレビで芸人がふざけているを見てお笑いを勉強し、学校などで真似をする人が増えました。漫才は大体が馬鹿にされる人がいますね? 漫才を学校でやれば馬鹿にされる人が出現します。結局、笑いと言うのは誰かを馬鹿にして成立する気がするのです。テレビを見る子供は暴力傾向にあるとカプラン臨床精神医学にも載っていました。テレビはすばらしいです。しかしマイナス要素も大きいです。)パソコンを使えば情報が流出したりドライアイになったり、インターネットがあると現実世界が疎かになり(仮想世界に時間を使う分だけ現実世界が疎かになりますね)、(オンライン)ゲームが発達すると廃人が増えます。ゲームをしている間の脳は麻薬をしている時と同じ反応をすると『子供をゲーム依存からすくう本』に載っていました。
 結局、私たちが立派だと思う文明はそれ程立派なものではなりません。私はそう思っています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

b-w-stepさんから観た問題意識を語ってくれているんだと思います。

これを読んでいると、心がとても温かくなる僕がいます。問題意識の話ですし、話題的には決して明るい訳ではないのですが、何と言いますか、こうした問題意識を通してb-w-stepさんという人間性と言いますか、心情を語って頂ける事がとても嬉しいです。

何かに向き合っている姿勢というのは、それだけでもカッコよかったり、ジーンとさせたりする何かがありますが、その中でも、人類共通のテーマや、人間全体の悩みについて悩んでいる人には、僕はとても弱いと言いますか、感動してしまいます。

問題意識の事が語られているb-w-stepさんの文章でしたが、この文章からは、「だから69億人が幸せになる社会の実現は無理だ」という様な印象を受けなかったのは僕だけでしょうか?僕の思い込みなのでしょうか?

b-w-stepさんもまた、69億人誰もが皆、幸せで生きられる社会の実現について、関心を寄せている事を感じますし、実現の為に少しでも機能していきたいというキモチを感じてやみません。

多くの方が、主題「世界68億人が幸せになる社会は実現できますでしょうか?」に対して意見・感想を聞かせて下さいました。

その中には、幾つかb-w-stepさんが仰っている事と重なる事も見受けられます。

ところで、

>いかに『安心して命を繋げるか』を追求すれば皆が幸せになれます。

と仰るb-w-stepさんは『世界68億人が幸せになる社会は実現できますでしょうか?』に対する一つの突破口ではないか?と思っています。

このQ&Aの流れの中で、miko-desiさんは、結果重視よりも目的重視という視点から語って頂きましたが、b-w-stepさんの仰る

>いかに『安心して命を繋げるか』を追求すれば皆が幸せになれます。

は、一人ひとりの大きな可能性や適応能力を広げてくれる様な印象を受けました。現段階では、『安心して命を繋げるか』という事の追及は弱い気がしていますが、b-w-stepさんは何をどの様にすれば一人ひとりがこの追及を行う様になっていくのだとお考えでしょうか?

お礼日時:2011/03/22 14:57

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