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大阪の家族殺傷事件関連で逮捕された女子高校生のHPの内容がTVで公開されていました。TVではその子のファッション・HPでの表現方法等を「独特な世界」と評し、「理解出来ない」というようなコメントを残していたのが非常に気になりました。

というのも私もちょうど思春期の頃、そのこがやっていたっと言うような奇抜なファッションを好み、ちょっと変わった表現方法を好んで使っておりました。
ファッションは実際お金がなかったので「欲しいなぁ」と思ってただけですが、時に自分で作ったりすることもありました。

また当時絵や詩を描く事が好きで、その子がやっていたような表現方法、また中学生の頃切断された手足や頭部等がずらりと並んだ絵を描いて、当時の美術教師が言葉を失った事が記憶に残ってます。
その後も「完全自殺マニュアル」は流行ったこともあり当然購入、麻薬関係の本なども沢山持っていました。
私は痛いことが死ぬほどダメなので、リスカなどには向きませんでしたが、絵などでそういう表現をよくやっていました。

私は「痛いのが嫌い」「本物の血が怖い」と言うだけで、事件性があることは起こさず、絵や文章など「表現」として発散するのみでした。多分今の時代ならば私もあの子のようなHPを作っていたのかもしれません。

「私もこんな中高生だったわ」と思わず懐かしく(?)思ってしまったのですが、私も下手したらああいう大きな事件を起こす可能性を秘めていたと言う事なのでしょうか。今、神経症で心療内科にお世話になってるのは何か繋がりがあったのでしょうか。私が事件を起こさなかったのは、たまたまあの時代だったから?事件を起こさなければああいう趣味でも「正常」の範囲なのでしょうか。

A 回答 (8件)

私も、奇抜なファッションを好み、死に憧れていました。

周りにも沢山そんな友達がいましたし。死や退廃に憧れるのは10代の特権ではないでしょうか。
ただそれは、概念としての死への憧れでした。
人間性善説とレベルの、美学の一種だったのだと思います。
殺人衝動や自殺未遂をするような類の現実味あるものではなかったです。

永遠の象徴としての死への憧れみたいなものは、今でもあります。大人になったって自殺した作家や芸術家を美化して考えてしまう人って多いでしょう。
死は具体化しない限り、極めて美しくうつるのかもしれないですよね。

そう考える私も、もしかしたら思春期を脱っしきっていないのかもしれないですが。

でもきっと、あなたも私も事件は起こさなかったはずです。例えば心理学では心理検査などに異常値というものを設定しますよね。多数決の結果すごく少ない思考の人という意味で。でも、検査で異常値を出したからといって、絶対に社会に適応できない人間かというと、必ずしもそうではありません。他の能力で補って生活上他人に危害を加えたり、自分が死にたいほど生きていきにくいと感じないのであれば、それは「異常」でも「障害」でもないのだと思います。

なんだか裏づけのない話でごめんなさいね・・・
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
10代と言うのはやはり「死」などに憧れてしまう年代なのでしょうか。「退廃の美学」のようなものがありますが、そういうものに憧れを抱いていたような気がします。確かに「現実としての死」ではないんですよね。もっと哲学的な内容に近いのかもしれません。
今でも現実的な「老後」や「死」よりも、哲学的な「死」のほうに惹かれてしまうのは、やはりまだ思春期の心を引きずってるのかも知れませんね。

私は実際過去に死にたいと思った事もあるし、人を殺したいと思った事もあります。でも実際行動に移すかと言えば「いや、痛いよね?」「人殺したら捕まるよね?」と言う思いが当然あるので、実行に移す事はありません。
「異常値」の点で考えると、事件を起こすまでにはいくつものスイッチがあって、それが全てONになってしまわない限りは大丈夫なのかもしれませんね。「痛い」「捕まる」と考える点では多分大多数の人と同じ考えでしょうから…。

お礼日時:2003/11/10 03:24

現役の高校教師です。


 私の学校にも、何人かこちらが心配するような生徒、います。リストカットの常習者もいますし、薬物にはまり書けた生徒もいました。
 はっきり言って最近の10代は何を考えているのか私にはよく分かりません。思考パターンが違うのかもしれません。
 
 ただ、子どもが残酷さにあこがれる(?)のは特に目立った問題ではないと思います。私の子どもの頃にも、蛙を殺したり、蛇の頭をカッターで切ったりといった行為はしました。まあその矛先が人間に向くことがありませんでしたが。
 ですから、残酷な部分にあこがれることが表面に出て他人に迷惑をかけない限り、特に気にする必要はないのではないかと思います。
 



 
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
実際に今の10代の子に接してる教師ですらやはり「分からない」部分が多いのですね。だとしたら接してない人々が理解出来る訳ないですよね…。

ただ私は逆に子供の持ってる残虐性とはちょっと方向性が違うように感じました。小さい頃はおっしゃられてるような遊びを一切した事がなく、どんな小さな生き物も大事にするような子供だったからです。捕ったセミ1匹が死んでもお墓を作って埋めるような子供でした。
どちらかと言うと矛先は「他人」ではなく「自分」に向いていたような気がします。

こんな私は30代になった今でも、なんとなく10代の子がリスカや薬物等に走ってしまう気持ちが何となく分からないでもないんですよね…。他者を傷つけられないからこそ自分を傷つけてるのかもしれません。
他人だけを傷つけるのはそれこそ虫を殺すのと同じ感覚なのかもしれませんが…。

是非現場の人間として「わからない」だけで終わらせず、何かしら理解してあげて欲しいと思います。(多分私が学生だったら、一番欲しいのは「理解者」ですから。それは今でも変わらないのだと思います。)

お礼日時:2003/11/13 12:24

やはり、今の世間が「理解しがたい」でこの類の事件を片付けているからいつまでたっても改善されないのでしょう。


成績が高いから優秀で問題をかかえていない、というのは、現代に通弊するまったくの偏見です。
いわゆる不良と違って、自己発散の機会をみつけられないので、思春期にこういったことが起こるのです。

あなたのように、奇抜なファッションや、死に対する関心は自己精神世界への願望、つまり現実からの逃避活動です。絶対的強者に信仰をする・・・これは、別に病気ではなく、人一倍感受性が高く自己と他者との距離感を感じているが故に発生する精神活動です。特に、感受性が高い人は起こりやすいといえます。

気にする事はありません。いつか他者との距離感が客観的に分る時がきます。
それまで、しっかり自己を管理してやる、これが大切です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
報道する側などに「事件を起こすのは”自分たちの世代で言う”不良」だと思ってるのでしょう。いわゆる「不良」のほうが案外発散する場所が多いですからね。私も発散出来る場所がないまま大人になりました。それと感受性の強さと言うのが、現在「生きづらさ」を感じる一つの原因にはなるのでしょうね。(実際病名として「神経症」と言われ、「病気と言うより性格的なものだから、薬を飲んだから簡単に治るとかそういう問題ではない」と言われました)

>しっかり自己を管理してやる、これが大切です。
そうですね。自分自身でも管理する事が大事ですが、今現在子供を持つ親の身としては考えさせられます。
「理解出来ない」と大人が放置しておくのではなく、もっと「自己」として受け止めてあげることも必要ですね。

お礼日時:2003/11/10 20:24

30代後半おやぢです。



10代で「破壊」にあこがれる(?)のはよくあることではないでしょうか。
ワタシもそういうことはありました。
「死」「虚無」「破壊」「闇」「痛み」「血」・・・
人によっては文章で、絵で、音楽などで開放します。
今はそれにWebという手段が追加されただけの話で何ら「理解不能」ということはないです。
コメンテータなんて自分のしらないことは「理解不能」「異常」なのですから、気にする必要はありません。
ゴスロリにしろ時代のファッションなだけです。
おそらく世間のゴスロリ好きの99.99999%の人は「あんなのと一緒にするな!」と怒っているでしょう。
私的にはゴスロリやピンクハウスは「洗濯大変だろうなぁ」という感想は持ってますが、
嫌悪感とかそういうものはありません。

事件を起こす起こさないは、その人次第です。
ああいった「世間から見て特殊な趣味」が無くたって事件は起こすものですから。
同じ趣味を持っていて、事件を起こせば「異常者」、絵が売れれば「芸術家」。
くだらない切り分けです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
やはり退廃的文化に憧れるのは若さ故なのでしょうね。(現に私は昔ほどは興味がなくなってきています。)私も現代の若者であれば、即座にWeb上での表現と言う手段を取るでしょう。

>ああいった「世間から見て特殊な趣味」が無くたって事件は起こすものですから
そうですよね。そういう時は例えばその人の趣味が「盆栽」だったとして、それが報道されるかと言えば「否」です。「写真」でも風景写真などでしたらそれも「否」でしょう。

>同じ趣味を持っていて、事件を起こせば「異常者」、絵が売れれば「芸術家」。
本当にくだらない区分けですよね。過去の芸術家の多くはうつ病に掛かっていたり、精神的に病んでいた人も多かったようですし。「理解出来ない」というのは異常者にも芸術家にもなり得ない人だからこそなのでしょうか。人に寄っては時に羨望から批判、妬みへと繋がってきますしね。それも恐ろしい事だと思います。

お礼日時:2003/11/10 15:07

実際に今学生ですが、「理解できない」という言葉は正直、納得が行きません。


私はゴスロリ好きですし、詩も絵も描いて居ります。
彼女は自分と似ていると思います。
(家族を殺そう等と思った事は有りませんが)
彼女のサイトを見ましたが、割と普通だと思いました。
凄く残酷って訳では有りませんでしたよ。

「こういう趣味=人殺し」
と思っている人は沢山居ると思います。
でも私は思いません。
趣味なんだから良いのでは無いでしょうか。
彼女はたまたま、こういう趣味を持っていてなおかつ殺人を犯しただけだと思います。
それと、2人になると止められなくなってしまうのかなと思っています。
簡単な例で言えば、一人だと信号を守るのに、友達と居て相手が信号無視したとき、自分もやってしまう・・といった様な事です。
(信号無視と殺人では大きさがまったく違いますが、上の心情としては一緒なのではないかと思います)

上手い答えになっていなくてごめんなさい。
私の言いたい事が少しでも伝われば嬉しいです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
私たちが学生の頃と違い(私はもう30代ですが)今はああいう服装も「ゴスロリ」とカテゴリー付けられ、少数派ではありますがまだ市民権を得られてますよね。私も実際自分が今現在やってるわけではないですが、きっと今10代だったら同じような服装をし、同じような詩や絵、写真などで自分を表現してたと思います。ですのでやはりHPを見ても特に何も感じなかったんですね。(若いな~、懐かしいな~くらいで)

今回事件にまで発展してしまったのはやはり「1人じゃなかったから」なのでしょうね。これも現代の若者の特徴なのでしょうか。もしかしたら私も当時、同調してくれる誰かがいたら何かあったのかもしれませんね。幸か不幸かどちらかというと1匹狼タイプでしたので…。

ちなみに、既に10数年前の事件なのでご存知か分かりませんが、昔連続少女殺人事件を起こした犯人がアニメ好きだった等事実から、当時アニメやマンガを好んでいた人は同じような目で見られるということがありました。全ての人がそう言う事件を起こすわけではないのに「殺人予備軍」かのような扱いを受けたんですね。マスコミでも世間一般でも。(当時マンガなどが好きだった私はその事をカミングアウトできずにいました)
それと同じような現象が起こるのではないかと危惧しております。「そういうものが好き」というだけで「異常」と決め付けてしまうのは、下手したらそこからイジメなどに発展する事もありますしね。

お礼日時:2003/11/10 09:10

わたしも、一連の報道を見て懐かしさ(?)を感じた一人です。


わたしも中高生時代、イラストやマンガを描いていましたが、あんな感じの耽美的で虚無的なテーマが好きでよく描いてました。軽い強迫性障害にも悩まされてますので、質問者さんと境遇が似てるかもしれません。

中高生当時の心境を思い出してみると……単に“死”とか“闇”とか、そういう言葉にイメージをふくらませて遊んでいただけのように思います。
まあ、自分自身、問題がなかったわけではないので、そういう趣味と精神状態に関係がないと、自信を持っては言い切れませんが、質問者さんと同じく、実行に移そうと思ったことはありません。

彼女のHPに掲載されていた内容は、日記も含めて一種の「作品」だという気がするので、あの内容を真に受けて評論したってしょうがないかな?という気がするんですよね。ゴスロリ系(?)の人たちから見たら、あんなの別に普通なわけで、そういう世界を知らない一般の人たちがカルチャーショックを受けたんでしょう(笑)。
問題は、もっと別のところにあるような気がします。

例えば、「KILL BILL」は現実的には異常な話ですけど、タランティーノ監督が日本刀で人を殺しまくるわけじゃないじゃないし、映画を見た人たちが殺し合いを始めるわけでもないですから、そういう作品を作ったり見たりするだけでは、異常ではないではないと思います。
創造的想像力とそれをフィクションとして楽しむことは正常の範疇でしょう。

でも、そこから先…実際に人を殺しに行ってしまう人と、そうでない人の境目がどこにあるのか、という問題が難しいですね。タマゴが先か、ニワトリが先か、みたいな話になってきそうですが…。

余談ですが、精神病の一種で「二人精神病」というのがあるそうで、一人の人が精神的に病んでいる場合に、パートナーがその事実を認めたくないあまり、病んだ人の幻想(妄想)に引きずり込まれて、自分たちだけの閉じた世界を作り上げ、まわりの世界を全否定してしまう、というような症状らしいんですが、今回の事件も、そういう感じなのかなあ?と思いました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

そう、耽美・虚無・退廃等、どちらかというとアングラ的な世界に惹かれていました。黒い服に身を包み、ボードレールの詩集を読むような学生でした。私も「作品」として世に出していたわけで、もしかしたらそういうものに惹かれる時点で何か問題があるのかもしれませんが、本人はいたって普通のつもりでした。そしてそれを賞賛する人もいたわけで。

私は既に「ゴスロリ」等の世界に関わる年齢ではありませんが(苦笑)やはり依然好きなのでそういうHPを回る事はありますので、何も違和感なかったんですよね。その中には確かに精神的な病気を持っている人もいたようですが、多くの人が「表現」「ファッション」としてそういう世界を好んでいただけだと思うんですよね。多分私も。

確かに海外の映画などでは精神世界を描いた物も多くありますし、それは一般的に人気があったりしますしね。でも作ってる人が問題行動を起こす人かといえばそうではない。やはり「表現」だったのでしょう。

このフィクションの世界を現実世界と混同させてしまうのは…今の子供たちならではなんでしょうか。よくTVゲーム世代は空想と現実の区別がつかなくなってきてる、とも聞きますし。でもゲームだけの影響でもなさそうですしねぇ。その境界がどこなのか、不思議に思います。

「二人精神病」というのは初めて聞きましたが、朱に交われば赤くなる…ということの程度がひどい物なのでしょうか。今回の事件はそんな感じだったのかもしれませんね。
21世紀の日本での話ですので違和感があるのでしょうが、ずっと昔、中世欧州あたりの話ではこう言う話も良く聞いたりしましたけどね。

お礼日時:2003/11/09 18:19

 はじめに。

私はそのTVを見ていませんので詳しい事は分かりませんが。

 うろ覚えで恐縮ですが、思春期には凶悪な事件を起こしてしまう危険性を誰しもが持っている、という話を聞いた覚えがあります。十四歳や十七歳の子供達が事件を連続して起こした頃に聞いた話だったと思います。
 ですので、一番の方が言われるように、誰もが事件を起こす可能性を持っているわけです。思春期のころのことを思い出せば、誰しもが、もしかしたらあの時犯罪者になっていたかもしれない、という後になってみるとヒヤヒヤものの場面が必ずあるものです。無いと言う人は、多分、忘れてしまっているのでしょう。
 あと、趣味の正常性についてですが、そもそも、正常なんてものがあるのか私には分かりません。SMやスカトロ、私は興味ありませんが、興味を持っている人を異常だとは思いません。でも、異常とされますよね、一般的には。ハンティング、これは正常な趣味とされているものですが、撃ち殺す必要も無いのに殺して楽しむなんて見方を変えれば快楽殺人か異常な行為となりませんか?でも、ハンティングは正常な趣味とされますよね。要するに、社会的に見て少数派の嗜好に異常というレッテルを、多数派の趣味に正常とのレッテルを貼り付けているだけなので、正常か異常かとの議論はあまり意味のある事とは思えません。
 最後に。マスコミが彼女のHPを理解できないとしたのは、単純に番組作りのためだと思います。つまり、あのような犯罪を犯したものは、自分達普通の人間とは違う特殊な人間なのだ、とレッテルを貼り付けて犯罪者を精神的に隔離する事によって安心感を得ようとする愚行なのです。普通の人でも犯罪者になってしまうかもしれないという可能性を認めたくないからああいう報道をするのです。仮に普通の人でした、と報道したら、抗議電話がテレビ局に殺到する事は目に見えています。犯罪を犯したものが実は普通の人間で正常であったか否かなどというのははじめから関係ないのです。よく凶悪事件が起きると、よく調べもしないで犯人を精神病患者にしてしまったりするのと同じ精神構造です。
 なお、病気との関連については分かりませんので先生に聞いてください。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
思春期の不安定な感情をもってすれば、やはり誰しもが事件を起こす可能性はあるのでしょうね。親に対し、言葉は過激ですが「ぶっ殺してやる!」と言いつつ思春期を過ごした人も実際行動には移さず、大人になった今親孝行してる事も多いですし。

趣味・趣向に対しては確かにそうなのかもしれませんね。多数派=正常、少数派=異常というのは、やはり右にならえ的な日本人の発想なのでしょうか。

マスコミが最近よく「理解出来ない」「信じられない」と評する事件が多い気がします。大体、少年少女の犯罪、金銭・私怨が絡まない殺人等が多数だと思います。後虐待死など。でも何故か昔から良くある「金銭に困っての強盗殺人」とかだと聞かない言葉ですよね。これはかなり昔からありうる犯罪であったからでしょうか。

正直、事件があるたびに「犯人は精神病院に通っていた」「こんな趣味を持っていた」等報道されるのは、実際に通院履歴があったり、そういう趣味を健全に楽しんでる人に取っては迷惑極まりない話です。「内科にかかってた」「音楽鑑賞が趣味でした」ということだったら特に問題視されないのは、やはりそれが少数派ゆえのことなのでしょうか。結局「一般大衆が興味を惹かれるような番組作りのネタ」でしかないんでしょうね。

病気との関連に関しては、ドクターに聞くのが一番ですね。

お礼日時:2003/11/09 18:03

大きな事件を起こす可能性なんて、生きている限り誰もが持っていることですよ。



ただ、本当に起こすかどうかというだけの問題です。

ですので、どのような趣味を持とうと、それが犯罪でないのならば、私は人の勝手だと思います。

私も、かなり変わった人間なので、正常の域がわかりませんがこれぐらいで、理解できないと、すんなりとコメントするようならば、それは、ただ理解をしようとしなかっただけだと思います。

ただ絵や、文章などは、その人の心を表すことがありますので(虐待されている子供は、黒系の色で、単純な色使いを好むのは有名な話ですね)、結構、興味深かったりするのですが(私はこの方面の才能が0ということもありますが、テスト96でまじめに全てこなしたのに2だった漢ですからね)そこまでは普通考えないものでしょうか?

ですので、ただちょっと心が何とかしてぇ~といっているだけなのに、それを理解できないと片付けるのはあまりよくないと思います。

今回の事件は、どうやって、二人が知り合ったのかの方が興味があったのですが(この時点でずれてますね)、正直言って、知ったところで、どうにもできないことしか報道されないので(というか、お前ら、針小棒大という言葉を知ってるか?といいたくなるようなことしか言わないので)あまり、興味がなかったりもします。

ですので、私の答えは

>私も下手したらああいう大きな事件を起こす可能性を秘めていたと言う事なのでしょうか。

これは、誰もが持っていることですし、ただ、実際にやってしまったかどうかというだけです。

>神経症で心療内科にお世話になってるのは何か繋がりがあったのでしょうか。

これは、ドクターに聞かれた方がいいかもしれませんね。

私の意見としては、関係ないとは言い切れないです(逆に、関係するとも言い切れませんけど)。

>私が事件を起こさなかったのは、たまたまあの時代だったから?

それは、あなたはあなただからです。どのような時代でも、起こす人は起こすし、起こさない人は起こしません。もしかしたら、似たような人がそろったから、相乗効果があったのかもしれませんが、多分、あなたはそういうことはできない人でしょう。

>事件を起こさなければああいう趣味でも「正常」の範囲なのでしょうか。

事件を起こしても、別に、普通だと思いますよ。実際犯罪でなければ私は何でもありだと思いますし。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>ただ理解をしようとしなかっただけだと思います。
人の趣味・嗜好を「理解出来ない」だけで片付けてしまう人は「理解しようとしてない」人が多いのでしょうね。TV番組のような公共の電波でそういう発言をしてしまうのは、あまりに事件に対して理解しようとしてない態度が現れてるのかも。まぁ実際報道してる人に取っては「どうでもいい」のかもしれません。

絵や文章などにその人の深層心理が表れるというのは私も非常に興味があり、実際私も保育の勉強をしてる時に子供の絵と心理の関係を学びました。
私は当時学内でも品行方正・成績優秀で通っていたので、そのギャップで驚いたのかもしれません。一瞬固まって「どうしてこんな絵を…」と言った時のことを今でも鮮明に覚えています(私は無意識でそういう絵を好んで描いていたので不思議に思いました)。美術教師は私の心の奥底に潜む何かに気付いたのかもしれません。でも昔は「事件は不良が起こすもの」と考えられてましたし、見過ごされてしまったのかもしれませんね。

>多分、あなたはそういうことはできない人でしょう。
事件を起こすか起こさないかはそこなのでしょうね。私は「人を殺したら捕まる」「自分で自分を傷つける事は出来ない」というのははっきり分かってましたから…。それに周りにも似たような人はいませんでしたしね。

幸い私はちょっと変わった趣味・趣向を生かして、絵や文章で、小さな世界ですが賞賛を得たりする事が出来ていました。どういう方向にそれを持っていくのかでも違うのかもしれませんね。スタート地点は同じでもベクトルの向く方向が違ったのでしょう。

いつもいつもこう言う事件が起きる度に、昔の自分と重なります。この辺はやはりドクターに聞くのが良いですね。

お礼日時:2003/11/09 14:55

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