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1430~40年代、京都の侍所はどこにありましたか。1440年ごろの侍所所司代は、誰だったのでしょうか。
あと、魚屋が集まっていたという今町は、現在どの辺りにありますか。一度、訪ねてみたく思っております。
よろしくお願いいたします。

A 回答 (3件)

侍所所司についてだけなら。



当時、「三管領四職(さんかんれい・ししき)」という制度があり、侍所所司は、赤松氏、一色氏、山名氏、京極氏の4氏で交替で任に就いていました。→「四職」
ちなみに「三管領」は、斯波氏、細川氏、畠山氏の3氏が交替で任に就いていました。

直前の1399年までは、赤松満祐が就任していましたが、「嘉吉の乱」の当事者でもあるため、その時は罷免されたか、辞任していたと思います。

直後の1441年というと、京極持清という人が、「嘉吉の乱」の武功を上げたことで任命されています。
一度任を解き、再び八代義政の代の1466年までの長い間就任しています。

ということで、1440年丁度というと誰が任に就いていたか不明ということになります。
でも、私が思うに、乱のために一時不在であったのではないのか、と思われます。
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この回答へのお礼

わざわざ、ありがとうございました。大変、参考になりました。

お礼日時:2003/11/11 06:21

再びです。


年を間違えました。

>直前の1399年までは~

1439年です。

失礼しました。
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この回答へのお礼

何度も、ありがとうございます。所司代は、侍所頭人の被官が努めていたと思うのですが、歴代の詳しい名がわかりません。京極持清(頭人)と、その被官、多賀氏(所司代)みたいに、タッグを組んではいたのしょうが…。どうも、すみません。

お礼日時:2003/11/11 06:30

魚屋が集まっていたという今町は、現在どの辺りにありますか。


錦市場の事ですか?魚屋町が現存しています
元々は竹屋町 富小路の辺りだと思いましたが
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この回答へのお礼

どうも、ありがとうございました。室町の同時期、今町と六角に魚店があったということですが、今町は上京の堀川通沿いという話もあって、よくわかりませんでした。竹屋町富小路ですと、御所のすぐ近くですね。その辺りを訪ねてみます。わざわざ、すみませんでした。

お礼日時:2003/11/11 06:27

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