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宛名の「行」を「御中」に書き直すことは常識とされていますが、私には納得できません。
基本的に書類というのは必要な箇所以外は記入しないのが原則であって、それをわざわざ書類自体に「行き」と印刷されている部分をグチャグチャと(たいていは斜線ですが)消して、となりに書き直すほうが見苦しいと感じてなりません。

私の親は企業に出願するときに行きを御中と書かない人ははじかれるとまで言っていますが、そんなの知るかいと思うのが正直なところです。
例えば相手が用意した書類に「行き」と印刷されているのに、それを御中と書き直さなければマナー違反というのは、人に礼儀を押し付けること自体が礼儀に反する行為ではないのでしょうか?
まさか親の企業にはじかれるという話が本当だとは思えませんが、仮に外国の方でこの「常識」を知らない場合も「マナー違反」とされるのでしょうか。

封筒の行きを御中にするのは、どうも封筒それ自体に敬意を払っているように感じられて、私は御中と書き直していますが、その度にこんな馬鹿らしい行為がなんで常識なのかと不快感すら覚えるのです。

ちなみに郵便局で聞いた話なのですが、最近は大学受験の願書にも御中と書かない人が増えているそうです。だとしたら、いずれ御中と書く文化は消えるのではないでしょうか。
そもそも私のように、同じ日本人ですら反感を持っていることを、文化や常識として言われることが不快です。
皆さんはどう思われるでしょうか?

A 回答 (15件中1~10件)

>回答者様は受けっとた文章に御中が書かれていなければ大事な会議に


>Gパンで出席するほど失礼な行為だと感じられるのでしょうか?
>私が一番伺いたいのはこの価値観の違いかもしれません。
>私も含めて御中にそれほど重い意味を見出す人はいないのではないでしょうか?

大いなる勘違いをされています。
順序が違うと、物事の捉え方は全く違ってきます。
その「人となり」を既に知っていて、普段は知的で常識的な人間なら、
返信された手紙に敬称が書かれていなくても、「たまたま書き忘れたのだろう」
と思い、非常識とは解釈しません。「たまたま」と思います。

しかし、その人物を全く知らない状態で(就職が正にそのパターン)、
受け取った手紙などに敬称が書かれていなかったり、「様」や「御中」に
書き直していなければ、「こういうことを知らない人」だと判断せざるを
得ません。相手を知らないのだから。
「重い意味を見出している」訳ではなく、「一事が万事」だと判断します。
価値観の違いでもありません。

就活に際し、第一関門の封書の宛名を書き直していなければ、
「常識を知らない人間」と判断され、はねられても仕方ないのでは
ないでしょうか。だからこそ、就職したいと思う人は小さな事に
神経をすり減らし、少しでもミスをしないようにするのです。
最初が肝心だからです。
最初の「瑣末な事」ではねられたら、こんなにバカらしいことはありません。
質問者さんだって、書かずに出す勇気がおありでしょうか。
「それが正しいと信じるなら、書かずにお出し下さい」と何度も
申し上げています。

世の中には、非合理的で理不尽だと思う事が沢山あります。
なぜ、こんなことを一々やるのだろう、こうすればもっと合理的なのに、
と思う事は山ほどありますよ。でも、一個人が声を大にして叫んでも、
なかなか受け入れられず「非常識」「変わり者」と捉えられます。
それが罷り通るには、国が法として定めたり、この件で言えば
「日本郵政」などが、「来年から、返信封書に敬称は不要、或いは
出す方が初めから敬称を書いてOK」と発表すれば、非常識には
なりません。
また、受ける会社がこれを常識としているならOKです。
しかし今の所、一般的には違うはずです。
日本の就活や私立小学校の受験で、「右へならへ」で、地味なスーツを
着るのも異様な光景です。
これも、同様ではないでしょうか。何も同じようなスーツを着なくても
好きな服を着て行けば良いという事になります。
でも、合格したいと思う人は全員同じような服装をします。
「瑣末な事ではねられたくないから」です。
バカなのではなく「利口」なのです。
質問者さんは、普段着や色つきのチェックのスーツなどを着て行っても
平気でしょうか。
「御中」と書きなおすのは、「瑣末な事」。されど、大切な
マナーであり、第一関門です。
この程度の瑣末な事なら、書きなおすのにどれだけの手間が
要るでしょうか。
これは現在、一つの「型」になっています。型を守れない人間は、
会社にとっては「問題のある人間」と捉える可能性があります。

この件が、どうしても受け入れられないなら、書かない事を貫き、
更にご自分がそのような声明を発信し、世論を動かしたらいかがですか。
でも、こんな事に労力を使わず、もっと大事な事に労力をお使い下さい。
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この回答へのお礼

何度もご回答ありがとうございます。回答者様をベストアンサーに選ばせて頂こうと思います。
今回時間の都合上全員に回答することが出来なかったのですが、全て読まさせて頂きました。
現在の私も手紙を出す際には御中と書き直していますが、書かない場合のデメリットが今のところは大きいと思っているからでもあります。
ですがやはり私の中では御中とは意味のない行為だと感じているのも事実です。無意味に社会に反抗するのではなく、私も自分が出来る範囲の中で自分の意見を主張し続けていこうと思います。
今回沢山の意見を頂きましたので、これを糧にもっと自分の意見を磨こうと思います。

お礼日時:2011/10/16 23:33

思う所は他の皆さんがお書きになってらっしゃるので。


結局は、ご質問者はご自分の価値観でしか考えてない、ご質問者の中に相手が存在していないからこのようなご質問をされるのだと思います。
お友達からのクラス会や結婚式の告知の往復葉書で「○○宛」となっていてもそのままで出すんでしょうか。
礼儀とか常識とかマナーとかエチケットとかルールとか敬意とか文化とかは関係なく、相手を、その相手が誰であろうと、思う心があれば、自然と「行」を「様」と書き換えられるでしょう。日本人に限らず、敬語のある国語を使っていれば、自然とそうなると思います(外国の方がそれを知らない場合は、まだ日本のお勉強が足りないだけでしょう)。
相手の方の気持ちを想像してみて下さい、なぜ「行」と書き「宛」と書いたか。
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経営者をしています。



私はこのように考えています。

行きを御中に書き換えることは面倒ではありますが、損をすることはない。
行きを御中に書き換えないと、マナー違反であると捉えられて損をする可能性もある。
損をする可能性があるのであれば、現時点で常識とされている慣例に則るほうが得策だと思っています。

また、企業にはじかれるという点ですが、私は考慮します。
マナー違反という理由ではなく、常識や良識を考慮できる人物であるかということの参考にする為です。
社会や企業では理不尽であっても一定のルールの中で行動しなければならないことがあります。
行きを御中に書き換えることは馬鹿らしい行為で理不尽なようにも感じます。
ですが、そんな行為であったとしても、その価値観を受け入れる度量があれば、その人は書き換えて送ってくるはずです。

世の中には理不尽なことが多く存在しているものではないでしょうか。
ですから、そんな理不尽なことであったとしても飲み込めるような人材かどうかという判断基準は大事なのです。

加えて、そのような慣例を調べて実行しているわけですから、そういった調べて行動することができる能力があるかどうかという点の参考にもしています。

ただし、常識というのはあくまでも価値観です。
質問者の方はそういった常識に反感をもたれているようです。
ですから、行きを御中に書き換えていないことをマナー違反であると捉えるような企業や人とは価値観が合わないと思います。
価値観が合わないのは大変しんどいことですので、書き換えずに送っても受け入れてくれるような企業や人を見つけたほうが良いかもしれませんね。
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価値観や感性はひとそれぞれですので、決まりごとがないと混乱するのでは?

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>つまり、強引に一言でまとめれば、私の意見は「


>御中とは、中身も意味もない敬語である」ということです。

そう理解しているうちは、この先もご納得できないでしょうね
ということで
ひとつご参考までPSしますが

本来「御中」は敬語でも敬称でもはなく、
脇付けですよ
ですから宛名の脇(横となり)に書くのが正解です。



これならばご理解できるのでは?と思います。
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こと就職活動では理不尽な「常識」が多く苛立つこと多いですよね。



「行」を「御中」に変えることは、
本来なら自分で宛先を書く必要があるところ、
返信先の方が書いてもらっているわけだから、
それ位直して送る方がいいかなと思いますよ。
敬称をつけて送る方が気持ちよく、
「行」は敬称ではないから。

別の常識では、茶封筒で送付はダメってやつも厄介ですね。
昔の中が透けて見える茶封筒はダメなのであって、
クラフト紙で作られた茶色の封筒は関係ないと思っています。
第一、グリーン購入法で推奨されるエコマークがついている封筒なんて、
余計なインクを使わない茶色が普通ですしね。

履歴書が手書きのみってのも、
今どき手書きのみの書類で仕事を受けるわけもなく、
そんな判断基準の会社には入る気がしません。
だから、それで採用が見送られるなら最初から縁がないと思っています。


話は逸れましたが、
常識を疑って本当にそれが礼儀なのか考えることはいいことだと思う。
しかし、みんながそうだから私もするとかではなくて、
「常識」を外れるなら、信念というか、
こっちの方が合理的だとか、今の礼儀に叶っているとか、
相手も納得しうる理由をもっていた方がいいと思います。
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もはや書くこともないのですが、


気になったので書かせて頂きます。

常識って時代時代によって違いますよね。
例えばいまどき文章の最後に「候(そうろう)」とつける人もいないもので。

坂本龍馬の手紙も「なになに候、なになに候~」って
読みづらいわっ!って話で。

他の方も仰ってますが、多くの人が「これって変だな」と思ってる
ことって自然淘汰されると思います。
人間、基本的に「快」「不快」で生きているわけで(情緒)
その時代に「不快」と感じたら自然に使われなくなります。
気付くか、気付かないか、あと周りはどうだかとかはありますが、
結局は時間をかけて常識やマナーも変わっていっている、
そして、「変わっていく」のだと思います。

これほど流動的なものにとらわれる必要はないですよ。
むしろとらわれていたら何もできない、何も変わらない。
それとは別に「自分の考え方」を持っていればいいんです。
大切なのは質問者様が「どう生きたいか」です。。

例えば会社では10年前まではクールビズなんてなかったのですから。
むしろネクタイを締めてないとだらけてるんじゃないか、と
思われるんじゃないか、と勝手に思っていたり。

パソコンでもウィンドウズよりマッキントッシュの方が
技術レベルは高いですね、面倒な操作、設定もありませんし。
ただユーザーがついていけなくて面倒なウィンドウズの方が
独占しちゃったという経緯がありますが。
世の中、オフィスシーンの9割のパソコンがウィンドウズです。
(今のウィドウズはマックのマネです)

「一番良いもの」が、世間に広まっている訳ではないです。
時代、時代に合わせたニーズが広がっているだけです。
世の中、抽象的であいまいです。

回答にはならないですが、なにかの参考までに。
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言わんとしている事は、分からなくもありませんが。



それなら、例えば大切な会社訪問をする際、スーツを着ないで、
Gパンなどで行っても、話す内容が素晴らしければ、評価される。

挨拶をせず、相手を呼び捨てにしても、能力が優れていれば、
そのような「瑣末な事」は意に介されない、と言っているのと
同じではないでしょうか。

礼儀は、歴史的に培われた事で、理由があってそれが存続しているの
であり、本当に虚礼なら淘汰されて無くなるでしょう。

ですから、この事は今は「常識」とされていますが、徐々に
無駄な事になれば、無くなるでしょうね。

ご自分で、それが正しいと思われるなら、実行して下さい。
その結果を知りたいです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
会議にGパンというのは極端な例えだと思いますが、これは当然失礼だと思います。

一つ気になったのですが、回答者様は受けっとた文章に御中が書かれていなければ大事な会議にGパンで出席するほど失礼な行為だと感じられるのでしょうか?
私が一番伺いたいのはこの価値観の違いかもしれません。
私も含めて御中にそれほど重い意味を見出す人はいないのではないでしょうか?
直に人を前にするなら身なりを整え敬語を使って挨拶をするのは重要かつ当然の礼儀です。それに比べて物である封筒の表面に御中があるかないかは客観的に見ても瑣末な事ではないでしょうか?
その瑣末な事にたいして、御中がないのを見て「この常識知らずが!」と頭にくる人がいるとすれば、そのほうがおかしいのではないかとどうしても感じてしまいます。
私は礼儀を守る必要がないと言っているのではなく、御中を使わないからといって相手から非を問われる筋合いはないと言っているのです。

お礼日時:2011/10/15 01:18

>例えば相手が用意した書類に「行き」と印刷されているのに、


それを御中と書き直さなければマナー違反というのは、
人に礼儀を押し付けること自体が礼儀に反する行為ではないのでしょうか?

勘違いをされています。礼儀を押しつけてはいません。

1.自分のことを「○○様」と呼びませんよね。
 自社宛に返信して貰う書面に、自分から「○○様」や「御中」
 とは書けません。
 だから「行き」にしておくのです。

 最近は「手間を省く為に」、御中などにしておく会社もありますが。
あくまでも、相手の手間を省く為であって、本来はおかしいことを承知で
やっているのです。

2.これを返信する方は、「○○様」や「御中」にして出さなければ、
 相手を呼び捨てにするのと同じです。

理にかなっています。

郵便局で聞いた話云々は、それが正しいとは言っていないはずです。
「書かない人が増えている」という現実を語っているだけです。
つまりは、常識知らずの人が増えている、という事です。

このようなことをおかしいだとか、無駄とか言うなら、書き直さないで
出してみたらいかがでしょう。それが正しいと信じるなら、それを
貫いてみて下さい。世間が、それをどう判断するでしょうか。

正しいと思うなら、思う通りに、実行されてみる事をお勧めします。
それが大方の考えになるなら、徐々に変ってくるでしょう。
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この回答へのお礼

みなさん短時間の間にご回答ありがとうございます。
私が腑に落ちないのは>>「常識知らずの人が増えている」とおっしゃいますが、質問の内容とかぶりますが、なぜこんなことが常識になっているのかという点です。大きな理由として、実際私自身も手紙を多く拝見しますが、そのときに「行」が「御中」となっているからといって「ああ、この人は礼儀を守る人だなぁ」と感じたことがなく、逆に行が失礼だと思ったこともありませんからスルーしてます。
つまり、強引に一言でまとめれば、私の意見は「御中とは、中身も意味もない敬語である」ということです。

大事なのは中身の文章です。もしこの文章に敬語が使われてなかったり軽い口調であればそれは失礼と言えますが、私が見てきた限りではほとんどの人がちゃんと敬語を使用して文を書いています。実際に話してみても、ずいぶん丁寧な人だなぁと感じることも多々あります。その中には「行」のまま送ってきた人もいます。
人がチェックするのは文章であって封筒の表面ではないからです。
今の現状はまるで行を御中に書き直すのが、マナーというよりもむしろ半ば強制的にさせされる現状に不信感を覚え、さらにそれによって不当な評価を受ける(本人の評価には何の関係もない事柄だから)ことがおかしいと考えています。

お礼日時:2011/10/12 17:45

 礼儀とは自分自身を表現するということであって、従わなければならないルールではありません。

謙譲から「行き」と書かれた郵便物をそのまま尊敬する相手に向けて発送しないと言う事は心遣いの表現なのですから、それが要らないという考えの人はそのまま発送したほうがむしろ自分自身を表現しているという意味において正しいのです。つまり自由にやれば良いです。あなたは間違っていません。

 もし、「行き」を「御中」「様」に書き換えなければならないという法律が出来たなら、郵便を受け取った人には誰が日本の伝統的礼儀に精通しており誰がそうでないかを知る手立てがなくなってしまいますね。
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