アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています。

どの国も仲良く、というのは不可能なのでしょうか?

最近の日本では、韓国の文化を特に好きな人、反対に特に嫌う人が多くなりました。
韓国やその他の国にも、反日感情をもつ人々がいます。

因みに私は、韓国を好きでも嫌いでもありません。
行ってみたい国、魅力的な国は沢山ありますが、特定の国に"嫌い"という感情はありません。

元々アイドルの類にはそんなに関心がないので、AKBや少女時代、KARA等はみんな可愛らしい女の子の集まり、という認識しかありません(批判ではなく、どこの国かは関係ない、という意味です)。

韓国を嫌う人々は、日韓の歴史や、韓国人の"反日発言・行動"が気に入らないのが理由の全てなのですか?
確かに、最近韓国人のメディア露出は多いと思います。

でも外国の文化が日本に入ってくることは悪いことでしょうか?
ハリウッドの映画だって、毎週のようにテレビで放映されているように思えます。
私は韓国だけでなく、色々な国の文化がもっと入ってくればいいのに、と思います。

韓国の整形文化を否定する人もいるけれど、日本の文化だって、他国から見たら不思議なものに映るかもしれません。

他国の反日感情は、歴史的背景からきているところが大きいと聞きます。
一部の日本人が他国を嫌うのも。

勿論100人中100人の韓国人が日本人を嫌っているとは思いません。

でも、"昔自分達の国にこういうことをしたからあの国は嫌いだ"という感情は、この先ずっと消えないのでしょうか?
きちんと歴史を学ぶことは大切だと思いますが、たとえ100年経っても1000年経っても、そのような感情は消えないものなのでしょうか?

日本にも、第二次世界大戦で辛い経験をされた方々がいらっしゃいます。
しかし、いつか、何十年か経てば、その経験をされた方々は皆いなくなってしまいます(言葉が悪くてすみません)。

時が経ち、身をもって経験した方がいなくなっても、憎しみ等の感情だけがずっと継承されてしまうものなのでしょうか?

日本国内でも、未だ差別が存在すると聞きます。
世界各地にも、まだまだ深刻な問題が沢山あるといいます。
このようなものは、どれだけ時間が経ってもなくならないのでしょうか?

宗教、土地、文化等、お互いに否定することなく受け入れあうのは不可能なのでしょうか?


つたない文章で申し訳ありません。
知識のある方、そうでない方も、皆様の意見を聞かせて下さい。

特定の国・民族の批判等はご遠慮下さい。

A 回答 (7件)

目立つのはネット等でヒステリックに大きな声で叫んでいる一部の『嫌い』な人たちですが、ご質問者さんのように真っ当な考え方が出来る人も確実に増えていると思います。



それも全世界で。

そんな子どもの夢のような世界が実現できるわけが無い。歴史がそれを証明している。と言う方もいますが歴史など所詮、過去の遅れた思考の元紡がれたものです。

私の世代では絶対になくならないと言われていたアパルトヘイトや白豪主義制度の撤廃やベルリンの壁の崩壊も見ていますし、歴史がありえないと証明していたはずの黒人米国大統領の誕生まで見ています。
(それぞれに問題が残ってはいますが理想の社会に向けて進歩したことは間違いありません。)

ただ、私の理想で言えば「忘れる」から無くなるではなく、「正しく理解して」無くなるがベストだと思います。

>宗教、土地、文化等、お互いに否定することなく受け入れあうのは不可能なのでしょうか?

いえ、絶対に出来ることです。

蛇足:下記は私が国内の差別問題に関する運動に参加していた頃に知った言葉です。

『差別は無くなるものではない。無くすものである。』


知識のない【40代男性】

この回答への補足

皆様のご意見参考にさせて頂きました。

ベストアンサーを選出すべきか迷いましたが、次の世代まで残したいのはどんな世界か考えたら、やはり私は争いや差別なんてない方がいいです。
どうせ同じ時間を生きるなら、人を憎むことに時間を費やすより、笑って過ごした方が楽しいと思うので。
質問者の独断と好みでしかありませんが、こちらを選ばせて頂きます。

もう少し多くの方の意見が欲しいところではありますが、全くの私事ながら、これから大学の研究室にこもりきりになるので…この辺で閉めさせて頂きます。

ありがとうございました。

補足日時:2012/02/06 15:35
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

"正しく理解して"なくす、それが一番ですよね。
ベルリンの壁等は本当に象徴的ですね。
私の倍以上生きていらっしゃる方はさすが、見てきたものが違います。
何年、何十年もかけて、少しずつ変わってゆくのでしょうね。
私がおばあちゃんになる頃には、また大分変わっているのだろうなと思いました(笑)

とても参考になりました。

お礼日時:2012/01/15 22:37

私は在日コリアンの人と、仕事上の付き合いが有りなす、私は差別することなく付き合おうとしたんですが彼らは違います。



変なプライドが有り、日本人を馬鹿にしています。

過去に屈辱を受けてきたと、日本えの犯罪を正当化しています、女性強姦事件が多いのもうなずけます、日本名で報道されるため、知らない人が多い。

反日教育が親から子に伝わっています、表向き批判しても、時折日本人を馬鹿にした発言が飛び出します。

日本人と結婚すると血がけがれる、在日社会でのけ者にされるそうです。

日本人を騙そうが、迷惑かけようが、平気でいます、私も騙され損害をこうむりました。

文化の違い、教育の違い、思想の違い、等有りますが、韓国人は在日もふくめ、危険な存在と認識すべきです、今後は気お付けて接していきたいと思っています。
    • good
    • 0

お礼おおきに。

あと横入りで。


>お互いの違いと違いがぶつかり合う現実も、そのままお互いの違いのひとつとして理解する、ということになります。

これ、勘違いやで。

質問者さんの言うとるのは例えば、私は女、あなたは男、違うよね、そうだね、それで仕舞い。それが「お互い違うことを理解し受け入れる」いうことやろ。


ぶつかり合うのは、そこに価値判断が加わるからや。女のここがえらい、男のここがすごい、男をやり込めたい、女を下に見たい。そゆ価値判断があるから、ぶつかり合う。

そゆ価値判断なしに、受け入れる。それは無理な話なのか、いうのが質問者さんの質問の核心と違うかな。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

私が言いたかったのはそういうことです。
もっと勉強します(^_^;)

お礼日時:2012/02/06 15:25

No.3です。



>"お互いを否定せず受け入れる"は、=お互い違うことを理解し受け入れる、ということです。
とのお礼をいただきましたが、少し違和感を感じましたので追記します。

 あなたが、「お互い違うことを理解し受け入れること」を目指すなら、そもそもこの質問自体の意味が消失します。

 特定のものを批判攻撃する人間も、争いや差別をやめない人間も、韓流が好きな人間も嫌いな人間も、すべて、それぞれが「お互い違うこと」です。
 そうした互いの違いを理解して受け入れるということは、現状にこれ以上何も望まない、すべてはいまのまま、あるがままでよい、という境地に達していなければならないことになるのではないでしょうか。
 お互いの違いと違いがぶつかり合う現実も、そのままお互いの違いのひとつとして理解する、ということになります。

 読み返すと理屈っぽく皮肉めいた内容に見えるかもしれませんが、別にあなたを攻撃する意図はありません。

 単に言葉の意味するところを追求してのことです。
 表現に間違いがあれば指摘・訂正願います。

この回答への補足

NO.4の方からもフォローを頂いているようですが。

それは貴方という1人の人間の解釈であり、私が意味するところとは異なります。
私の言葉に至らない点があったのであれば仕方なし、解釈を否定するつもりはありませんが、質問の意味自体が消失するか、それは貴方が決めることではないと思います。

1人が発した言葉を10人が聞いて、10人が全く同じようには受け止めません。
お前は間違ってる、だから社会から排除する、殺してしまう、といったことが起こらなくなることはないのか、というのが今回の私の質問です。

互いを否定せず受け入れるというのは、"そういう考え方もあるんだな"、本来はそれで済むのでは、ということです。

論点が変わってきそうなので今回の質問では敢えて明確にしませんでしたが、私一個人の価値観を述べるなら、
私は単に"嫌うこと"と差別は別物と考えています。

私はJ-POPとK-POPに特に違いを感じたことはありませんが、
聞き手が両者に音楽的な違いを感じ、一方は好きだけれどもう一方は好きになれない、嫌い、という感情を抱いても、それは仕方のないことだと思います。

ロックが好きな人もいれば、クラシックが嫌いな人もいる。
食べ物に好みがあるように、異性に好みがあるように。

受け入れる、というのは、なにも好きなるということではありません。

蕎麦が嫌い、憎らしくて仕方がない。だから蕎麦という存在は根絶すべき、蕎麦が好きな人間は非難すべき。
置き換えると、こう聞こえてしまいます。
蕎麦が好きな人もいるけど自分は好きになれそうもないな…それで済むものなのでは、これが私の疑問です。
蕎麦によるアレルギーは時として死をもたらすことさえありますが、蕎麦の排斥・根絶にまで至ることはなかなかないのではないでしょうか。
ごめんなさい、変な例ですね。

しかしK-POPを嫌う人がいたとして、嫌いな理由が"韓国人だから"であったとすれば、それは差別に該当します。
そしてそれだけを理由にK-POPとそれを好きな人々をを非難するのなら、これが私のいう"否定"です。

これはあくまでも私の個人的な考え方です。

けれど、過去の差別が姿を消したのは、やはり人類がが長い年月をかけ学習した上で出た"答え"なのではないかと思います。
今、日本が国をあげて特定の何かを差別すれば、それは多くの国から非難されることでしょう。

(お礼に続きます)

補足日時:2012/02/06 15:19
    • good
    • 0
この回答へのお礼

今、日本が国をあげて特定の何かを差別すれば、それは多くの国から非難されることでしょう。

差別することは存在を否定すること、差別に反対することは行動・言動を否定することです。
言葉ひとつで片付けられる問題ではありませんが、物を盗んだり、人を殺したりすることは罪になります。それを罪とすることも、人間が考えた末出した答えなのではないでしょうか。

勿論、批判が必ずしも悪いことではありません。
ある事柄に対して賛成派、反対派が論議をすることは、よりよい状況をつくるため有効な手段となりうることがあります。
しかし自分と異なる考えをもつ人間を排除したり殺したりすることはそこから外れた先にあるのではないかと思います。

ゲノム創薬では、遺伝子レベルでの治療が可能です。現在のこの病気だからこの薬で、の治療から、この患者の遺伝子にはこの薬だ、に移行できる、つまり患者1人1人に合った薬を提供でき、効率が上がります。
しかしここで問題になるのは、遺伝子がわかることによって、差別が生まれてしまうのではないか?ということです。
遺伝子を読み取るということは、将来患うであろう病についてもわかってしまうということになります。

ここには差別を危惧するが故、未然に防ぐための対策が必要とされています。
なぜ必要とされるのでしょうか。
差別、そして撤廃の歴史無くして、この対策は講じられたでしょうか。
科学だけが進歩していれば、このゲノム創薬によって差別が起こっていたことも考えられます。

答えは1つとは限らないし、必ずしも多数決が正しいとも限りません。
長い年月をかけて本当に正しい答えが出たのかもわかりません。
ですが、"好き嫌い"は差別、殺し合いとは大きく異なると思います。

性別、肌の色、宗教、土地、国籍…批判したり、社会的に排除したり、殺し合いをしたり、私が平和ボケした若者だからでしょうか、理解に苦しみます。

自分の大切な人間を失ったら、私だってどうなるかわかりません。
その人を殺した人間を恨むだろうし、殺そうとするかもしれません。
でも、"その民族"や"その性別"、"その肌の色"なんてものを恨むことは、やはりしたくありません。

猫や犬にも、白、黒、茶等様々な毛の色がありますが、どんな色でも、雄でも雌でも可愛いですからね。

幼稚で滑稽かもしれませんが、これが私の考え方です。長文失礼致しました。

お礼日時:2012/02/06 15:23

人間が頭で考えることを止めない限り、そして何かに囚われることを止めない限り、なくならないやろな。



国やら宗教やら土地やら文化やら、否定するのは、頭で判断した結果、あるいは何かに囚われて判断した結果やろ。

何も囚われず、心の赴くままに受け取れば、存在をただ受け入れるだけで仕舞いや。


わしらは、頭で考えることがええ、と思い込んで、そゆ世界に生きとる。追っかけとか、収集とか、嫌いなものの良さを認めないとか、ゲン担ぎとか、こだわりとか、大小構わず何かに囚われて生きとる。

そゆ生き方から離れれば、いろんなものを、あらゆるものを、受け入れることが出来るのと違うかな。


まあ、特に国家とか宗教とかは、概念から発生したつまりは頭で考えだしたもので、かつ枠組みに囚われた存在や。国家とか宗教とかは、生き物として生きるには、不要な存在。

現に、人間以外の生き物は、国家をつくってないし、宗教もない。比喩的な意味でのそれはあったとしても、金はとらない。人間以外の生き物には、そもそも経済概念がない。


人間が頭で考えることを止めない限り、そして何かに囚われることを止めない限り、否定はつきものかもしれへんな。悲しい哉。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

何かに囚われる………そうですね、確かに…勉強になります。

人間は考えるから否定する。
でも私は、考えることができるからこそ、いつか否定していたものも肯定できたら、という理想をもってしまいます(^_^;)

参考になりました。

お礼日時:2012/01/16 00:52

 宗教、土地、文化等、お互いに否定することなく受け入れあうのは不可能だと思います。



 光と影、表と裏、善と悪があるように、人間は敵と味方を区別します。
 味方を敵から差別する以外に自分の生活を安定確保する方法はなく、敵を差別攻撃する以外に組織を団結させる方法はありません。
 
 宗教に至っては、その成立段階から他を否定し差別することを高らかに掲げています。
 個人の差別があるから文化が生まれ、個人の利益を追求しようとするから土地という概念があります。

 人間がお互いを否定せず受け入れるということは、人間全てがアリやハチのような個を持たない存在になる、ということでしょうか。
 いや、アリやハチですら、他のコロニーを攻撃排除して勢力を維持します。
 植物ですら、より光の多く当たる場所を求めて熾烈な生存競争をしています。

 あなたがこの世に生を受けたのも、他の何億という精子を押しのけ、犠牲にして卵子と受精した結果なのです。

 存在する、という状況自体が、存在しない、という状況を差別しています。

 今の日本人は、世界人類が分かり合えるはずという不毛な、人間を思考停止させる幻想から脱却し、自分たちの家族や社会、自分たちの民族と国家を外敵から守るという、有史以来の重要な難しい仕事を受け継ぎ、強力に実行していくべきなのです。

 そうでなければ、日本は滅びます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

何かを差別することで団結する…少しわかるような気がします。
誰かの悪口を言う者同士で仲良くなる、なんていうのもよくあることですしね。

一点、誤解があるようなので申し上げておきたいのは、私が言った"お互いを否定せず受け入れる"は、=お互い違うことを理解し受け入れる、ということです。
人間が個をもたない存在になる、ということではありません。

参考になりました。

お礼日時:2012/01/16 00:34

質問者の行動力に対して敬意を表します。

(^^)

多くは ANo.1 の方が語って頂けていますので賛同意見だけで
省略させて頂きます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

そう仰って頂けて安心しました(^_^;)

お礼日時:2012/01/15 22:41

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!