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お願い・前提
訳についての誤りなど表面的な部分や写本がたくさんでてきていて、どれが正しい訳かわからない箇所の批判もやめてください。

キリスト教信者に関することではなく聖書に関することのみでお願いします。

また、具体的にどこが矛盾しているか、引用、もしくは聖書箇所などを上げて指摘してもらいたいです。

自称霊能者が言うような過去キリストはは金星人だったといったような証明しがたい否定もやめてください。

新旧新改訳聖書を基準としています。基本的にプロテスタント視点での聖書であり、カトリック的な外典や慣例は除きます。

A 回答 (11件中1~10件)

矛盾。



からしだねの件。
下で紹介するサイトにもあったかもしれませんが、一応書き込みます。

マルコ4:31-32
マタイ13:32
ルカ13:18
(トマス20)

マタイとルカは、からしだねを「木」と記述。
マルコは、「野菜」、すなわち、「草」にみのる収穫物と記載。
(トマスでは、木とも草とも言っていないが、このからしだねの譬えは記載されている。
したがって、福音書の作者たちによる創作と考えるよりも、イエスの真正の言葉である
可能性が高いと思われています)

正解はマルコです。
からしだねは、「草」です。
当然、マルコと矛盾しているマタイとルカは誤り。
「からしだね、カラシダネ」でググれば、大きな草であるからしだねを見ることができます。
したがって、聖霊に導かれて書かれたはずの福音書には、あきらかな誤りがある、と言えます。

護教者は、
「聖霊の働きがあっても、それを受けとめた者は人間なので、多少の誤りは許容範囲で…」
とか言い訳するかもしれません。
でも、それを認めたら、それ以外の聖書の内容も、どこまで信じたらいいのかわかりませんよね。


なお聖書の誤りについてまとめてあるサイト。
緻密に検討されています。キリスト者との質疑応答も楽しく読めます。
http://www.j-world.com/usr/sakura/index.html


付録。
「科学的」にこだわるなら、
「誤り」でも「矛盾」でもないですが、
巡航速度900 km/時のジェット旅客機でカナンの地を飛んでみます。

カナンの地=今のイスラエル国と仮定して、その南北端距離は470kmだそうです。
すると飛行時間はせいぜい40分くらい。

ちなみにジェット機で1光年(=約10兆キロ)を飛ぶのにかかる時間は…
  計算してみてください。
  とんもない年月が必要となりますよ。
しかも現時点で考えられている宇宙の半径470億光年くらいです。

聖書の神がアブラハムやモーセのころに、エジプトでもなく、メソポタミヤでもなく、
弱小のヘブライの民を選び、宇宙に比べて芥子粒にも満たない大きさのカナンの地を
約束するなんて、まず考えられないと思います。

参考URL:http://www.j-world.com/usr/sakura/index.html
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この回答へのお礼

科学的なものは神という概念で説明がついてしまうので不適切でした。
すみません。

私も他の方々の回答を頂き、検討してみたのですが、聖書は完全なものだったが、聖書の人間による選別が不完全だったという可能性が残ることになってしまったんですよね。
ですからより根本的な間違いを求めているのですがそれがどこにも載せてないんですよね。。。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/05/07 17:39

主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。


そのとき、人は言った。「これこそ、ついにわたしの骨の骨、わたしの肉の肉。男から取ったものだから、これを女と名づけよう」。
それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。

この話で言えば女は他に存在することとなる。
一対でしか存在をしないのに後の記述であちらこちらで嫁をもらう話が出てくる。
この嫁はどこから出てきたのか?誰が作ったのか聖書には一切記述が無い。
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この回答へのお礼

これは矛盾にはならないと思いますね。
考え用によって創世記の最初の方の僅かな行で実はとんでもない時間が立っていたという言い逃れが可能ですし。

私は完全なる否定、もしくはキリスト教の教理を無意味にするような否定を主に求めています。
もちろん14世代などのような間違いの指摘もお待ちしておりますが。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/04/30 23:19

314h様、




>「聖書完全」
>「人間が不完全」

ありがとうございました。
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この回答へのお礼

よくわからないですがご回答ありがとうございます。(笑)

ただ聖書が完全というのはたった少し前に論破されましたね。
だとすればいったいどうして歴代の賢いパスカルたちが信じてこれたんでしょうね。そして同じようにどうして賢い人から退けられてきたのか。
まだまだ勉強することはありそうです。

お礼日時:2012/04/29 20:34

確かに細かいかな。


食い意地張ってるんで重箱の隅の飯粒が気になって気になって。
ただ重箱の隅の飯粒は四粒もありますので、
この手の矛盾は探せばゴロゴロ出て来るはずです。
しかもこのイエスの系図の矛盾はそれなりに、
イエスの神聖性に関する看過できない問題を孕んでいることも事実です。

そもそもなぜマタイ記者がアブラハム‐ダビデ王、バビロン捕囚、
そしてキリスト生誕を、等しく十四代三期に区切ろうとしたのか、
これは救世主としてのイエスの定義を危うくする可能性もあるんですよ。
男ならちょっと目の前の石に躓いてみたくなるよね。

質問者さんも言及されているように、
イエスはキリストとしてその生誕を予言されていた、
というのが今日のキリスト教の一般的な教義です。
つまり捕囚によって亡国の民に堕ちぶれたユダヤ民族再興の実現者が、
かつて栄華を極めたダビデ王の末裔から出現することは、
創造の始めから定められていた計画であったという内容ですね。
新約の場合イエスのその性格はとうとう民族の枠を超えて、
人間の普遍的罪性からの救済にまで拡大解釈されて
今日の世界宗教としてのキリスト教が経営されています。

つまりユダヤ民族にまつわる歴史が、
アブラハム(約束)ダビデ(祝福)バビロン(堕罪)キリスト(救済)という、
まるで信者個人の救済そのものを象徴するような一貫した物語として繋合わされており、
マタイの記者はその直観的証拠として十四代三期という調和性を発見したわけです。
イエスこそは、アブラハムとダビデ、バビロンから関わって
ついに到来したキリストなのだよという主張ですね。

ところが実際に数えてみるとどうにも一世代足りない。
(ちなみに旧約の歴史書を紐解くと、一世代どころか、三、四人ごっそり脱落している)
イエス物語は破綻してるんじゃないか?脚本は誤植か落丁本じゃね?
とまあこんな具合に、重箱の隅の飯粒はわりと美味しいわけです。

ところで、聖書の記述に矛盾点が多々見られるということは
もはや疑問を差し挟む余地はないと思うのですが、
ただ個人的には、キリスト教という宗教がそれによって覆ることはないとも思います。
というのは、これは宗教というより純粋に哲学的な理由からなのですが、
(異論がある方もいるとは思いますが)そもそも言葉というものは
実体そのものではなく、むしろ実体を指し示す、
かりそめの道具(ツール)のようなものだというのがその理由です。
つまりたった一つの言葉でも、解釈のしようによっては、
恣意的に如何様にもとれるまるで粘土細工のような性質のものが言葉だからです。

十四世代三期の問題ひとつとっても、
「イエス物語の記憶のたすけに再構成したもで矛盾ではない」と主張すれば、
少なくとも信者は納得するわけです。それでなくてもなんとなれば、
質問者さんのお礼にもある「神のみぞ知ることで有限な人間に知れることではない」
といえば万事解決です。実体がない以上、神のご意志を持ち出されると
そこで議論は終わりです。言い逃れはいくらでも可能なわけですね。
事実そうしてきたのが、質問者さんのお知り合いのいわゆる福音派の一派なわけですが、
ここから先の議論は質問者さんも意識的に回避しておられるので、
これにて重箱に蓋としましょう。

ともあれ、今年は連休が取れそうなので、あっしはこれにて高跳びしやす。
今度は本物の重箱で良い連休を。
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この回答へのお礼

丁寧に前の回答を紐解いて下さりありがとうございます。

もちろん私は神のご意思などとすべてを片付けるつもりはありません。無宗教ですし、不可知論とキリスト教の間でさまよってますので神のみぞ知るでしょうという言葉はキリスト教の神の視点ではなくこの世界の上に存在する何らかの神を指していっています。

>粘土細工のような性質のものが言葉だからです。
私もそう思ってはいますが他の宗教はより良い選択肢の提示や根本的間違いで否定可能ですから。キリスト教もやっぱりそういった否定が欲しいと思ってしまいますね。

>ここから先の議論は質問者さんも意識的に回避しておられるので
そうですね。私の言っている教会がおかしかったにしろそれは根本的聖書の否定にはつながらないと思いますから。。。
ただ、今少し聖書について調べていたのですが確かにかなり記述の間違いがあるみたいですね。

正直個人的な話なのですがどうしてそんなにも当然としてキリスト教が正しくないとされるならばブレーズ・パスカルなどといった賢い人が熱心なクリスチャンだったのか。。。そこが不思議なんですね。

それでもかなり誤りがあるということが理解できました。本来キリスト教である以上は福音派ではあるべきだと思いますが(神は完全だから)それでも注意が必要みたいですね。

しかし回答者様のお陰で新しい視点に近づけた気もします。もう少し聖書が新ずるに値するか調べてみたいと思います。
本当にご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/04/29 00:07

こんばんは、



歴史的に、ナントカ派とかカントカ派とか、一方が一方を「異端」としたり、
また、その世界観と矛盾する科学的発見(者)を、やはり「異端」としたり。

それらは、矛盾とか科学的誤りと言えるのではありませんか。
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この回答へのお礼

>キリスト教信者に関することではなく聖書に関することのみでお願いします。

そういう訳のわからん信者は聖書完全であろうがなかろうが人間が不完全で、そちらに流れやすい以上存在すると思うんですよ。
もちろん今でも大部分がそうでしょう。

だからこそ聖書に関することで願いたいのです。

お礼日時:2012/04/27 21:52

(マタイ冒頭部)


アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図
アブラハムはイサクをもうけ、
イサクはヤコブを、
ヤコブはユダとその兄弟たちを

(以下中略)

こうして、全部合わせると、
アブラハムからダビデまで十四代、
ダビデからバビロンへの移住まで十四代、
バビロンへ移されてからキリストまでが十四代である。


って、

14×3=42 のはずなんだけど、実際に数えてみると、41かも?

……とかそういったたぐいのこと?
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この回答へのお礼

そういった類ではあるんですが、、、

細かい部分は間違っている可能性が十分にあるらしく、また他の場所で出てきてる可能性もあるし複雑であると思うんです。
ですから聖書に書いてあるバビロンは実在しなかった~とかソロモンは存在しなかった~とか揺らぐと大きな問題になるような場所ですね。

仏教やイスラムで例えると
イスラムはムハンマド、開祖が言ったことと教え違ってんじゃん。とか
仏教は輪廻転生を超えるものはないというがいったいこの世界は誰が作ったというのか。などといったようなことです。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/04/27 21:49

 No.4です。



 あなたがもっと勉強してからにします。
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この回答へのお礼

私はあくまでキリスト教が真実かどうかだけ見極めれば、大きな私の全体における問題は解決されるので、ずっと先まで哲学をやっているかどうかわかりませんが。。。
まだやっていて知識や読解力が付けばお願いします。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/04/27 21:03

 こんにちは。



 洗礼について矛盾があります。

 聖職者の階層組織に 矛盾があり それは たとえ《万人が司祭》であっても まだ司祭はいるということになり 端的にそれは 会衆となるときの洗礼に問題が収斂します。

 水と霊による と書かれていますが ヨハネ福音冒頭(第一章)には 《血筋によらず 肉の意志によらず 人間の意志にもよらず 神によって生まれた》と書かれてもいます。
 
 つまり 水による洗礼は――イエスも受けたし パウロも受けましたが―― 《人間の手による》ものでありすなわち《人間の意志による》ものだと言わなければなりません。

 言いかえると 水によるバプテスマを受けるときに――水はただの添え物であって――問題は そのとき聖霊によるバプテスマを受けているのだと言えるのかも知れません。

 けれども それなら 水による洗礼を無しにしてもよいわけです。

 ですから 水による洗礼という儀式を執り行なうということ・そしてそれによって閉ざされた会衆という集まりをつくるということ ここに矛盾がありましょう。なぜなら 神は 人類すべての人にとっての神なのですから。
 
 つまりは 目に見える教会という制度が 矛盾しています。見えない教会でよいわけです。バプテスマは 聖霊によるそれだけでよいわけです。

 言いかえると ほかの・名は違っても神と称するその神は たとえ無い神としての無神論であっても すべて すでに聖霊によって洗礼を受けた人びとがいだく信仰なのであり(エレミヤ書31:31以下) ひとしく目に見えない教会のもとに参集する人びとであると言わなければ ウソです。
 分け隔ては あってはならないし じっさい神のもとにはあり得ません。



 水による洗礼という制度 もしくはその結果としての目に見える閉ざされた教会という制度 これが 真理と恵みを実現させたキリスト・イエスというその信仰にとって 矛盾するものです。
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この回答へのお礼

こんにちは
のっけから伝え忘れがあるみたいなんですが、私の近しい協会の人に確認をとったところプロテスタントの福音派とかいうものらしく司祭という階級が存在せず指導者としての牧師や宣教師がいるだけだそうです。

水で洗礼を表した人がほとんどの教会に集う人とはいえ、私の近しい人の協会にはたまに行ったりしますが、キリスト教に対して批判的な私も友好的に受け入れてくれますよ?

上に上げた私の知っている教会の考え方だと教会は集まる場所ではあるが、別そこだという決まりはありませんよ?あくまで協会という場所は表徴でしかないと思うんですが。。。

ちなみに毎度のことですが回答者様の文章が難しいのでわからない部分がいくつかありましたので齟齬があるかもしれません。


ところで質問の目的に立ち返りますが、仮にあなたの主張が正しいとしてもそれはあくまで人間の考える価値観におけるものであり、神が全能だとすれば無意味ではないんですか?
何か、端的なものではなく根本的なところで全ての聖書に根ざす教派を一掃するような矛盾の可能性が高い場所を指摘してくれると嬉しいのですが、、、

質問とは関係ないことですが、、、
できればもう少しやさしい文章で書いてはいただけませんか?厳密性が失われるというのであれば仕方ないんですが。

お礼日時:2012/04/26 19:07

キリストが出現する前の人類は何なのでしょうか。



どうして、あそこに出現したのですか。
中国だって良かったと思いますが。

信じる者は救われる、といいますが、じゃあキリスト教が
出現する前の人たちは救われないんですね?
それはおかしくありませんか。

キリスト教を知らない人は信じることも出来ませんが
そういう人も救われないのですね。
おかしくありませんか。

全知全能なのに、どうして悪がこんなにはびこって
いるのですか。
生まれてすぐに死ぬ子供はどんな罪を犯したという
のでしょうか。

善だ、悪だ、といいますが、善悪など時代とともに
変わるでしょう。
歴史の英雄は、現代の価値観からいえば、殆どが
独裁者か殺人鬼ですよ。

なんで地球だけなのですか。
宇宙には神はいないのですか。
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この回答へのお礼

一応答えますがそれはキリスト教信者や社会的考えやあなたの考えと矛盾することですよね?神が完全だったらそれは意味のない否定です。

ですからその根本となる聖書に関する矛盾を聞いているんですよ。
例えばあるかわかりませんが救世主の予言とキリストの存在の矛盾だとかね。
そういう意味では他すべての宗教は否定されますし残りはキリスト教だけなんですよ。



私はキリスト者ではありませんが、一応キリスト教の観点で話します。

旧約聖書しかない時代でも救われることは可能だったようですよ。モーゼのように。

>どうして、あそこに出現したのですか。中国だって良かったと思いますが。
さあ?神はそちらのほうがいいと考えたんじゃないんですかね?

>全知全能なのに、どうして悪がこんなにはびこって
いるのですか。
それはキリスト教の観点から行くと神のみぞ知るでしょう。
>生まれてすぐに死ぬ子供はどんな罪を犯したという
のでしょうか。
その人が地獄に行くかどうかは分からないですね。神のみぞ知るのでしょう。

>なんで地球だけなのですか。宇宙には神はいないのですか。
宇宙を作ったのは神なんだから定義の仕方によっちゃ神はいるんじゃないんですか?

お礼日時:2012/04/25 22:11

キリスト教に限らず宗教は、科学的に証明できないとされる矛盾だらけです。



神とはなんですか?偶像崇拝のようなものです。

この回答への補足

これは私がどうしてキリスト教に限定しているかの経験論も合わせた見解なので読まなくてもいいですが一応読んでもらえるとなぜこの質問をしたかわわかっていただけると思います。

まず私はこの世の秩序の整った様子や素晴らしさから神の存在を自覚せずには要られません。(アインシュタイン的なものですかね)
それと進化論を唱えたダーウィンの最初の版では神がつくったとしか思えないといった内容が書かれています。

次に何故キリスト教に限定されるのかです。
まず、宗教が存在するのであればそれは人類の初めから伝わっていなければ不公平だと思うんです。
その意味で仏教は私のメガネにかなわないことになります。
そしてイスラム教ですがあれはムハンマドが聖書を基準としてと言ってるにも関わらず、聖書を矛盾しているのでもはや根本がおかしいです。
そして神が本当にこの世に何か軌跡を残したとすればそれはある程度広まっていないとおかしいはずだと思うわけです。
つまり残るのはキリスト教のみです。

確かにおとぎ話と呼ばれるぐらいぶっ飛んだ内容が書かれていますがあなたは歴代のパスカルなどの賢い人がなぜそんなぶっ飛んだものを信じたのか気になりませんか?
そういうわけで私はキリスト教が正しいのか?それとも神がこの世に残した証拠はなく不可知論者であるしかないのか。
それを知りたいわけです。

それとこれは人間の性質に関わった消去法的な考えですが、キリスト教だけが死後に絶望的なものを抱えているので、キリスト教を信じれば他の宗教大きな宗教が正しいとしても助かります。

なぜこの質問をするか御理解いただけましたか?

補足日時:2012/04/25 18:00
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この回答へのお礼

ああ、確かに普通科学的と言ったらそっちを指しますよね

言語的な矛盾、歴史的な矛盾についての質問です。

ご指摘感謝します。

お礼日時:2012/04/25 17:51

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