dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

結局、『いじめ』は人が生きていくための正しい行為なんですよね?
そう思えてなりません。

人は自分がいじめられる側(孤立する側)になりたくない。

集団の中でボス的な人物が、弱気な人を選んで、適当な理由を見つけて「あいつ、嫌い」と言う。
そしたら、いじめの標的にされたくない周りの人たちは、自分たちも「あいつ嫌い」と言い始める。
その標的にされた人がどんな扱いを受けても、「そいつが悪いんだからいじめられても仕方がない」と、自分がいじめられないために皆が思い込む。
標的になった人は人としての尊厳を無視され続け、精神的に病んでいく。

集団の中で生きていくということは、椅子取りゲームと同じですよね?
椅子に座れなかった人がいじめの対象になるんだ。
そして、その対象がいなくなったら、また新しいイス取りゲームが始まる・・・。

自分は今まで、「自分がされて嫌なことはしたくない」と思って自分の言動には注意しながら生きてきました。
でも、そんなことしていたから、いじめの対象になりやすいんですよね?
ボスの悪口に同調しない。いじめの対象者を一緒にからかわない。
だから、いじめの対象者がいなくなったら、椅子取りゲームから自分があぶれるんだ。
椅子取りゲームは第1の対象者がいじめられているうちに、第2、第3の椅子取りゲームが始まっている。

社会で生き残っていくためには、いじめの対象になってはいけない。
対象になりたくないなら、椅子取りゲームで椅子に座らなくちゃいけない。
そして、誰かをいじめる側にならなくてはいけない。

椅子に座ることさえできれば、ボスでなくとも、根回しという技術で自分の嫌いな人を椅子から落とすこともできる。

結局、いじめは駄目だというのはきれい事ですよね?
大人は生き上手だから、子供に対しては「口ではいじめはいけない」と言うけど、実際はいじめをしながら生きているんだ。
生きていくためにはいじめに加担していかないと、生き残れない。
自分がボスになるか、誰がボスなのかを嗅ぎわけてついていかなきゃならない。
資本主義ですもんね・・・勝ち残っていかなければならない。
そうしないと、人としての尊厳は無視され続けてしまうんですよね?

自分は今後、椅子取りゲームで椅子に座る側になっていこうと思います。
仲良しこよしでは生きていけない。

だけど、本当にそれでいいのかという気持ちもあります・・・。
でも、それ以外に上手い生き方はない。

他に上手な生き方があれば教えて下さい。

A 回答 (29件中21~29件)

そうなのかもしれません。



だけどね。。心が痛みませんか?
もしそうであるなら、自分の意思とは違う生き方をするのは苦しいのではないでしょうか?
文章がとても上手なので年齢を見極めるのが難しいですが、、、

学生さんだと学校という集団の中が全てになってしまうので、逃げようがないですね。
私自身も同様なことを思っていた事がありました。
椅子を取らなければならないと必死になっていた時期もありましたね。
しかし、バカバカしさに気付きました。

その時からかな、来る者拒まず!去る者追わず!

所詮、人生の中の数年です。
一生その中で生きるのではないと見えてきました。
ただ、、それに気付くのはもっともっと先なんだと思いますが、、

どういう風に生きればいいのか、、正解というものは残念ながらありません。

ただ、今子育てをしている中で、最低限子供達には「学校」と「家」と「もう一つの子供達の居場所」を確保するようにしています。
家は揺るぎなく子供達の安らぎの場所であると思っています。
もし学校で何かあってももう一つ場所があれば、、世界はそんなに狭くない!と思えるのではないかと考えました。

幸いな事に今その三角形の流れは上手く行っています。(子供なりに何かあるのかもしれませんが、、)

これは幼い頃から意図的に私が仕組んでいます。
幼稚園、学校が一貫校の私立ということもあり、地元の交流もなかったので地元のサッカークラブや子供会に参加したりしましたね。
正直、私立だから何もないなんてことはありません。あります!
が、流される事なく過ごす事ができましたし、勿論親としての助言もし続けました。
ちなみにこのもう一つの居場所は子供自身がやりたいことでなければなりませんね。

また、今私が息子に伝えているのは、「不思議なことにいじめられた経験のある人はそれをバネに今を生きている人多い。しかしいじめた人は’いじめていたよ!’と胸を張れずに生きている!!多分そこから先には進めていない」です。

いじめを無くすなんて夢かもしれません。
が、だからと言ってそれを肯定しながら生きて行くなんて。。。できますか?
きっとギモンに思っている貴方様はそこに目を瞑れなく悩んでいるんだと思います。まっすぐでいいですね^^
こういう力は大きくしなうちゃ!!

自分に出来る事なんて広い世界の小さな点かもしれないけれど、その声が広げることは大切です!!
負けないでほしいと切に願います。正直に生きる事って難しいかもしれないけれど、自分の生きる自信に必ず繋がるし、他人をも勇気づける時が必ずあります。無限の力を信じて下さい。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

自分は2,3日前に思い切ってここに登録したのですが、自分の悩みや考えを書き込むと、沢山の人がメッセージを残してくれて・・・感動しています。

>「学校」と「家」と「もう一つの子供達の居場所」を確保するようにしています。

所属する場所が少ないから、いじめる側になってやろうとまで思いつめ、考えこんだのかもしれません。
onegai1さんのおっしゃる通り、複数の場所を持っているというのは、上手な生き方のひとつなのかもしれないなと思いました。
ここに登録したことで、実感しています。

上手に生きていくために、所属する場所を常に複数持つようにしようと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/10/26 21:33

生き抜く為には、牛や鳥を殺して食べています。


あなたの言っていることは正しい(かも知れない)。

誰かを犠牲にすれば自分は免れます。
これは本能でしょうね。
だから横並びにみんな同じ行動する。
狭い視野で見れば正しいことです。

だから戦争も無くならない。
広い視野で見れば、一人一人が他人の痛みも自分の事にように受け取るようになったとき、世界平和がおとずれるのだと思います。
不可能なのかもしれません。
過去に世界で戦争の無い時代は無いと言われてますから。

色々な集団があります。
今回ニュースで騒がれてる角田被告やイジメなどの恐怖で支配される集団。
みんな協力し合う集団。

今あなたは恐怖で支配される集団を学んでる次期なのでしょう。
まだ学生なら集団のスポーツをされてはどうでしょうか?
仲間を信頼しないと強くなれない集団です。
仲間の為に自分が頑張る。

私は少しだけ、東北震災のボランティアに行きました。
その時、ボランティアの人が何万円か10万以上か入った財布をトイレに忘れました。
顔を合わした事もないような他のボランティアが見つけて、財布が帰ってきました。
色々な集団があると思います。
又集団はリーダーで変わります。

自分に相応しい集団に、今いるということでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ppp4649さん、ありがとうございます。

>自分に相応しい集団に、今いるということでしょう。

そうかもしれないな・・・と思いました。
自分はいつも人を怖がっていている。
怖がっているから、恐怖で支配されている。
だから、「恐怖で支配される集団」の中にいるのかなと思いました。

それから、確かに集団でやるスポーツをしたことがないですね。
個人戦タイプのスポーツしかやったことがないです。
「仲間の為に自分が頑張る」ということを学べば、もしかしたら自分は、人を怖がらない人間に成長できるかもしれないなと思いました。

お礼日時:2012/10/26 21:12

いじめは新車にワザと沢山の傷をつける様な事と同様な行為なので傷をつけた方は責任をとらないといけません。


いじめは犯罪なので罪深いです。
いじめをする方が100パーセント悪いそうです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

Uyhtgrさん、回答ありがとうございます。

理想的には自分も同じ気持ちです。

お礼日時:2012/10/26 21:01

いじめって、悪いというイメージですが、それはいわば非合法だからです。


勝手にはじめてしまう、もちろん、ルールはその時次第と。

なんで、いじめになるかというと、平等原則に毒されているから、表現的に間違っているかもしれないが。

井沢元彦著の逆説の日本にを読んでいると、ああそうかという気づきがたくさんあって、
その中に、「和」を大事する民族が倭人=和人=日本人だと聖徳太子の頃以前よりあったと。

談合なども、誰かが独り占めするより、みんな仲良く・・・・といえば、聞こえはいいが、
あるグループで利益を山分け?するようなシステムがもともとなんです。

で、このグループですが、ついこの前までは「士農工商」とあって、社会的ないじめとしての階層が決まっていた。

いじめといってはいけないなら、下の階層のものは上に従わなければいけない。
「士農工商」以前にも当然に、貴人というシステムによって、貴族は偉い。
大企業に中小企業は泣かされると。

いまは、みんな個人としては、平等。
能力も平等なのかというと、そんなことはないわけで。

100人で走り出せば、1番から100番まで当然に決着はつく。

すべての’競争’で1番から100番までです。
幻想として、1番と100番が同じとするから、いわば、衣着せずにいうなら、100番が1番と同等を主張するから
いじめにつながる。

どうやっても、’身分’がヒエラルキーとして群れだと決まってしまう。

そこをどうやって「和」するかです。

個を認めるが、ヒエラルキーはあるということをどこまで社会的に、認知していくか。

学校内では100点も0点も同等を主張できますが、卒業すれば100点の人はそれなりの処遇をうけ、
0点の人は社会的に落ちこぼれて、社会的ないじめにあっていきます。

理想を唱えても、どこかの時点で、序列に組み入れられていきます。

そこに、ルールがあれば、一応の安全弁になるというだけのこと。

ルールも所詮、その他大勢が遵守する矜持を持たないとだめです。

生保をどう考えますか?
人が生きていくために・・・というなら、あれはどうやっても、落ちこぼれた人を助けるシステムです。
そして、それを申請主義としている。

申請するだけの気力と能力のある人しか受けられない。
この時点で、それ以下の人は、社会的にいじめてもいいという、結論になります。

所詮、どこかで、線を引くことになる。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

bekky1さん

ごめんなさい。
自分はあまり賢くなくて、読んでいて理解できる部分もありますが、ちょっと難しいです。
でも、

>そこをどうやって「和」するかです。
>個を認めるが、ヒエラルキーはあるということをどこまで社会的に、認知していくか。

>理想を唱えても、どこかの時点で、序列に組み入れられていきます。

というところが、胸に残りました。
これからいろいろ考えていくうえでの糧にしていきたいと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/10/26 21:00

 いじめはどこにでもある、必要悪だなどという理屈は、感情をコントロールできず、人間同士の意見調整のできない、精神的に未熟な愚か者の言うことです。


 いじめというものは人格を否定し、その個人の持っている能力や知識を、それが有益かどうかを全く検討し評価し判断することなくいきなり否定する行為です。
 そんなものは資本主義でもなんでもありません、人材の浪費です。

 古代中国で曹操孟徳は、「ただ才のみを掲げよ」と布令を出して、罪人や鼻つまみ者、異常者なども何か才能があれば採用し、それを必要とする部署へ配置したと聞きます。
 人的資本を活かすことこそが資本主義であり、組織自体が勝ち残って行く手段です。

 闇雲にいじめの対象を定めて、例え僅かでも存在する人材としての価値を目減りさせるようなボスは、ボスとして失格です。
 必要なのは、組織人、社会人としての自覚と、人材を活かさなければならないという自覚、自分もその中で何らかの役割を担っているのだという「当事者意識」です。
 誰もが仲間のために、チームのためにという意識で日々をすごせば、自他共栄が実現できるでしょう。
 たとえ周りが自分のことを貶めても、あくまでもそれを貫いて、自分を捨てて励めば、その姿に共感して共に頑張る人も必ず現れます。

 現状を悲観するのではなく、現状に耐え抜く、自分の意志を貫くことで、活路を見出すべきです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

williumblakeさんの言うことは一理あると思います。
自分は「人間同士の意見調整のできない」人間です。
でも、そうだな・・・まず、自分は発言力をつけていくのが大事なのかなと思えました。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/10/26 20:51

弱肉強食は基本です。



捕まって食べられるシマウマを見ながら、必死に走るしかないので、速く走れるようになります。

いじめもいじめられる条件を見抜けたら、いじめられないような自衛が出来ます。

競走にでた皆が一等賞という学校がある様ですが、それは間違った安全意識を植え付けて、いずれ本当の厳しい社会に出た時に自分だけが頼りになった時に、自分の弱さを痛感するはずです。

家庭内兄弟喧嘩から、地域のいじめっ子、学校の競争を経て、親にも叱られながら強くなるのが理想です。

うちの子が学校に上がる前に、結構家庭内でどついたりして抵抗力をつけました。他人にやる前に痛さを知ってもらおう的な教育です。いじめ反対派の正義感になってましたよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

KoalaGoldさん、ありがとうございます。

頭の良い子だったら、小さい頃が、どうやったらどつかれないか、どうやったら安全かを学べる環境であったなら、社会に出ても人間関係力は万全だと思います。
「頭の良い子だったら」をつけたのは、自分も保育園の時からいじめられやすい人間だったからです。
もし、自分がもっと頭の良い子だったら・・・学べる環境だったのに・・・とホント悔しいです。
いじめられても、いじめられっぱなしが多かったです。
たいがい、頭が真っ白になってしまってパニックに。
笑えますよね。

KoalaGoldさんのお子さんは賢いんだと思います。羨ましいです。

お礼日時:2012/10/26 20:42

集団生活を行っている生物は本能的に弱い遺伝子を排除して行こうとするんだろうね。


現代の人間の場合、過度な集団生活を強いられている状況になって、その本能が、
ゆがんだ状況を生み出しているんだろうね。

でだ、

君が生き残るためには何でもしたら良いと思うよ。 ただ、自分のしたことの「つけ」は
結局、自分で支払うことになるかもしれないという覚悟だけはしておくべきだと思うよ。


 
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ShowMeHowさん、ありがとうございます。

椅子取りゲームに負けた人間、いじめを受ける人間は、どんなことをしたから「つけ」を払わされているのでしょうか。
「どんなことをしたから」というのが分かれば、いじめられることはないと思います。
それが分かれば、椅子取りゲームはしなくてもいいはず。
知りたいです。

お礼日時:2012/10/26 12:03

学校は社会の縮図


いじめは、帝王学
強いやつが弱い奴を以下にうまく利用して、いい気持ちになるか利益を上げるか
後始末をどうするかを習うこと

ちゃんとしたことをやれば、金や物をせしめた挙句、名前なんか一切出すことなく
後始末することも出来るけど、最近が貴は馬鹿だからそれを考えないで
傷害をたくさん与えられるヤツが強いなんて考えちゃうんだろうなぁガキだから。

俺らの子供のときは、たかりもたくさんしたけど、調子付いて後から入ってきた馬鹿そうなやつが
少々横着し始めたときを見計らって、身を引いて、保身の為に被害者をフォローしてやった振りして
まあ最後は最悪な結果になるように仕向けんだけど、遺書に書いてあったのは、後から入ってきた
馬鹿の名前だけ、これがこの先ビジネスにも生かされている。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

zozokegatatuさん、ありがとうございました。

「後始末をどうするかを習うこと」に強い衝撃を受けました。
あるボス的人間の顔が頭に浮かびました。
その人は、確かに、名前なんか一切出すことなく 後始末しているように見えます。
それから、尼埼事件も頭に浮かびました。

自分は、所属しようとする感覚でいるから、椅子取りゲームのような考え方をしてしまうのかもしれません。
ビジネスか・・・一理あると思います。
賢こくなりたいと思いました。

お礼日時:2012/10/26 11:59

視野が狭いです。


世の中には、いじめが無い集団もあります。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ginga2さん、回答ありがとうございます。

確かに、いじめのない集団もあります。でも、それはその集団の外部に標的がいるからだと思います。たとえば、取引先の人とか、違う部署の人とか、先生とか、、、よく考えてみて下さい。

お礼日時:2012/10/26 09:26

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!