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聴覚障害者ですが

母に手話サークル連れていってもらってから25年近く経ちます

手話を教えるのも20年経ちます

サークルで手話を教えるのは16年になります

そこで、手話サークルについてなのですが

最近、聞かれるサークルに対しての内容は

「楽しむ為にサークルに行く」「手話を使いたいからサークルに行く」「手話を習いたいから」

とかよく聞きます。私が聴者だったら、言える内容ですが

聾者としては・・「何の為に?」っていう疑問を持ちます

何故聞かれるのか?というと、「手話を真剣に習おうとしない」、「手話は趣味である」

という点から、手話を習ったとしても重視しないということですね

*手話は趣味=聾者と会話するよりも使ってみたいだけの事

私の地元のとこだと多いです

そして手話を指導する人も減ってきました(教える聾者は少ないと思います)

手話を教えるなら勉強会(養成講座)でしょ。と聞かれますが・・

聾者と向き合って習うという視点はなかったのだろうか?と疑問を持ちます(質問1)

一人の年配の聾者が、手話サークルに対して不満とか疑問とか持ちつづ言い出してから

数年経っているんですが(私も含めて数人も)

悩みだしてサークルを避けて、数人の手話を覚えたい人を集めて自宅で活動したり・・

そこで参加してる人の意見を聞くと・・「サークルより手話を覚えやすい」という内容でした

まぁ、楽しく会話してる中で習得しやすいといういい点もあるせいかもですが・・

サークルでは、声でおしゃべりしたりする面が多くみられ、注意しても無理なので

聾者が数回注意して・・何度か繰り返していくうちに怒っては参加してこなくなりました

聴者の言い分には「手話がわからない人もいるので」とか言いますが・・

手話を習ってから20年近くの人もいるのですが・・やはり声頼りが多く

通訳者としては遅れがありすぎて、手話奉仕員の活動としても友達としても通訳が難しく

そういう人も今後増えるとなると不安が増えていくのだろうと思っています

サークルで聾者と会話しようと思って参加する意思ってあるのでしょうか?(質問2)

手話サークルって 趣味で活動し、聾者と通訳する義務はなく おしゃべりの場として活動なのですか?(質問3)

私が思うに、義務化つけられると サークルの参加者が減るだろうと思うと

サークルの役員側としては問題視するかもしれませんけど

現在でも参加する人も減ってきてるんですけどね(私の地元では)

都会とか大きな街なら聾者が多いかもしれませんけど

仲間がいるから維持できると思うんですけど・・(多いと気にしなくなるから)

少ない所だと・・かなり気にします

13年前くらいから・・手話サークルの会員としての取り締まりがはじまってから

他の市のサークルの制限があって、参加しにくくなってから

手話の習得率が落ちてきています

会費の問題とか、そんな所があり、他のサークルに気軽に行けれなくなってからは

手話の表現が落ちてきて、手話通訳士の仕事が悪化してきていますよね

(新聞にありました)(手話が分かりつらいとか)

昔みたいに制限なくして、誰でも気軽に参加できる手話サークルであって欲しいとおもいますが
(会費無しで)

こうなっていくとボランティアと呼べなくなってきていますしね


ちょっと前に聾者から「サークルの役員にまかされました(数が少ない為)ですが、サークルに対して

の不満を言わないように」といわれたらしいんですけど・・

解決しようとしない限り、聾者から手話サークルの魅力がでてきません

私はそんな手話サークルだったので、あまり参加していません

数年悩んだ結果がこれですので・・同じ悩みを持つ人が多いのではないかと思います

どうでしょうか?

A 回答 (3件)

 #1です。

お礼をありがとうございます。
 
 手話サークルは「誰のために開催されているのか」の視点が違ってしまったのが残念ですね。
 通常の行政機関などで開催されているサークル活動は多分に健常者側を主体にしていると感じます。
 よって「手話サークル」は聾者と触れ合う場として設定されていないのだと感じました。
 手話を覚えて誰かの役に立ったならいいかな~的な感じなのだと思います。
 つまりそこに聾者がいても居なくても関係ないのでしょう。

 聾者の触れ合いの場を作ってもらったら楽しく過ごせるのに・・・・。

 まだまだ日本ではその認識が低いのでしょうね。

 
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聴者です。


いろいろな講習会や手話サークルを見てきたので
自分の知っている話を書きます。

私の印象では、手話奉仕員養成講座に20人入ったとすると
そのうち10人が聾者のために手話を習得したいと考えているけど
残り10人は自分の趣味のために手話を覚えたいと思っているようです。
また、最初は聾者のために手話を習得したいと思っていた10人も
最初に想像していたより手話が難しく、半分位は諦めてしまいます。
職場や親戚に聾者がいる人をのぞけば、
奉仕員講座が終わった後に通訳を目指す人は、2~3人です。
少ないですよね。。。でも、これは他の言語でも同じ位だと思います。

手話サークルは、大きくわけて3パターンありました。
(1)手話通訳の勉強をする
  テキストの例文を訳したり、新しい単語を覚えることが中心。
  教科書に乗ってる内容は得意だけど、自然な会話が伸びづらい。
(2)聾者で手話でコミュニケーションをする
  聾者の手話を読み取ったり、聾者との会話が中心。
  日本語での会話を禁じてるところが多く、初心者は入りづらい。
(3)無理なく楽しく手話をつづける
  手話のゲームや、テーマにそった聾者との会話が中心。
  初心者でも入りやすいが、日本語での会話が多くなりがち。

手話を聾者のために使いたいって思っている人が一番多いのは、
(1)のサークルに通っている人です。
でも、手話での会話が上手なのは、(2)のサークルに通ってる人です。
また、(3)のサークルがきっかけで、手話通訳者になる人もいます。
どのパターンの手話サークルにも、良いところはあると思います。

もし、同一市内に複数の手話サークルがあるなら、全部同じ団体にして
好きな時間・場所のサークルに、自由に参加できるようにすると
やる気のある人が、いろいろな手話サークルに通えて良いですよ。
人間関係や予算の問題があるので、簡単にはできないと思いますが…
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

手話奉仕員養成講座・・どこでも変わりませんね・・・
こちらでは都合が悪く出欠日数による辞退ですが
私が養成講座の指導担当の時、一人だけ手話の表現をお願いした所、わからなくてそのまま
用事で抜けられた方もいましたが・・
後は、2012年の山口にて国体用・・手話奉仕員の資格が欲しいだけに参加してる人もいました
ろう者と会話したいとかろう者に役立ちたい人も・・かなーり少なめですね!
手話を覚えるのではなく友達を作るために参加したっていう人もいます(自白してきてますw)

やってみようという好奇心から手話を覚えたいという気持ちになるまで時間かかる人もいましたけど
きっかけは大事ですよね

サークルについて
以前・・これ読んでいくつか気づいたのですけど

http://home.att.ne.jp/theta/setatsumuri/sakurusi …

幼少の頃から見てる手話サークルそれを合わせてサークルの方針を見直しても
友達のろう者の出張は間違っていないものだと思われますけど・・・

>手話サークルは、大きくわけて3パターンありました。
(1)手話通訳の勉強をする
  テキストの例文を訳したり、新しい単語を覚えることが中心。
  教科書に乗ってる内容は得意だけど、自然な会話が伸びづらい。
(2)聾者で手話でコミュニケーションをする
  聾者の手話を読み取ったり、聾者との会話が中心。
  日本語での会話を禁じてるところが多く、初心者は入りづらい。
(3)無理なく楽しく手話をつづける
  手話のゲームや、テーマにそった聾者との会話が中心。
  初心者でも入りやすいが、日本語での会話が多くなりがち。

このあたりが気になる点がありまして
(1)の方は・・聴者のみが学ぶ学習方法ですよね?その場合、日本語対応手話になると思いますが
通訳の勉強になるにはろう者との会話が出来るかどうかで左右されるのではないかと(日本手話)
ろう者から学ばれる事もあるようですが・・ろう者が居なければ難しいですよね
(2)地域によるかもしれませんが・・1から教えるろう者の方も居ます。
もちろん一般的にはろう者だと日本手話から・・難聴だと日本語対応を習得されます
日本語での会話なのですが、初心者と会話する場合必ず手話のペテランがついております
2パターンありまして
サークルで習う場合、どうしても日本語対応手話になってしまう
サークル外で喫茶店など自由時間で会話で習得する場合日本手話になります

(3)ですが・・手話を教えて教えてと言われてきます(特にろう者 次にペテランの人)
温度差もあり、やはり手話を真剣に頑張る人とマイペースな人がおられると片方居なくなります
居なくなった時は行きやすいサークルに・・
初心者は見るだけになってしまい・・もったいない場合が多く(成長は遅め)
何がいいのかは自分ではわかりませんが・・できるだけ声出さずに頑張って読み取りながら学ぶしか
現状・・聴者が考えてくる勉強内容ばかりで指導力も疎かにしてしまい
新人さんは来なくなる一方でした
以前は・・私たちろう者が指導してきましたが・・見てるだけってのが多く手話を教えてって
言ってるわりには覚えてこないという点でもめてたと思います
自由にさせておくと・・手話勉強の課題を出して聴者自らハードルをあげては空振りしております
私たちが言うと何したかったのだろうかということですね
聴者たちは手話を教えるという知識がありません(元々ちゃんと教わってないのもあり
覚えられないのですから)なのでろう者に助けを求めてきたりはするのですが
そのろう者の意見とかは否定してきます・・

最後に同一市内に複数の手話サークルがあるなら・・・
私的には県内が望ましいですね・・今のままだと本当に手話のマンネリ化が続いてるのではないかと・・
12年前までの手話サークルのがよかったなーって思ってますけど・・
友達が高校時代で、隣市を含めて2箇所手話サークルに通い、私も一緒にいってましたが
友達も出会えて、手話サークルに通う同士に出会えて楽しく勉強したりお茶会などしてましたが
会費による制限になってからは、そんな行為もできなくなってしまい
情報も友達探しも同士探しも制限されてしまいましたね・・
残念だなぁって思うばかりです

お礼日時:2013/04/24 01:15

 私はどういう形であれ手話を覚えようとする、聾者に接しようとする姿勢は評価するべきだと考えます。


 確かに楽しいサークル活動の域は出ない人が多いことは事実ですが、それでも0よりは良いと考えます。
 手話サークルすらない地区もまだまだ多いし、聾者でも手話全部を覚えずに来た人もいます。

 今は便利になって、手帳やカード、携帯のメール機能などで会話をするケースも多くみられます。

 通訳の需要が減ったのはやはり「語彙が多くなり手話では追いつかない」ためだと思いますし、テレビなどでは字幕で対応できるようになったからだと感じています。

 東日本大震災でもそうでした。官房長官の隣の手話通訳はいるのはわかるのに映してくれませんでしたよね?


 質問の1・2・3はそれぞれ「そういうことではない」と言えると思います。

 今は「唇を読んで内容を把握する」という指導に変わりつつあります。手話と同時に行うことから、間違いを少なくするためです。ですから、「聾者と向き合って習う」ことはそれ自体少ないこと(聾者が出たがらないことも理由にあります)「サークルで聾者と話し合うために参加する」こともないでしょう。サークルはどういうものであれ参加者が楽しむものである。

 ですから、手話サークルは聾者の為に存在するものではないということです。
 手話を習っていることが彼らのステータスなんだと思います。
 「手話をならっているの」「偉いわねえ」という構図です。

 これがそのまま「けしからん」ことだとは思えません。

 先に書きましたが、少しでも手話に興味を持ってくれることが大切なのだと感じます。

 今は小学校で手話の授業があります。そこに講師としていきましたが、最初は悩みました。
 私は難聴者で伝達難聴なので普通の声は聞こえませんが、近くで話してもらえれば聞こえます。
 そのことで子供がいじめにあったりしないか・・・・と心配だったからです。
 でも、取りあえず補聴器をつけて行きました。
 私の手話も完全ではないのですが、何とか手話というもののさわりだけでもわかってもらえたかなと思います。

 こういうことって、きっかけが大切であって、個人の主義主張は二の次でも仕方ないのだと思います。

 生活の中でどれだけの機会があるのかにもよると思うんです。

 もしも、手話サークルが聾者との接触の場だとするならば、それは聾者への奉仕活動のような位置づけにもなりかねません。聾唖学校へのボランティアともまた違うのですから・・・・。

 スレ主さんのお考えもよくわかるし、そのもやもやした部分やもどかしく思うこと、健聴者の態度にも疑問を感じるかもしれませんが、来てくれるだけでもいいくらいに考えたほうが賢明かと思います。

 でなければ、実践の場を作るのも一つかもしれませんね。

 聾者を多数来てもらい、どのくらい自分の手話が役に立つようになっているのかを検証する機会を設けるのです。

 一緒に花見をするとか、会食をするとか。

 実はカラオケもあったんですよ。手話でのカラオケ。もちろん聾者も歌います。

 そのくらい幅広いサークルの内容にしてみるのも一つかなと思います。
 もう、実行されているなら、失礼いたしました。

 東日本大震災で、補聴器を忘れてしまい、放送が聞こえず苦労しましたが、数日後取りに戻りなんとかなりました。 
その間は子供が放送を聞いて、ゆっくり伝えてくれました。
 他の加齢による難聴者は手話など覚える気もないらしいので、仕方ないのかなと思ったのも事実です。

 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
もちろん手話を習得してもらう方々には評価はしています。ろう者にかかわる言語とか
福祉などに理解してもらうのに接してくれるのですが、この辺はろう者も聴者も十人十色です。

1度に覚えてるのですが、年上のろう者の人から「サークルの時間は手話を出来るだけ使って欲しい」
などの説明をしていて、聴者たちは理解してくれたようで、こちらに今後から考えようねと伝えてきた
のです。しかし・・数ヵ月後、聴者たちは言われた事を守らず手話を使わない時間が続き
とうとうろう者が怒り出して、罵倒した後は手話サークルには来なくなりました。
何故?説明して理解したのに数ヵ月後になって忘れて繰り返すのは・・・
手話と一緒に注意点も忘れてしまったのでしょうか・・という疑問がありました。

>通訳の需要が減ったのはやはり「語彙が多くなり手話では追いつかない」ためだと思いますし、テレビなどでは字幕で対応できるようになったからだと感じています。

この点については・・全体のろう者(半分以上)は字幕みても理解できないので、手話でないと通じない時代です。(できれば日本手話でわかりやすく説明があるもの)学力は遅れてるので手話の方が重要となっております。

>東日本大震災でもそうでした。官房長官の隣の手話通訳はいるのはわかるのに映してくれませんでしたよね?

よく見るケースです・・ここらへんはまだ理解できてないのではないのかと思います(全国の数箇所)

>サークルはどういうものであれ参加者が楽しむものである。

一般的にはそう思われますが・・ろう者の世界では違うようです。ろう者が手話で会話できる唯一の場所らしく、ある程度手話を習得しないと会話が出来ないのもありますね。
参加者に聞くと、手話を真剣に学ばないとろう者に出会ったら怖くて隠れてしまうということです。
会ったらどうやったら通じるか困った顔するのはお互い為にならないのではないかと・・

サークルではろう者が居なかったら、手話は何のために使われるのでしょうか?聴者には第一言語は日本語であり、手話は第二となりますが・・数ヶ月、1週間すれば忘れてしまいます
聴者のみで学習する場合・・ろう者の通訳とかには実用的になりませんしね・・
実際通訳に行かれて通じなくて、困ってるろう者、もっと困ってる聴者です・・

重く考えない方向で言うと、手話を使って会話する趣味として活動するだけでも、ろう者としては見てるだけで見てわかるっていうのが幸いな点ですね・・ただ意味が違うと誤解してしまいがちですが

>もしも、手話サークルが聾者との接触の場だとするならば、それは聾者への奉仕活動のような位置づけにもなりかねません。聾唖学校へのボランティアともまた違うのですから・・・・。

元々・・手話はボランティアの一種だと思うのですが・・(通訳の仕事を除く)
サークルのメンバー全員が義務化するわけでもなく、自発的にする人も見られます
ろう者が困っている場合でもただ見てるだけというのはみんなそんな人間ではないはずです
車椅子の人が転んだら見てるだけなんで非道すぎますしね

手話を必要とするしないという難聴者は多く見られます、しかし100%通じるわけでもなくスムーズに会話が進めるとは限らないのです(自分も難聴なのでわかります)
口話なのですが・・人によっては難しい場合もあります。あと難聴だと歳を取る度にコミュニケーションを取るのがつらくなるので手話を使い始めた人も増えてきていますね・・

最後に、回答に否定するわけでもなく、サークルに参加するにあたって
ろう者からの苦情を代表に書いてみただけなのでご理解ください
数年経つにつれてトラウマになり、手話サークルに参加しないろう者が拡大してきてるので
ご存知のように・・表に出てるろう者難聴者の2割ですが、8割は出てきません

うちのとこでは手話通訳依頼少ないです・・
ろう者が50人のうち2~3人ですから・・家族、友達に依頼する事が多いですよね
私は私専門手話通訳を指定してますけど・・(その人以外手話通訳無理)

最後に私は手話サークルには3ヶ月に1~2回くらいしか行ってませんが
新人さんとか手話習得志望者が居れば毎週参加してる感じです
それ以外・・手話の方向性が違いすぎて全員マンネリ化してます・・
むしろ手話忘れていってるみたいですけど

このあたりは土曜日の手話サークル(昼の部)であり、月曜日の手話サークル(夜の部)では全員手話を使って会話しています
このあたりが問題なく、楽しく手話で会話しまわしております
このあたりが気持ちの問題ですかねぇ・・・

お礼日時:2013/04/24 00:47

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