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平和憲法の草案から公布には色々な事情がありましたが

私は日本が二度と戦争によって人を殺したり殺されたり 被害を出すことを避けようと

先の大戦の犠牲者のみたまに誓って存在するものだと思っておりました おります

この憲法を蔑ろにすることは、靖国どころの話ではないのです。

そしてこの憲法をノーベル賞に値するとして これを守り戦争をしなかった日本国民に

ノーベル賞をと努力してる人がいます。

どうでしょうか?日本の平和憲法は絵に描いた餅でしょうか それとも崇高な理念でしょうか?

時代遅れとかアメリカ在っての建前との意見も出そうですが

貴方の思いを 気合で書いてみて下さい。 よろしくお願いします。

A 回答 (8件)

平和憲法の理念に関するご質問だが、戦後の教育を受けたかたなら、誰もが学校で習ったことと思う。

私もそれに少し付け加えたぐらいの知識しかないのだが、ひとまず書く。

歴史秘話のように語られるのが、「マッカーサー草案はわずか9日間でGHQの素人たちが作った」である。しかし、これはその前の段階を無視した俗説だろう。
前の段階とは、占領期の早い時点からGHQ内で「日本に新憲法を」と検討されていたことをさす。弁護士資格を持つ数人の将校たちが、憲法案の骨子を考えた。彼らの経歴を見ると、一流大学のロースクールを出た、いわば軍服を着た法律家たちである。具体的な名前については、国立国会図書館のサイトの「日本国憲法の誕生」などを見てください。
その後、骨子を条文化する段階では、資料集めなど大勢のスタッフが必要になり、法律の素人さんたちも加わった。「わずか9日間」というのは、この段階のころだろう。

「日本国憲法の誕生」はとても勉強になるサイトで、内容が充実している。例えば、憲法案の骨子となったラウエルの文書が掲載されている。このラウエル(またはローウェル)中佐という人は、ハーバード・ロースクールとスタンフォード・ロースクールに学んだエリート弁護士だった。1943年に兵役について、戦後は東京のGHQに配属され、新憲法制定を担当した。その時、日本の「憲法研究会」の憲法草案に注目している。
憲法研究会というのは、高野岩三郎らによって結成された民間団体である。高野は統計学者だが、メンバーの鈴木安蔵がキー・パーソン(鍵を握る人物)だった。憲法史の専門家で、在野の人だが著作も多数ある。「日本国憲法の実質的な起草者は鈴木安蔵だ」と評する人もいる。憲法研究会の憲法草案が、ラウエルを経由してマッカーサー草案に成長したという説である。

米国の法曹制度では、ロースクール(3年間の法科大学院)を出て司法試験を受け、ローファーム(法律事務所)などに就職する。しかし、司法試験自体は極端に難しくはないため、一流のローファームに入るには、やはり一流大学のロースクール出がいいらしい。ロースクール間の格差がけっこうあるようだ。
憲法前文を起草したのは、ハッシー中佐という人だった。彼も兵役に就いたのは1942年と遅く、戦争が始まってからである。それまでは弁護士や裁判官を務めていた。ハーバード大学とバージニア大学で学んだらしい。
おそらく彼らは、戦間期(第一次大戦と第二次大戦の間)に思想形成した知識人として、理想主義的な平和主義の影響を受けていただろう。憲法前文など、それが強く感じられる。

学者支配としての占領改革(長尾龍一、政治思想史・憲法思想史、元東大教授)
http://book.geocities.jp/ruichi_nagao/occup.html
〔引用開始〕
押し付け憲法論を説く右翼も、占領政策の反共主義を攻撃する左翼も、GHQをいかがわしげなイメージで描き出すことに、政治的利益を見出しているように見える。
このようなイメージが全面的に誤りであるとは、もちろん言えないが、占領初期の改革の推進者であった民政局が、軍人や実務家とは人間類型を異にする知識人の集団であったことは、余り知られていない。〔中略〕
フィットニー局長ももとはフィリピンの弁護士。他のスタッフも大体当時軍服を着ていたとしても、もとは民間人で、多くは占領終了後またもとの職業に戻った。日本国憲法起草の中心になったケーディス、ハッシー、ローウェルや、法規課のリッゾ、ヘイズなどは弁護士であった。〔中略〕
歴史上こんなに学者的な人々ばかりが集まって、大きな改革を実行した事例が他に存在するかどうか知らないが、日本史の中では少なくともそれに類することは一度もなかった。そこには(日本の学者に比べれば、アメリカの学者は遥かに実際的・実践的であるが、なお)戦後改革を貫く観念的性格があり、次元の低いことに拘泥しない原理主義的性格がある。〔中略〕
私はそのような文献を渉猟しながら、旧敵国の民主化に情熱を注いだアメリカ知識人の人の良さや実行力に感銘を受けるとともに、政治的動機を背景とした下司の勘ぐりのような占領論が横行していることを遺憾に思うのである。
〔引用終り〕

さて、戦後は共産党も合法化されたし、共産党(党本部が代々木にある)に反対する共産主義者(反代々木派)も多数現れた。連中は大体みんな共産主義者なのだが、四分五裂して論争とゲバルトに明け暮れた。左翼知識人は米国を悪の帝国と見なし、米帝(べーてー)と呼んだものだ。
反対に、右翼はYP(ヤルタ・ポツダム)体制打倒を叫び、「先の大戦は侵略戦争ではなかった」と言い続けた。
しかし、そのようなご時世の中でも、日本が米国から贈られた理想主義を尊ぶ人たちは、決して絶えることはなかったのである。この理想主義は、自由・平等・民主主義・平和主義を含んでいた。
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この回答へのお礼

日本国憲法草案にそれ程の専門家が関わっていたことは知りませんでした

ただ学校で読んだとき これは凄いなと思ったので

それが解釈改憲されそうな今 騙されたような気がしたのです

日本国憲法は崇高な理念に基づくものと思っております

GHQも死をも厭わないような民族を350万人以上犠牲にして

その国をどのように変えていけばいいか知恵を絞ったのでしょう

日本国憲法はただのGHQ素人の草案ではない 成る程です

これはどうも大変ありがとうございます。

お礼日時:2014/04/05 09:24

yuniko99様、こんばんは。




以前、このサイトでも、小生が関連したところとして、

「日本人が、加害者だった」という、、、
コレについて、
「いやいや、日本国民一般も(は?)「被害者」でしょう」という理解もある、というわけで。


「いやいや、日本国民一般も(は?)「被害者」だ」という、視点からは、
日本国憲法って、なるほど、というわけです。




「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」
・・・前科者が、何言ってるんだか
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この回答へのお礼

こんにちは クリナルさん 日本の一般国民は被害者と言えると思います

国が神がかりだと言って 知らず知らず戦争という泥沼の中に引きずり込まれたのだと思います

日清・日露に勝つからです その勢いでアメリカとやってしまった

世界から見たら前科者がほとぼりが冷めたと思って動き出したように見られるかもしれませんね。

何れにしても平和憲法で日本は平和を実現しなければならなかった いやならないのだと思います。

どうも大変ありがとうございます。

お礼日時:2014/04/06 10:21

yuniko99様、こんばんは。




「平和憲法」と一口に言っても、ですね。



(日本国)憲法が保障する、基本的人権、これは、普遍的なもの、という理解。
そして、「戦争」は、人権にとって、サイアクの事態。
ゆえに、「非戦」というわけなのです。

時代遅れどころか、時代の先端を行っています。

この回答への補足

日本国平和憲法の理念が蔑ろにされつつある今

意識ある者は、命をかけて戦うのではなく 守るべきものがある

母親がわが子を守るように世界の人々を戦争の危機から

日本国憲法を訴えることで守ろうではないか

アメリカこそまずその立場を理解してもらいたい。

日ソ米中で解決して欲しい。

補足日時:2014/04/05 09:56
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この回答へのお礼

そうですクリナルさん 日本国憲法の平和主義 非戦の宣言は

時代の先端を行っているのです

それが労働基準法が蔑ろにされるように 忘れかけられているのです

人権が守られなければ、この世は地獄となるかもしれません

的を射た指摘 どうも大変ありがとうございます。

お礼日時:2014/04/05 09:29

平和憲法(武力放棄・戦争放棄)に関して、ここではあえて「平和を実現する憲法である」と仮定して論じます。





ではその事実が日本国内では正しいと仮定して、では世界の国はどうなっているかみてみましょう。


スウェーデンは平和主義の国の「はず」ですが、日本を見習い、戦争を放棄する文言を憲法に入れません。カンボジアはポルポト政権以後の新政権の時、日本憲法をかなり強く参考にした事実があります。しかし、カンボジアの憲法で「武力・戦争の放棄」は何故か採用されませんでした。

コスタリカは日本を見習ったわけではありませんが、武力放棄らしきものは取り入れていますが、軍事費は何故か南米でも上位です。ある意味、日本と似たような状況になっていますね。



平和憲法とは逆に「戦争の放棄は明記せず、国防の義務」を科している国ですが、これは多いです。戦勝国は当然でしょうから省きます。では日本と同じ敗戦国のドイツ・イタリアはどうでしょうか。



イタリア
・イタリア共和国憲法第52条「祖国の防衛は、市民の神聖な義務である」

ドイツ
・ドイツ連邦共和国基本法第12条a「男子に対しては、満18歳から軍隊、連邦国境警備隊、または民間防衛団における役務を義務として課すことができる」

そして、「戦争放棄」ですが、イアリアもドイツもそんな文言は憲法には書かれていません。




これが世界の現実です。
日本の平和憲法は、世界からことごとく無視されています。




よって、平和憲法には二つの可能性があります。

「可能性1」 日本以外の国は、戦争を望み、平和を望んでいないので平和憲法は邪魔であるため採用していない。

「可能性2」 平和憲法というものそのものが、そもそも「平和を実現する憲法ではない」ため、世界の主要国は採用していない。


と言う事です。そのどれかなので世界の国々は日本の平和憲法を採用しないのです。



これが現実です。


私は、世界の人が戦争好きで好戦的とは思えないし思いたくありません。
だから「可能性2」の理由により、日本の平和憲法を採用していないのだと思います。
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この回答へのお礼

世界国家が実現すれば戦争はなくなるのでしょうか?

日本国憲法の平和理念がそもそも有効でないというのはガッカリですねえ

しかし平和研究所を作ってどうしたら平和になるか必死でロケットを飛ばすくらい 核兵器を作る以上に考えれば

平和憲法も生きてくるのではないでしょうか

他国が戦争を放棄しないという時代は悲しい時代ですね

どうもありがとうございます。

お礼日時:2014/04/05 09:01

平和憲法は日本だけでなく、世界の、おそらく大部分の貧しい人々の理想なのですね。

いや、平和が一国主義ではなりたたないという単純なことからこれは導かれるということを言いたいのですが。
現実として世界には戦争が存在しており、その理由いや原因である軍隊や武器もたくさん存在します。その中での平和主義が「絵に描いた餅」といわれるのも故なしとしません。明治生まれだった私の父も「人間が居る限り戦争はなくならない」という至極単純な哲学をいつも言っておりましたが、それは事実としてもやはり世界は戦争を0にする努力を継続していかねばならないし、その先にこそ戦争のない世界があるのは間違いないことです。
日本の平和憲法は建前と本音がまじで現実に同居できる建前社会だからこそここまでほそぼそながらなくせずに来たということはあるかもしれません。せっかくの平和憲法を持ちながら、この70年近くにわたってそれ以上の積極的な行動をしなかった、国立平和研究所ひとつ作れなかった情けあい日本(政府)ではありますが、しかし、これをちんけな周囲の現実をふまえて消すのは、やはり世界平和へのせっかくの足がかりを人類が失うということなのでしょう。あべの思いがナヘンにあるのか私には理解できませんが、せかいに冠たる大国日本がこの理想的な憲法をとりあえずは維持できるかどうかで世界人類の行途が劇的に変わってくる、私はそう思います。

>日本の平和憲法は絵に描いた餅でしょうか それとも崇高な理念でしょうか?

日本の平和憲法は当面絵に描いた餅であることを否定できないとは思いますが、立派な崇高な理念でもあると私はおもいます。
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この回答へのお礼

国立平和研究所 作ってもらいたいものですねえ

経済なら幾らでも研究企画機関がありそうですがそれに比べるとお粗末ですね

人間がいる限り戦争はなくならない そういう観念に皆が囚われ過ぎているのではないでしょうか。

世界中に戦争は利益をもたらさない 悲劇をもたらすだけだと言う共通認識が出来るといいと思います。

現実には絵に描いた餅、されど崇高な理念でもある 成る程

これはどうも大変ありがとうございます。

お礼日時:2014/04/05 08:46

>これを守り戦争をしなかった日本国民にノーベル賞をと努力してる人がいます。



70年戦争しなかった日本国民にノーベル平和賞を授与するとして、同じく1945年以来戦争していないスイス国民とか、1809年のロシア-スウェーデン戦争以来200年も戦争していないスウェーデン国民はどうするのでしょうか?

まったくもって島国日本の自己中な努力だと思います。

「歴史を学ばない民族に未来は無い」、とか言われちゃうぞ。
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この回答へのお礼

日本が偉いというわけじゃなくて

日本の平和憲法の戦争放棄を実現してきたことにノーベル賞をもらって

もっと世界の平和に貢献できるような意識を起こそうと言うのだとおもいます。

島国根性脱却のためにも 平和憲法は守らなければ

どうもありがとうございます。

お礼日時:2014/04/04 18:49

戦争は、一時の短絡的な1つの決断によって為されるが、


平和は、不断の深い洞察による無数の決断によって成る。

日本はもはや一次産業だけでは生きられないほど人口増
してしまった以上、交易に依存してしか生きられず、それは
決して昔のように戦争による土地の確保(=一次産業に
よる発展)によって可能なものではない。
我々の身の回りの全ての物が、世界中からもたらされた
物であり、世界の人々の順調な営為こそが、真の豊かさ
(他との比較ではなく全体の最大機能)につながる。

憲法の言う「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して
われらの安全と生存を保持しようと決意した」という宣言こそ、
そうした人類の社会生命性の最終段階=グローバル化を
先取りした、「世界政府宣言」なのだ。
誰が作ったとか、アメリカの傘のおかげだとかは関係ない。
もし、日本国憲法の平和の理念が滑稽に見えるとしたら、
現実の方が間違っているのだ。
実際、産業だけでなく、経済も情報もグローバル化している
にも関わらず、目先の利権に固執する政治と、短絡的な
衝動に流される国民の意識だけが、何の利益も生まない
国家主義に囚われているのだ。
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この回答へのお礼

>日本国憲法の平和の理念が滑稽に見えるとしたら、
>現実の方が間違っているのだ。

この現実の方が間違ってるのだという気概が欲しいですねえ

大人になると何でも「そういうものだ」と慣らされてしまう

長いものには巻かれろでいつの間にか裏の裏を読むようになる

真実・真理よりもお金や自分の幸せの方が大切になる

先生のご意見は納得できます。利益で考えても平和な方がいいのに決まっています。

どうも大変ありがとうございます。

お礼日時:2014/04/03 20:07

人はどこまで尊厳を捨て、名誉と誇りを捨て、


権利の侵害に耐えられるのか。

平和主義だから戦さを考えない、戦さを考えるのは
平和の敵だという考えは人格を放棄した奴隷に等しい。


米国は大量破壊兵器を口実に、イラクを侵略し
10万のイラク人を殺しました。
大量破壊兵器が無いと判るや、民主化に切り替え
イラク大統領を処刑させました。

国際政治学者の間ではイラク戦争は、石油利権が目的で
あったことは通説です。
グリーンスパン元FRB議長も、その回顧録で、あれは
石油目当ての戦争であったことを指摘しています。

アラブの春。
石油の宝庫リビアに対しては、欧米は軍事介入して
さっさと紛争を鎮めました。
しかし、石油が出ないシリアに対しては、及び腰です。
国際世論に押されて渋々腰を上げかけた米国ですが、
ロシアの妥協案に、待ってましたと飛び付きました。

このように国際関係は、弱肉強食の関係です。
何処の国も、国益の為に権謀術数の限りを尽くして
いるのです。

こういう世界にあって、非武装中立だとか、自衛隊が
合憲か、とか、延々と議論している国は、平和惚けを
通り超して、狂っているとしか思えません。


”日本の平和憲法は絵に描いた餅でしょうか”
    ↑
狂った画家が描いた絵です。


”それとも崇高な理念でしょうか?”
     ↑
日本が二度と軍事的強国にならないようにした
だけに過ぎません。
それも、朝鮮戦争が始まるや、コロッと方向転換です。
崇高な理念など、電子顕微鏡で探しても見当たりません。

そもそも、崇高な理念というのは、米国のような
世界一の強国がやってこそ意味があるのです。
北みたいなショボイ国に、国民を拉致されて、それで
何もできない国が、崇高な理念など語る資格はありません。
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この回答へのお礼

パワーイズライトでしょうか?

狂人の描いた絵とは厳しい意見ですねえ

しかしあなたの様な考えの人も多いのでしょう

だから阿部さんを止められなのでしょう

あなたの本音として承りました

どうもありがとうございます。

お礼日時:2014/04/03 19:59

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