プロが教えるわが家の防犯対策術!

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仏は常にいませども 現(うつつ)ならぬぞあはれなる
人の音せぬ暁に ほのかに夢に見えたまふ
遊びをせんとや生まれけむ 戯(たはぶ)れせんとや生まれけむ
遊ぶ子どもの声聞けば わが身さへこそ揺(ゆ)るがるれ

『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』にある今様(いまよう)の一節です。
NHKの大河ドラマ「平清盛」にも、この今様は何度も登場したので、ご存知の方も多いと思います。

そこで、お伺いします。
わたしたちは、遊びをするために、戯れるために生まれたのでしょうか?
この今様で歌われている《遊び》とは何なのでしょうか?
そして、
子供は遊ぶために生まれてきたとも解釈される、こうした考えの思想・文化的背景は、何なのでしょう?


少なくとも、
産業革命後のイギリスにおいては、子供は労働力。
日本とは、決定的に違っています。
この違いは、何に由来しているのでしょうか?


教えてください。
ヨロシクお願いします(ペコリ)。

A 回答 (13件中11~13件)

お礼ありがとうございます。



追加としてちょっと独自の考えを述べようかと思います。

正確には日本と他の民族の労働意識の違いは知らないのですが、あくまでも個人の偏見と独断でちょっと書き込ませて下さい。


どうしてかは知りませんが、日本では神社に「労働」を「奉納」する事が可能です。

他にも舞等の「歌舞音曲」も奉納出来ますし、相撲等の「演武」も奉納します。

正に生きる営み全てが、何がしかの神の喜ぶ物だと言う考えがあります。


古代日本には古代ギリシャの奴隷同様に「」と言う奴隷制がありました。

しかし律令制の崩壊と共に、消えていきました。

年季奉公としての形で後々まで続いていきますが、子孫まで続くものではなく、また、幾度も時の政権によって、人身売買の禁止令が出され続けています。(つまりは有ったと言う事でもありますが・・)


私は日本人の労働に対する思想が、奴隷制を受け入れなくとも繁栄出来るシステムを構築して来たのではないかな?と勝手に思っていますw


他の民族では、日本と違い他民族と境を接している場合が殆どで、常に異文化を感じ続けていました。

この点が他者に対する対応の差になっているのではないかと考えます。

つまり言葉や文化や神が違う人間が、一つの生活圏に存在した場合に取る態度が奴隷なのではないかと。

日本では早い段階で、本州から九州までが統一されて、以降「内乱」の家臣同士、同族同士のイザコザはあっても、異文化の国家間での戦闘は無くなります。

ここいら辺りが奴隷制を維持出来ず、また、政権も禁止令を出せた理由ではないでしょうか?

例えばアメリカの南北戦争は奴隷解放の為の戦争とされていますが、日本では禁止令に表立って反対し立ち上がった例は、少なくとも私は知りません。


他の民族では「労働」は身分の高い人間は行いません。

中国・朝鮮では貴人が爪を伸ばすのが、良く流行りました。

身の回りの食事から排泄まで、全てを使用人に任せる文化だからこそのファッションです。

纏足も歩き回らずとも生活が出来る身分を証明するものでした。

日本でも貴人は働かないのは同様ですが、流石に此れは無いです。

「箸より重いものは持った事が無い」と表現される様に、自分の身の回りの全てを他者に丸投げする文化は、日本には無いのです。


実は手紙等も「書く」事を洋の東西を問わず、貴人はしないものでした。

対して日本では和歌を謡えないのでは、教養を疑われる事であり、筆を扱うのは当然の嗜みです。

日本の識字率の高さの一端を現しているのだと、私は考えます。


朝鮮出兵からの撤退の折に、虜囚として日本に連れ帰った技術者たちは、後の徳川政権時に朝鮮通信使との両国間での取り決めで、帰国事業を進めましたが、儒者の多くは帰国をし、陶工等の技術者の多くは日本に留まったとされております。

これは朝鮮での技術者の扱いが低すぎる為に起きた事とされています。


最後に輪廻転生の死生観を上げて終わろうと思います。

日本とインドとエジプトは典型的な生まれ変わりの死生観を持っています。

この生まれ変わりが、他者との繋がりの垣根を低くしている思想の理由だと思われます。

しかしインドでは生まれ付きで身分の決まるカースト制があります。

インダス文明では明確な身分制度を示す証拠は発見されていませんので、アーリア人による異民族支配から、区別する為のカースト制が確立して行ったのでしょう。

エジプトでもやはり生まれ変われるかどうかは、生前の行いで決まるとされており、これも民族間での戦の続いた事から来る、区別で起きた事かと思います。

この中で日本とチベット仏教だけが、無条件の生まれ変わりの思想を持っています。

チベットは土地が痩せており、養える人口が限られます。

ですので、家族を出家させる事で人口抑制をし、永続的な繁栄に繋げていると思われます。

家族の為に出家をするのだから、皆が互いを思って生きている思想なので、無条件の生まれ変わりを信仰出来るのでしょう。

日本でも他民族が回りにいませんから、生まれ変わるのは必ず日本人だと言う前提の発想になります。

そうなると奴隷身分が周りにいるのは都合が悪いのです。

しかも他者に辛く当るのは罪ですから、余計にばつが悪い。

だから日本では身分が流動的で、奴隷制も維持が出来なかった。



等と私は考えております。

長々と駄文にお付き合い下さりありがとうございましたw
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この回答へのお礼

日本の場合は、人口が過密なので、労働力としての奴隷を必要としなかった、という事情もあるのだと思います。
また、律令制というのは、基本として、奴隷の存在を前提にしていない制度でもあった。
有力な豪族に仕えている奴卑などを除けば、人々は国家から平等に田畑を与えられた。
そして、本家である中国以上に厳格にこのことが行われた。
建前として、皇族や豪族を除けば、他人は平等な存在なんですよ。
こうしたことも、関係しているのでしょうね。

回答、ありがとうございました。


付け足しです。
明治以来、日本政府は、奴隷制に対して、一貫して反対の態度を表明していた。
遊廓などに働く女性の存在という内部矛盾を抱えながらも、これは日本の変わらない立場であり、外交方針であった。

お礼日時:2014/06/24 18:40

NemurinekoNya様、こんばんは。




>「産業革命後のイギリスにおいては、子供は労働力。」

まあ、大多数に大雑把に見れば、そうなのかもしれないですが、
そうでない(施す側の)子どもも居たかもしれません。


「欧州の羊飼いは、牧童を雇った」というのを見たことがあります。
良くも悪くも、「自然とのタタカイ」だったのでしょう。
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この回答へのお礼

ヨーロッパの中世は、
子供を可愛いと思わなかった時代
http://blogpal.seesaa.net/article/42161114.html


そういうお話、学説があるとか、ないとか。


新大陸アメリカからトウモロコシがヨーロッパを救った、という研究者もいたりして・・・。
あと、ジャガイモ。


回答、ありがとうございました。

お礼日時:2014/06/24 01:05

ご質問の「遊び」は生きる事だと、私は解釈します。



正解かは判りませんが・・。


イギリス云々では、基督教の教義に見る事が出来ます。

基督教の教義では、人はエデンの園から追放された時に労働の義務を課せられました。

児童労働自体は日本でも欧米でも同様だと思いますが、スタンスは大きく違います。


日本では労働する事によって、幸せになれる。

基督教では生きる為に労働しなければならない。

日本の思想では労働も楽しみの一つとして、「労働の喜び」という考えがあります。

この思想は世界的に理解されていないです。

この回答への補足

日本人にとって、
仕事は単なる賃金を得るための手段ではなく、
自己実現の何かなのかもしれませんね。

ひょっとしたら、
『荘子』に見られる勤労観が日本人の勤労意識に強い与えているのかな。
○○道みたいな考え方が根底にあるのかしら???

補足日時:2014/06/23 21:37
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。


1830年代のイギリスでは、9才の少女が工場で一日19時間の労働をさせられていたという事例もあるようです。

http://www.sqr.or.jp/usr/akito-y/kindai/67-sangy …

英国議会が児童労働の実態を調査した際の正式な記録です。
かなり劣悪かつ過酷な状況で長時間労働を強いられていたようです。
このためなのでしょう、
当時の一大工業都市のマンチェスターの平均寿命は、なんと15歳。

ひどい話ですよね。

お礼日時:2014/06/23 21:26

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