プロが教えるわが家の防犯対策術!

まずは、
ネットラジオで流れた曲「撲殺天使ドクロちゃん」という曲の歌詞をご紹介します。


撲殺天使ドクロちゃん   作詞:水島努    作曲・高木隆次

撲殺天使 バットでドスドス ドクロちゃん
撲殺天使 血みどろどろどろ ドクロちゃん
斬って 殴って 嬲って 刺して 晒して 垂らして
でもそれってボクの「愛」なの

http://j-lyric.net/artist/a04f47a/l0147d9.html


そこで、質問いたします。

 これは愛なのでしょうか?
 愛であるとしたら、その表現法が間違っているのか、その方向性が間違っているのか?
 間違ってはいない、間違っているのならば、その理由は?


教えてください。
よろしくお願いします(ペコリ)。

A 回答 (23件中1~10件)

あははは。


やさしく悩殺♪


 
撲殺天使ちゃん激しすぎです。笑えます。

この回答への補足

わたしは見たことがないのですけれど、
韓国映画の『猟奇的な彼女』もこの系統のものなのでしょうか?
女性が恋人を殴ったり、蹴ったりするんでしょうかね~♪

補足日時:2014/06/27 02:17
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この回答へのお礼

YouTubeには、
撲殺天使ドクロちゃんのオープニングの動画があるようです。

https://www.youtube.com/watch?v=dgN4sR6vJfQ


かなり過激です♪


回答、ありがとうございました。

お礼日時:2014/06/27 02:05

まぁ、「愛」の定義次第ですね。



何しろ「エロス」から「アガペー」まで、ストライクゾーンの広大な単語ですから。

まぁ、この歌の場合は、私から言わせれば個人の「偏愛」です。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。


念のために調べてみたのですが、
偏愛は、ある特定の人物のみをひいきにして愛することをいうみたいですね。
用例としては、
 末娘を偏愛する。
 長男を偏愛する。
というように使うみたいです。

ところで、
質問者さんのいう《偏愛》とは、真っ当な(?)愛からの逸脱が大きい愛という意味なのでしょうか。
偏ってはいるけれど、愛であることには間違いがない、とおっしゃいたいのでしょうか?

それとも、
歪んだ愛であり、愛から変質したもので、愛と考えることはできない。

このいずれなのでしょうか。

お礼日時:2014/06/27 01:59

まるで角運動量の愛について述べてゐるやうで、詳しい解説ありがたうございます。



>>でもそれってボクの「愛」なの

「愛」を注いでゐると、主張するのですから、その限りにおいては、「愛」なのでせう。そして、「愛」されてゐる側も、元気に活動してゐます。しかも、いくらかでも周囲の人たちの助言が反映されてゐるやうです。もちろん、撲殺天使さんの影響もあるとおもひます。結果のみで判断すれば、「愛」になるのでせう。撲殺天使さんは憎まれるかもしれませんが、共同体として健全な方向にむかつてゐるやうに感じられます。

先日、「愛」についての投稿分を読みました。

http://questionbox.jp.msn.com/qa8652371.html

の回答番号6です。「愛」に対する謙虚な姿勢に感銘を受けました。決して大きなことを言はない。みづからができることのみを、ことばにする。別のページで、私は、愛の行き着く先は、殉教者と偽善者である、と書きました。しかし、この謙虚な姿勢を守りとほす限り、殉教者にも偽善者にもならずにすみます。この困難な質問に対してベストアンサーを受けるのは、それだけの価値があるとおもひます。

結局、人間は自分のことで精一杯、できることをする、それが自然な姿ではないのでせうか。それが愛になるのかどうか、いまのところ、私には判断できません。
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この回答へのお礼

角運動量・力積の困ったちゃんですか。
依然としてお勉強に方面での成長の兆しはまったく見えませんが、
それでも少しは変わったんじゃないですかね~。
回答者をほんのすこし思いやることができるようになった。
それだけでも回答をした甲斐があった、と思っております。

ですが、
最後の質問をし、それに回答が寄せられると、うんともすんとも反応しなくなるのは、依然のまま。
「オレを利用するだけ利用して、最後はポイか!! こんな奴には、もう二度と回答するもんか」
という事態を招くかもしれない、とその可能性にまったく思い至っていない。
「最後までわたしの質問に付き合ってくださって、どうもありがとうございます」
とでも書けば、
「よし、わかった。も~、本当に、ホント~に、ぶっ殺したいほど出来の悪い生徒だが、次も任せておけ!!」
となるかもしれないのに。


どうやら、応答をしないという形で愛情を示す、信頼を示す、というのもあるようです。
愛にもいろいろな種類があるようでございます。


回答、ありがとうございました。

お礼日時:2014/06/27 12:54

お礼ありがとうございます。

補足です。

>質問者さんのいう《偏愛》とは、真っ当な(?)愛からの逸脱が大きい愛という意味なのでしょうか

私は回答者ですw、そして仰るとおりで、個人的嗜好の強い、偏った愛と言う意味での用法でした。


やはり「愛」は定義が広いですねw

しかし「真っ当」も何を持って言うかですよね。


確かに愛の形には定義もありませんが、互いに共通の認識でコミュニケーションが取れていれば、それを愛と定義するのに不都合は無いのでしょう。

しかし周りの迷惑を顧みずに二人の世界を構築しているバカップル等は、周りに対する「愛」は欠片も無いですよね。

個人の為に展開している「愛」は、他方からは迷惑な「嫌がらせ」か「破壊行為」とも成り得ます。

“迷惑掛けてねぇだろ!”等の言葉の攻撃も立派な迷惑ですしね。
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この回答へのお礼

☆>質問者さんのいう《偏愛》とは、真っ当な(?)愛からの逸脱が大きい愛という意味なのでしょうか
◇すいません。
最近、ボケているんです、わたし(ポリポリ)。
WCの睡眠不足のためでしょうか。



☆確かに愛の形には定義もありませんが、互いに共通の認識でコミュニケーションが取れていれば、それを愛と定義するのに不都合は無いのでしょう。
◇暗黙の合意であっても、両者の間で、互いの自由意志にもとづく合意形成がなされていれば、
傍目に暴力や虐待に映る行為も愛情のひとつの表現としてありなのか、なしなのか?
法律的な話を抜きにして、
そういうことをチョッピリ考えております。
そのことが今回の質問の大きな動機です。


☆しかし周りの迷惑を顧みずに二人の世界を構築しているバカップル等は、周りに対する「愛」は欠片も無いですよね。
個人の為に展開している「愛」は、他方からは迷惑な「嫌がらせ」か「破壊行為」とも成り得ます。
“迷惑掛けてねぇだろ!”等の言葉の攻撃も立派な迷惑ですしね。
◇なるほどですね。


回答、ありがとうございました。

お礼日時:2014/06/27 13:05

撲殺天使さんの質問は、一般論ですよね。

私は、それでは具体性がないので、「詳しい解説ありがたうございます。」の別カテゴリの生徒さんのことを頭に浮かべて書きました。

私がこのサイトを利用して感じるのは、無理しすぎ、背伸びしすぎ、といふ点です。極端な表現をすれば、ネットの書き込み程度のことで、何でそんなに熱くなるのだらう、とおもひます。相手が刃物で襲ひかかつてくるわけではないのですから、実社会よりも気楽につきあへるはずです。なのに、実際には、実社会よりもはるかに争ひや憎しみが多く見られます。でも、最近は、熱くなれることが、魅力なのかな、とも、少し感じるやうになりました。それが、さまざまな「愛」のひとつなのかもしれません。
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この回答へのお礼

他人からすれば「くっだらね~」ことで大の大人がムキになっているのですから、
他のサイトの利用者さんたちからすると、このカテゴリーの姿は滑稽に見えるんでしょうね。


☆実社会よりもはるかに争ひや憎しみが多く見られます。
◇言い争いは多いと思いますけれども、たぶん《憎しみ》だけはないんじゃないでしょうか。
あるのは、蔑み、侮蔑、憐愍etc.だと思います。

そして、サナダムシたる、わたくしにあるのは、
「今回も寄生させていただき、《宿主》さま、ありがとうございます」の感謝の念でございます。


回答、ありがとうございました。

お礼日時:2014/06/27 13:21

 こんにちは。



 ○ 愛とは何か?

 について書きます。

 1.
 愛とは ヱクトルです。志向(あるいは 漠然とした気持ちや心の片向き)としての対象関係が決まり その向きが正か負かで決まります。

 2. 
 正負の向きとは 好き嫌いです。愛情と憎悪です。猫かわいがりと怨念です。甘やかしと復讐の鬼です。

 3.
 方向を示す対象関係は 一般に二角関係であり 男女のばあいには 対(つい)関係と呼びます。ツイ関係には 性愛が伴ないます。

 4.
 ツイ関係の好き嫌いからは いろんな中身のヱクトルが現象するかも分かりません。《撲殺天使》あるいは 要するに SM でしょうか。

 5.
 ちなみにですが サドが追究したのは むしろ頭の体操としてのツイ関係のさまざまであるような気がします。マゾッホは読んでいません。

 6.
 二角関係(そしてここから放射線状に伸びるような・または同心円を描くような二角関係錯綜)における好き嫌いは 好きの側面において甘やかしの線では自己犠牲が出るかも知れません。どなたかが 殉教者を生むとか言っていました。

 7.
 同じく 殉教者の対極は 偽善者だそうです。これは 嫌いが憎悪になり怨念をも生みもはや復讐の鬼と化すところで おだやかな普通の愛一般にタテマエとしてはとどまる場合を言うのでしょう。

 8.
 二角関係の錯綜と書いたとき ひとは 三角関係を連想したかも知れません。けれどもこれは 意志行為として無効です。

 9.
 既成の二角関係 いえこの場合は ツイ関係 これをきちんと解消したあとでなければ あらたなツイ関係は結び得ません。現象としてはあり得ますが それはただただ物理的な社会力学に従うのみの意志行為であり 無効です。

 10.
 社会力学じょう有力となって 現象としては意志行為がおこなわれて行く場合というのは けっきょくウソの問題です。やましさ反応の問題です。恥ぢなる実存の問題です。《無効》だと分かっていて 強行する意志行為です。

 11.
 ふつうの二角関係であっても 信義則があり得ます。これを――つまりは おのれの心のおもむくところを――やぶるのは 確かにヤマシサ反応の知覚もあり恥ぢの自覚もあり ウソなる主題から来ている問題です。

 12.
 三角関係としての問題は ツイ関係だけではなくふつうの二角関係についても ウソを強行したところから来ている。そういうマイナスの向きを持つ愛のヱクトルです。これが 一般にシガラミと呼ばれる愛の社会的な錯綜関係です。

 13.
 これが 蓮が根を張る池の土壌です。現実です。愛は この世界で生きます。この世とは別の世界を思い描こうとするのは――つまり 空だ無だという一面だけを言ったきりになるのは―― 阿呆哲学です。

 14.
 少々恰好をつけるなら この世界の全体を おのれの身と心とに体現して生きるのが 共生としての愛です。

 15.
 すべては むしろ自然史過程として推移します。愛は これを見通すことと そして むしろおのれの利益をはかって自己中心的に生活することとをふくむものと考えます。

 16.
 自己中どうしが ときには助け合います。無縁慈悲をめざすことになるでしょう。いやならいやと言って行く共生です。

 17.
 撲殺天使に対しても いやならいやと言うことから 前史の愛なるかたちをわれがわれであるところの後史へとでんぐり返すきっかけになるはずです。
 
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この回答へのお礼

サドについては、
渋沢龍彦の『サド侯爵の生涯』という本を読んだことがあります。

高校時代、三島由紀夫の小説をよく読んでいたので、その流れで渋沢龍彦の著作を読むようになり、一時期、ハマっておりました。


☆サドが追究したのは むしろ頭の体操としてのツイ関係のさまざまであるような気がします。
◇なのでしょうね。
サドは、頭の中でSEXをし、その妄想を楽しんでいた。
投獄中のサドは、手紙で奥さんを徹底的に嬲り、いじめます。
ですが、
同時に、サドのこうした行為は、自身を嬲り、徹底的にいじめ、苛(さいな)む行為でもあった。
サドは、手紙で奥さんを辱めることによって、自身を恥ずかしめ、喜んでいた。
結局、奥さんは道具にすぎないんですよ。
そして、彼は自分以外の誰も愛していないし、愛せなかった人だったのだ、と思います。


☆ 撲殺天使に対しても いやならいやと言うことから 前史の愛なるかたちをわれがわれであるところの後史へとでんぐり返すきっかけになるはずです。
◇「嫌だ」と拒絶しないわけですから、
当事者間に自由意志による合意が形成されている、
とは考えられませんか?
そして、そこには、暗黙の了解があるのと同時に、強固な信頼関係が構築されている、とは考えられませんか。

回答で寄せられるのかなとすこし期待していたのですが、
親の子供に対する虐待や学校などでのイジメとは構図や力学が異なっているのでは。
こちらは一方的な暴力ですので。
こちらは、一方的な忍従、服属しか存在しない関係なので。



☆ 1.
 愛とは ヱクトルです。志向(あるいは 漠然とした気持ちや心の片向き)としての対象関係が決まり その向きが正か負かで決まります。
 2. 
 正負の向きとは 好き嫌いです。愛情と憎悪です。猫かわいがりと怨念です。甘やかしと復讐の鬼です。
◇Vectorの向きは、相手に向かっており、同じなのでは。
ただ、その「???」の表現の形式が異なっている、と考えることはできませんか。
そして、どちらも、同じ《みなもと》から発生している、と考えることはできませんでしょうか。



回答、ありがとうございました。

お礼日時:2014/06/27 14:58

恋愛の障壁は「不平等」と「衝動」かな。



精一杯尽くしても想いが遂げられなかったり、
魅力も価値も付かなかったり、
恋愛中の恍惚感を途中で遮られたりすると痛い。

理不尽極まりない相手を好きになって理性が白旗を上げる。

愛は自分の姿をもっとも映す鏡ですね。
愛し愛した経験によって理性という武器を備えて行くから
動物とは違う方法で諦められたりするのが人間。

衝動的になるのは経験則よりも深いところから来る。
無防備な無衣なままの丸裸の本能。ということでしょうか。

恐怖を与えることで時間稼ぎしても、
結果はもう自分でわかってるんだねドクロちゃん。

それをいい意味で裏切るってことも想像力があれば出来るとおもう。自分にも相手にも。
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この回答へのお礼

☆恋愛の障壁は「不平等」と「衝動」かな。
◇ロミオとジュリエットのように、障壁があるが故に、激しく燃え上がる、
ということは、ないのでしょうか。
つまり、
「不平等」や「衝動」は、恋愛をさらに甘美なものにさせるスパイスになったりしませんか。
これは、物語だけの話なんでしょうかね。


☆理不尽極まりない相手を好きになって理性が白旗を上げる。
◇なるほど、なるほど、理性がですね。

ですが、
わたしの場合は、精神的にはかなりマゾっ気が強そうなので、
───精神的な意味で、みずからを追い込み、そのことを楽しんでいる傾向が、わたしにはある───
理性ゆえに破滅へ向かってひたすら邁進しそうで、怖いです。



回答、ありがとうございました。

お礼日時:2014/06/27 14:55

ねこさん、こんにちは。


猟奇的な彼女はNY版を3回か4回観ました。おもしろいです。
※多少ネタバレありなので閲覧注意です。

※_______________

その彼女とうまくいくために覚えておいた方がよいこと
というのがこれです。
彼女に去られた男Y(*)が次の恋人候補Zに対して
親切に書いてあげています。これまた笑えます。

1、女らしいことを要求してはいけない
2、酒は3杯以上飲ませないこと、どうしてって言うと、
  人を殴りまくるから
3、カフェではコーラではなく、コーヒーを注文すること
4、殴られたら、痛くなくても痛いふりを
5、痛くても平気なふりを
6、会って100日目には、バラの花を講義室に届けると喜びます
7、剣道も習って下さい
8、時々、留置場に行く覚悟を、
  殺すって脅されたときは、本当に死ぬつもりで
9、足を痛がったら、靴を取り替えること
10、最後に、彼女、シナリオを書くのが好きなんです、
  褒めてあげて下さい


いや~彼女にはまるで悪意はないんですよ、
「そういう愛し方しかできない!」だけなんです。

彼女にはYと出会う前にXという婚約者がいましたが、Xは
彼女の愛し方に疲れたとかで川に飛び込んで溺死します。
いや~彼女に悪意はないんです、
好奇心旺盛で気まぐれすぎる猫さんはお嫌いですか。

Yのもとを去ったのもYを傷つけるのが怖いからなんです、
愛されるのも怖いような気分になったからなんです、

あ、これぐらいにしときます。ラストは書きません。

_______________※

しかし「こういう愛し方しかできない!」というのなら、
みんなそうなんぢゃないの?少なくともおいらはそうですよ。
「どんな愛し方でもできる!」なんて人はいません。
どの人の愛し方もユニークです、欠点を含めて。

マザーテレサだって「あのような愛し方しかできない!」から、
あのような愛し方をしたというだけなんぢゃないの?


で、ある人の愛し方が気に入らないのなら、
その愛し方は気に入りません、このような愛し方を求めます
と言えばいいし、求められたほうも無理なら無理と言えばいい。
それぢゃあ別々に生きていくことにしましょう
別の人を愛します別の人に愛してもらいます、というのもあり。
子どもだって親はそれぞれ「こんな愛し方しかできない!」
のだから、大きくなってから親に向かって
「あなたの愛し方は気に入らなかった!」と叫んでよろしい、
娘や息子がそう思うならおいらは聞かなくちゃいけません。
他の愛され方を覚えてくれないとマザコンになります。笑。


ドクロちゃんですが、間違いとは言えないなあ。
2番さまの「偏愛」は「偏屈愛」だとか「屈折愛」
というとしっくりくるような気がするけど、
おいらはまっすぐなばかりではいられないしまんまるではない。
                   

この回答への補足

ちょっと付け足し。

撲殺天使ちゃん同様に、
その男の子もまた不器用な仕方でしか撲殺天使ちゃんを愛せない、
でしょうね。

補足日時:2014/06/27 15:18
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この回答へのお礼

こんにちは。

~~~~~~~~
「どんな愛し方でもできる!」なんて人はいません。
どの人の愛し方もユニークです、欠点を含めて。

マザーテレサだって「あのような愛し方しかできない!」から、
あのような愛し方をしたというだけなんぢゃないの?
~~~~~~~~
相変わらず、鋭いですね~。
核心を突いていますね~。
御慧眼、敬服いたします♪

わたしは、基本的に人を褒めたりしないのですけれど、
畏れいりました。

結局、
撲殺天使ドクロちゃんは、不器用な仕方でしか愛を現わせない、表現できないだけなんですよね。
そして、
このアニメを見たことがないのでよくは分かりませんが、
その撲殺天使に愛されている(?)男の子は、そういう不器用な形でしか表現できない彼女を受け入れ、そうした彼女もすべて含めて、撲殺天使ちゃんを愛しているんでしょうね。



回答、ありがとうございました。

お礼日時:2014/06/27 14:54

だれかこたえてください。



どちらが「まっとう」ですか?


1.
a.わたしがあなたを愛するのは
 わたしがあなたを必要としているからです。
b.わたしがあなたを愛するのは
 あなたがわたしを必要としているからです。

2.
a.2人のために世界があるの♪
b.世界のために2人があるの♪

                             
だれかドクロちゃんを求めて呼んだんぢゃないの?


                            
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この回答へのお礼

わたしの場合は、
わたしが私自身を愛するためにあなたを必要としている、でしょうか。

ですから、
かなりヒドいことをされても、苦になりません。

わたしの飼っていたインコが、ガブリと噛みつき、わたしの手の甲や耳たぶ、鼻の頭から血が出ても、
「しょうがない奴だな~。でも、かわいい」
と全面的に受け入れます。

まぁ~、それでも、
人間を相手にする場合には、インコに対するほどに寛容な態度はみせませんけれど。
時に激しく怒ったりもします。
───感情に任せて怒るというよりは、しっかり裏で計算してたりして。こうして考えると、人間より悪魔に近いな、オレは(笑い)───
人間は、インコほどには、わたしの思った通りに動いてくれないし、
思いのままにならないし・・・(ポリポリ)。

ですが、
悪魔ですから、呼べば出てきます。
ここに質問すれば、応えます(笑い)。



回答、ありがとうございました。

お礼日時:2014/06/27 14:38

ねこさん、ご返事いっぱいありがとう。




>わたしが私自身を愛するためにあなたを必要としている
:上手です。

>わたしは、基本的に人を褒めたりしないのですけれど、
:ごろにゃん。

>撲殺天使ちゃん同様に、その男の子もまた
不器用な仕方でしか撲殺天使ちゃんを愛せない、
でしょうね。
:うん?そうとは限らないんぢゃないの?
どうして「こうすると→こうなる」って言うの?
すげえカーブ球でもホームラン打つ人いるし、
それにその男の子は「親と幼子」のように密閉空間に2人きり!
他には誰もいない!というわけではなくて、
学校の先生や友達もいて近所のヲっさんもいるんでしょう?
それならドクロちゃん以外の人からも影響を受けるのだから、
絵の具をパレットで混ぜるみたく愛し方も新しいんぢゃないの?

______________


虐待について。
「親と幼子」のように密封空間に2人きり!は困りましたね。
子どもは親以外の大人を知らなくて親は神だと思ってて
何をされてもその大人に見捨てらるわけにはいかない!場合。

マジ困ります、親が勝手に
「あ゛~!!わたしと子どもと2人きり!!地獄!!
誰も助けてくれない!あたしには助けなんかいらない!」
と思い込むのがまづ困ります。


それから、そういう親を愛せる方はいないのですか?
誰かいませんか?不器用すぎる相手でも愛せますって人は。
あ、そこに隠れているあなたとかあなた出てきなさい、
と他の人にお願いしておきます。



ドクロちゃんは、サイコパスみたくこころが氷点下!
というわけではなくて愛する能力は持ってるんぢゃないかな。


しゃべりたい放題でした。どうもお邪魔しました。

                                          
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この回答へのお礼

昔、昔、
NHKで『少年たち』というドラマがあったんですよ。
主演は上川隆也なんですがね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%91%E5%B9%B4% …

その第二シリーズで、子供に対する虐待が出てきたんですよ。
そのドラマを見て以来、親の子供に対する虐待の問題がずっと頭から離れない。

子供は、どんなヒドい親であっても、精一杯愛するんですよ。
そして、親を必死に庇う。
アザなどの虐待の痕跡を誰かが見つけ、それを問い詰められても、親がやったとは言わない。
「転んでできたの」というような見え見えの嘘、でもその子供にとって出来うる精一杯の嘘をついてまで、その親を守ろうとするんですよ。
親は子供を見捨てるのに、子供は親を見捨てないんですよ。
そして、この行為が親の子供に対する虐待の発見を遅らせ、時に悲劇的な結末を迎えたりする。

第一シリーズでは、
少年(山下智久)がアル中の母親を庇い、「自分が父親を殺した」と言う。父親殺しの罪を負おうとする。

親から虐待を受けている子供は「悪いのは自分だ」と思っているんですよね~。
───そう思い込まないと、こどもの小さな胸がはりさけてしまうことも、一因なんでしょうが───
「自分が変われば』、「自分が今以上にいい子になれば、きっと、親は愛してくれる」と信じている・・・。

どっちが大人なんだか・・・。

これは非常にいいドラマですよ。

「ツレがうつになりまして。」
http://www9.nhk.or.jp/dramatopics-blog/17000/176 …
ともども見なければいけないドラマだと思っております。


回答、ありがとうございました。

お礼日時:2014/06/27 22:02

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