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国を愛する気持ちがあり、より良い方向へ国が変わるために「暴力」を用いるのは正しいでしょうか?

それとも、どれだけ国を愛していたとしても、「暴力」を使って他者へ危害を与える行為は間違っているでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • うーん・・・

    質問の主旨は国防ではなくて、内政です。

    国を愛するために「一殺多生」は正しいか、それとも幾ら国を愛していようが「一殺多生」は間違っているか?、という事です。
    殺害の対象は個々の庶民や犯罪者ではなく、大企業の経営者、政治家、公的機関の長、社会に影響を与える言論家、作家、アーティスト、あるいは団体の代表者といった多くの人に影響を与える人物です。

    東日本震災の時に、ある保守系の番組で「時の無能とされた総理は、暗殺すべき」という出演者に対して、司会者や他の出演者が「無能であっても暗殺は論外」と述べていました。

    どちらが正しいのでしょうか?

      補足日時:2015/07/29 17:55

A 回答 (6件)

真の愛国者って、変わらなきゃマズい様なダメ国家に向って、「変われ!」と唱え続け。


それでも変わらない国を見限れず、むしろ誰よりも愛し、国に殉じる様な人ではないですかね?

中国の戦国時代、楚の国の政治家,詩人であった屈原とか、日本では坂本龍馬などが代表格で。
いずれも激烈な人物ですけど、決して暴力的ではありません。

逆に、国に「変われ!」ってのはエゴイズム。
すなわち「自己愛」じゃないか?と思いますが。
根底が自己愛だから、暴力的手段を採択するんじゃないでしょうか?
もしそれが容認されるなら、ストーカーやDVも「歪んだ愛」で、愛は愛ですから、無罪になりますよ。

二・二六事件で蜂起した青年将校らなどは、比較的、純愛っぽいとは思うので、自己愛の例ではないのですが・・・。
ただ、たとえば二・二六事件で襲撃を受け、国に殉じる覚悟をした鈴木貫太郎元首相などの方が、更に愛国者っぽく、その後も終戦を取り決めた首相として、生涯を愛国者として全うしてます。

自分が「国に殉じる覚悟」をすれば、暴力は簡単には選択肢にならないと思いますが、最近はエゴイズムの時代じゃないかな?
そう言う人には、国に「変われ!」なんて言って欲しくないし、まして暴力的な手段を選択するなど、私も「論外!」と思います。
そんなに国が気に入らないなら、国を変えるなど大変ですから、自分が好きな国へ出て行けば良いのに・・。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。

それは「死」を恐れる臆病者との違うのでしょうか?。

お礼日時:2015/07/31 22:15

勝てば正しい

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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。

「勝てば官軍、負ければ賊軍。」
真実だと思います。ありがとうございます。

お礼日時:2015/08/02 00:49

結局、熊は、産まれ故郷に返し別々に暮らしているのです。

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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。

熊は故郷に帰らない場合もあります。

お礼日時:2015/07/31 01:13

法律で、理由の区別なく暴力は禁止されています。



警察権の範囲でのみ許されます。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。

>法律で、理由の区別なく暴力は禁止されています。
全くその通りです。親子や師弟、上司と部下、経営者と雇用者の関係であっても暴力を使うべきでは無いと思います。

お礼日時:2015/08/02 00:47

"国を愛する気持ちがあり、より良い方向へ国が変わるために「暴力」を用いるのは正しいでしょうか?"


   ↑
何が正しいか、判っているなら、暴力でも
何でも行使して構いません。

これをやったのが社会主義諸国です。
何が正しいか判っている、ということは、それに反する
のは悪いことですから、刑罰を加えるのは当然だ
ということになります。

結果が、スターリン、毛沢東、ポルポトの大虐殺です。

これに対して、民主制というのは、基本的には価値相対主義
を採ります。

つまり、何が正しいか判らないから、自由な議論を
しよう、それでも決まらないときは、仕方無いから
多数決で決めよう、ということになります。

正しいことが判っていたら、多数決で決めては
イケマセン。
全員が反対しても、その正しいことをやらねば
なりません。
反対者は間違っているからです。

議論も必要ありません。時間の無駄です。
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この回答へのお礼

回答をいただきまして、ありがとうございます。

>これをやったのが社会主義諸国です。
社会主義国でなくても、日本の皇道派によるクーデター、近代の欧州で行われた魔女狩り、など色々とあります。そして、それらは後世の歴史家たちから批判されます。

お礼日時:2015/07/31 01:11

熊が襲って来ました。

それを受け入れ食われますか?熊には、餌を作る事が出来ません。それを選びますか。動物は、考え無いものです。人類は、考えます。そして、進化して来ました。民族の戦いも人類史で自然ですが、要は、襲う側に問題が有りそれを補おうと襲うのです。進化が足りない分調整が出来無いのです。進化して無いのに道は、譲れ無いのです。
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この回答へのお礼

回答をいただきまして、ありがとうございます。

熊が襲って来たら反撃します。
しかし、人は共同体を発展させるために、何もしていない熊や熊の子供を殺したり、犬や猫の原種を矯正したり、他の共同体を攻撃して、女と子供を奪っても来ました。私は暴力を肯定する人間で、国家を発展させるために略奪や虐殺、強姦、性的倒錯、詐欺、等も正しいと考えていましたが、今はそれで良いのか?と思うようになりました。

質問の主旨から反しますが、国を愛するなら「熊」になって他人を襲うことは許されますか?、それとも国を愛していたとしても「熊」になるべきではない、と思いますか?。

お礼日時:2015/07/29 18:04

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