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本当の、とか書くと、本当じゃない楽しみもあるのか、という話にもなりますが、ここでは、皆さんの本当に味わいたい楽しみとは何か?と言う問いと置き換えて頂いても結構です。

世の中には、好きなことをしている楽しみ、健康であると言う楽しみ、仕事を覚える楽しみ、友人、家族や恋人がいる楽しみ、悠々自適の楽しみ、趣味の楽しみ、飯がうめーなどと言う楽しみ、細かく数えればたくさんの楽しみがあります。

しかしながら、哲学や何がしかの探求をするならば、自由と言う楽しみとか、安らぎと言う楽しみとか、無敵である楽しみとか、ありのままであれる楽しみとか、そう言った抽象的に表される楽しみも現れて来ると思います。

さて、具象か抽象かは置いておいて、皆さんの深く思う所の楽しみとは何でしょうか。
どうぞよろしくお願いします。(出来れば、皆さん自身の思う所の、最もすぐれたる楽しみについて考究してお答えいただけると、幸いです。)

質問者からの補足コメント

  • 今、テレビを見ててふと思ったのですが、人に与えられるものがある、という事が、スペシャルな事なんだなと思いました。好きな事とかも大事だとは思いますが、やっぱり俺のケツはまだまだ青かった。。

    No.6の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/12/24 20:50
  • HAPPY

    さっきTVでいいこと聞きました。テニスのフェデラー選手が、錦織選手についてのコメントを求められた時、「圭は、日本のために、と、プレッシャーを自分にかけて暗い顔の時がある。でも、楽しむことを忘れてほしくない。僕らがやってるのは只のテニスだ。スポーツだ。彼はとてもうまいんだから、もっと彼の笑顔を見たいね。」という感じのことを言っていました。そう、これは只の哲学だ。楽しむことを忘れてほしくない。ここの住人皆さんに聞いて欲しい言葉です^^私も色々な荷が降ろせそうで、この質問で今年度を締めくくれることを嬉しく思います。皆さん、有難うございます。

      補足日時:2015/12/30 23:35
  • 誤解なきよう言っておきますが、そりの合わない云々というのは、勿論回答者様方のことではありません。^^;その点ご注意を。

    No.19の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/12/31 00:27

A 回答 (21件中1~10件)

物を創りだすって楽しいですね。

tanzou2さんの言う小さな楽しみ。これも人々に安らぎをもたらしてくれる。

「越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい」

日本人には、このオッチャンの言った天職なんて大袈裟なもんじゃない、あっと驚くそんな楽しみがある。日本人は誰でも創造の恍惚に浸れ、人の世を長閑にし、人の心を豊かにする芸術家に簡単になれるんですね。

日本人以外の人々の文学って、それを創り出す少数の芸術家と、それを鑑賞する圧倒的大多数の読者で構成されている。だから、日本人以外のほとんどの人には芸術家としての創造の興奮や楽しみや喜びの道が閉ざされている。ところが日本にだけ、作者の数が読者よりも圧倒的に多い芸術的な営みがある。それが和歌であり俳句であり、狂歌や川柳や都々逸です。読者を喜ばせるのではなく、作者が自分自身を楽しませるための、だから本来の意味での芸術家の創造的な営みの楽しみを、誰にでも解放してくれた日本の文化って何なんでしょうね。んで、狂歌と都々逸を。

芭蕉翁目にはさやかに見えねども ボチャンの音にぞ驚かれぬる

ゆく川の流れの水は変われども あほなあたしもおや芸術家

諸行無常の世と言うけれど 変わらぬ恋と歌心

考えてみれば華道も盆栽も鑑賞者よりも創造者の方が圧倒的に多い芸術だ。何で、そんな世界の常識とは反転してしまった楽しいものが日本だけに起こってしまったのでしょうか。
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この回答へのお礼

相変わらずおもしろい視点をお持ちですね^^
ご回答有り難うございます。
名も知られぬ防人の詩が歌集に収められたりしているのは日本くらいだという話を聞いたことがあります。
現代を見てみても、ほんとにセンスの良い趣味人の如何に多いことか。近年SNSなどの発達でそれらがつながり、新たな文化も育まれています。ますます独創的な文化が加速しているような実感があります。

>ところが日本にだけ、作者の数が読者よりも圧倒的に多い芸術的な営みがある。

なるほどと思わされました。日本人はみなが創作家であり、かつ創作物の消費者でもあり、文化の底の厚さや多様性という意味ではほんとに特殊なのでしょう。最近は中国や韓国のクリエイターが日本の創作関係のSNSに顔を出してきていて、その活動はよりグローバルにもなってきています。アジア圏の人々は、やはり日本の文化に感化されやすい素地をもっているのでしょうか。一方で、日本の作家が海外のSNSで評価されるという現象も起きています。

>諸行無常の世と言うけれど 変わらぬ恋と歌心

わたし的にはこれが気に入りました^^ シンプルに頷けるところがいいですね。

お礼日時:2015/12/27 17:27

お礼、ありがとうございます。



>ソリの合わないクソ野郎とでも言いますか、その様な出会いも実はあって、ちょっとした悩みだったのですが、最近は、そんな彼にも親御さんがいるだろうと思う事で、荒れた気持ちが落ち着く様になりました(^◇^;)

何故かどこにでも居るもんです(^◇^;)
閉じた状態になれば?とも思いますが、状況でそうも言ってられない場合は
閉じ具合を調整するのもよろしいかと。

情報制限は、研究だけに限るものではないと考えています。
余分なことに振り回され、本来やること・もしくはやりたいことに
集中する・自身を集中させたいなら使えるものと思います。

オープンがよしとされやすいですが、閉じるのが悪ではないでしょう。
活力が無いから閉じるのと、活力を貯めるために閉じるのと
差が有ると思いますから。

私から見て、どんな嫌な奴でも誰かの大切な人ですからね。
私も、その考えで尊重を手にして行きましたね。


ただいま数学ミステリーをジックリ見ています。
論理的解析と証明のとっかかりに役立ちそうです。

好きと言うことも楽しいと言うことも、多種多様な部分に
大きく影響を与えますよね。
感情を論理的に展開すると、哲学なのにここでは受けが悪い(笑)

あほなさんには、踏まえて対応して頂いてもらえるので有難いです。

しかし、もっと学びたい。
いつか日本の大学も、アメリカ並みに解放されることを願いますね。
あ、日本の大学が閉じているのか?Σ( ̄。 ̄ノ)ノ


あほなさんも、お体に気をつけてお過ごしください。
私は正月太りだけが気掛かりですねwww

お世話になりました。
来年もよろしくお願いします。
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この回答へのお礼

ですねぇですねぇ。

学びたい欲が活性化してるのですね。良いことだと思います。学びがいろいろな世界を見せてくれますね。

私も正月、餅の食い過ぎで太りそうですw気をつけたいです^^;
お気遣い有難うございます。
来年もよろしくです!

お礼日時:2015/12/31 17:11

>一方で、人間という種が言語能力というものを、民族を超えて持っていると言う事実は、当たり前のことしか言えてないのかなとも思うようになりました。



脳味噌の言語中枢は手の動きを司る部分が突然変異して出来たとのことです。だから、人間は論理的なことを捲し立てるときに自然に手が動いてしまう。また、その反対に論理的な混乱が起こってしまったときには、意識的に手を大袈裟に動かしながら話すと、話がスッキリ出て来ることがある。

他の霊長類にはその突然変異が起こっていないので、いくら言葉を覚えさせても話せるようにはならない。ところが、手と言語中枢の関係に気づいた科学者がゴリラに手話をお教えたら、ちゃんと手話で話せ、結構論理的な文章を作れるようになったそうです。

そう言う意味で、確かに言語能力は人間の脳味噌の構造に根ざした超えた能力ですね。
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この回答へのお礼

手を大げさに動かすと、話がすっきり出てくることがある、、なんか、そのシーンが想像できて笑ってしまいました^^
とするならば、筆記行為と論理性の巧拙にも関係があるのかもしれません。
 
昔から思ってたことですが、チンパンジーやゴリラは、パワーでは人間に勝っているし、木を枝から枝へと軽々に渡れるが、ボールを高速で、目標物にぶつけたり、バスケットボールをしたりすることは出来ないのはなぜかと。運動神経の発達が人間とはだいぶ違うんだと勝手に結論づけていましたが、言語能力が手の動きを司る脳の部分と濃く関係しているということを聞いて、そういうところにこの違いは起因しているのかなと思いました。他の霊長類は、人間のようにボールを自在に扱うことは出来ません。時速100kmで野球ボールをミットめがけて投げたりは出来ない。リンゴは軽々に握りつぶせるのに。要するに、不器用と見れる。今日、友人宅に餅つきに行ったのですが、そこに友人の子供の四歳児が居まして、彼はとてもよくしゃべる子ですが、まだまだ話は拙いものがありました。そして、彼が洗面所で手を洗うのを見たら、とても拙く手を洗うことしか出来ていませんでした。子どもだからですが、ペラペラと大人のように喋ったり、器用に手を洗ったりできる子どもが居ないのも、そういう発達の段階を経るからなのでしょう。
ゴリラが手話を覚え、そこそこの出来を見せたという実験結果は、この意味で不思議はないのかなと思えました。ゴリラ程度の器用さを持つなら、その程度で手話ができるということなのでしょうか。

器用にボールを扱ったり、高度な論理展開をしたりする人間の手業と言語能力の発達に相関があるならば、物理学者の猪突さんは、絵も巧いとか、そういうことになるのでしょうか。時々、二物を与えられたような人も居ますが。
やはり、「脳味噌の言語中枢は手の動きを司る部分が突然変異して出来た」と言うところの、突然変異の部分は、単純な相関関係を導けるものではないのか。。。
でも、ダ・ヴィンチなんか発明家でしかも超絶技巧の画家だったことを考えると、相関はあるのかな?極論を言ったでしょうか。。

お礼日時:2015/12/30 22:55

お礼、ありがとうございます。



本日が仕事納めです。
突発で仕事が舞い込まなければ、大掃除で締めですね。
お陰様で、風邪は10年ほどひいていません。

別の見方で「楽しい」とは、自分の方向性ですよね。
何を楽しく感じるか。
自分への理解の第一歩でしょうか。

すっごく長い文章を書きましたが、説明し過ぎで割愛しました。
教え過ぎ・与え過ぎは、成長を妨げます。

書く度に、未熟さを痛感しますね。
来年は、今の計画が完了したら勉強に出たいですね。
そろそろ新しい風を感じに行かないと(^ ^)
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

抜きの美学というものが有りますよね。言葉は多用すればいいとは限りません。
是非来年は新しい風を感じに行って、その収穫物をこちらにお裾分けしていただけると嬉しいです(^○^)

何を楽しく感じるか、これは自分に訊いて見ないとわからないですね。私の場合は思い当たる節はあります。ですが、この度楽しみについて質問し、考える機会をいただきましたが、楽しくない事が頭をよぎる瞬間も少なくなかったです。カントアイさんだから言いますが、ソリの合わないクソ野郎とでも言いますか、その様な出会いも実はあって、ちょっとした悩みだったのですが、最近は、そんな彼にも親御さんがいるだろうと思う事で、荒れた気持ちが落ち着く様になりました(^◇^;)
人にとって第一の繋がりである親子関係というのは、人間を見つめるのに大きな契機を与えるものでもありますね。

また、来年もよろしくお願いします。
ご健康でなによりでした^_^

お礼日時:2015/12/30 21:26

風姿花伝は人生のハウツー物としても面白いです。

若い頃それを読んで物理学の研究を遂行するのに役に立つと思いました。

戦国時代の連歌論も面白い。風姿花伝も含めて

http://ameblo.jp/texas-no-kumagusu/entry-1152944 …

でどんな本が面白いか載せてありますので参考にして下さい。
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この回答へのお礼

ありがとうございます^_^
しかし、、、原文で読むですか。。猪突さん、やりますね。確かに外国語を読むことを思えば楽なのかもしれませんf^_^;)
参考にさせていただきます。

お礼日時:2015/12/30 21:14

>そんな日本人の生きた哲学の由来は、日本人が古来から自然に則してその成り立ちを見つめてきた事にあるのではないか、自然を前に謙虚になり、またその則を聡っていた故に、他者に対しても傲慢にならずにいられたのではないか、とも考えました。



あほなさんの自然観に日本の特徴がそのまま現れていると思えました。私は物理の研究を生業にして来たので、西洋人が、そして日本人が自然をどう見て来たのか、特別に興味を持っております。あほなさんが意識してなのか、あるいは自然に出た言葉なのか、「則」と言う言葉を使っておられる。日本人が蘭学を通じて、”Wetten van de natuur”(英語では"Laws of nature" )を訳すときにWetten即ちLaw を「法律」とは訳せず、困惑して、結局、則という言葉に思い至り、「自然の法則」と訳しました。

どうです、人間て皆同じなんて言っているけど、日本人の見ている世界って西洋人の見ている世界と随分違っているのですよね。こんなところからも、人間の学としての哲学に迫れるんじゃないかしら。

あほなさんとの以前のやり取りで紹介したかもしれませんが、

http://ameblo.jp/texas-no-kumagusu/entry-1189907 …

も参照して下さると光栄です。
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この回答へのお礼

ブログの紹介ありがとうございます^_^
この記事は、以前のやり取りで直接紹介されたわけではないのですが、ブログ内リンクで飛んで、読んでいたものです。おかげで時間という難しい話題を理解する助けを得る事ができました。

ところで、ノリという言葉についてですが、これは、ノリと読める漢字は結構あって変換に迷ったのですが、これかな?と思ったものを選択しました。四角四面の規則的なものと言うよりは、多少融通の利く、しかし包括的な法則というニュアンスをイメージしました。

言葉は世界を観るのに不可欠なものですが、それ故に、違う言語を有する民族と民族の間には、異なった世界観が存在するのかなと、最近猪突さんに言われて思うようになりました。一方で、人間という種が言語能力というものを、民族を超えて持っていると言う事実は、当たり前のことしか言えてないのかなとも思うようになりました。
当たり前の事はとても重要なのですが、敢えて指摘するならば時を選ぶものだなと、思い至りました。

まぁ、前お礼で、日本人のすべてに共通する特質を言い当てられたとは思っていませんが、そういう節もあるかも?くらいの事を言えたんじゃないかと思っています。
昔、日本人は里の物をとり、山の物はとらなかったらしいです。そう言うところから謙虚さとか、尊重とか言うものが感じとれる気がしたのです。

お礼日時:2015/12/30 21:12

こんにちは。

個人的なことなら、私にも回答できそうです。裏で密かに人に助けていただいていたことに後から気が付くのが、「楽しい」です。こう書くといかに私が視野狭窄な人間であるかを告白しているようなものですし、「楽しい」ではなく「ありがたい」の間違いではないかというご叱責もあるやも知れません。少しおしゃべりを書いてみます。

上に書いたことには「発見の楽しさ」があると私は感じているのですが、その理由は、意外性があるからです。周囲で少し小バカにしている相手が、実は私を庇っていてくれることがあるのです。説教じみたお言葉を頂いて、承りつつも内心で、「なんだろう?」と思って、あとでお茶でも飲んでいる時に考えます。すると往々にして、その人が私を庇っていることに気が付くのです。庇わないでいいのになあと思ったり、そういう問題解決の手があったかと気付かされたり、最初の感想はいろいろです。そして最後に、ありがたいことだ、と至極当然の感想に到達するのです。さらに小バカにしていた私こそ、一番の間抜けだなあと天を仰ぎます。感謝とともに、人間って奥深いなと思います。

目上の人ばかりではありません。下の人にも庇われていることがあります。これを一般化すると芋づる式に、他人のことにも気が付きます。あの二人は仲が良くないように思うが、たぶん片方が片方を庇っているな、とか。何事も周囲に支えられて成立していることに気付きます。まあ言葉にすると俗になりますが、世の中が変わって見えます。ですからこうした感覚は、相手を発見する楽しみだけではなく、社会を理解する楽しみなのかもしれません。さらにこの視点を得ると、第三点目の楽しみとして、書物の読み方も少し変わって来るのです。結局、字面だけ追っても、何にもならないことはあるものです。行間に潜んでいるものは、自分の経験を挟み込まないと分からないのです。言語として明晰にならないものは存在しないも同じ、と長いこと私は思っておりましたが、なかなかそうでもないようです。

もっとも一度気が付いたくらいでは私のような俗物はすぐに忘却の彼方、翌日から厚顔不遜に戻ります。しかしこうした経験が積み重なっていくと、それが何かの学術的な方法論としていずれ結集していくのかもしれないと予感もしています。ですからこの答えは、今は例を提示するのみで理論として一般化はできず、ご希望の半分しかお答えできなそうです。

猪突先生には厳しいことを言われてしまいました。芸術家の話は私じゃないかなと思います。そういう議論があることを紹介したことがありました。私が支持していると書いたかどうかは忘れてしまいました。「それはよくない」と私は言ったのではなかったかと思いますが、自分の立論がうまく展開できてなかったという自覚もあるのです。でも上に書いたように、人間の懐の深さなど気にもかけていない私が発した言葉です。用語事典の定義を張り合わせたようなもので、何の重みもないでしょう。先生は物事の機微がよく分かるからこそ、私のようにガサツな人間にお怒りのこともあるのでしょうね。ご叱責、甘んじて受け入れたいと思います。
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この回答へのお礼

こんにちは(^○^)
ご回答ありがとうございます。

私もありますね。例えば、いい事があって、自分は有頂天になったりするけど、いい事があっても、周りに配慮して、それを表に出さない人がいるということに、二十歳を過ぎてから知りました。
また、知っている全部を得意げになって話さずに、敢えて少しの言葉で語る人、そういう美しい人がいることも、二十五歳くらいになって理解しました。

そんな、人間と言うものについて発見がある事は、世の中がより楽しいものであると教えてくれると同時に、自分の在り方にも影響を及ぼします。

他の回答者さんから刺激を受けることも、自分の世界の見方にプラスαしてくれますよね。iactaさんが猪突さんの言葉を自分に向けられて語られたものとして受け取る事は、iactaさんの見識を深めることになると思います。そんな、回答者さん同士のやり取りを見るのも、質問者としては歓迎されることです^_^

お礼日時:2015/12/29 21:52

みんな芸術家の関連で。



江戸末期に日本を訪れたイギリス人の書いた物だったとの聞き齧りの話だったと思うので、誰が書いたか知りません。そのイギリス人は、日本の一般庶民が労働を楽しみ、自分の趣味を持ちながら暮らしていることに感銘を受けたそうです。高等教育を受けていない普通の日本人たちは、大工でも職人たちでも、時間給で働くわけでもなく、日がな気が向いたら働き始め、疲れたら仕事を終える。金のために働いていると言うよりも、満足な物を作ろうと働いているようだ。イギリスの貧しく同じ境遇の庶民たちの楽しみがセックスだけだと言うのと比べて、日本人の楽しみ方は羨ましくなる、ってなことが書いてあったとか。正に芸術家の楽しみですね。日本人の職人芸を見せられると、きっとそんなことを言ったイギリス人がいても、そうだろうねって思えますね。

イギリスのイザベラ・バード女史が明治11年に日本を旅行しており、その体験記は1880年(明治13年)に出版され、今でも講談社学術文庫から「イザベラ・バードの日本紀行(上)(下)」として読むことが出来ます。

http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid718 …

の下の方で紹介されていた部分を転載させて頂きます:

 「だれもが清潔できちんとした身なりであること、みんなきわめておとなしいこと、昼日中に何千人もの人々がお寺に押しよせているのにみんな礼儀正しくて秩序が保たれていること、ひとりの警官もその場にはいなかったこと。こういったことに私は深い感銘を受けました」 (浅草観音寺にて)  

「『ふつうの人々』がどのように振る舞うかをとても見たかったので、三等車に乗りました。車両は肩の高さより上は仕切りがなく、たちまち日本人の最も貧しい階層の人々で完全に満員になりました。三時間の汽車の旅でしたが、わたしは乗客の彼ら同士やわたしたちに対する親切心と全体的な礼儀正しさにつくづく感心しました。非常に行儀がよくてやさしく、それはみごとなもので、故国の大きな海港都市あたりでおそらく見られるものとはとても対照的です。それに日本人はアメリカ人のように、きちんとした清潔な服装をして旅し、自分たちや近所の人々の評判に気を配るのです。わたしたちの最良のマナーも優美さと親切さの点で彼らに及びません」(神戸−大阪間の汽車内にて)

「その後わたしは本州奥地と蝦夷の一二〇〇マイルを危険な目に遭うこともなくまったく安全に旅した。日本ほど女性がひとりで旅しても危険や無礼な行為とまったく無縁でいられる国はないと思う」

昔も今も日本人て全く変わっていませんね。「故国の大きな海港都市あたりでおそらく見られるものとはとても対照的です」ってイギリス人のことですよね。外国に出て見ると判りますが、日本人て凄く特異で不思議な国民なんですよ。
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この回答へのお礼

ありがとう

明治初期の日本の風俗画をリアルに描いたRobert Frederick Blumと言う画家が居るらしいのですが、彼の絵を見ると、現代の日本人でもきっと溜息をつくのでは無いかと思います。その華やかな文化が本当に生きていた頃が、よく保存されています。

紹介していただいた、バード女史が見たという日本人の気質は何時どのように培われたのか、気になります。江戸時代か、それとも遥かに古く、縄文時代からその片鱗があったのか。

最近、猪突さんが能面の画像を上げて下さったのを見て、そう言えば自分は風姿花伝、読んでないな、と思い少し検索しました。能楽師の哲学が色々と書かれているようで、これも気になりました。検索ででた語句をパッと見ただけでも、ほうほう、と言うような、興味を引く内容でした。日本人の仕事には、おそらくどの仕事にもそんな哲学が存在するのでは無いかと思いました。
宮大工にしても、町の小さな製作所にしても、繊細で奥の深い哲学が、その生産活動に反映されているので、素晴らしいものが出来上がるのではないか、そんな風にも思いました。そんな日本人の生きた哲学の由来は、日本人が古来から自然に則してその成り立ちを見つめてきた事にあるのではないか、自然を前に謙虚になり、またその則を聡っていた故に、他者に対しても傲慢にならずにいられたのではないか、とも考えました。少なくとも私よりは、昔の日本人の方がそう言う謙虚さが板についていたのかなと、今回の回答を読んで思いもしました。
アホな人間は、他者が謙るのを見て、そいつは弱い人間だと勘違いをするが、その実は反対で、そういう人々は、きれいに整った人格を持っているのではいでしょうか。

バード女史が感心した日本人の振る舞いもまた、生活する、生きるという事について、日本人が言葉にならない無意識のうちに何か哲学を持っているからなのかも知れないと考えました。粋や筋、細やかさと言ったものも、いつの間にか身に付いてしまう。そういうのが、日本なのかもしれません。

お礼日時:2015/12/29 21:36

あほなさんの質問は考える切っ掛けを与えてくれます。



今回も、私の部分をブログ

http://ameblo.jp/texas-no-kumagusu/entry-1211091 …

に書改めておきました。ありがとう。
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この回答へのお礼

こちらこそいつも多彩なご回答ありがとうございます。
視野が広がるだけでなく、楽しんで読んでいます(*^o^*)
今後ともよろしくお願いします。

お礼日時:2015/12/28 21:52

お礼ありがとうございます。


ちょっと調子に乗って内的体験の具体例を三つほど追加します。

(深く)
かなり前のことになりますが
山登りを始めたばかりのころ
圧倒的な風景に度肝を抜かれて
心の底まで射抜かれてしまい
感動する心とは何だろうということで
心と脳という一生もののテーマをつかみました。

(新鮮で)
出会った野鳥との戯れ感も楽しいですね。
変な奴がいると思ってかどうかわかりませんが
野鳥の中にもこちらに興味を持つようなのがいて
そういうのとひと時お付き合いするのです。

(張りのある)
後、最近読書にはまっていて
過去の名作にこんなメッセージが込められていたのかな
なんていうことに思いを巡らせるのが一つの楽しみです。
定説っぽくない解釈に至ったときには
気分がいいですね。
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この回答へのお礼

山登りですかー。いいですね。私も昨年、白山に登ってきました。海外旅行でも、自然観光はその主たる目的です。本当に素晴らしい世界が広がっていますね。

鳥って、人間の音楽に呼応するように鳴くって知ってました?ギターなんか弾いてると、対抗してくるんですよw仰るようにお付き合いが可能です。私の思い込みかもしれませんが。

読書ですかー。私の知らない世界ですね。これは確かに内的体験の宝庫の予感がします。

一つ一つに丁寧にお答え下さり有難うございます。スズメさんの人柄が少し見えたような気がしました^^

お礼日時:2015/12/27 17:47

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