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例えば出身大学を他人にを聞くときによく「どこの大学を出ましたか」と言いますが、正しくは「どの大学を出ましたか」とか「何大学を出ましたか」ではないのでしょうか。

問「どこの大学を出ましたか」(どこに建っている大学かをきいている)
答「東京都の大学です」

問「どの大学を出ましたか」(具体的な大学をきいている)
答「東京大学です」

上記のようになるはずなのですが、
場所ではなく大学名を聞きたいのに「どこの大学を」と言う(書く)人が多くありませんか。

それとも「どこの」と「どの」は同義と考えたほうがいいのでしょうか。

質問者からの補足コメント

  • 地名と大学名に関連が強い大学を例にしたのはある意味、不適切だったかもしれません。

    他の例ですと、明らかにトヨタとかホンダとかニッサンとかいう答えを求めているのに「どのメーカーの車が好きですか」ではなく「どこのメーカーの車が好きですか」と聞く(書く)人が多いということがあります。
    (「どこのメーカーの車?」と聞かれたら「日本のメーカー」「愛知県豊田市のメーカー」など、場所をつけて答えるのが正答ではないでしょうか)

      補足日時:2017/04/20 15:34

A 回答 (8件)

狭義には誤用で、広義には許容範囲と言うところでしょうか?



そもそも「指示代名詞」の「不定称」と言う、かなり曖昧な語句ですから・・。
すなわち指示代名詞は、場所,方向,事柄などを、具体名を用いずに表現する代用の名詞であって。
「どの」「どこの」などは、それが不明確な場合に使うものなので、「代用の不明確」と言う、かなり曖昧な表現と言えそうです。

その結果(?)、もちろん「どこ」は、仰る通り主に場所を示しますが、更に話をややこしくして恐縮ながら、主に方角や方向を示す、「どちらの大学?」みたいな表現も有り得るでしょ?

不定称じゃなくでも、「それ取って!」「これ?」「違う、そっち!」「こっち?」「違うって。そこ!!」みたいな会話もありそうですし。
こんな会話はイライラしますが、それも代名詞と言う、あくまで代用品,代用表現の宿命じゃないでしょうか?

また、やや余談ながら、「どちらの大学?」みたいな尋ね方は、ちょっと上品な感じがしませんか?
別に敬語ではないですが、「どの」に比べると直接的な尋ね方ではなく、より曖昧な尋ね方であって、婉曲さがあるからかと思います。
従い、仮に直接的に出身大学を尋ねるのが失礼と思われる様な局面で、故意に「どこの大学?」と尋ねるのであれば、誤用とは言えないと考えます。
無論、何も考えずに、何でも「どこの?」と言ってる様な場合は、ちょっと問題アリですが・・。
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携帯電話でも、どのキャリア、またはどこのキャリアを使っている?、なんて質問もあるようです。


大学の代名詞?としてキャンパスも使われるようですぅね。
キャンパスは本来は場所ですね、聞くときはどこ?となります。
確かに、入り混じっていますね、文法的にはおかしいですが、文法より、言葉が先です、特に日本語では主語さえ省略されます。
ぜんぜんについてNHKの内容から。
肯定に使われる例として、暑くないですか?、ぜんぜん、ちょうどよいです。
でも、私の受け取りは、暑くないですか、ぜんぜん(暑くないです、又はお気遣い無用)、ちょうどよいです。
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ごもっともなご質問だと思います。


1.
まず、両者の意味を辞書で確認してみます。
【 どの 】
どれとはっきり限定しないままに、不明・不定の事物・人間・程度などを取り上げるときに用いる語。
http://www.excite.co.jp/world/j_dictionary/ITEM- …
【 どこ 】
①不明の場所やきまっていない場所などを指し示すのに用いる。どの場所。 「会議は-でするのか」 「 -でもいい」 「 -の国の人か」
②所属しているところなどが不明、不定の時に用いる。
http://www.excite.co.jp/world/j_dictionary/ITEM- …

これらの語釈を比較した場合、
「どの」は、「はっきり限定しないままに」という文言がヒントになっているように思います。
つまり、「どの大学を出ましたか」は、いくつか複数の大学がお互いの了解事項として認識されている場合の表現ではないだろうか、ということです。
そのような一定の範囲が前提になっているからこそ、「限定する、しない」という動作も可能になるのでしょう。
一方、「どこ」の場合は、特にそうした範囲が前提されていない場合に使うように思います。 [ 不明の場所やきまっていない場所 ] より想定していないので、範囲も想定されていないことになり、そのため限定すること自体ができない。

2.
それで、出身大学を尋ねる場合についてです。
たとえば東京六大学について話しているようなシチュエーションであるなら、「東京六大学」という範囲が示されているため、「(その中で)どれとはっきり限定しないままに、不明・不定の事物を取り上げる」という意図で、『どの大学を出ましたか』という表現が可能になる。
特に範囲が示されていない場合は限定することもできないため、[ 所属しているところなどが不明 ] なもの(大学)を示すという意図で、『どこの大学を出ましたか』となるのではないか、と思います。

とはいえ、東京六大学の場合も、それを範囲と認定しないという感覚を持った話者であれば、「どこの大学」を使うはずですし、また、その感覚が特に不自然というわけでもない。
同様に、「日本全土」を範囲と認定する話者も(極めて稀ではあるでしょうが)中にはいるかもしれず、その場合は「どの大学」を使うはずです。
なので、あるひとつの例に関してどちらを使うのが自然か?と問うのは案外難しいような気もします。
ただ、先に記したような意図があるなら、「どの」と「どこの」は明確に使い分けなければ不自然な表現になってしまうでしょう。
というより、無意識的にそうした使い分けが行なわれているのだと思います。

3.
因みに、上記辞書は大辞林です。
大辞泉では、「所属しているところ」といった項目は特に挙げられていませんが、「ところ」の広義の意味として、単なる場所以外にも使える、ということは言えるのでしょう。
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「どこの大学を出ましたか」と聞かれると、確かに場所を指しているとも考えられます。


しかし、回答者に、回答の幅を持たせることができるので、普段の会話としては成立すると思います。
そう言う意味では「同義」と考えて良いのでは。

「どこの大学を出ましたか」と聞かれて、
出身校を自慢したいのなら、「東京大学です」と答えるでしょう。
名の通っていない大学なら、「地元の大学を出ました」等、ぼやかして答えることができます。

それに、「東京大学です」と答えられると「優秀なんですね」で会話が終わってしまいますが、
「地元の大学」と答えられると「故郷はどちら?」「暮らしはどうでした?」と話が続きます。


私は学校名ではなく、「大学では何を専攻(勉強)されていましたか?」と聞きます。
出身校を自慢されても癪だし、自分の知らない世界の話が聞けるかも知れません。
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「どこの」と「どの」はおっしゃるとおり同義ではありません。

しかし、それで通用することが多いのです。なぜかというと、出た大学によってその人に対する評価が変わることがあります。そのことを知りながら、その人の出身大学名を聞くことは場合によって、相手に不快感を与えることもあります。出身大学名を本人からはっきり言わせようとしないとところが、「気配り」の一種です。「何大学」かと聞かれて、「東大です」と答えられる人はいいと思うでしょう。ところが本人も「東大です」とはっきり答えにくい場合もあります。そこが日本人社会の特徴です。東大を出た人は、「東大出」という噂が自然に広がります。ところが、「東大出のくせに」という、マイナス評価につながらないとも限らないからです。
 しかし、ビジネス的には聞かなければ、ならない場合もあります。それは割りきって考えましょう。そんなこともあるんだと、心得ておいてもいいのではないでしょうか。
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出身大学を訊ねる場合,「どこの」と「どの」はほぼ同義として使われると思いますが,「どの」と言うと(A,B,C,… ,Z の内の「どの」?)と指定している訊ねかたになり,それよりも「どこの」のほうが直接さが和らぐ(間接的になる)ために,好んで使われるのではないでしょうか。


「どこの?」という問いに「東京の大学」とか「地元の大学」とか答えることで,話が通じる場合も多いと思われます。
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同義ですが、そういう聞き方をしてしまうのは、


大学名が立地の地名と連動しているケースが多いからじゃないですかね。

たとえば、日本における大学が放送大学しかなくて、
立地とまったく連動しておらず、
放送大学A、放送大学Bみたいな分かれ方をしていたら、
「どこの」とは聞かないように思います。
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同義と考えたほうがいいでしょうね。

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