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夢十夜第六夜の運慶は文中からどのような人物だと読み取れますか?

A 回答 (1件)

この十夜の連作は作者の夢の中の出来事であって、そこに登場する人物がどう描かれるかはあくまで作者の自由であることが伺えます。



話は運慶が護国寺の山門で仁王像を彫っているのを作者が見物に行くところから始まります。すでに大勢の野次馬が集まって下馬評を繰り広げており、多くは車夫たちの無教養な会話ですが、当の本人はそんなことにお構いなしに、ただ黙々と鑿と槌を動かし続けています。
その様子から作者はつまらない評判や噂は気にも留めず、目の前にある自分の仕事を全うしようとする職人気質の人物として描き、まさに一心不乱な様子を表しています。
その姿は周りととても不釣り合いなのですが、ようやく教養のありそうな若い男の言葉に作者が関心を示すのです。
ここで私が思うのは、この若い男も実は作者の分身のような存在ではないかと言うことです。作者自身が自問自答しては全く面白くないので、他者を使って会話をし、運慶の腕の見事さ、泰然自若とした態度をさらに際立たせていると思ったのです。
作者には知らない風を装わせ、その若い男から仁王像を彫るのではなく、埋もれている形を掘り起こすのだ聞いて、それなら自分にも出来るはずだと安易な気持ちを起こさせる。
しかし、帰ってやってみるものの、いくら彫っても出て来ないことが分かると、最後に分かった運慶と自分との対比が鮮やかに表現されているのではないかと思うのです。
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