家の中でのこだわりスペースはどこですか?

「昭和枯れすすき」という歌謡曲は昭和49年の歌で、まだ高度経済成長の名残があった時代と思います。

それなのに、どうしてあんなにもどん底感いっぱいで、今風にいえば、「人生詰みました、世間を恨みます」満載なのでしょうか?
暗い上にも暗い、救いようのない悲しさ、という感じがします。

歌っていたのは若い男女のデュエットなので、親に死なれた兄妹孤児の歌かと思っていまが、歌詞を見るとカップルのようです。

もっと古い森繁久彌の「枯れすすき」の方が、貧しい人生で、諦めていても、どこかあっけらかんとしたのんびり感があり、救いが感じられます。

他に「川は流れる」という歌は昭和36年位の歌ですが、社会の下層で生きる人生ですが、それでもまだ明るそうな雰囲気があり、望みを失わないという感じがあります。
それから13年後の「昭和枯れすすき」の悲惨、絶望に、なんで?と不思議な気がします。

昭和4,50年代というのは、まだ体力もある若い男女2人が歯を食いしばって頑張っても生きることができない、というような悲惨な時代だったのでしょうか?

昭和という時代も一皮めくれば、若い女性の自殺が多い平成と大した違いはなかったのでしょうか?
それとも、東京オリンピックが終わり、景気が一気に後退して生きづらい底辺層が増えた時期なのでしょうか?
あるいは、高度経済成長の繁栄の結論が出て、富裕層と取り残された悲惨な庶民がたくさんいた格差社会?

昭和歌謡をご存知の方の回答をお待ちします。

A 回答 (4件)

「昭和枯れすすき」は水曜劇場「時間ですよ昭和元年」の挿入歌です。


背景は名前のとおり「時間ですよ」なのですが時代が昭和元年の頃でした。
ドラマのどんなシーンで流れるかというと、足抜け女郎(大楠道代)がやっている小料理屋に入り浸っているその女郎の男(細川俊之)この二人の不幸な状況シーンで流れます。男はヤクザで肺病を患い、もう手遅れな様子なのに酒を飲んでカウンターにいます。女はそんな男を気遣っています。とにかく不幸な境遇の二人です。
このドラマの挿入歌ということで大ヒットしたんじゃないかと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

テレビドラマの中で流れた歌なのですか?
知りませんでした。

足抜け女郎とヤクザって、そういう設定だったわけですか!
たしかに幸薄いカップルですね。

お礼日時:2019/02/14 14:13

さくらと一郎の「昭和枯れすすき」は、昭和49年のリリースですが、ヒットし始めたのは、翌50年の夏頃からでした。


実は、日本の高度成長は、前年の昭和48年の夏頃で、終焉を遂げました。
この年の秋に襲って来たオイルショックで、原油価格は大暴騰し、狂乱物価と言われるくらい、諸物価は高騰し、トイレットペーパーや洗剤の買いだめ、売り惜しみなど、日本経済はパニック状態に陥りました。
そんな世相を反映してか、歌謡曲も、暗い感じの曲ばかりがヒットし、それまで軽快なポップスを歌っていたアイドル歌手までもが、暗い歌を歌うようになりました。
「昭和枯れすすき」は、そんな世相にぴったりだった歌と言うことが言えます。
余談ですが、この曲は、当初、女性のソロでリリースされる予定でしたが、演歌では前例の無かった男女のデュエットでリリースされることになり、同じレコード会社からデビューするも、ヒットに全く恵まれなかった男性歌手が相手に選ばれたとされています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

日本の戦後景気に急ブレーキがかかった時期のヒットなのですね。
流行歌って、時代を映すといいますが、みんな希望から一転、未来が見えにくくなり、不安のようなものが広がった世相を反映している歌の一つなのですね。

お礼日時:2019/02/14 14:19

戦後日本経済は1950年ごろ朝鮮戦争を機に戦争特需などで成長をはじめ世界的バブルとなり今問題なっている北方領土なんか現金で買えばよいと言うほどの鼻息でみんな浮れているまにバブルがはじけることになりますがこの好況で取り残されて世間から捨てられた人たちが居てそれが昭和枯れすすきだと思います


ただし、昭和の時代はみんなが希望ををもって「ああ上野駅」ではないが東京へ東京へと集中し努力る価値があり私も田舎から口減らしのために東京へ出てきたが貧しいが良い時代だった思いますが
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

好況の裏にはいつでも取り残され、耐えるしかない人はたしかにいますね。
ヒットしたのは、共感する人も多かった、ということでしょうね。

お礼日時:2019/02/14 14:11

西暦だと70年代前半ですね。


高度成長期でしたが、一方で人々の前向きな姿勢にブレーキをかけるような出来事が沢山あった時代です。
それに当時の北海道は失敗した人たちが流れていくところでしたし、世間は明るくても人々の人生は色々だったのです。
ただ、昭和枯れすすきもそんな悲惨な曲ではないですよ。
どんなどん底でも二人で耐えていこうという曲であって、それこそ演歌にぴったりだと思います。
それに必ずしも当時の世相や実態を歌ったかといえばそうではなく、そういう哀愁はいつの時代でも不変のものだと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

いきなり、「世間に負けた、いっそきれいに死のうか」という歌詞、ええっ!と思いました。
哀愁は、たしかに日本文化の底流にありますね。

お礼日時:2019/02/14 14:10

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