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No.6
- 回答日時:
>像もなくてよければ何にも無い所に人々が頭を下げに来る事になりますよ
それならイスラム教の人々も「何もない所に向かって祈っている」ことになります。キリスト教や仏教のように偶像を許していない宗教もけっこうあるのです。
日本のカミは、キリスト教などの神とは違います。
日本のカミは「いつきもの(斎物)」ならなんでもいいのです。「いつきもの」というのは人間が恐れを感じ、または怖いと思うものをいいます。
分かりやすいのが太陽や火山などで、人間の能力を超えた自然現象を「恐れる」ところから来ています。怖いと感じるのはたとえばヘビやキツネなどが「人間にとりついたり、化けて出たり」ということや、人間が恨みを持ったまま死んで祟りを起こすというようなものです。
ヘビを祀った神社やキツネを祀った神社もありますし、タタリガミとしては菅原道真を祀った太宰天満宮が有名でしょう。
「祀る」というのはそういう「いつきもの」またはそれを作った時代の人々が「イツキモノだと思う場所や出来事」を感じて「祀る」という行為をしたことに始まるのです。
ところが時代が下ると「祀ったカミの御利益」が評判になっていきます。
たとえば全国にある「鹿島神社」は元々武のカミとして有名な建御雷神(タケミカヅチ)を祀った神社で、元々の本社は茨城県の鹿島にあります。
しかし「武のカミ」ですから、武功や必勝祈願をするために、自分の土地に神社を招聘することが流行、神社の方もそれに合わせてその土地に分社を建てていきました。この時に神社の御神体とされるものを置き「カミさまカミさま、こちらに分社をつくりましたので、こちらにもお住まい下さい」と祈りの儀式を行うのが勧請と呼ばれるもので、その時「カミさまが乗り移る」とされるなにかを依代(ヨリシロ)と呼ぶのです。この依代は基本的に誰にも見せないモノ、とされているので、それが紙なのか鏡なのかは分かりません。
自然のカミとされる火山や川などはそれ自体が「カミ」であり依代とされていて、神社は単に「人が祈るための建物」にすぎません。
たとえば伊勢原の大山は山自体がカミサマで、人々がお祈りするのは山の中腹にある阿夫利神社、ここは下社と呼ばれ「山の神様が人々のために降りてきてくださる場所」とされています。
本当の神社は山頂にある本社で、ここには祭祀に使われたと思われる縄文土器も出土しているので、日本人はまだ文字をもたない縄文時代ぐらいから、この山を「イツキモノ」として扱ってきた、ということでしょう。
日本のカミは必ずしも「ご神体」を持つ必要はないのです。
No.5
- 回答日時:
本殿に、ご神体を祀っています。
ご神体は、神が宿る場所で鏡や剣、玉の類が多いです。
神様にも多数の種類があります。
岩、山などをご神体とする自然崇拝から、天孫降臨の神を祀る伊勢神宮等、大国主大神(大黒さま)を祀る出雲大社、稲荷大神を祀る稲荷大社、神社、実在した人物を神として祀る天満宮、八幡宮、氏神など様々。八百万(やおおろず)の神と呼ばれる所以です。
No.3
- 回答日時:
神格に実体がないことはよくあることです。
神社の御神体が鏡だったりするのも、そういう関係かな?
神社を作るのは人間で、信仰対象がそこにしかすまないという理由にはなりませんよね。
わたしはイエスキリストを信じていますが、「教会」の建物にイエスが住んでいるわけでも神が住んでいるわけでもありません。
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