【大喜利】【投稿~9/18】 おとぎ話『桃太郎』の知られざるエピソード

昭和42年になるまでは、100円銀貨で生産が少なかったから板垣退助の100円札が中心的に入り100円銀貨はたまに入って来たんでしょうか?100円玉はあまり出回らなかったんでしょうか?古銭屋に行くと1枚500円で売られていてなんだか値段が高いです、昭和42年になるまで板垣退助の100円札と100円銀貨が一緒に生産されていたんでしょうか?分かる方は回答をお願いします。

A 回答 (2件)

昭和43年3月末、就職のため田舎を離れて上京しました。



田舎では 100円玉などめったに見たこともなかったのに、逆に東京では 100円札を全く見ることができませんでした。
カルチャーショックを身にしみて味わったものです。

日銀のサイトによると、
・昭和32(1957)年・鳳凰の100円銀貨幣発行開始・現在も有効
・昭和34(1959)年・稲穂の100円銀貨幣発行開始・現在も有効
・昭和42(1967)年・現行の100円白銅貨幣発行開始
・昭和49(1974)年8月1日・100円札発行停止

とのことなので、昭和42年でなく昭和49年まで板垣退助の100円札と100円銀貨が一緒に生産されていたことになります。
ただしこのとき作られていたのは銀貨でなく白銅貨ね。

https://www.boj.or.jp/note_tfjgs/note/valid/inde …
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この回答へのお礼

教えて頂きありがとうございます。

お礼日時:2020/02/07 06:54

紙幣と硬貨が併用されていました。


100円硬貨を使える自動販売機があまり普及していなかったので関東圏と関西圏の都市部以外は主として紙幣が流通していました。
北海道では1972年の地下鉄開業にともなう自動券売機の投入に伴って紙幣から硬貨に変わっています。
昭和42年は廃止が決定した年で1974年まで発行されています。
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この回答へのお礼

教えて頂きありがとうございます、

お礼日時:2020/02/07 06:54

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