架空の映画のネタバレレビュー

戦国時代は夫婦別姓だったのだから、婚家の苗字を女性は名乗らなかったと思います。
テレビ番組で、戦国時代の女性達の苗字を消すのは明治以降から始まった偏見です。

A 回答 (4件)

女性の名前の多くは家系図に残りません。

北条政子や日野富子とかいうのはあくまで歴史用語です。
おそらく別の通称で呼ばれていたはずです。
当時そんな呼ばれ方はされていません。
もちろん本当は苗字も姓もありましたが、
記録されていないのですよ。清少納言や紫式部も
所詮単なるミドルネームである。本当の名前は
分からないのです。あと戦国時代だけではなく、
明治後期の1898年に夫婦同姓が定められるまでは
夫婦別姓の文化は残っていたと思います。
記録がないだけですよ。女性の記録など
必要なかったのでしょうね。
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当時、武士や貴族の女性は本当の名前と通称を持っていました。

言霊信仰もあり、本当の名前を知ることができるのは、親と配偶者だけで、記録には残りませんでした。女性が名前を尋ねられて本尿をこたえるのは婚姻の承諾になります。
当然、記録者も知らないですから、記録には残りません。
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実際に名字がなかったのですよ。

名前でさえきちんと記録されていません。
女性の権利とかいうのは全くなかったのです。当時の記録にも値しないと言うことでしょう。

平安時代だってそうです。清少納言、紫式部はたんなるあだ名であって、きちんとした名前ではなく、『蜻蛉日記』の作者だって、藤原道綱母としかわかりません。『更級日記』の作者は、菅原孝標女としか記録がありません。

戦国時代でもそうです。信長の正妻であった濃姫だって本名ではなく「美濃からきた姫、つまり美濃姫というの省略して濃姫とよんだ」といわれています。信長の妹であったお市の方も織田市と記載している文書はありません。

もちろん、庶民の間では、そんなに男尊女卑ではありませんでした。それは庶民そのものが最初から無権利状態でしたからね。
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確信はありませんが、女性についての記録が少ない、もしくは書かれてないのだと思います。


あとは、苗字というものが一般的な呼称としては使われていなかった、ということもあるのではないかと思います。
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