アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

あなたの住んでいる街や隣街に、あなたはどんな夢や希望や魅力を感じて過ごしていますか。
どういう夢や希望や魅力ですか。

A 回答 (2件)

家族旅行中に、何気なく腹が減ったから立ち寄った街。

ついでにぐるっと回ってみるかでプチ観光して、そのまま居ついてしまいました。別にここに住むぞ~と下調べもなしで、気が付いたら30年以上もの長居を。

相性が合いすぎていたんでしょうな。その後も、いろんな街を訪問はしていますが、ここほどの魅力はなしで、しばらくいるとおうちに帰りたいとなります。

日本ではなく、人口100万のメキシコの中央高原地帯あるケレタローって街です。30年前は人口40万だったのが、私みたいのが多く出てきて発展中です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

心捉える街

お礼日時:2021/11/30 06:44

私が暮らしている町は、『こんなところに暮らしたい』という具体的な希望をいくつか挙げて、長年の時間と手間をかけて探し出してきたところです。


なので、その希望が魅力そのものです。

① 豊かで健康的・健全な自然環境
② 穏やかな四季のある快適な気候風土
③ 自然災害の危険性が低い
④ 文化的・高いインテリ度・活動的・新陳代謝のある社会
⑤ 優れたレベルの社会福祉サービス
⑥ それらの環境が将来にわたり安定させ得る自治能力

【 豊かで健康的・健全な自然環境 】
私が暮らす町は田舎です。
平野の中の森に覆われた人口5万ちょっとの町です。
町の周囲は自治体が管理する天然の森林で、野生動物の宝庫です。

【 穏やかな四季のある快適な気候風土 】

【 自然災害の危険性が低い 】
地震はありません。
厳冬期でも雪は降らないか、降っても10センチぐらいしか積もりません。
内陸なので台風もここを通るころには弱まっています。
なだらかで低い丘がちな地形の丘の上に街はあるので、水害や土砂災害はありません。
森の中なので風害もなく、丘の間には河川や湖沼が多いので渇水の心配もありません。

【 文化的・高いインテリ度・活動的・新陳代謝のある社会 】
町は優れた大学を中心にしており、人口の多くは学生ということから町は若々しく活気にあふれ、健全な新陳代謝がおきています。
住民のほとんどは何らかの形で大学と関係を持った人々で、こういったインテリ度が高いことから、町の文化的レベルや風紀か高くなっています。

【 優れたレベルの社会福祉サービス 】
大学は立派な大学病院があって地域医療の中核を担っているほか、町の小中高校への積極的関与もあって、町の教育水準もとても高くなっています。
町はそういった人たちの活動を積極的に支える施策を打っており、我々が手に入る社会福祉サービスはかなりいいレベルのなっています。

【 それらの環境が将来にわたり安定させ得る自治能力 】
町の暮らしやすさは大学とそれを支える自治体の連係プレーで確立されていると言っていいと思います。
これはもう数十年も続いていますから、今後これが早々に廃れるものではないと確信できます。

私はプロファイルに公開しているような在米の長い年寄りです。
なので、残念ながらここで紹介した町はアメリカにあります。

私は東北の山合の名もない寂れた寒村の生まれ育ちです。
両親は家業が忙しかったので、小さいころは、夏冬春の休みになると同じ東北の他県にある親戚に預けられてました。
大学で首都圏に出、社会人になるまで首都圏何か所かに場所を変て過ごし、社会人になると、仕事で日本の地方何か所かに暮らす経験をしました。

そういう経験からは、日本のどこへ行っても『ここに住みたいなぁ』と思う町には出会いませんでした。
上の言葉を借りれば、①~⑥ の条件に合う所がなかったということです。

私とカミさんは貧乏旅行が共通の趣味で、西欧・北米・東南アジア・オセアニアをずいぶん旅してきました。
そんな経験からは、アメリカが住みたいところだという意識がはっきりしてきました。

仕事で駐在派遣されたのをきっかけに、アメリカに暮らすようになり、実績が認められ、アメリカに永住し、テレワークを組み合わせて職住分離の生活ができるようになりました。
テレワークはコロナ禍になってにわかに流行ってますが、私が使い始めたのはもう20年以上も前のことでした。

それをうまく使い、我々はいろいろなところに住んでみました。

ニューヨークの大都会も、全米一貧しいミシシッピの、それまた恐ろしいほど超々ド田舎の小さな町も、ユタやバーモントの山の中も、360度どっちを向いても平ったい大平原の真ん中のカンザスも、冬は極寒・豪雪の五大湖地方も、ハリケーン銀座のルイジアナも、砂漠のテキサスも、庭にワニが出るフロリダも、西海岸のカリフォルニアも、東海岸の南北カロライナも、と言う具合です。

仕事で3~4か月滞在したところも入れれば、およそ考えられるバリエーションは全部経験したんじゃないかと思うほどでした。

子どもができたとき、そこまでの経験をまとめ、家族で暮らすのに適した場所に、今の州を選び、子どもが小さい時、学齢になって、思春期、進学、成人、リタイアという生活のフェーズに合わせ、町や町内の地区の選択を微調整してきました。

『出身地』とか『実家』などというしがらみがなかったこと、『職住分離』ができたこと、『高い人口流動性を可能にする国柄』などがあったからこんな行動をとれたのだと思います。

ここは私とカミさんにとっては安心して老後を送れる町です。
ここで育った子供たちもここを故郷と思ってくれています。
ただ、子どもたちは彼らが思う別な世界を持っているでしょう。
それを目指していくことでしょうが、今後はここが『子どもたちがたまには帰ってきたくなる街』であってほしいと願ってます。
孫が個々の学校に来てくれるといいかも・・・
    • good
    • 0
この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。

お礼日時:2021/11/30 06:47

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!