これって哲学なのかどうなのかわからないのですが、
ちょっと気になったので質問させてください。

生まれつき目が見えない人は不幸なんでしょうか?

元から「見える」という状態を知らないわけで、
その人にとってはそれが普通なわけですよね?
それでもその人は不幸なのか?それともそうでないのか?
皆さんはどう考えますか?

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A 回答 (8件)

皆さんのご意見にそれぞれ肯けると思います。

私は先天盲です。不幸かと問われたら、答えは「いいえ」です。でもそれは人それぞれ。
例えば「盲人だからあれはダメ、これもダメ」と言われて育ったら、不幸だと感じるかもしれません。私は統合教育で何時も40人のクラスメイト
分の1として育ちました。何かできないことがあっても、先生もいちいち悩んでいる暇もない環境でした。例えばドッヂボールが苦手でしたが、盲字とか
視児(正式な言葉ではありません)とか関係なく、「ドッヂボールが(理由は何であれ)苦手な子」として周囲の子ども達から捉えられ、自覚してもいました。
私の得意な学業が苦手な子もいるので、何か不得意なことがあってこれで平等、公平だと思っていました。盲であることを自覚し、けれど障壁とはせずに
生きてこられたのはありがたいことです。質問の解答に戻りましょう。先天盲者は不幸でしょうか?アメリカ人になりたかった日本人が不幸であろうことと
同じように、盲人でありたくないと思う人にとっては不幸でしょう。けれど、先天盲者は読み書きも移動も当たり前にできると思います。周囲と比べても別段
自分が損をしているようには思いません。そういうことから言えば、不幸ではないと思います。
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私は生まれつき手足に障害を持っています。


つまり歩けるという感覚を知りません。
しかし不幸だと思ったことは一度もありません。
歩けないかわりに何かを得ることが出来るんじゃないかと考えています。
人によって考えが違うと思うので一概にYESかNOと言えないですね。
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島田雅彦の「そして、アンジュは眠りにつく」(新潮文庫)という


作品はご存知でしょうか?
短編集なのですが、表題作は眼の見えない少女アンジュの
独特の視点で描かれる物語です。
島田氏は実際に盲人に取材を行ってこの話を書いたそうです。
この小説を読んで、私は、
盲人は視力のない代わりに別のものを得て、
健常者は視力を得る代わりに何かを失っているのだな、
と思いました。
詳しいことはここには書ききれないので申し訳ないのですが、
もし興味がありましたら一度読んでみて下さい。
ちなみに、同じく島田雅彦の「忘れられた帝国」(新潮文庫)にも
少しだけアンジュが登場します。こちらは長編です。
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武空術が出来る人と、出来ない人はどっちが幸せでしょう。


僕は武空術が出来るようになりたいです。我々にとって空が飛べないのは当たり前ですが、空を飛びたくなります。テレパシーは使えませんが(想像も出来ない?)、テレパシーが出来るほうがいい、とぼくは思います。出来るほうが出来ないより、「よい」というのは間違いですが、夜でも目が見えれば、どんな景色が見えるのか?気になります。
 目の見えない人は、視覚と言うのを言葉だけでしか知らないわけですが、どんなものか興味があるのではないでしょうか。体験したいという願望が少なからずある人はいると思います。
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narukagamiさん、こんにちは。



現在の世界が、目の見える人(多人数)がくらしやすいように
できているので、目の見えない人にとっては、
暮らしていくには不便があるとおもいます。

おっしゃるように、一度も見えるという状況を
体験したことがない場合は、比べようがないので
不幸と感じることは、あまりないようにおもいます。
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多数派は少数派を駆逐してしまう…基本的にはこの多数決の論理によって社会は構築されています。

しかしその際に駆逐する必然性のない物まで駆逐してしまう…要は一方の論理をより正当化する為に、周囲にある対立しそう(その判断が不確定)な物までをその対象としてしまっています。
強者がいて弱者がいる…それこそが幸・不幸の分水嶺足り得る物だと考えます、では強者と弱者と言う定義は何処から来るのでしょう?
自らが認識する物こそが正当であり、他は異端である…これと似たような物なのではないでしょうか。
その価値判断によって、ハンデキャップを持つ物が不幸であると言う風潮が出て来ているのではないでしょうか。
個人の幸せを他人が定義してしまう事は、かなり難しい物だと思いますよ。
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 盲学校の先生を少ししたことがあります。


 altryaさんのいうとおり、自分が不幸だと思わなければ、基本的には不幸じゃないと思います。
 けど、「目の見えないこと」が自分のやりたいことを妨げるとき、もしかしたら目の見えない人は不幸かもしれない・・と思うときがあります。
 私のいた盲学校で、「目の見えないこと」を理由に自分の進路を変えざるを得ない生徒がいました。大学を選ぶときもまず、視覚障害者を受け入れてくれる大学を探すところから始まります。
 元から見える見えない・・ということより、目の見えてる人の方が世の中圧倒的に多くて、目が見えてるのが当たり前なこの世の中が、もしかしたら目の見えない人を不幸にしてることがあるかもしれない・・と私は思います。
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 本人が不幸でなければ(不幸と思わなければ)、不幸ではないんでしょう。


 って、それじゃあんまりなので、日本一有名な障害者の言葉を紹介します。

 「障害は不幸ではなく、不便なんだ」(大意)
 五体不満足の乙武洋匡氏の言葉です。

 これが全ての障害(障害者)に当てはまるとは思いませんが、実感のこもった言葉だとは思いませんか?
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