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ガンジーの言葉に

「明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい」

というものがあります。もし私が明日死ぬと自分が言われたとしたら、預金をすべておろして「いつかしたい」と思っていたことをし、「いつか欲しい」と思っていたものを買うでしょう。しかし、ガンジーはそんなことを言っているのではない気がします。どう解釈するのが正しいのでしょうか?

また、前半部を私のように解釈すれば、後半部の「永遠に生きると思って学びなさい」と矛盾することになりますよね。

結局全体としてどうとらえればいいのか、私はよくわからないのです。わかる方、教えて頂けないでしょうか。

A 回答 (16件中1~10件)

日蓮も似たようなこと言ってますね。


「臨終只今」
「一日も生きながらえば功徳つもりぬるべし、あら惜しの命や」

例えすぐ終わってしまっても悔いが残らないくらい、一生懸命生きろということではないでしょうか。
また、そうやって生命に全力を尽くしていれば、老いなんか気にせずに最後の一日まで努力をするはずです。
それが後半部に当たるのではないでしょうか。
なかなかそうはできませんけどね…
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一所懸命生きろと言う事でしょう。


学ぶ事にこれで終わりと言う事はない、一所懸命な努力に終わりはない、と言う感じかな?

と解釈していましたが。

私も正確なところが知りたいです…が本人に聞くしかないですね、無理ですけど。
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自分なりの解釈ですが。



「明日死ぬと思って生きなさい」
当たり前ですが、明日死ぬとは限りません。にも関わらず「明日死ぬと思え」とは、
「明日死んでも悔いの無いように全力で生きろ」ということでしょう。
あるいは「明日死ぬとして、その直前に今日を振り返って『俺はよく頑張った』と褒められる生き方をしろ」とも
言えると思います。本当に明日死ぬのが確実なら、あなたの言うように好きなことをするのも
良いと思いますが、実際にはそうではない(はず)ですから。

「永遠に生きると思って学びなさい」
永遠に生きる、とは「人生の終わりを意識するな」ということではないでしょうか。
「どうせ死ぬからこんなことはやっても無駄だ」と考えず、毎日自分を向上させるべく
努力を重ねなさい、という意味だと思います。

ガンジーは非暴力・不服従主義によってイギリスのインド支配に対抗した人です。
いつ終わるとも知れない戦いの中で見つけた真理なのでしょう。
この言葉の根底には「諦めるな、投げ出すな」というメッセージが込められているように思えます。
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初めて聞いた言葉ですが良い言葉ですね。


個人的には、

「明日死ぬ」と思って生きなさい。
もし次の日死ななかったらその日もまた、
「明日死ぬ」と思って生きなさい。
そのような日を永遠に繰り返すつもりで生きなさい。

ということだと解釈します。

murphy7さんの解釈だと「永遠に生きる」方の条件がクリアーできないので無理があるかもしれません。
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単純に「今を一生懸命生きろ」ということな気がしますが。



>明日死ぬと思って生きなさい。
今日出来ることは今日やれ。明日に廻すな。

>永遠に生きると思って学びなさい
どうせ死ぬんだからムダ。とは考えるな。

ということじゃないですかね。
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初めて聞いた言葉ですが、ガンジーはいいこといいますね。


私は「今年で死ぬかも」と思って10年以上生きていますが、「明日死ぬ」と思えば時間を無駄にせず生きると思います。
ただし「明日死ぬ」と思って生きると、例えば半年後に資格試験があったときに、そのために計画的に勉強しようという気は起こりません。
そこで、「永遠に生きると思って学びなさい」ということなのでしょうね。
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明日死ぬと思って今日をベストを尽くし、


永遠に生きると思って学ぶことは無駄ではない

という意味ではないでしょか。
よく、高校生で癌とか白血病とか筋無力症などの大病をした人が、過酷な身体症状と闘いながら頑張って受験勉強をして、東大や早稲田に受かるという実話は、テレビでも書籍でもありますよね。
ガンジーの言わんとしていることはこういうことなのでは?
私にはちょっと理解できません。
明日死ぬかもしれないのに東大入っても仕方ないし~と思います。
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「今を生きろ」ということを言っているのだと私は感じました。

明日死ぬと思ってというのは今日という日を大切にすること、そして明日が来なくても充足していることを意味していると思います。それから、永遠に生きるというのは、永遠の意味することが多義であるので、確定は出来ませんが、”永遠の今”ということばがあるように、今ということを喚起させようとしているように思えます。
ですから、永遠に生きるというのは100年後も200年後も生きているということではなく、この瞬間を生きるということだと思います。もし、欲しいものがあったのならば、それは是非とも買うべきなのだと思います。
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こんにちは。


私も初めて聞きましたがすてきな言葉ですね。

勝手ながらお若い方と推察いたします。もしそうならば、この言葉を簡単には理解しなくとも、この言葉を目に留めて、ご自身の疑問を提起されたこと自体、大変に有意義で、価値ある感性をお持ちの方と思っております。
その上で、さて、次のようなアドバイスではいかがでしょう。

ポイントは次の2つで、少々言い換えてみましょう。
(1) 「明日死ぬ」ではなく「家族との夕食中に15分後に死ぬとしたら」・・・
(2) ある事項を学ぶ機会に恵まれたとき(例えば、数学のより高度な方程式を大変わかりやすく、無料で教えてくれる先生に出会えた)、でもただちに「私には関係ないから」(数学なんてうんざり・・・)と思ったならば、なぜ瞬間的にそう言い切れるのでしょう・・・

「明日には死ぬ・・・」。なかなかあり得ない状況ですが、この前提では「無茶をしてでも好きなことをする」と思う方は少なくないと思います。貯金をおろすどころか、迷惑をかける家族がいないなら強盗や強姦をしてもかまわないかも知れません。(パニック映画でよくあるパターン)
しかし、今回の語句は、「残された時間が大変に短い」という前提で考えてみると良いでしょう。楽しむ時間さえもない・・・
この場合、「無茶をしてでも好きな・・・」と考える方々は急速に減るでしょうが、ではどのように?

私なら、(きっと)死を受け入れる(覚悟する)努力をするとともに、心を落ち着け、家族に感謝し、生きてきた中の良かったところだけを想い出そうとし、そして、ちょっとだけ、「もしその危機を乗り越えることができればこんなチャレンジもしてみたいのに」との夢を描く・・・という感じですね。まあ、「良い死」をみずから作ろうとするのでしょう
現実には死は目前にはありません。でも、あれっ?「感謝」や「チャレンジ」は「死を目前にしてから考えるべき」ものではないですよね・・・・

また、「学ぶ」機会」に対して、こんな例はどうでしょう。
例えば、「中学生での数学は何のためにあるの?こんな方程式は生活では使わないのに。」との典型的な答えは、「中学生にとっては、将来、どんな職業につくことになるかわからない。どんなチャンスがある(あるいはないかもしれない)かわからないし、自分の好みも変わっていくので、広く基礎知識を持っておくことで、与えられたチャンスをみすみす失うような状況を減らしておきたい。」というものがあるでしょう。

しかし、逆に、この理論はある程度職業が定まると(例えば八百屋さんになったら)数学は不要なものになります。そうなれば、数学の大家のお話を聞くなんて、何の役にも立たないと言い切れるため、たいていは「私には関係ない」と言い切ることになるでしょう。

しかし、これだけだと見落としになるのはお気づきでしょう。思わぬ学問が思いもかけないところで必要(あるいはその知識を持っている者に負ける)になることもあり、また、周辺知識(数学の知識から発見者の人生模様へ・・など)への広がりも重要で、何より、常に学ぼうとする人の姿は美しく、細かな感動を重ねており、総じて優しく、尊敬も集める傾向も強くなります。
(反して、学ぶことから何か理由をつけて逃げるようでは、テレビのお笑いくらしか見ず(真面目にお笑いをやっておられる方ごめんなさい!)、刺激を求めても自分が工夫が出来ないのでお金や他人への攻撃で楽しませてもらうしかほう方がなく、何かにつけ不満が多く・・・とまあ私もその一人ですが)

そこで、「もう生活の道が決まっていて他に役に立つ可能性がないのだから、こんな勉強は無駄」とばかり考えず、「無限に命があるのなら、いつでも、どんな可能性でもある。そのくらいの気持ちでいろんなことを勉強してみましょう」というのはご納得いただけませんでしょうか。
(ちなみに、私は、英語が好きでもなく、使うはずもない職場に就職したはずでしたが、職場の都合で容赦なく英文を扱う羽目になり、何も考えずに暗記した受験用英単語に今更感謝しています)

いささかの勝手な先入観を許していただき、少々口の悪いことを承知で申し上げれば、この言葉を理解し、そこにちょっとした感動を覚えるためには、少なくとも自分のことだけで精一杯という年代では困難で、ある程度の年齢と、多少の恥ずかしい・悲しい経験の積み重ねが必要とは思います。

特に、「明日死ぬと思って・・・」「永遠に生きると思って・・・」のくだりは、ご指摘のように明確な矛盾です。
これをかみ砕くためには、まず、「単純なミスや幼稚なウソやいちいちあげ足をとらずに笑って許せる寛容(優しさ。たくさんの小さな矛盾に出会った経験)」と、「あえて矛盾をあげて目を留めさせ、小さな感動を誘発するテクニックに感心する感性(自分で言う言葉で相手がウケる・感心するような多くの小さな工夫を現に行ったことのある経験)」が必要です。

それでも、質問者さんがこの言葉に目を向けられたこと自体、ある程度の人生経験の証であり、大変に良いことだと思います。

ずいぶん長くなってしまいましたがさてさて、いかがでしょうか
お役に立てば幸いです。
(おかげで、私にとっても一つ勉強になり、ガンジーの業績についてもういちど何か読んでみたくなりました。)
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これはおそらく仏教から来ていると想います。


岩波文庫から「ブッダ 真理のことば、感興のことば」中村元訳というのが出版されてます。これは古い仏教の経典のことなのですが、これにも、
【われらはここにあって死ぬものであるとと覚悟しよう。このことわりを他の人々は知っていない。しかし、このことわりを知る人々があれば、争いはしずまる】
【つとめはげむのは不死の境地である。怠り怠けるは死の境涯である。つとめはげむ人々は死ぬことが無い。怠り怠ける人々は死者のごとくである。】とあります。

>>明日死ぬと思って生きなさい。
というのは、無一物になりなさいという教えだと想います。
どうせ、死ぬんだ。と諦めて生きることで無欲となり、心が執着から解放されて、楽になれるんです。

それまでは、あれも欲しい、これも欲しい、10年後の自分は・・・とか、意欲ばかりで不安定であった心が無一物になることで安定に向かうんです。

安定こそが、幸福なんです。



>>永遠に生きると思って学びなさい

これはまさに「つとめはげむのは不死の境地」ということだと想います。

たとえば、人間の脳細胞は、頻繁に使われる神経細胞のつながりがどんどん強化されていくんだそうです。
筋肉だってそうですよね。
「使うものは賦活して、使われないものは衰弱する」のが、この世の定めなんです。

この無常に移ろっている(運動している)世界での「停止」は死を意味するんです。
水だって流れが止まれば腐ってしまいます。
運動しているから賦活するんです。

だから、このガンジーの教えは「幸福になるための教え」であると想います。
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