プロが教えるわが家の防犯対策術!

私には人の本質を見抜く力が全くと言っていいほどありません。 人の表面的な面しか見ることが出来ず、今まで何回も失敗を重ねて来ました。 私の友人は、人と少し話しただけで、その人の本質を見抜けるので、私もそんな風になれたらいいのになぁといつも思います。 努力することでそういう力はつくものなのでしょうか?

A 回答 (9件)

実際には、人と少し話しただけでその人の本質を見抜くことはほとんど不可能です。

本質をさらけ出して生きている人なんていないからです。会話の99パーセントは当たり障りのない内容でしかありません。
あなたのお友達が持っている能力は「読み取り能力」ではなく、「根拠なく断定が出来る能力」なんだと思います。それはそれで、生きていくうえで有利に使える能力であるといえますが。(ひょっとして易者のように誘導尋問が得意な人かもしれませんが、それでも、本質がわかるわけではありません)
でも、あなたに必要なのはそんな能力ではなく、「もう少し高い位置からの視線」なのだと思いますよ。観察力や洞察力(あとから考えてみたらっていうので十分)を付ければいいのでは?
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バードウオッチングのように、人を観察するのです。


すると、いろんな小さなことから、その人の行動パターンが見えてきます。

でも、実際他人に観察されていると
分かったら、すごく嫌ですよね。

会社に、わたしに興味深々の女子社員がいて、観察してくれているみたいなんですが、ちゃんと分かってくれていなくて、わたしが会社の用事で郵便局に行って、特許印紙を購入して書類に貼って、日付を記入して、書留で出して、いろいろやることがあって、、、ちょっと会社に帰るのに時間がかかったら、「あなたはいつも外で遊んでいる。」と言うんです。

人を観察したとしても、
すぐに結論は出さずに注目し続けることが大事だと思います。

また、自分が基準とするもの、信念を持ち、その基準で人の行動を見る必要があります。

自分が、間違った基準を持っていたら、何が善で何が悪か判断できません。

極端ですが、もし「人殺しは時にはOKです。」という基準を持っていたとしたら、他人の本質など見抜けないです。わたしは聖書を基準にしています。
人を裁くのではなくて、人が危ない状態や、不幸が近くにあるような状態であれば、注意するだけでも、親切かなって考えています。

なぜ、人の危うさや、悪がわかるのかといえば、わたし自信がかなりの悪者だし、人の失敗もたくさん見てきたし、自分自身も悲しい思いや悔しい思いもいっぱいして、苦しみからサバイバルしてきたからです。
神さまと、周りの皆さまの愛情に助けられて、今日のわたしがあるから、わたしも周りの困っておられる人に気づき、何かしたいのです。

人の本質が見抜ける人は、実はかなりの悪者で、人の中の悪の部分に敏感に反応できるからだと考えています。音叉が響くように、反応してしまうからです。

だから、あなたは、とても純粋で無垢な方なのでしょう。自分の中に無い悪の部分を、他人の中に見つける事はできないからです。
悪人に騙されやすいかもしれません。

経験を積むことで、人の本質を見抜くことが上手になることもあると思います。
辛い経験を積むことで、人を見る目が養われることもあるのだと思います。

あなたの場合は、何度も失敗を重ねてきたのに、余り人を見る目が養われていないということですので、友人に守ってもらいながら生活されればよいのだと思います。たとえば、振り込めサギにあった時、直ぐにお金を振り込まず、友人に電話して相談するのです。
ひとの助けを借りた方が早い場合があります。

自分はひとの本質が見抜けないのだとわかっただけでも、すばらしいことだと思います。
自分の弱さをカバーする友人がいるのが、あなたの強みだと思います。
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この回答へのお礼

回答してくださった皆様、本当にありがとうございました。お一人お一人の回答を何回も読ませていただき、観察するという事が私には出来ていなかったと分かりました。第一印象をその人の全てと決め付け、それ以後のその人の行動をまったく見ていなかったように思います。 これから少しづつ改善していこうと思っています。 ほんとうにありがとうございました。 

お礼日時:2005/04/29 20:52

本質を見抜くの難しいと思います。


だから、考え方を変えてみてはいかがでしょうか?

例えば、
 1、相手の人は自分にとってどんな人か?
   (仕事、友人、楽しい、etc)
 2、自分はこの人が好きか嫌いか。
 3、一緒にいる人、もうあわない人

 けっこういい加減に書きましたが、自分に好意を持っているか否か、返事がすぐ返ってくるか否か、こんなことからはじめると良いんじゃないですか?
 
 「本質を見抜く」ってこれ、具体性にかけてる気がします。だから、上記したように項目分けして相手を判断してみてはどうですか。
 こうすると、「あっ!この人こんな面もあったんだ。」って思ったときに、別の項目に切れかえることもできる。
 「やっぱ嫌な奴」、「けっこう気が利く奴」、と後から感じていたものが、「これで怒るのか」、「こんなことができる人」、などに変わり、この人にはこう接する。こんなときはこう言えばいい。
 と、相手に対する考え方が整理され、よい人間関係が築けるのではないでしょうか?

 (でも、こんな話友達にすると嫌な顔をされるので、人には言わず、気楽に考えればいいとおもいます。(笑))
 
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こんにちは。


少々理屈っぽい話になりますが、おじさんの戯言だと思って聞いて下さい。

本質とは見えないものです。それに対して、目に見えるものは実質と言えば良いのでしょうか、これを見誤るひとは余りいませんよね。何でもそうなんですが、本質を見抜くということは、物事を客観的に評価するということです。
何びとといえども、ひとの心の中を覗き見ることはできません。現在の医学技術を以ってしても、それは不可能ですよね。ですから、他人のそれを知ろうとするならば、外に現れた結果を評価し、判断を下す以外に手段はありません。そして、心の中の動きが実際に外に現れ出たものが「言動」や「行動」であり、その積み重ねがそのひとの「経歴」です。我々はそれを基に、そのひとを理解しようとします。

では、我々はいったい何を基準にしてその判断を下せば良いのでしょうか。
例えば、そのひとが「良いひとだ」という判断が、自分にとっての良いひとだとするのであれば、それは個人的な判断基準です。また、そのひとが立派人物だということであるならば、それは社会の価値観に照らし合わせたものということになるのかも知れません。
その価値判断が正しいかどうかは別として、このようなものは、判断に用いる基準が変われば結果も変わってしまいます。つまり、価値観が変わればその価値も変わってしまうということなんです。このように、結果がコロコロと変わってしまうのですから、それを「本質」として取り扱うわけにはゆきません。

恐らく、他人の本質を見抜くことのできるという質問者さんのお友達は、他人の行動や言動を観察し、それに対して正しい判断を下しているのでしょう。質問者さんは、自分にはそれができないので損をしたと仰います。では、質問者さんのお友達は、目鼻が効くので得をしているのでしょうか。
損得とは、自分にとっての価値判断です。このような価値観を持っている限り、それに対して如何に正しい判断を下すことができたとしても、そこに現れたものは本質ではありません。何故ならば、価値観によって結果が変わってしまうのでは、それを本質と呼ぶことはできないからです。
私が疑問に思うのは、仮にお友達があるひとに対して「良いひとだ」という判断を下したとします。ですが、そのひとは別な人間にとっても良いひとなんだろうかということです。まして、価値観なんてのは年齢によっても変わってしまうものです。
質問者さんが、今は損だと思っていることでも、何年か経ってみれば、そうは思わないということだって、幾らでもあり得るんですよ。

ひとの心の中は見ることができません。ですから、我々は外に現れた結果に対して判断を下さなければなりません。そのためには「判断の基準」が必要になります。本質を見抜くということは、物事を客観的に評価するということです。従って、ひとの心の本質を客観的に評価するためには「客観的な価値観」を持たなければなりません。さもなくば、そこに見えるものは本質ではありません。
ですが、価値観そのものに絶対的な基準というものがありませんし、その年齢によっても変わってしまいます。ですから、我々にとって「より客観的な価値観」というのは、「より幅の広い価値観」ということになります。そして、そのためには多くの知識や経験が必要です。それは、とても時間の掛かることだと思います。
ですが、そのような幅の広い価値観が身に付くならば、やがて我々は多くのことを受け入れられるようになります。他人を理解し、受け入れてあげることができるようになるならば、そのときは、もはや本質を見拭くなんていう面倒な手続きはいらなくなってしまいます。我々は、そのために努力をすべきだと思います。
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本質すべては無理でしょうが傾向を見ぬく人はいるかも。


性格の一部とかね。

それは色んな種類(業種も人種も性別問わず)の人と話をし、色んな年代の人と付き合い、そういう経験から自然と身につくのでしょう。
もとから観察力、洞察力も備わってると、なおさら磨きがかかります。

人間観察。好奇心旺盛な人は素質があるでしょうね。
でも、本人に何でわかるのかと聞くと分からないと答えるでしょう。
感覚的に直感に近い形でパッと閃いてしまうものだから。

「努力」というのは無理ではないかなあ。
素質も重要だという事で。
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21歳・女性です。


質問者さまは女性でしょうか?
女性は男性より、比較的観察力が鋭いと思います(一般に第六感がある、とも言われていますよね)。
観察力は、育った環境によるものだと考えています。
ボーっとした親に育てられればボーっとした子に、神経質な親に育てられれば神経質な子に育ちます。一方で、親を反面教師にし、親とは正反対の気質を持った子に育つこともあるでしょう。
したがって、
これから努力したところで、どうこうなるものではなさそうです。
しかし、あなたは幸せです。
わたしは、人を鋭く観察し、言動一つ一つからその人の考え方や、価値観を見抜こうとします。親しくなるにつれ、最初に見抜いたことが当たっていることが多いです。
観察することで、人の長所だけが明らかになっていけば問題ありませんが、実際そうではありません。
「あのひとはこういう人なんだ」といった悪い先入観のせいで、その人と真剣に付き合おうという気持ちがわいてきません。
したがって、
人との信頼関係を築くのが困難です。
あなたのような、ぱっと見ただけで見抜けない人=純粋な人、だと思います。「腹黒い人」とは、相手の心を瞬時に読みとって行動する人だとも言えると思います。あなたがつけたいと思っている力は、下手すると腹黒さにもなりかねません。

わたしの個人的な意見ですので、他の方からの回答と併せて参考にしていただきたいです。
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参考になるかどうか分かりませんが、私は人間関係でとても辛い思いをしました。


そして、人間関係というものからいったん、離れました。
そして、一人で考えたり行動するようになりました。
それからでしょうか・・・人間関係では悩まなかったころに比べて、この人はこういう人だなということが見えるようになりました。いい面も悪い面も含めて・・・
まず、人と接するときに、一歩離れた視点を自分の中に持つといいかも知れません。その視点は上手くいえませんが、「相手を良く見る」ということです。そういう視点は一人の時間を持つことによって出来てくるように思います。
しかし、これはいいことなのか悪いことなのか私には分かりません。
表面しか見えないのなら、それはある意味、幸せなことかと思うからです。
でも、失敗を重ねてきたんですよね・・・
そういった、失敗も経験となって目が養われてくるようにも思います。
大勢の中にいるときも一歩下がった視点を持つようにすると色々分かってくると思います。
そして、表面ではこう言っているけど、本音はこうだなとか観察者の視点を持つことです。
過去に失敗した人物をリストアップして、そこから、その人物像を分析してみるのもいいかも知れません。
しかし、私はそんなことを考えずにもっと、楽に自然体で人と接するのが一番だと思いますが・・・☆
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直感的な部分もあるので努力しても成果があるかは疑問です。


それより簡単な方法があります。
だいたいみかけと反対のケースが多いです。
真面目そうな人はいい加減とか。
人当たりのいい人は、いざとなると冷たいとか。

あとは悲観的に考えていると、間違っていても問題は少ないです。
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自分の直感を信じていないだけだと思いますよ。



「あれ?こんなこと普通他人に言う?・・・・でもカッコイイからまあいいか。」
「この人アヤシイ人?・・・でも毎日メールくれるからいいや。」
「私の言ったことって変だったのかな?・・・過ぎたことを考えてもしかだがない。まあいいや。」

と直感が「おかしい」と感じとったにもかかわらず、「まあいいか。」と進んで行ってしまっているのかな?と思います。

見る目がないのではなく、直感に耳を貸さない。のだと思います。
「あれ?」と思う自分の直感を信じて、そのとき立ち止まって考えてみましょう。
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