アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

インターネットで誹謗中傷が止まらない理由

これは僕の論です。客観的に見て正しく思いますか?厳しい意見も全て読ませていただきます。

 某SNSのコメント欄に心のない誹謗中傷がいくつかあった。誹謗中傷が原因で自ら命をたった人がいるにも関わらず誹謗中傷は今も書かれ続ける。

 これはSNSが爆発的に普及した今だから起こる。自殺という肩書きの殺人だと私は考えている。

 こんな殺人はなぜ起こるのだろうか、どうしたら止めることができるのだろうか。

 まずなぜ起きるか、それは殺している「感覚」がないのではないかと思っている。良い例を二つ紹介しよう。一つ目は、クレジットカードである。クレジットカードはお金を使っているという感覚がないためついついお金を使ってしまいがちだ。二つ目は、トロッコ問題である。

※トロッコ問題の説明は省く

ほとんどの人間はレバーを引くだろう。1人を犠牲に5人の尊い命を救うだろう。私はレバーを引くことこそ倫理だと思っている。しかしトロッコ問題には2問目が存在する。1人を橋から突き落とせば5人が生き残ると言ったもの。この問題になるとどうだろうか、多くの人間は5人を救えずに見殺しにするだろう。1問目と命の重さは変わらないになぜ救わない。それは1問目と2問目の人を殺しているという感覚が違ってくるからだ。1問目はレバーを引くだけだ。しかし2問目は人を突き落とせねばならない。
人を突き落とす時、人の体温、人の柔らかさ、人の悲鳴
を感じることになる。これが私がいう「感覚」だ。

 次にどのようにしてこの感覚の薄い殺人を止めることができると思うだろうか。そんなもの簡単だ。日本のSNSは匿名が強すぎるあまり、現実とSNSで二重人格になるものまでいる。対策として現実とSNSの距離を近づければいい。SNSの利用時に身分を証明できるものの提示を義務付ければ、常に監視されているという感覚がしっかりとついてくれる。今の日本はこのくらいしないと変わらないと思っている。

 このような監視されたSNSに変更すると、また豊かな社会が戻ってくると私は信じている。

どうでしょうか?私なりに2時間くらい考えて書いたのですが。皆様の客観的な意見をお待ちしております。

A 回答 (5件)

>自殺という肩書きの殺人だと私は考えている。



つまり、自殺した人を見つけたら「殺人者だ」と誹謗中傷するわけですか?

…とすこし強引な切り返しをしてみましたが、このように最近「否定」「批判」と「誹謗中傷」を混同している方も多いし、それを悪用する被害者ヅラした人間も多いのが目につきます。
被害者ぶってれば質問者様のようになにも疑わず助けようとしてくれる人間が非常に多いですからね。

…ということで、それに伴う【冤罪】や「悪用」が考えられます。


その理由の一つは、クレジット問題です。
被害者に肩入れしすぎている「感覚」がないのでしょうね。

もう一つはトロッコ問題です。
被害者っぽい人をを助けたいがために、「容疑者」を「加害者」と決めつけてしまう…
大抵の人は被害を訴えてる人がいれば安易にその人を助けるでしょう。

でもね?
問題を解決したいなら、両方の意見を聞くべきだし、両者の立場になり考えるべきです。
「中立」を心がけなければ正義のヒーローの皮をかぶった単なる悪です。

あなたの言うケースもあるでしょうが、違うケースもあります。
全てあなたが言うケースに当てはめると間違いが生じます。


「監視」の件は中立なので良いかと思います。
変な人間は減り、SNSは過疎化することで解決します。
    • good
    • 1

客観的な意見ほど答えるのが難しいですね。



誹謗中傷については、インターネットの匿名性が一因だというのが以前から多くの専門家などから指摘されていたことですので、根拠としての信頼性は高いはずだと思います。

トロッコ問題については、ほとんどの人が功利主義なのかどうかは分からないですが、
ある調査によると、9割近くの人がレバーを引くと回答したそうです。
また、「大阪市立大学大学院の橋本博文准教授らが日本人大学生119名を対象に行った研究では、日本人大学生はレバーを引くという選択、つまり功利主義的な判断を相対的に示さない傾向にあると示唆。
また、直観的な判断と熟考後の判断を比較すると、日本人大学生は時間をかけて熟考するほど、判断に伴う責任から逃れようとし、一人の命を犠牲にすることは許されないという義務論的判断(レバーを引かずに放置し、5人が死ぬことに自分は関与しない)に移行するという可能性が示された。」そうです。
(引用元: https://gentosha-go.com/articles/-/43233)

つまり、熟考する時間が長くなるほどその心理的距離感は縮まり、人の死などといった重大事項には関わらない方向に自分をシフトさせていく傾向が示唆されると言えるのではないか。

ということは、もし質問者の言う「自身が直接関わっているとは思えないような距離感のある感覚(=錯覚?)」がインターネット上での誹謗中傷に大きな影響を与えているのであれば、
多くの人はインターネット上でのコミュニケーションに心理的距離感を漠然と感じており、それを身近な距離感にまで引き寄せるのが解決方法の一つと言える。

その観点では、SNSや掲示板、コメントなどを記名制にすることも効果はあるかもしれないが、それでもやはり心理的距離感はインターネット特有の錯覚によってあまり変わらず、いくら身元がバレていてもついつい非現実的な言動をしてしまう可能性もある。

また、質問者の理想とする「豊かな社会」が具体的にどういう社会なのかによっても対策は変わってくるだろう。
    • good
    • 0

補足:いじめ自殺の事例(判例)で、いじめをしていないが、気に入らない人間の名前書いて自殺した冤罪事件がありました。


裁判で「そういった事実は認められない」ということが認められましたが、長い年月「加害者」と疑われていた苦痛はすごいものでしょうね。

余談ですが、電車での痴漢冤罪の加害者女性はむしゃくしゃしてストレス発散に冤罪を数回起こしていた・・・という事件がありました。

冤罪をかぶせられる側の人間にとっては正義の味方思考は非常に厄介でおそろしいものですね。

幼稚な考え方の弊害です。

参考までに…
    • good
    • 0

私の論は少し違います。



誘われたからって見ず知らずの大人が言う事ですからそれに興味半分でトロッコに乗ってしまった本人も悪いと思います。

それで帰りは歩いて帰れと言われてもまぁ仕方ないかな。薄情な大人だと批判するのは筋違いかと。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

申し訳ないですが、トロッコ問題とは仮想の問題であって現実で行われたものではございません。すこし挫折してるかと、、、

お礼日時:2023/07/27 21:25

トロッコ問題と自死は全然関係ないのに無理やり並べてるあたり


この質問の悪意ってか扇動したいんだろうなって悪意を感じます
    • good
    • 3
この回答へのお礼

確かにトロッコ問題と自殺は関係ないのですが、私が思う感覚について説明するときに生々しさが伝わるのはトロッコ問題が適しているのではないかと自分の中で思っております。「この質問の悪意ってか
扇動したいんだろうなって悪意を感じます」とありますが、よく意味が理解できません。詳しくお教えしていただけませんでしょうか?

お礼日時:2023/07/27 21:23

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!