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ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調、聞きますと、特に第一楽章、ガーシュウィンの曲に似ているなあ、と思ってしまいます。ジャズの影響を受けた、なんて言われますが、広くジャズというより、ガーシュウィンその人の楽曲の影響を受けているのではないでしょうか? ガーシュウィンはラヴェルに教えを乞うたそうですが、その逆なのでは、と。時系列を見ても、そう感じてしまいます。実際のところどうなのでしょうか?

ガーシュウィン
ラプソディ・イン・ブルー(1924)
ピアノ協奏曲ヘ調(1925)
パリのアメリカ人 An American in Paris(1928)

ラヴェル
ピアノ協奏曲ト長調(1931)

A 回答 (5件)

(相互作用していたと思います。

)
英語版のウィキペディアに記載がありました。
ラヴェルはガーシュインの能力に感銘を受け、
「個人的にはジャズが最も興味深いと思う。リズム、メロディーの扱い方、メロディーそのものだ。
私はジョージ・ガーシュインの作品を聞いたことがあるが、とても興味深いと思う。」とコメントした。
ガーシュインの交響曲作品のオーケストレーションは、
しばしばラヴェルのオーケストレーションに似ているように見えます。
同様に、ラヴェルの2つのピアノ協奏曲はガーシュインの影響を明らかにしています。

ジョージ・ガーシュインはラヴェルに師事したいと申し出た。
ガーシュインがどれだけ稼いだかを聞いたラヴェルは、「レッスンをしてくれ」という趣旨の言葉を返した。
(この物語のいくつかのバージョンでは、ラヴェルではなくストラヴィンスキーが登場しますが、
ストラヴィンスキーは元々この物語をラヴェルから聞いたことを認めています。)

(一流二流のくだりは後にラヴェル信奉者が盛ったと想像します。)
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この回答へのお礼

おお、英語版ウィペディアすごいですね。稼いだという点が面白いですね。すっきりしました。ありがとうございます。

お礼日時:2023/11/28 15:15

ラヴェルとガーシュインについては、こんな記事がありました。


ご参考まで、
https://ontomo-mag.com/article/playlist/ravel-ge …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。この記事は以前読んでいましたが、伺ったお話を踏まえて読むと、より理解が深まりました。ありがとうございます。

お礼日時:2023/11/30 09:13

御質問とは関係なく、ふと思ったのですが、


オリヴィエ・メシアンがストラヴィンスキーをカメレオンと形容したことがあるそうなので、
一流二流は、ストラヴィンスキーが創作した可能性もあるかな…
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No.1 です。


ラヴェルの「ヴァイオリン・ソナタ」(ラヴェルの没後若い頃のヴァイオリン・ソナタが見つかったので「第2番」と呼ばれることもある)の第2楽章「ブルース」



作曲されたのは主に1923年で、その後手を加えて1927年に発表しているので、1928年のアメリカ演奏旅行やガーシュインとの交流以前に作曲されています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。ブルースというのには違和感がありますが、当時のヨーロッパでは斬新に受け取られたのでしょうね。

お礼日時:2023/11/28 15:14

ラヴェルは新しい音楽としてのジャズに強い興味を持っていたようで、ヴァイオリン・ソナタ(1923~27)の第2楽章は「ブルース」と題されてテンポの遅いジャズ風の作品になっています。



ラヴェルは1928年1月にアメリカ、カナダの演奏旅行に行っており、このときにガーシュインとジャズの演奏を聞きに行ったり、ガーシュインのミュージカルを観劇したりしています。
また、このときの講演では、アメリカでは低く評価されていたジャズに対して「アメリカ人はもっとジャズをまじめにとらえてほしい」と語っていたようです。

ガーシュインは同じ年の3月にパリを訪問し(このときの成果が「パリのアメリカ人」)、ラヴェルに弟子入りを申し入れましたが、ラヴェルは「すでに一流のガーシュインなのだから、二流のラヴェルになる必要はない」と断り、代わりに名教師として有名なナディア・ブーランジェへの紹介状を書いたようですが、ブーランジェも辞退したようです。

上記のようにラヴェルはジャズを高く評価していて、自作の中に積極的に取り入れました。
ジャズ以外にも「ポリリズム」やストラヴィンスキーからの影響などもあるようで、ピアノ協奏曲だと第2,3楽章はそういったジャズ以外の要素が大きいです。

長生きすればもっとジャズを取り入れた作品を書いたのでしょうが、残念ながらガーシュインと親交を結んだ1928年以降には「ボレロ」を含むたった4曲しか作曲できませんでした。

なお、ラヴェルにとっては、ジャズ ≒ ガーシュインということだったのではないかと思います。
なお、ガーシュインの影響は、「ラプソディ・イン・ブルー」「ピアノ協奏曲」などの「クラシック風」の曲だけでなくミュージカルやポピュラーソングも含めてのことと思います。

Swanee


I Got Rhythm
https://www.youtube.com/watch?v=oQdeTbUDCiw

'S Wondeful
https://www.youtube.com/watch?v=S8b9UIMQ9kw
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この回答へのお礼

>ラヴェルにとっては、ジャズ ≒ ガーシュインということだったのではないかと思います

ありがとうございます。なるほど、だとすれば作風には納得です。しかし世間ではそのように論じるものは見かけませんね。

お礼日時:2023/11/28 14:35

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