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1990年頃、同時期に売れて、年代も一緒の高野寛君と大江千里君を音楽雑誌は何かと絡ませよう、絡ませようとしていましたが、結局一回も絡む事はありませんでしたね。
高野寛君とKAN君との絡みはフェスでは何回かあったのに、何故高野寛君と大江千里君の絡みは無かったのでしょうか?

A 回答 (1件)

高野寛は東芝EMI、大江千里はEPICソニーと所属レーベルが違うのが大きかったのではないでしょうか。

雑誌が両者をプッシュしたのは、両方のレーベルの売り出し中のアーティストに対する忖度でしょう。
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この回答へのお礼

内省的な(村上春樹さんの小説の“僕”のような)詩の世界。音楽の方向性的にも似ている部分が大きかったので、滅茶苦茶不思議でした。
所属レーベルが違うと一緒に仕事するのって、こんなに難しいんですか?
個人的交流は無かったんですかね?(高野寛君のエッセイ集は『いつのまにか晴れ』を始めとして全部、大江千里君のエッセイ集も『週間プレイボーイ』の『アポロで行こう』をリアルタイムで読み、書籍も買い、と全部持っていますが、一行もお互いに対する言及はナシ!無かったみたいですが。改めて何故個人的交流すら無かったんですかね?)

お礼日時:2024/06/05 11:20

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