チョコミントアイス

人はそれぞれ人生を命懸けで生きてます。
純粋になったり汚れたり、煩悩はありますが、いかに優れた生き方をするかで、仕事や良質な趣味そして家族や友人、良い音楽も友達になりませんか。
クラシック音楽で人生を表現したものを教えてください。
障害を克服した、ベートーヴェンは第九やピアノソナタ。弦楽四重奏曲なの音楽があります。
そうしたクラシック音楽を教えてください。
お願い申し上げます。

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A 回答 (6件)

フランツ・リスト「前奏曲」


「人生は死への前奏曲」という考えに基づき、リストの人生観が歌い上げられているとされています
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作曲家という職業は、「その曲によって高い評価を得る(そして報酬も)」という生涯を送っていますから、それなりに「すべての作品に命をかけている」といえます。


特に「その場限りの喝さい」だけでなく「後世にまで残る作品」を目指して作られたものはそうだと思います。

特に「タイトル」や、作曲者本人がそう語っているものはそうなのでしょう。

たとえば

スメタナ作曲・弦楽四重奏曲第1番「わが生涯より」
 しかし、タイトルの付いていない「弦楽四重奏曲第2番」の方が、その位置付けに近いかもしれません。

シベリウス作曲・弦楽四重奏曲・作品56「内なる声」

レナード・バーンスタインの作品には、現代社会(特にアメリカ)での宗教と人生、娯楽や快楽や不安と人生といったものに対するメッセージが込められていると思います。
バーンスタイン作曲・交響曲第2番「不安の時代」
          交響曲第3番「カディッシュ」
          「歌手と演奏家、踊り手のためのミサ」
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AIに訊きました。




グスタフ・マーラー - 交響曲第1番「巨人」:
この交響曲は、マーラーの若き日の経験や感情を反映しています。特に、第1楽章の爽やかな開始は、人生の始まりを象徴しています。


リヒャルト・シュトラウス - 交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」:
フリードリヒ・ニーチェの哲学書に基づくこの作品は、人生の意味や人間の成長を音楽で表現しています。冒頭の有名なファンファーレは、人生の目覚めや新たな始まりを象徴します。


ヨハン・ゼバスティアン・バッハ - 「マタイ受難曲」:
キリストの受難を描いたこの作品は、宗教的な人生の旅や内面的な成長を表現しています。特に、苦難や希望、救済のテーマが深く描かれています。


ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー - 交響曲第6番「悲愴」:
チャイコフスキーの最後の交響曲であり、彼の内面的な苦悩や人生の儚さを反映しています。特に、第4楽章の静かな終結は、人生の終わりを象徴しています。


ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン - 交響曲第9番「合唱付き」:
人類愛や平和、希望を讃えるこの交響曲は、人生の喜びと苦難を乗り越える力強さを表現しています。特に、第4楽章の「歓喜の歌」は、全人類の兄弟愛を歌い上げています。
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楽聖ベートーヴェン以上の人はいません



第九が世界で鳴り響く事自体「精神の力は権力に勝つ」象徴だとおもいます。
 この曲は権力の圧迫の中でベートーベン「が未来の人類のために」作り上げた記念碑です
 彼はナポレオンをモデルに交響曲3番シンフォニア・エロイカ(英雄交響曲)を作ったが、ナポレオンが皇帝に即位した時 怒りと失望のあまり、楽譜の表紙のボナパルトの文字をかき消した
 ナポレオンはフランス革命の理想を裏切った、ただ権力がほしいだけの者だった

 ベートーベン45歳の時 ナポレオンが没落(1815年)
ナポレオンに頭が上がらなかったヨーロッパの貴族達は「これで俺達の時代に戻れる」と喜んだ
 各国代表がウイーンに集まり ウイーン会議を開いたが、利害が対立して何も決まらなかった
 決まったのは「自由主義は弾圧する」と言う事だけだった
貴族達は時代の流れが見えなかった。自分達の権力を保持することしか考えていなかった

 こうして復古調の「ウイーン体制」時代が始まり、自由主義 協和主義への検問、監視、が強まった
 ベートーベンは自由主義 協和主義であった。威張る貴族や、腐った坊主が大嫌いだった
ベートーベンは ある貴族に「あなたが貴族であるのは、たまたまそう生まれた偶然にすぎません」
「それに引き換え私は、自分で自分を築きました。貴族は何千人もいます、しかし
ベートーベンはただ一人です」「私にとっては精神の王国のほうが大切であり、それはあらゆる
宗教的世俗的君主国の上にそびえるものであります」と言い切っている。

 ベートーベンは政治的にも危険人物であり、宗教的にも教会を批判して、目をつけられていた
従来のキリスト教の在り方を疑い、カントの思想、インドの思想等を勉強していた

 48歳の時、自由を側圧する事件が起きた
テロの秘密結社が発見された。その結社は青年を使い 暗殺をやっていた。
 キッカケを待っていた権力者はこのチャンスを見逃さず、当時の首相は絶好の機会と喜び、
「テロを取り締まる」と言う名目で、出版、言論、思想、自由、すべて粉砕しようとした。
新しい法令を出し、自由の弾圧を始めた。
 大学に管理管を置き、自由主義者は弾圧され、郵便物までチェックされた。
民間人のプライバシーの領域まで監視の目があった。ヒットラーの時代と比較される抑圧時代だった。

 ベートーベンは怒った。彼の周囲にはいつもスパイが見張っていた。
そういうなかで彼は「半身不随の政治」とののしった・官憲の権力乱用、従順な官民しか
みとめない政府。上層階級の堕落、これらを批判した。
 彼は「我々の時代は力強い精神の持ち主達を必要としている。力強い精神の持ち主は小ざかしく、
(こうかつ)で卑劣なこうした悪党どもを、人間の魂によって弾徴するのだ」と言う

 彼はあらゆろ国家の廃絶まで考えた。
「芸術家は政治のことなど考えるな」と言われたが、民衆を捨てる事ができなかった。
「少年時代から、他人のために働くことの出来ることは、私の最大の幸福であり、満足です」
「少年時代から、苦しんでいるかわいそうな人々に奉仕しようと言うわたしの熱意は少しも弱まっては
いません」「僕の芸術は貧しい人々の運命を改善するために、ささげられなければならない」
 ベートーベンは慈悲の、民衆への奉仕の精神を持った革命家であった。

 「国家が憲法をもたなければならぬがごとく、個々人は自分自身の規範を持たなければならない」
自由に熱狂した青年時代から30年以上、今自由は窒息されようとしている。
彼は今こそ、この歌を作曲すべき時だ、と決めていた。
 「権力の圧力など一時の陰だ。私は未来の人類のために精神の凱歌を作ろう。」
 圧迫の中、体の至る所が病気で、可愛がった甥の非行に苦しみ、歓喜など何処にもない境遇であった
シラーの詩に「奇しき歌の力の支配する限り、あらゆる苦悩の壁は消え去る」とあった。
更にシラーは「権力者に焼き捨てられるような詩を書こう」といっいる。
 ベートーベンは感動し、胸中から歓喜を取り出した。

もともとシラーの詩は「歓喜の歌」でなく「自由の歌」であった。
自由主義を恐れる官憲の目を欺くため歓喜と言い換えた。
民衆の歌であり、古いものとの戦いの歌だった。
歓喜は 勇気を呼び覚ます力です
歓喜は 苦悩を突き抜ける力です
歓喜は 生命を蘇生させる力です
歓喜は 共感の調べを奏でる力です

 初演の演奏会には皇帝は来ませんでした。演奏会を開くにも官憲の嫌がらせがあった。
虻が刺したくらいでは 疾駆している馬はを止める¥られはしない」
 「私にとって一番苦しいことは、活動を完全に停止されている事だ」
 「一個の英雄であるより10倍も大きくあること、すなわち一個に真の人間たる事だ」
 「人間が人間に対し卑屈になる。僕はそれが苦痛なんだ」
 彼のモットーは「一行なりといえども書かざる日なし」
 「多くの人々に幸せを与えること以上に崇高ですばらしいものはない」
 死の数ヶ月前、肺炎を起こし、病魔と戦いながら「さらに2.3の大作を世の送って、
我が地上の生涯を閉じたいと願っています」と
 
 3年後ベートーベンが死んだ時も、官憲か危険思想の本として5冊持っていった。
しかし民衆は誰が本当の勝利者か知っていた。ベートーベンの死が町に伝わると、誰が呼びかけなくとも、1万2万3万と集まり「皇帝」が亡くなったような騒ぎになった
 学校も休校になり前代未聞の葬儀となった。
 貴族等は参加しない、民衆の葬儀だった
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ドヴォルザークの新世界より


未知の地に降り立ち、新たな人生を歩み始めた事を表現した作品
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マーラー 交響曲第9番第4楽章


ブルックナー 交響曲第9番第3楽章
ベートーヴェン 交響曲第9番第3楽章
ショスタコーヴィチ 交響曲第15番第4楽章
わたしはクラッシックではありませんが
デズニーのファンタジアが好きです
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