重要なお知らせ

「教えて! goo」は2025年9月17日(水)をもちまして、サービスを終了いたします。詳細はこちら>

【GOLF me!】初月無料お試し

苦労は多すぎても、少な過ぎてもいけないような気がするのですが。どう思われますか?
苦労し過ぎて性格ひん曲がったり、苦労少なすぎて幼かったり。

A 回答 (6件)

そうだと思います。



中庸。

多すぎると、性格が悪くなり
親や世間を恨むようになります。

少なすぎると、世間知らずになり
ひ弱になります。
    • good
    • 1

それは言えてるかもしれません。


苦労は多すぎても性格が歪んだり卑屈になったりすると思います。
逆に少なすぎる苦労知らずは、世間知らずで、人の気持ちや痛みが分からない人間になると思います。
苦労はある程度、経験していた方がいいと思います。
    • good
    • 0

出来ればしない方がいいですよ。



苦労を美化する思想には納得できません。恐らくは「苦労をした人を労う」「苦労話を聞いて参考にする」シーンを見て、勘違いをした人がいるんでしょう。良いものではないのです。美化は間違いです。

以下は長いので興味があればお読みください。

●苦労話についての本質は、希少体験の共有化です

「誰もが嫌がる内容を、仕方なく体験した」わけですから、勿体ないので「こうだった」「こうすればよかった」「こんなところは想像と違った」「みんなは勘違いしている」と言う話をするべきだという話です。

一人で抱えていては人類全体の損失となってしまうからです。

「自分にとって嫌な事は、他の人も嫌なのである。一人が仕
 方なく体験したのなら、その体験をしていない人にも、そ
 こで得た知見や様子をレポートし、人類全体の体験効率の
 底上げに貢献するべきだ」

●失敗を繰り返す人は余計な苦労が続く

また、苦労をしても「原因と結果の関係」について興味がない人は、繰り返して同じ失敗をします。しかし、そのあたりに繊細な人は「心が曲がる前に」気が付いて「余計な苦労」を避けるでしょう。

総じて、苦労に良い性質は無く「その人の大雑把さ」「自分で解決する意思のなさ」に原因があるのです。苦労を避けるという事は「繊細である事」「自力解決を目指す事」と等価であり、これが無くして「苦労」から逃れることはできません。

●心が曲がるという部分を具体化する

苦労をし過ぎて心が曲がるという事は、もともと持っていた「その人の大雑把さ」「自分で解決する意思のなさ」に加えて「責任転嫁をする」「関係な人を恨い愚弄する」という性質が加わったことでしょう。一つ一つ別の話ですから、一つ一つ改善していけば元に戻ります。

責任転嫁をすると、治すべき性質が増えてしまうため、余計な苦労をしてしまうと言わけです。責任転嫁さえしなければ、心は曲がりません。

●幼いから苦労をするのである

苦労をしたからと言って大人になれるわけではありません。

若いうちは子供から大人に変わるハザマでもあります。ある程度は失敗をしても仕方ないと思います。しかし、子供時代の(精神面での)練習不足があると、適応で苦労するはずです。これを幼いと表現します。

「幼いから、余計な苦労をするのである」

●苦しんで死ぬ最悪の人生はすぐそばにある

苦労それ自体には良いものではありません。余計な痛みであるというほうが正しいでしょう。

最も大事なのは、大人になろうとするご本人の意思、大人になった自分の姿のイメージ力です。そうした「自分の未来の姿を夢見る姿勢」が幸福のカギなのです。成り行きに任せで生きては地獄しかありませんよ。

それを続ければ「無駄な苦労」をし続け「自分が曲がり」、現実は何も変っていないので「苦しんで死ぬ(寿命)」事になります。

●苦労が絶えない人が反省するべきこと

最も反省すべきことは「立派な大人になりたい」と言う意思の欠如であり、これを持たないで時を過ごしたことです。そして、そのまま続けると「何をしても苦しんで死ぬ運命」だという事です。これはアイデンティティの獲得に失敗したと言われます。様々な精神病を発病するそうです。

●「苦しんで死ぬ定め」は下手な予言より当たる

「立派な大人になりたい」と思い続けるのは必須のようです。

これを辞めてしまうと(どんな人であっても)苦労をし続けて、惨い死を迎える事に成るようです(私の母もそうでした)。私が見た人たちで恐縮ですが(寿命で死んだ親族が沢山いますので)、実際にそうなっているようです。すべての人類は「立派な大人になるという強い意思」を継続しないと罰を受けるようです。これから逃れられる人はいないと思えました。

●まとめ

私が苦労を美化しないのは、それは(立派な大人になる事を諦めた罪に対する)罰としての痛みでしかなく「憧れによる成長痛」とは違うからです。苦しんで死ぬための過程であり、じり貧であり、その先は消耗と必死です。私たちが許容するべき痛みは(立派な大人に近づくための)「成長痛」に限るべきでしょう。

以上、ご参考になれば。
    • good
    • 0

だと思います。



人格形成の時期に苦労し過ぎると、
人格が歪みやすいですし、
金持ち家庭でワガママに育ったような苦労してない人も、人の痛みが分からない人間になりやすいです。
    • good
    • 1

そりゃあ何事も「適度」がいいんです。

    • good
    • 0

自分なら、


質問文の「苦労」を「挫折」と置き換えて考えます。

多かれ少なかれ、挫折経験があった方が、自分のためになる、と自分は思っています。

もちろん、挫折経験の全くない人を、否定するつもりはありません。
プライドが高すぎて、人を見下してしまうような人の場合は、また別の話です。
少なくとも自分は、そうならないように、心がけては、居ます。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A