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どう思います?
最近の子供たちの奇抜な名前。

「海」と書いて「まりん」とか・・・・

親のダサいセンスが一生つきまとうのはいかがなものか。

A 回答 (34件中31~34件)

 


『1コマ目、とある学校の教室。
 先生「ハイ!この問題分かる人!」
 
 2コマ目、一人の生徒が勢い良く立ち上がる
 生徒「ハ~イ!、わっかりませーん!」
 
 3コマ目、それを見て呆然とする教師
 先生「…ハイ君、いつも元気なのは良いが、」
 
 4コマ目、オチ
 先生「『コノモンダイワカルヒト』と名前を付けてくれた君のご両親は、もっと元気だったんだろうね…」
 生徒「ハ~イ!」             』

 その昔に読んだ、四コマギャグ漫画の中の一節です。
 
 
 また、これは人名の話では有りませんが…、以前に「南セントレア騒動」とでも言うべきものが有りました。愛知県の南部に位置するとある町が、合併後に誕生する新市の名前を南セントレアに決めた事から始まった、一連の騒動の事です。
 この名前自体は音の響きも悪くなく、一応は意味も有りました。騒動の前段階を追えば追うほど、採用を思い立った方々はこれをきっと良い名前だと思って居ただろう事は想像がつきます。
 しかし彼らにとっては全く思いがけない事に、日本中のほとんどの人にとって、この決定は呆れて物も言えない類のものでした。「こんなのは日本の地名じゃない!」との声が大多数を占め、合併を予定していた町の役場に届いた手紙や電話のほとんど全てが抗議を内容とするものばかり。
 その後すっかり憔悴しきった町は、批判を受け入れるかのような形で南セントレアの名前を取り下げました。しかし、名前のせいで地域のイメージは失墜。命名の元となった合併構想そのものまでがご破算になってしまいました。


 世の中は広く、人間の感覚なんて結局はいい加減です。根拠も響きもしっかりとした名前でも人から後ろ指を指される原因と成ることも有れば、適当につけた名前が良い印象を周囲に振りまく事も有ります。だから何処のご家庭でも、親御さんはそのお子さんに出来るだけ良い名前を授けようとされるのでしょうけれど…。
 …けれど、やはりモノには限度と言うものが有ります。折角の親としての愛情が、他人にはまるで分からない、或いは「普通なら、ちょっと変だって思うよね…」とその子供を色眼鏡で見る端緒に成ってしまっている場合も、最近では随分と増えてきているようにも感じています。

 最近、キラと言う名前の男の子が多いと聞きました。失礼ながら、その子が中年と呼ばれる年齢に至った時にもし頭髪が薄かったなら、「そりゃ、キラッて名前だものね」などと言われるのではないでしょうか。キャノンという名前のお子さんが居られるそうですが、その名前では思春期に達して以後のかなり長い間、周囲から絶好の下ネタの具とされてしまうだろう事は避けられないでしょう。
 この場所に今居る一人の人間が、親の心による護りを受けた存在であるとの証でもある"名前"。いわゆる風変わりとされるタイプの流行名前の中に、上記させて頂いた様なくだらない主観で他人を判断する人の侮蔑を挫く、それを行う際に広く広く人々を納得させられる「表現」と「内容」が、一般に果たしてどれだけ盛り込まれているのでしょうか?。

 残念ながら一部に、風変わりな名前に生理的警戒感を抱く人々を平気で『最低』と呼んで罵倒し、そうした方々の感性や人格を挑発的に否定する書き込みなども有りました。また上の段落に書かせていただいた私的な疑問を解決するヒントとなるような文章も、今はまだ見当たりません。
 しかし私自身にとっては、今流行している名前に寛容な方の考え方を始めて或る程度キチンとした形で知る事が出来たと言う意味で、この広い意味での疑問に来られた多くの方々の文章は、とても勉強になりました。
 と同時に、やはり風変わりな名前は世間からも風変わりだと受け止められていると知って、改めて安心もしました。

 時計の針は、もう戻す事が出来ません。今はあからさまに変な名前だと思われていても、将来については分からない…との論については、確かに一理有るだろうと率直に言って思います(そうなる事を当てにした命名はほとんど博打の様にしか思えませんので、流石に全面的な賛成は出来ませんが)。
 ただ私自身は、これまで正当で、穏当で、暖かみが有るとされて来た名前についても、もう少しだけ高く評価されて良いのではないか?などとも思っています。

 どちらにせよ、子供にリスクを感じさせるタイプの名前は論外ですが…その一事さえ凌ぐ事が出来たならば、結局は古風な名前であれ、多少は奇抜な名前であれ、そのどちらでも構わないような気もしています。
 親の愛情がきちんと子供に伝わるならば最終的にはそれで良いのでしょうし、何よりしっかりとした心の篭った愛情の前には、つまらない"形式"なんて恐らく無力であるのだろうと、私自身、時には思えたりもして居ますから。 
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昔は「おのの・いもこ」これが当たり前の男性名でした。

「子」はやんごとない男性の「名」でした。それが女性に用いてもよいという事になり、徐々に女性名にしか使われなくなりました。

今、現在高貴な名前だから自分の息子に「妹子」と付けようという人はいないでしょう。(いたらごめんなさい)

翼君、翔君、大地君、空君、宇宙君、陸君、海君、こういった名前が増えだした頃かなり奇異に感じましたが、今では皆さん成人して当たり前の名前です。

漢字は忘れましたが、「たっくる君」、「ごーる君」、「らぐびー君」も有名でした。もう成人してるでしょう。スノボの「ぐりむ君」も有名人です。

ことほどさように名前は人が存在する限りどんどん変遷するのが当たり前です。現在の感覚で、この名前はおかしい、こんな名前が正常だと思うのは、この瞬間の感覚に過ぎず、20年、30年後の事は判りません。昔当たり前だった田吾作や留吉、熊五郎などの名の子供を捜すのは不可能です。逆にもはやすでに「りさばあちゃん」や、「あやばあちゃん」はいらっしゃいます。もう名前ではあまり年齢は推察できません。

はっきり言ってもう語感に漢字を当てる時代は過ぎ去って、漢字の意味を呼び名に当てる、それこそ英語第二公用語を見据えて英語の語感を積極的に取り入れて来る時代に入ってると捉えるべきではないでしょうか?

神様じゃないですが4,50年後の老人介護施設には「まりんばあちゃん」「るなばあちゃん」だらけになってると予言します。

少なくとも幼稚園児や小学生じゃないんですから、いい大人が「キラだからおまえはげるんだよ」とか「君、キャノンと言う名前だけあって、あっちの方はさぞ立派、馬並みなんだろうな」という、うすら馬鹿げた会話が交わされる最低の社会にはならないと思います。そこまで日本人の精神は腐ってはいないでしょうし、私は悲観してません。
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No.5の方へ



「うらら」って「麗」に変換できませんか?

プロボウラーで「姫路麗」さんっていらっしゃいますよ。
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大変素晴らしい回答もでてますが


名前でその方の年代が分かるように10年20年で
今までも変化がありました。80歳の方が40歳の方
の名前をなんか変と感じるなら40歳の方は80歳の方の
名前をややこしいと感じるかも知れません。

親それぞれ思いがあって命名した名でしょうし
(よく容姿や名前に関して口を出す子が・・・
学校などで徹底的指導必要)など人格形成について
も多々話題になっていますが

名前を笑うというのは普通の神経ではないです。
私の曾祖母が良く言ってました。
今時の若い子は・・・
あの言葉ほど理解できない言葉はないと
しかし私もそう言われた。
あなたのおばあちゃんもおかあさんも今時の子だった

その今時の子が先へ先へつなげ未来がある
今時の子のお陰なのにね・・・と

時代が同じ位置にいることの方がダサいセンスかと
思います。与えられた名前に対して感謝こそしても
おばさんにありがちな自分一番他人は以下発想は
持たないようにしたいなと思います。

まりんちゃん素敵ですよね。
よめなきゃ聞けばいい。一度聞くと絶対忘れないし
きっときっと親御さんの大きな思いがいっぱいの名前なんでしょうね。どんな思いがあるのだろ
きっとドラマのような♪そう感じますが

ちなみに私達の年代には ま● ゆ● とも●
クラス中同じ名前が沢山いました。それも大変だし
世代ならではでしょうね。
その中にかり●ちゃん や今時の名前の子がいましたが名前に非難する人はいませんでした。
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