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ふとした拍子に思い出すような詩、心に残っている詩、好きな詩などありますか。
詩ではなくても小説の中の言葉やそういったものでも構いません。
日本だけではなく、海外の方のものも含めて、そういった詩などがある方、教えて下さい。

A 回答 (11件中1~10件)

「ふとした拍子に思い出すような詩」に絞ってみました



黒田三郎「紙風船」自信がなくなってきたとき
黒田三郎「夕方の三十分」子供と言い争ったとき
石垣りん「崖」戦争映像を観たとき
鮎川信夫「いまが苦しいなら」赦しをえたいとき
小池昌代「プール」学校生活を懐かしむとき

てか書ききれません><
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僕は、すごく可愛くて、ぴちぴちした女の子をみると、決まって古代中国の詩「桃よう(とうよう)」(詩経)を思い出します。

「よう」という字は、「妖」という字のおんなへんを取り除いた字です。
高校時代の教科書に載ってたんです。
「この子はめっちゃ可愛い…この子は嫁ぎ先でもうまくやっていくだろう…」という内容です。
習った当時すごく印象に残って、暗記してしまいました。
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      ”桃の夭夭たる 灼灼たる其の花
       之の子干に帰がば 其の室家に宜しからん
       桃の夭夭たる 有ふんたる其の実
       之の子干に帰がば 其の家室に宜しからん 
       桃の夭夭たる 其の葉蓁(しん)蓁たり
       之の子干に帰がば 其の家人に宜しからん”

  『桃夭』 私も好きです。

それから、このフレーズも...  ”窈窕淑女,君子好逑”  意味と言うより響きが..。

そして

●「さよならだけが人生だ」  井伏 鱒二
http://www.phoenix-c.or.jp/~takayan/documents/es …

●「春心花と共にひらくを争うこと莫れ
     一寸の相思 一寸の灰」      李商陰 『無題』より

《恋心は花と競ってまで咲かせるものではない。
最後に燃え尽きる灰と同じく、所詮は一握りの灰と化してしまうのだから...》
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島崎藤村の「初恋」


初めて出会ってから30年あまり経ちますが、
忘れられない詩です。

初々しく純粋な気持ちと、
恋のせつなさにため息が出ました。
男性側からの気持ちを詠ったものですが、
最後の章での女性の言葉に、少なからず考えさせられました。

 林檎畠の樹の下に
 おのづからなる細道は
 誰がふみそめしかたみぞと
 問ひたまふこそこひしけれ

天然なのか、お茶目なのか、ちょっぴり子悪魔的な微笑が浮かんできます。
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おはようございます。



本当、#1さんの仰るとおり、書ききれないですね(笑)

家の中から、雨がそぼ降る風景を眺めるといつも、ヴェルレーヌの「巷に雨が降るごとく、わが心にも雨ぞ降る」の一節が頭をめぐりますね。

子供の小学校の通学路にそびえる楠の大木をみながらさだまさしのエッセイに載っていた、「時おり思い出すんだ 昔遊んだ 名前も知らない大きな木のこと 子供たちの木」と言う詩が浮かびます。

祖母の命日近くになると、桜散る中を逝った祖母を思い出して、西行法師の「願わくば 花の下にて春死なん その如月の望月の頃」を思い出します。

夏のじりじり暑い日に、陽炎が立ち上る坂道を歩いているとボーッとしてきて、いつも「陽炎の仄めく影を見てしより 誰とも知らぬ恋もするかな」と言う、新古今和歌集の一篇を思い出しますね。不思議と若い頃から、恋に落ちるのはこんな夏の日でした。

同じく夏の、夕暮れの渚を眺めると、白秋の「そは熱き夏の渚辺 濡れ髪のなまめかしさに 女つと寝返りながら みだらなる手して結びし 色紅き靴下の紐」の情景を想像してしまいます。夏って高揚感を煽ります。

夜、寝付けず部屋を出て、月光が煌々と照っているの知ったとき、電気もつけずに部屋に座って一杯飲みながら、李白の「牀前 月光を看る 疑うらくは 是れ地上の霜かと 頭を挙げて山月を望み 頭を垂れて故郷を思う」を、ふと口ずさんでしまいます。

ここのサイトを見た時に思い出すのは、孟子の「尽く書を信ずれば則ち書なきに如かず」・・・かな。

ご参考になれば幸いです。
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皆さんおっしゃるとおり、いろいろありますね。

きわめて個人的な体験に類することですが、それでよさそうなので気ままに答えます。

ちょうど今頃、雨の鬱陶しい季節には、たとえば西脇順三郎の『旅人かへらず』の一節、
「あかのまんまの咲いてゐる/どろ路にふみ迷う/新しい神曲の初め」を思い出したり、

梅雨が明けて夏の苛烈な日差しが始まると決まって伊東静雄の、
「八月の石にすがりて/さち多き蝶ぞ、いま、息たゆる。/わが運命(さだめ)を知りしのち、/たれかよくこの烈しき/夏の陽光のなかに生きむ。」が思い出されたり、

秋にはどういうわけか陶淵明の『飲酒其の五』、
「菊を採る東籬のもと、悠然として南山を見る」「このうち真意あり。弁ぜんと欲してすでに言を忘る」
を年にいっぺんくらい唱えたり、

雪の降りそうな冬の日にはフランソワ・ヴィヨンの『いにしへの美女たちのバラード』中のルフラン、
「さあれ さあれ 去年(こぞ)の雪 そはいづこ」であったりと、とりとめもありません。


「徳は孤ならず/乳房は二つある」と歌った堀口大學はなんて知的で豊麗な精神だったでしょう。

また、入沢康夫の「(公理)マルピギー氏の館は実在している。」という詩句の、
マルピギー氏の館とは何のアナロジーないしはイロニーなんでしょう。それが実在するとは?
この29編からなる散文詩のどこを探しても答えは書いてない。
読者へ託されたこの疑問の扇動性と興奮。


あるいは吉原幸子さんの『オンディーヌ』という詩の冒頭、
「水/わたしのなかにいつも流れるつめたいあなた」
女そのものであるような長く弾き伸ばされる弦の響きのような忘れがたい詩句。

かと思うと同じ女性でも高橋順子さんの『四行詩の風景』中の最初は、
「根もとの雪が解けて/まあるく土をのぞかせる/春の最初のかたちは/まる」
と、穏やかで軽やかで他者へ向かって大きく開かれた世界があったりします。


「遊びをせんとや生まれけむ」でつとに有名な梁塵秘抄に次のものもあって、
「わが子は十余になりぬらん 巫(こうなぎ)してこそ歩(あり)くなれ」
巫という歩き巫女をして諸国をへめぐり春をひさぐわが子をいとおしむ母親。あるいは、
「わが子は二十になりぬらん 博打(ばくち)してこそ歩くなれ」と、これは別の母親。

考えてみれば私とて似たようなもの。日々の生活なんてみすぼらしい博打みたいなもんだし、自らの持ち時間を切り売りし吹けば飛ぶような技能をひさいで口を糊するわが身も彼らと変わるところはありません。
と、ちょいとトーン落ちしたので最後は爽やかに。

「行く春を近江の人とおしみける」 芭蕉。同じく、
「田一枚植ゑて立去る柳かな」
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森博嗣の「スカイ・クロラ」の一文。



「彼はまだ子供で、ときどき右手が誰かを殺す。
 その代わり、誰かの右手が僕を殺してくれるだろう」


本屋でたまたま目に入りました。
表紙に書かれている一文なのですが、表紙の綺麗さ・爽やかさと相まって、
妙に印象に残りました。
いずれ読んでみようと思いました。
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「あいたくて


   あいたくて
     あいたくて
       今日もわたげをとばします。」 たんぽぽはるか

くどうなおこさんののはらうた。
確か小学校か中学校の国語の教科書に載ってました。
擬人化された草花や昆虫たちが詠む詩で、どれもかわいらしくすごく好きでした。
ふと思い出しては癒されます。
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さくらももこさんで「こうしていよう」という詩です。

NHK合唱コンクールの中学校の課題曲に使われた詩で、ふとした時にその当時の事と一緒に思い出してしまいます。

「ここいてもいいって

いつだれに言われたのでもないのにね

ここに こうして わたしはいるよ(一部抜粋)」

この詩を思い出すとすごく温かくて優しい気持ちになれます。
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すみません!詩の一部に誤字がありましたので訂正致します。

正しくは以下になります。

「ここにいてもいいって

いつだれに言われたのでもないのにね

ここに こうして わたしはいるよ」

一文字抜けただけで印象が随分変わってしまう物なのですね。不思議です。
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