生まれたときにもう私たちの運命は決まっているということを
信じている人がいるとおもいますが、信じている方お答え下
さい。何を根拠にそう信じますか?

A 回答 (6件)

生まれながらに決まっている運命…いわゆる『宿命』とか『業(ゴウ)』というものですよね。



これを考えるのは、単純に、生まれ出る環境が皆違っていることに起因すると思います。内乱の続くアフガニスタンに生まれるか、飽食の日本に生まれるか…これが単純に偶然と思うのか、何か私たちにはわからない法則のようなものがあるのではないかと考えるのかが信じる信じないの分かれ目だと思います。

これは宗教を信じるか信じないかに通じるものでもありますが、実は正反対にあると思われている「科学」でも同じような思考の繰り返しをしています。
全ての科学法則は『そこに何らかの法則があるに違いない!』という1つの盲信(証明されていなければその時、その場所では盲信に違いません。昔は精液の中に小さな人間がいると信じられていました。まさか遺伝子があるなどという考えは全くなかったのです)から始まるのです。
また、やっと法則にたどり着いたと思ったら、実はある特定の条件下でしか成立しない『近似式』であったりもします(ニュートンの法則と特殊相対性理論など例示に事欠きません)。
つまり、宿命や業を信じている人には2種類あります。「ただ闇雲にあると信じて疑わない人」と「元になる理論は解明されていないが、きっと根元を持つ法則性が存在するに違いないと考えている人」です。

私はいわゆる占星術や風水の類も信じるに足るものがある(日本で出回っているものはちょっと考えますが(笑))と思っていますが、あくまでも『近似式』だろうなあと思っています。科学的に近似式を用いる時は条件によって用いる式を変えますが、占い・風水にも万能選手はいないでしょう。ですが、真理と考えて差支えない局面もきっとあろうかと考えています。
ちなみに、遺伝子の存在は、宿命説を力づける結果になっていますね。付け加えますが、宿命と運命は異なります。宿命は例えるなら遺伝子のようなものです。人は遺伝子(宿命)を解析し病気の可能性(運命の可能性)を予見することによって病気を回避する(運命を自らの手で変える)事ができるのだと置き換える事ができると思います。宿命(遺伝子)は変えられませんが運命(病気の可能性)は変える事ができるのです。
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この回答へのお礼

ご丁寧に回答いただきありがとうございました、参考になりました。

お礼日時:2001/11/01 14:46

こんにちは。


私は、その人の性格(生き方?)がその人の運命を作っていると思うのです。
だから、生まれた時からの性格が変わることなくそのままであるならば、
運命も決められている?ということになるのでしょうか。

宿命は、決められてしまっているから自分では仕方のないものと
言われますが、人は生まれてくる時親を選んでくるという
話も聞いたことがあります。
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この回答へのお礼

ご丁寧に回答いただきありがとうございました。参考にさせていただ
きます。

お礼日時:2001/11/01 14:48

 「占い」等の根底には、運命論なるものがあります。


 何をやっても、変えることが出来ないという、諦めと退廃の精神をもたらしております。
 正直、私達は不幸の宿業(原因)を持って生まれてきております。それを”運命”としている方もみえます。

 およそ、世の中の物事で、原因なくして結果が生じたり、原因はあるのに結果が生じない、などということは何ひとつありません。
 私達の人生における苦・楽や幸・不幸も、また偶然によるものではなく、何がしかの原因が招いた結果であるはずです。
 仏法では、私達の人生の幸・不幸が、三世(過去・現在・未来)にわたる「因果の理法」によって定まることを説き明かしております。
 たとえば、『心地観経』という経典には、
 「過去の因を見んと欲せば、現在の果を見よ。未来の果を見んと欲せば、現在の因を見よ」
とあり、また中国の天台大師は、
 「今、我が疾苦は皆、過去に由る。今生の修福は、報・将来に在り」
と説いています。
 すなわち、自分自身の過去からの善悪さまざまな行いの集積が、宿業(善業と悪業とがある)となって生命に刻みつけられ、それが現在の人生に苦・楽や幸・不幸という果報をもたらしている。そして、また現在に作っている原因は、新たな宿業として生命に刻まれ、必ず将来にその果報が現われる、というのであります。

 造ってしまった罪業の果報はうけなければならない。けっして、なかったことにしてしまうことはできない、というのが当然の道理です。
 「転重軽受」ということが、『涅槃経』に説かれています。
 私達は、”運命”は信じませんが、宿業があることは、仏法により、分かっています。仏法を信じ、それが妄語でないというのが根拠であります。
 如何ですか?
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この回答へのお礼

ご丁寧に回答くださりありがとうございました。参考にさせていただきます。

お礼日時:2001/11/01 14:52

完全に100%信じているというのではないので


すが・・・。

自分が思い悩んでいるとき、導いてくれるような
出来事や人との出会いが結構あります。

こういう時って、まるで誰かが自分のために用意
してくれたような錯覚(?)に陥りますね。
信心深い人だったら「神のお導き」とでも捉える
のでしょうか。

基本的には、人生は偶然と選択の積み重ねだと
思っているのですけど、どう考えても導かれて
いるように感じることがあって・・・。それが運命
というものなのかな?と思ったりします。
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この回答へのお礼

ご親切に回答いただきありがとうございました。参考にさせていただきます。

お礼日時:2001/11/01 14:54

回答になるかどうか分かりませんが、「世の中狭いなあ」と感じることが歳をとるにつれて感じるようになりました。

実は○○さんの知り合いとか、小学校の同級生だったとか・・それって人生を重ねるに連れて人間関係がどんどん広まって共通の接点があったりするのではと思います。ただの偶然ではなくて人脈が広がったとでもいいましょうか?質問の運命云々に関してはご自分の意志が確立されているのならそれに自然と従い知らないウチに自分自身で運命を切り開いているのではないでしょうか?生意気ですいません。
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この回答へのお礼

ご親切に回答いただきありがとうございました。参考になりました。

お礼日時:2001/11/01 14:56

信じている、と言うより、信じたいという気持ちが強いかも(^^; この人とは例えばこの場で会えなくても、きっとどっか他の所で会っていただろうなぁと付き合っている内に思うこともあるし、会った瞬間にとても懐かしく感じて、前から繋がっていたのかも知れない・・・と感じることもあります。



根拠や証拠を具体的に示せ、と言われてしまうと、ごめんなさい、ってするしかないんですけど・・・全身の感覚と、直感が、私の場合はそう言っています。ごく少数の人だけですけどね。良い影響を与えた人、悪い影響を与えた人に係わらず、そう言う感覚に見回れることが、時々あります。

目には見えないけど、自分の中で確信できる感情ですね。

あ、でも最近は、新しくつきあい始めた友人などと話していると、共通の友人や、同じ場所で勉強したことがあったり、すぐとなり同士のマンションに住んでいたことがあったりと、ニアミスしていたということが多々あります。そう言うの考えると、ああ、いつかは出会うようになっていたのかなぁと思いますね。これは状況証拠ですが、ダメですか(笑)?
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この回答へのお礼

ご親切に回答いただきありがとうございました。参考にさせていただきます。

お礼日時:2001/11/01 14:59

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