初めて自分の家と他人の家が違う、と意識した時

こんにちは、先日、塾の友人たちと話していた事です。
一度悩み出すと、そのことばかり考えてしまって何も手につかなくなる時ってありますよね?
私は、
頭の中で考えていても現実は何も変わりはしないのだから、悩んでいる暇があるのならとりあえず動けばいい。
と言いました。(あくまでもそうしようと努力しているだけで、私自身完全に実行できている訳ではありませんが)
でも多くの人に「動けないから悩んでるんだ」とか、「弱くたっていいんじゃない?」と否定されてしまいました。

もちろん「考える」のは大切な事です。でも「考える」事と「悩む」事とは別で、悩むのは無駄な事だと思います。
私には友人たちがその場で足踏みをして逃げているようにしか思えないのです。弱いんだったら強くなろうとする姿勢が大切なんじゃないの?と思います。


・・・意味不明な文章ですみません。簡単に言うと
(1)悩む時間は必要なのか?
(2)弱いままでもいいのか?
ということです。皆さんはどう思われますか??
 

A 回答 (11件中1~10件)

こんばんは。



私個人的には、皆それぞれの価値観があるのだから、答えなんて出ないもんだ…と思いますけどね。

悩みもしない、常に前向き。強い。
いい面でもありますが、中には「一人で大丈夫」と思われる(であろう)ことが嫌だという人もいるでしょう。
守られることが幸せな人。
立ち向かうことが生きがいな人。

何をもっても、その人がしたくてしているのですから、あなたにあなたの考えを押し付けられるいわれはないわけです。(まあハタからみててイラつく、とかそういうことはあるかもしれませんが)

なので、その人の人生にとって、何も強くなることが大事ではない場合、悲劇のヒロインになりきり自己陶酔するのが幸せな場合、「強くある必要ってあるの?」と言うこともできます。

結局は、悩む時間も、弱さ・強さも、その人がいいのならば、そのままでいいんじゃないでしょうかね。何もこうならなければならない!というのがあるわけじゃあないでしょう。逃げようがなにしようがいいのです。あなたが嫌ならば、あなたが努力したらいい。そのほかの人は関係ないです。

あまりうまく回答できないので…よくわからない文章になっていたり、気分を害するようなものでしたらすみません。
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私には、質問者さんの気持ちや考え方がとてもよく分かるような気がします。


私は、自分がよく「悩む人間」であるし、そのために行動力が欠けていることを自覚していますし、自分自身が「弱い」ところがたくさんあると分かっています。だから、もっと行動力を持ちたいし、「強くなりたい」と日々自分を反省し、自分を高めていきたいと思っています。
少なくとも「悩んでばかりいること」「弱いままでいいること」を是認するというか、受け入れたいとは思いません。なぜなら、それを認めたときに自分自身をもっと高めていきたいという動機付けがなくなるからです。でも、これは自分自身だけの気持ちであって、他人に強いるものではないのだということが、やっと分かってきたような気がします。
あなたが「悩むより行動を」「弱いままではいけない」と思っていることは、あなた自身のルールとして、とても大切なことです。ぜひその心をしっかりと持って、まっすぐに生きてください。
でも、それは決して他人に強制するものではないのです。私自身は、「行動力を持ちたい」「もっと強くなってあらゆる物事に逃げないで立ち向かっていきたい」と常々思っていますが、そうではない考え方をする方から、「それは違う」と言われて自分の考え方を捻じ曲げられることには断固として抵抗します。
「自分は自分」「他人は他人」でいいんです。
他の人に強制しない限りは、あなたはあなたの信念を貫いていいと私は思います。
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(1)悩む時間は必要なのか?


「悩む」とは、直面している問題についてどう対処したらより良い結果になるか(またはなったか)が解明できない、または、対処する方法そのものが一つも思い浮かばず苦慮する状態であり、窮地に追い込まれた際に人が陥る葛藤の一つの状態だと思います。
つまり、人は自ら望んで「悩む」という苦しい状態に身を投じるわけではなく、対処しがたい問題に直面した結果として否応もなく「悩まされる」状態を余儀なくされる生き物なのです。
ですので、“悩む時間”に“必要”か“不必要”かという判別を与えようとする事自体に意味がないものと思います。

(2)弱いままでもいいのか?
上記に書いたように、人は生きている限り大なり小なり何らかの対処しがたい問題に否応もなく直面して行くわけで、その結果「悩む」という葛藤に至ることはごく当たり前の結果です。「悩む」ことは「弱い」ことであり、「行動すること」が「強い」と解釈するのは、次元が異なると思います。
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誰もがあなたの様に行動したいと思ったり、そう出来るのが一番の理想だとは思います。


でもお友達が仰っている事は事実だと思いますし、皆貴方の様に同じく振舞える訳ではありません。

(1)悩む時間は必要なのか?
悩む事で仕事が遅れてしまったり人に迷惑を掛けたり…という状況はいささか問題はありますが、
「悩む」という事は人を成長させる一つのステップであり、人間らしさにも繋がると思います。
悩む事で人は立ち止まったり普段見えない物が見えてきたりするものです。
悩まないに越した事は無いですけど、でも悩まない人は間違った事をしていてもその事に気づかなかったりすると思います。
誰でも完璧ではないのです、悩んだり時には逃げたりする事は人間らしい事だと思いますよ。

ちなみにYahoo辞書で「考える」と「悩む」の意味を探してみました。
『考える』…知識や経験などに基づいて、筋道を立てて頭を働かせる。判断する。予測する。意図する。
『悩む』 …決めかねたり解決の方法が見いだせなかったりして、心を痛める。思いわずらう。
↑こういう事柄を色々思い、時間が掛かっても解決出来る事によって人は成長出来ると思いませんか?
 だから私は無駄だとは思いません。

(2)弱いままでもいいのか?
逆に「強くなければいけないのか?」とひねくれ者の私はそう思ってしまいます(^-^;)
こちらも人間強い事に越した事はありませんが、特に人に迷惑を掛けなければ
弱くたっていいと思いませんか?弱いには弱いなりにいい事(?)もある気がしますが…。
いくら強い人間になったって、あなたの友人の様な「弱くたっていいんじゃない?」という
弱い人間(?)の意見を否定する(理解できない)のであれば、
それはまた違うんじゃないかなって思います。
後、No.6さんと同じく「人間に対し何をもって弱いというのか」という話にもなってしまうので、
「強さ・弱さは人それぞれじゃないかな?」という風に簡単に考えています。
貴方の「強くなる」という事についての向上心は素晴らしいと思います♪
でもそれを皆に同じく求めてはいけませんよ。
私も貴方の様な前向きな気持ちを持たなきゃダメだよなぁ…と悩んでしまいました。
(あ、早速悩んでます…)

訳のわからない文章ですみません…
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私はどちらでも、本当は意味がないのだと思っています。


そうでしょ?どっちにしたって無駄なことを途方も無く考えることを「悩む」というのですから。
ということは、どっちをやっても良いと言うことです。逃げても良いんです。本当に、本当につらかったらね。
本来、弱いと言う考え方は、例えば原始人にはありませんでした。野獣にあえば槍を取る。その時戦っても、負けてやられても、誰も「よわっ」ともなんとも言いません。ただ自分の出した結果に生死がついてくるだけです。そこに強い弱いを持ってくるのは現代人の考え方です。
でもそういった悩みと、負けてもいいから立ち向かうことで、成長して、次の悩みは解決できるような実力がつく可能性があります。だからこそ人は訴えるのです。「強くならなければいけない」と。次の悩みを解決するために。それを見越して強い弱いを使って互いを励ますのです。
つまりその悩みのために戦おうとしている限りは、その悩みは無駄なのです。
そして「もっと広い視野」で見たときに、つまりその悩み自体は、「あきらめて」「次の悩みのために」戦うという姿勢ができた時に、人は歩み始めるのです。
また悩む時間と言うのは必要だと思います。
悩む姿を見せることで、他の人に助けてもらえる可能性もあるからです。他の人に助かる可能性を提示されることもありえます。
悩まなかったら、「あの人は大丈夫だから」とか言われて、大して重要視されないでしょう。無視されるわけです。
僕は困っているんだ、と意思表示をすることで、初めて回りの人間と言うのは動きます。そうでなければ気づいてさえもくれない、薄情な生き物です。
そういう意味で、悩む、と言うのは積極的な行動でもあります。
多分あなたもいつか壁に突き当たるでしょう。その時に、突き進むだけが正しいあり方でないことを知り、色々な選択肢を心の中に抱えることで、解決する時もあるでしょう。でも今はそれぐらいでいいんじゃないでしょうか。
なぜって、まっすぐに突き当たっていくほうが格好いいですからね。
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悩むということは、例えば、今まで自分が経験したことのない出来事に遭遇するとか、勉強や、友達関係・親子関係などで考えたり新たに思うことが出てきたりする、そして全く新しい何か(行動だったり考え)を獲得していったり、またはその悩んだ結果、やはり今までの自分でいいのだという確認ができること・その過程だと思います。

人は悩むことで成長していく側面もあるのです(特にこころの発達)。人によってその悩みの中にいる時間は違います。でもそれでいいのです。自分が納得するまで悩むことは決して逃げではなく、むしろ逃げずにその現実と対峙されているのです。なので、結論ですが、(1)は必要です!(2)は人間に対し何をもって弱いというのか、という問題になります。今言えることは、悩んでいる人間=弱い人間には当てはまりません。
ご友人の悩みが晴れる日は必ずきますよ。そのとき、周りの人はその人の強さに気づくのではないでしょうか…。
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この回答へのお礼

たくさんの方からの回答を読んでいて、「自分の考えはかなり偏っていたのかな」と思うようになりました。
それを理解した上での考えです。
私は悩む時間を短くしたい。やはり私には動いている時間のほうが大切だから。

・・・結局変わっていませんが(苦笑)立ち止まることも悪いことではないんだ、と知りました。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/01/18 19:30

初めまして☆☆


あくまで私個人の意見を言わせていただきます。


いつだったかCMでも言っていたように、確かに「やった後悔よりもやらずに後悔するほうがつらい」と思います。

しかし実際人間は弱い生き物です。
正しい答えが分からない人生だからこそ悩むのだと思います。
私自身あなたのご友人と同じで、なかなか行動できずに悩んで悩んで悩みまくる傾向があります。


ご質問の答えになっているかどうか分かりませんが、
(2)弱いままでもいいのか?
弱いままではいけないとは思います。
本当は人はみんな弱いと思いますが、それを「出すか出さないか」が強いか弱いかの差だと思います。

そして(1)と(2)両方を兼ねてしまいますが、私は、悩むからこそ人は強くなれるのだと思います。
悩むという経験が強いか弱いかの差を出すのだと思います。

長くなってしまい、しかも的確な回答ができなくてごめんなさい。
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この回答へのお礼

壁にぶつかり、乗り越えることで人は強くなるのだと思います。
でもその段階で「悩み」が必要だとはやっぱり思えないのです・・・。これは個人差なのかもしれないですね。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/01/18 19:19

「悩む」のは「自分自身と向き合う事」、「猪突猛進」は「やみくもに動く事」という考え方は如何でしょうか。


私の時代は、「大学に行く事は考える時間を4年間持つため」と考えて、「本を読み」「興味の知識を深め」「麻雀をしながら「将来に役に立つかなあ」」等と考えながら振り込んだりしていました。
「動く」ことは大切ですが、「考え」なしに動く事は「危険」なこともあります。動きながら考えて、より良い結果に到達する事があなたの理想ならば、その方法、手段、成功の確率をすべて「走りながら」考えたら如何でしょうか。
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この回答へのお礼

回答者様のおっしゃるように、走りながら考える、というのが理想です。
まだ「危険」になった事がないのですが、そこは注意していきたいと思います。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/01/18 19:08

えーと、このような問いかけはアンケートカテゴリが適切です。


というわけで回答が削除されるかもしれませんが、思うところを書きます。

まず、質問者様が「悩む」と「考える」をどう区別しているかがわかりません。

仮に手元に、牛と豚の合い挽き肉があったとしましょう。
ハンバーグにして食べるかメンチカツにして食べるかの判断を下さなければならないとしましょう。
今の体調や食後の満足感を考慮して、どちらにするか選択しなければならないとしましょう。
たとえばこのケースは「悩む」ですか? 「考える」ですか?

質問者様の文章を読んでいると、悩む=意味のない逡巡、と考えているようにお見受けしましたが、
そういう定義が一般的かというとそうでもないように思います。

悩む=鼻クソほじくって呆けている、というならわかりますが、
悩むと考えるの区別が明確でないと、質問が無意味かと思いますが、
質問者様のご意見を求めます。

この回答への補足

ご指摘ありがとうございます。

「どうしよう?」→「こうしようか?」→「いや、ああしようか?」→・・・のループが『悩む』
「どうしよう?」→「こうしよう!」と答えを出そうとするのが『考える』

と捉えています。
はい、私個人の感覚ですが。

補足日時:2006/01/18 18:52
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(1)悩む時間は必要なのか?



必要でしょう。全てが自分で何とかできるようなことであればいいんでしょうが・・・。

(2)弱いままでもいいのか?

>「考える」事と「悩む」事とは別で、

悩むことと弱さも別ですよ。強くても悩みます。
器が大きい人だって悩むよ。
決断をして大きくなっていくんです。

弱いままでも行動はできます。
あなたは行動力はあるようです。
それはすばらしいですがこの文章を読む限りでは強い人だとは思えませんがいかがでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
強くても悩む、そうですか・・。
強いって何なんでしょうか?ごめんなさい、自分でも分からなくなりました。
自分は強い人間だと思っていました。同じ状況に陥った時、周りの人が足踏みしていても、私はそれほど気にせず気持ちを切り替えられるからです。

でもただ単に神経が図太い(鈍い?)だけなのかもしれませんね・・・。

お礼日時:2006/01/18 18:51

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