最速怪談選手権

先日もイギリスの音楽業界に勤めている友人から質問されました。
彼は、個人的に山下達郎さんが気になりラジオを聴いてみたり、ネットを使って調べたらしいのです。CDを聴いてみたいと言うので、一応英語で歌っている「オン・ザ・ストリート」を聴いてみるように助言しました。
中身はドゥーアップの名曲を取り上げた超個人的趣味のアルバムであり、全て彼自身がアカペラで歌っていると話したところ、最新アルバムの「SONORITE」とのギャプにとまどったようです。(そうりゃそうだよな~)
彼が疑問なのは、アルバムごと(全部聴いた訳でもないのによく言うと思います。)に音楽のスタイルが違うが不思議のようです。
1.彼の音楽的なバックボーンとしてブラックミージックの影響は判
  るが、それを受け入れている日本人はブラックミージックをどう
  捉えているのか?(他のミュージシャンに比べ格段に売り上げが
  あるのが不思議なようです。)
2.ドゥーアップをすごいクオリティーで歌っているが、どのよう
  な手法でこれを録音したのか?(同業に聞けよ~。)
3.彼は自分の音楽性を自分自身で語るくらい客観的に判断できる
  プロデューサー的な視点があるのに、その音楽性を確信的に変え
  てまで、毎回アルバムを出しているのは事情(そんなの知るよ)
  があるのか?(そりゃ、毎回同じなら飽きられると思います。)
 なお、「クリスマス・イブ」で間奏に「G線上のアリア」?を使っているので、彼は「Mr.Taturoはキリスト教徒」と勝手に思っているようです。達郎氏の信仰まで知らないので、聞いてない振りをしてましたが、これも彼には凄く気になるようです。(奥さんの名前が「マリア」と知ってさらに驚いていた。)
 ご事情が判る方がいらしたら教えてください。

A 回答 (3件)

1、ブラックと達郎のルーツ・バックボーンについては#2さんと同じ考えです。


彼の音楽をブラックミュージックとして購入する人は稀だというのも同じ考えです。

彼のルーツのブラックミュージックは昔のブラックであり、今のnew R&Bブームとは一線を画します。
一過性のブラックの取り入れ方では無い、彼のブラックへの傾倒の深さと、日本人としての楽曲の取り組み方(ブラックには無い日本好みの卓越したメロディーセンス)が群を抜いておりその辺りが人気の秘訣なのかも知れません。
例えば代表的なヒット曲「RideOnTime」あんな曲は黒人は歌わないし、それと同時に、ブラックを聴いたことのないただの日本人にも書けないと思います。
久保田利伸の「LALALAラブソング」にも同じことを感じます。
その辺りが猿真似とは違うところなのでしょう。

彼は後に『「RideOnTime」を筒見京平(だったか服部克久だったか)に褒められた、今まで日本の歌謡曲には興味なかったが、良いものはジャンルを超えて認められるのだ』というようなこと語っています。

2.インタビューでよく言ってましたが数年前までは自宅で何度も何度もやり直していたらしいです。
アカペラ等は1パートを同じように4~5回歌いそれを数パート分重ねる、というまあいたって普通のやり方ですがとにかく、彼は「自分に対するダメだしが厳しい」と有名です。

3.私は変えているとは感じません、毎回一緒だと思います。
インタビューで「新しいものを取り入れてすぐ古くなるくらいなら普遍的なことをやる」と語っていた覚えがあります。



 なお、「クリスマス・イブ」の間奏は「G線上のアリア」ではなく「パッヘルベルのカノン」です。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。
「カノン」でしたか、失礼しました。
筒「美」京平さんですよね。基本的に歌謡曲(って最近、呼ばなくなりましたね。)とは違うフィールドにあることは判りました。何度も歌うなんて凄い!それをどうやって重ねるのでしょうか?サンプラーなんか使わない感じですね。
最近、実際に音楽を演奏する方に伺ったのですが、達郎さんは一定のメロディー進行(コード進行でもいいようです)がお好きなようで、それを彼自身が編曲をすることによってバラエティを付けている。そのセンスが素晴らしい。と教えてもらいました。つまりそのセンスがブラックミージックや幅広いPOPミュージックへの造詣の深さによって支えられている、ということでしょうか?
大変、参考になりました。

補足日時:2006/02/02 22:27
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まず、彼は「考え過ぎ」です。


アルバム事にジャンルがまるで違う事など日本人アーティストにはごく普通の事ですよね。特にポップスをフィールドとする人はどん欲にあらゆるジャンルを吸収する事が出来ます(向こうの人だってそうしてるじゃないですか)。

しかもちゃんと系統だって聴けば分かるはずですが、達郎さんの音楽には一貫性があります。
最初はもちろんブラックミュージックを含む、アメリカンポップスです。そこから延々とシティポップスを作り続けているのが彼です。(彼にだって30年の歴史があるんです)

1.彼の音楽をブラックミュージックとして購入する人は稀です。そもそも彼はナイアガラ時代からポップスの名手として有名であり、極端なまでのレコーディングマニアで、コーラスに命をかけている事を充分知っています。日本人がブラックミュージックとして認識するのは分かりやすいヒップホップであったり、R&Bであったりする場合だけです。

2.録音手法に秘密があるのではなく、彼自身が才能の固まりであると認識してもらった方が早いでしょう。

3.くり返しますが、ポップスという視点に於いては彼は少しも変わっていません。
また、彼は日本の音楽業界の中では非常に特殊なポジションを占めており、レコード会社の思惑に縛られる事無く作品を作る事が出来る数少ないアーティストです。
ですから彼の作品の変化は彼自身の変化と思って良いでしょう。(さらにくり返しますが、彼は30年のキャリアなんです)

最後に彼の宗教観ですが、彼はある種の職人であって、そこに宗教性の様なものはほとんど見受けられません。
東京と言う街のいち情景、光景を切り出しているに過ぎません。
ただ、ベースにあるアメリカンポップスへの憧れはどの作品にも滲み出ていますので、どこかしらキリスト教国歌の匂いは残っているかも知れませんけれど。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。考え過ぎですかね?そうかも。
私を含め日本人にはPOPミュージックについての基礎的な素養があまりにも無い事が、イギリス人の彼には「カルチャー・ショック」のようです。つまり、達郎さんの曲が受け入れられる背景が「日本人の根っこ」にあるのだから当然売れているのだと、思っているフシがあります。そうでないと彼から見れば、自分達の曲(つまり洋楽ですね)を幼稚な感性でコピーしたような曲が大ヒットしている中で、達郎さんの新アルバムが売れることの意味がよく理解できないようです。
30年も現役ならば彼に触発されて業界に入った関係者がすでに中枢を占めている事もあるので、こぞってメディアに取り上げられた事も大きいとも助言しました。(これ結構、受け入れた感じです。)

「宗教観と職人性は価値観として神から与えられた、共通(あるいは共有)しているモノである」ことがキリスト教の基礎的な柱であるので、それを意識して創っていないとしても、彼にとってはそれを感じざるを得ないと思います。まあ、ここをつつき始めたら切りがないので、最近ではあまり話題にしないようにしてます。彼にはそれが不満のようですが・・・・。
それにしても、ご助言大変参考になりました。

補足日時:2006/02/01 22:48
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音楽業界の人なんですよね?


ならば、本人に取材などの名目で直接コンタクトを取るように促してみては?
達郎氏の事ですから、欧米人からのコンタクトに興味を示す気がしますが・・・。
(素人の勝手な想像(^^;)
もぉ~、ここまで来ると、ここで処理出来るような問題じゃないと思いますぅ~・・・。(*o*)
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この回答へのお礼

ご返答ありがとうございます。直接コンタクトしても個人的な興味の取材を受けるほど達郎さんも暇じゃないでしょう。それに彼のレコード会社はW.B系の外資ですから、少し厄介なことになるのです。

お礼日時:2006/02/01 21:30

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