ちょっと先の未来クイズ第4問

カテ違いでしたらすみません。どなたか教えてください。
最近放映されたテレビ番組で、1950年代の宇宙進出競争について知りました。
結局、アメリカが月面着陸に先に成功したようですが、それまでの経緯では
ソ連のほうが技術的にもリードし、月に探査機を先に送ったのもソ連です。
なのに何故最終的にソ連は「身を引いた」形でアメリカに月に行かせた?のでしょうか。
それから暗殺されたケネディもかなりこの競争に力を入れていたようですが、
暗殺事件と何か関係はあったのでしょうか。
推理でも想像でもかまいませんので、何か教えてください。

A 回答 (4件)

月への無人探査や有人飛行で先を越されたアメリカが危機感を感じるようになり、


莫大な予算と人材を投入したからです

一方、ソ連はそれまで開発を一人で引っ張ってきたコロリョフ(科学者)の死に加え、
ガガーリン(宇宙飛行士)の死が大きかったと思います
(これで士気が大きく低下しました)
その前にも大きな事故で多くの科学者を失ったことも大きいです

アメリカはコロリョフが病に倒れた頃、ジェミニ~サターンが完成し、準備は着々と進んでいました
(問題は抱えていましたが)

予算不足ではありましたが、ソ連もまだ月面を目指していました
(10月革命50周年に成功すれば最高のプロパガンダです)
しかし、コロリョフの後継者ミーシンは開発力も、人心の掌握の点でも力不足でした、
そして、科学者や宇宙飛行士から信頼を失い、開発組織はガタガタになりました
事故も多発します
(アメリカが「静かの海」に着陸する一方で、
ソ連の探査機が「危機の海」に激突した事故は皮肉ですね)
ソ連側はまさに一人の天才に支えられていたのです

>それから暗殺されたケネディもかなりこの競争に力を入れていたようですが、
暗殺事件と何か関係はあったのでしょうか。
■アポロ計画はケネディの声明によって有人飛行計画から「1960年代中の月面着陸」へと大きく変わりました
暗殺についてはいまだに謎ですが、ソ連とは関係ないでしょう、
暗殺するならフォン・ブラウンでしょうし、
実際、ソ連側はコロリョフの暗殺を恐れて、彼の存在は死ぬまで極秘でした
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月まで行く必要性がなかった?


と思っています。

軍事的には、人工衛星・地球の周回軌道まで打ち上げられれば十分。
月まで行くのは過剰パフォーマンス・・・・

と思います。
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先日のNHKの番組を見ました。

(英BBC制作「SPACE RACE」)

アメリカのフォン・ブラウン(1912-1977)、
ソ連のセルゲイ・コロリョフ(1907-1966)の2人の競争だったという描かれ方をしていました。

あの番組の通りでしたら、
ソ連が月へ行けなかったのは、宇宙開発そのものをコロリョフ個人に頼りすぎており、
かつ、コロリョフが先に亡くなってしまった(1966年)ことが原因であるように思います。

宇宙船のソユーズはできていたのに、コロリョフが生きている間に、それを打ち上げる強力なロケットの開発成功に至らなかった。(N1ロケットが爆発)
コロリョフと他技術者、政府との確執もあったようです。
コロリョフが亡くなり、その後優秀な指導者が出ず、ロケットの開発にも成功できず、アメリカに敗れたと思えました。
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恐らくソ連にそこまでに技術が無かったのだと思います。


予算の問題もありますし、優秀な移民が多いアメリカの底力と云った所でしょうか。

未だにアメリカの月面着陸はでっち上げだと云う人がいますが、そんなことをしたら当時のソ連が黙っていないでしょう。
私は当時だからこそ成功したのだと思っています。
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