
No.1ベストアンサー
- 回答日時:
正確な数字は、出ないと思います。
と、前置きして、
堕胎といっても、お金を出して処置を頼むのは、限られた人だと思います。
わざと、高いところから、落ちるとか、冷たい水につかるとかかと思います。
不要な子を天に返すという観念で、さほどの罪悪感もなかったと思います。
避妊の概念は、無かったと思います。
間引きのほうが多いと思います。
私は、産婆さんにとりあげてもらった最後の世代なのですが、ほんの少し前、昭和初期でも、産婆さんの業務には、不具の子だった場合「どうします?」(闇に葬りますか?)が、含まれていました。
避妊の概念はなかったのですね。
今のようなゴムも経口避妊薬もない状況で、遊郭でも避妊しきれてなかったようですね。越前中納言松平秀康も梅毒を罹患していたとか…
昭和初期の産婆さんはそういう事もしていたのですね。
戦前も刑法は堕胎罪を規定していましたが、当時の社会通念としては優性保護の建前の下、産婆さんによる堕胎も黙認されていたところもあったのでしょうね。
現在の価値観で論じても意味ないですが、今でこそ社会的地位の高い医者や助産師という職業も、綺麗事だけでは済まない時代が長らくあったのですね。
ありがとうございました!
No.2
- 回答日時:
そもそも堕胎と間引きは、換言すれば胎児と嬰児は区別されていたのでしょうか…?
1-3.水子供養の歴史的背景>水子範疇の変容
http://www.ne.jp/asahi/time/saman/haikei.htm
余談になりますが、上記URLでも引用されている
『水子―“中絶”をめぐる日本文化の底流』
http://www.amazon.co.jp/%E6%B0%B4%E5%AD%90%E2%80 …
立ち読みしただけなので詳細は覚えていませんが、興味深い事例が多く紹介されていたと思います。
別の本の話かもしれませんが、仙台藩では嬰児殺し(だったかな?)の禁令が出ていたため、「ゴボウなどでかき回す」中絶法が広まっていたとか。当然危険ですから失敗して死亡する例もあったそうです。
胎児と嬰児が区別されていたかどうかは考えてなかったです。
藩としても禁止令を出したりはしていたのですね。
牛蒡でかき回す方法が広まったりしたのですか・・・
ちょっと考えられないような方法がとられていたのですね。
ありがとうございました!
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