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「天国と地獄」の最後の場面で、妻夫木聡役の誘拐犯が、佐藤浩市役の専務の前で、わざと取り乱すシーンがあるのですが、あの誘拐犯はなぜそのようなことをしたのでしょうか?死刑前に恐怖心は無いと言いながら、なぜあのような行動に出たのでしょうか?昨夜からずーと考えていますが、納得する回答が思い浮かびません。解説のほど、よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

私も質問者様と同じように解釈しました。

最後にニヤリと笑ったので、あぁ取り乱した振りをしたんだ・・・と。

私の無理矢理の解釈です。
妻夫木・誘拐犯は、動機についてセリフのみでサラッとしか語っていないので今一つ説得力に欠けるし、映像にもそれほど対比がでてこなかったと思うのですが、自分のボロアパートから見える高台のお屋敷(って程でもないですが、映画では高台から下を望む正にお屋敷で、そこが象徴なんですよね)を見るたびに屈折した憎悪を募らせていった訳ですよね。でも医者のインターンで頭もいい誘拐犯は、この憎悪が理不尽で逆恨みで佐藤・常務になんの罪もないことは頭の片隅で解っていたと思うんです。
電話で取り乱した声を聞き、大金を手にし、常務の地位を失わせ苦しめるだけ苦しめた。
かなり誘拐犯にとっては満足のいく結果だったことでしょう、自分が捕まるまでは。
ここからは想像でしかないのですが、死刑が決まった誘拐犯は最後の最後に「もう許してやるか」と思ったんじゃないかと。誘拐犯が何の罪の意識も感じず死ぬのも怖くないとなればそれこそ被害者は救われませんよね?実際は死ぬのはどうでもいいと思っていたとしても、自分の取り乱す姿を見せて救いの道を被害者に示したんじゃないかと。
それを言葉にすると「もう許してやるか」

このドラマで残念なのは前半はいいのに後半が・・・なこと。つまり妻夫木聡の演技力です。「獣」じゃなかった。だから見ているほうも?になってしまう。
前半の佐藤浩市の決断を下すまでの苦悩ぶりは見事でしたね。鈴木京香・平田満共に^^
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この回答へのお礼

akiracchi2006さんの「もう許してやるか」という見方には説得力があるように思われます。「自分の取り乱す姿を見せて救いの道を被害者に示した」ということは、誘拐犯にも少しは良心が残っていたということでしょうか。ドラマ前半の誘拐犯の言動と対照をなす場面ということになりますね。有難うございました。

お礼日時:2007/09/10 12:43

あの場面の直前まで犯人は専務に対して優越感を持とうとしていました。


それが会話の最中に、内心抑えていた卑屈感・敗北感や死への恐怖が湧き上がり自分を抑えられなくなり、取り乱しました。

生い立ちに恵まれていないと感じていた犯人は、腹立ちまぎれにいつも眺めていた金持ちから大金をせしめようと考えました。
企みは成功しそれどころか、これがきっかけでその金持ちは失脚しました。
自分にコンプレックスを持っていた犯人は、金持ちに勝ったという優越感を掴みました。
この優越感は捕まった後でも「いけすかない金持ちを失脚させてやった。」という事で続きました。
収監されている間にこの優越感は揺らぎましたが、優越感こそ死刑になる犯人が唯一すがれる物だったので、「この優越感は正しいんだ。」と自分を納得させました。
犯人がわざわざ専務に面会を申し込んだのも、「自分はあんたに勝ったし、死刑も怖くない。」という自分の優位性を専務に見せつける事と自分自身に納得させるためでしょう。
そのため、面会時も最初は平然としていましたが、専務が事件後も揺るがない生き方をしている事、専務が自分を敵としてすら見ていない事、
そしてなにより犯人自身が、しゃべる事で自分の感情を抑えられなくなった事で取り乱しました。
感情を爆発させて落ち着いた後の笑みは、せめてもの強がりでしょう。

以上の事は今回のドラマではわかりづらかったかもしれません。
オリジナルの映画版では時代背景や犯人役の山崎努の重く暗い演技や、
今では放送コードに引っかかるスラム街を出す事でコンプレックス感を出していましたが、
時代設定が現代でかつ犯人役が妻夫木聡では悲壮感を出すのは無理でした。
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この回答へのお礼

No3の見方とは異なる回答が出て、少々戸惑っていますが、誘拐犯が専務をわざわざ呼び出したのは、優越感を持つためであり、また自分自身を納得させるため、という解釈にも一定の説得力がありそうですね。ただ「感情を爆発させて落ち着いた後の笑みは、せめてもの強がりでしょう」という見方は、私には一寸腑に落ちないというのが、正直な気持ちです。監督や妻夫木聡がもっと上手く表現してくれたら、私がこんなに悩むことは無かったことでしょう。
最後に。eito_wakaさんのご丁寧な回答に感謝します。有難うございました。

お礼日時:2007/09/10 12:53

わざと取り乱したのではなく、死刑に恐怖がないと言ったほうが強がりなのだと思います。


強がってはみせたものの、手の震えは隠しようがなく、本心を抑えることができなくなった、そういうシーンだと思います。

この回答への補足

ご回答、有難うございます。私の見方は、No1で補足したとおりです。やはり「強がりをみせた」と解釈したほうがいいのですかね…。とりあえず、有難うございました。

補足日時:2007/09/09 12:52
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どうも今晩は!



>妻夫木聡役の誘拐犯が、佐藤浩市役の専務の前で、わざと取り乱すシーンがある…

あのシーンは、哀れみのこもった目で見られるのが嫌で、わざと強がりを言って平静を装っていた
にも係わらず、死への恐怖を抑え切れなくなり取り乱したのだと解釈したのですが…


ご参考まで

この回答への補足

早速のご回答、有難うございます。私は、逆に「妻夫木聡役の誘拐犯はわざと取り乱した振りをした」と解釈しました。というのは、刑務官(看守)2人が、その後、妻夫木聡役の誘拐犯を面会室から連行する時に、誘拐犯が思わせぶりにニヤリという表情をしたものですから。思い過ごしでしょうか…。

補足日時:2007/09/09 12:47
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