No.12ベストアンサー
- 回答日時:
間違えてはならないのは、アングリマーラの場合は悪業による報いである“苦”であり、釈迦の否定した積極的な苦行のみによる解脱をもとめることとは大きく違います。
また、先にも述べたとおり回峰行はあくまでも“自行”であり、菩薩行である代受苦(化他行)ではありません。行者は不動明王になりきり、比叡山中峰々に数百ある礼拝場所を礼拝祈願をすることによって不動明王の功徳を体現しているのです。行者はあくもでも不動明王の仏身そのものであり、他の修験道のような単なる礼拝懺悔行とは違うのです(ここポイント)。
回峰行に入行する行者は既にソレナリの行者なんです。
さらにまた、火中に身を投じるウサギの逸話やすすんでトラに食われる逸話、菩薩行である代受苦はあくまでも布施の精神や慈悲の心を説いているのであり、これは、本当の布施行が如何に難しいか、慈悲とはどれほど大きい心であるかを表現しているのであって、間違ってもそのような苦行を薦めているのだと勘違いしてはなりません。
そしてさらに、釈迦は“生天のための苦行”を否定したのではなく、苦行だけでは悟れないことに気づいたのであり、これは先にも述べた通り苦行により悟ったのです。
悟りは苦楽を超越したところにあります。苦行もソレナリに必要なんです。
ゴキゲンヨウ (^^)v
>先にも述べたとおり回峰行はあくまでも“自行”であり、菩薩行である代受苦(化他行)ではありません。
なるほど、そうでしたか。代受苦ではなかったんですか。それならスッキリします。
susiddhiさんの論理が1番スッキリしました。(唯一、不動明王という超常現象的なところだけは?という感じでしたが)
釈迦は生天のための苦行を否定、苦行のみでの悟りを否定。そして悟りのための修行の一過程としては苦行を否定していない。
堂入りは生天のためではなく、また悟りのための修行の一過程の苦行であり、代受苦ではない。
ということですね。 回答ありがとうございました。
No.11
- 回答日時:
追記して
千日廻峯行はその成立過程に修験道的な信仰観が多分に影響されています。山岳霊場での信仰では仮に「死を体験する」ことで罪を償い、そして他者の苦しみを知ることで、より一層に「他を利する」大乗の菩薩としての自覚を促します。
『古今著聞集』に、西行法師が大峯に入峯するか思案していた時、先達行者が「何もしなくていいから」と言うので決意したら、その言葉と逆に徹底的に厳しい行をさせられた。西行は「話が違う」と涙を流しながら訴えると、先達の命令で木を切り、水を汲み、叱責されるのは地獄の苦しみを、食事が少なくひもじいのは餓鬼の悲しみを、荷物を担いで山道を歩くのは畜生の報いを知るためであり、おのれの犯した罪を懺悔するためだと諭され、逆にそのありがたさに感涙したという話があります。
このような考えは大峯に限らず広く各地の霊場で唱導されますが、まさに大乗の菩薩たる「代受苦」。他者の苦しみを知り、その苦しみを自らの苦しみとするという精神の表れですね。
また初期仏教でも例えば、大量殺人者であったが悔悟し釈尊の弟子となったアングリマーラは、托鉢に出るたびに町の人に打たれ、罵られ、傷だらけで帰ってきた。それに対して釈尊は「今までの罪を償うのはそれを堪え忍ぶこと」と説かれます。
これは、罪の大小とか、自覚しているしていない、法律的に裁かれる裁かれないの問題ではなく、罪を作り続けながら生きていることを自覚する。つまり自分自身にそれを問い続ける。
釈尊が“苦行を否定”したのも、行為そのものを一律に否定したのではなく、「生天のため」という考えを捨てたのだと思います。千日廻峯に限らず、さまざまな苦行・荒行と呼ばれるものも、大乗の菩薩であることを自覚するという仏教的意義に基づいているので、釈尊の否定した「生天のための苦行」ではないのです。
(同じ事をしていても、それを行う意義が異なれば価値が変わるのは、仏教修行に限ったことではないのは日常でもよくあることでしょう)
>そして他者の苦しみを知ることで、より一層に「他を利する」大乗の菩薩としての自覚を促します。
それで死んじゃったら無意味だと思います。というか、それなら「もう出来ない」と思うほど限界までやって、苦しみを大いに味わった人に自殺用の刀を用意しておくのは何故?という気がします。
自害した人はいないという事ですが、その刀がなければ途中棄権した人もいたと思います。それなら、その限界まで苦しみを味わったことで充分、以前より >より一層に「他を利する」大乗の菩薩としての自覚を促します
の自覚が促された状態になったはずの人を。できなかった場合は死なす決まりは不要に思えます。
つまり要は苦しむことで他人の苦しみを知り、より他人のために生きる尊さを身につけるためには苦行が必要である、ということですよね。
なら限界まで苦しんだ修行者を「できなかったら死すべし」じゃ理屈に合いません。
No.10
- 回答日時:
スルーするつもりでしたが簡単に述べましょう。
輪廻転生の“輪”から抜け出ることにより解脱するのであって、天上界に生まれようとする考えは大乗仏教はもちろん初期仏教でも、それは仏教ではありませんので、回峰行者が生天のために苦行することはありえません。また、輪廻の思想は釈迦以前からあるので釈迦は特に否定せず、方便として用いたにすぎません。
さらにまた、善因善果の善因とは苦行のみをさすわけではなく、善果が苦しみであったりもします。つまり、苦行によって地獄に堕ちるということもありえるのです。
本題に入ります。
釈迦は難行苦行だけでは悟れないことを難行によって悟ったのであって、難行を全否定したわけではありません。難行を完全否定したら難行だけでは悟れないという難行による悟りを否定してしまいます。
>行者は途中で行を続けられなくなったときは自害する決まりで、そのために首をつるための紐と短刀を常時携行する
これは回峰行に対する心構え(信念)の現れであり、行中に亡くなる(成仏)者はあっても本当に自害した者はいません。そもそも、途中でやめたいなんて意志の弱い者に千日回峰行は許されません。つまり、“死”以外に途中で行を続けられなくなることは無いのです。
九日間の断食断水(ホントに水も絶ちます)は死の体験であり、堂入りの前に実際にお葬式をします。これは、それだけの信念があるからで、回峰行の本尊である不動明王に守られている行者は不動明王そのものであり(感応同交)、一般には難行苦行と思われるようなことも「過ぎたる」に当たらないのです。
もっとも「過ぎたる」も諸法実相です。
回峰行は京都大回り以外はあくまでも自行ですが、自行即ち化他行、化他行即ち自行です。
修行とは“行い”を“修める”ことであり、行者はやりたいからやっている(行う)だけで、堂入り“だけ”で「悟る」と思ってる行者はいませんが行者なりに修めます。また、来世得作仏が目的ではなく現世が即ち浄土であることの自覚が肝要です。
つまり、『法華経』の精神では堂入りは悟りのひとつのかたちです。
もっとも、大乗では煩悩即菩提ともいいますが。
……やったこと無い人にはわからないことです。
余談ですが、人間は水を飲まないと食欲を感じなくなります。
断食断水が進むと感覚が敏感になり、線香の灰が落ちる音が大音量で聞こえ、二百メートル離れた井戸の水(ご本尊さまに供える)の臭いがわかるようになります。
回峰行は、なかなか合理的に組みたてられているのです。
このへんでやめておきましょう!
え、もちろんやったことありませんヨ!!
それではゴキゲンヨウ!!! (^^)v
No.9
- 回答日時:
確かに通俗的仏教解説書では、「釈尊は苦行を否定した」と表層的にだけ記述しています。
ただしそれは決定的説明不足なのです。まずインドでは生命体は永遠に生まれ変わり死に変わりの「輪廻」という時間軸で生き続け、そこには苦楽が二面的に備わっている。だから「現世で苦しみを味わえば、来世は安楽な天人の世界に生まれ変われる」。よって肉体をいじめ抜く極端な苦行・禁欲を行う。
しかし釈尊は、例え現世で肉体を苦しめて来世に天人に生まれ変わっても、根本的な「苦」の怪傑にならない。輪廻という永遠に生まれ変わり死に変わりするという時間軸の概念からの自己の解放、つまり解脱を目指された。そこで”生天のための「苦行」”を否定したのです。
初期仏教でも釈尊の前世譚で「飢えた老人を救うために、火に身を投じた兎」の話などのように、自らの命を捨てて他者を施すという精神は存在し、特に他者の救済を尊ぶ大乗では、『法華経』の焚身供養や『金光明経』の捨身飼虎など、一見すると苦行としか目に映らない話があります。また大乗においては地蔵菩薩や不動尊のように“他者の苦しみを自らが請け負う”という代受苦という思想があります。それもひとえに己と同時に他者を利するという精神の表れです。
日本に仏教が根付く過程として、日本古来から存在した信仰観・死生観と融合してきた部分があります。そこには“罪や咎を償うために苦しみに耐え、善事を行う”というものがあり、多くの祖師も多かれ少なかれ、苦行を実践してきました。特に千日廻峯行は修験的な、日本古来の信仰観と仏教思想が融合して生まれた修行形態です。
そこで“死を決意して行う堂入りは苦行か”と問われれば苦行です。ただし、それを“来世で安楽な生活がしたいから”と望んで行えば釈尊の教えと反しますが、前述したような大乗菩薩行の一環、精進波羅蜜の実践として行うのであれば、一律に反しているとはいえないでしょう。
(もちろん、それを“反する”という考えの修行集団も存在するでしょうね。そのようにして長い年月を掛けて部派・学派の相違が生まれ、現在の「宗」へと発展していったのですから)
>そこで”生天のための「苦行」”を否定したのです。
なるほど、生天のための苦行の否定。
そして苦行のみでは悟れない、という意味での否定ですね。理解できました。
それで堂入りは、生天が目的ではなく、悟るための修行のあくまでも一部の苦行ということですね。
ただ、それが代受苦というのがちょっと?という気がしました。誰の苦の代わりも受けてないように見えるので。
単に悟るための修行の一つと言われたほうがスッキリします。
No.8
- 回答日時:
ANo5です。
天台宗、確かに大乗仏教でした。とすると、大乗仏教なのになぜ苦行があるのかという疑問が残るんですが、勝手に解釈するとすると 天台宗の苦行は 自分のためだけの悟りの
行ではなく あくまで目的は 衆生の救済であり、悟りによって菩薩となって人々を救う、一刻も早く
人々を救うには苦行もいとわない、と こんな感じではないかと思います。
懐に持つ短刀の意味は 自分が悟れなかったから死ぬ、と言う小我の思いではなく、衆生の救済の
ためには命をかけることもいとわない、と言う決意の表明、大我の想い、とみることができると思います。
衆生を救うための悟り、そのための苦行ですか。
うーん、なんか僧の方は悟ることには興味があるように見えても
衆生を救うことに感心があるようには、あまり見えまえん。
何というか、ほんとうに苦しんでいる衆生を救うことが目的というより、自分が悟ることが本当の目的みたいに感じます。
No.6
- 回答日時:
釈迦の方針に反してはいないのでしょうか?
その通りですね。釈迦の方針から完全にずれておりますね。
苦行にも楽な生き方にも悟りは得られないということですね。悟りは「静かに考えて正しい智慧を得、智慧の力で一切の束縛から解脱する」ことですから、肉体を鍛えても考える時間がないと悟りようがない、パチンコや飲み屋などで遊んでも考える時間がないと悟りようがない」ということですね。こもって水だけで9日もいるとお腹はすくし、意識はもうろうとしますから正常な思考はもてませんね。悟りはないでしょう。でも精神力は強くなるんでしょうね。仏教修行ではなく仙人修行ですね。念力も強くなれば役に立ちますしね。
参考程度に
mmkyさん、回答ありがとうございます。
>こもって水だけで9日もいるとお腹はすくし
本当かどうか分りませんが、水もたつそうです。
No.5
- 回答日時:
「堂入り」というものを よく知らないのですが 確か釈迦は 苦行のあとスジャータという娘から
牛乳かスープをもらって体を癒した後 苦行の非をさとった、という感じではなかったかと思うんですが
基本的には苦行を否定してると思うんです。ただし その否定は 解脱できないということではなく
広く民衆を救うにはやさしいやり方でなければならない という事だとおもうんです。またやさしい
やり方で目的を達成できるというのは 理にかなっているともいえると思います。
道元禅師は 座禅は安楽の法門なりと言っていますし 法然 親鸞は 念仏による よりやさしい解脱の道を提示していると思います。このような大乗仏教に対して 苦行による解脱を目指した小乗仏教(上座部仏教)は 苦行に耐えうる意志力の強い人たちに提示されているのだと思います。山を登るのに ガケを登って近道を行くか 誰でも登れる登山道を行くかの違いのような気がするんですが・・・。
回答ありがとうございます。
天台宗は大乗仏教とWIKIに書いてありましたが・・・大乗仏教でも苦行を目指す宗派もあるんでしょうかね。
No.4
- 回答日時:
どんな立場で何の目的で質問しているのか判りませんが
必要ないと思えばしなければいいことのではないですか。
心が向いていないなら荒行しても無駄なような気もするし
余計なことですが個人的には
ぼんとひぼんという感じで
直感的に高野山の方が惹かれるものがありますが
人それぞれに好みや向き不向きもあることですし
それにいくら入門を希望しても
希望すれば受け入れてくれるというものでもないでしょうから。
釈尊は正式に何かの宗教の門下に入りそこでさとりを啓いたのでしょうか。
回答ありがとうございます。
>釈尊は正式に何かの宗教の門下に入りそこでさとりを啓いたのでしょうか。
それでも天台宗の修行僧は皆、釈迦の門下ということになりますよね?
No.3
- 回答日時:
天台宗の開祖は真言宗の開祖に自分が伝授されなかった経典を見せてくれと頼んだが断られたとか
頭は良かったみたいですが。。。
弟子達に何を伝えたんでしょうね。
いわばピラミッドのようなかたちであるなら
弟子が師匠を超えることはあるのでしょうか。
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