【お題】NEW演歌

以前付き合っていた彼氏の家が熱心な仏教徒で、大阪は生駒山宝山寺へ月参りにいくので、わたしももともと興味があったのでいつも一緒にいっては「あびらうんけんあびらうんけん」とご真言とともに般若心経をとなえていました。

月参りは途中でやめてはいけないしばちがあたるのと聞いたのですがそれは本当ですか・・・?もうだいぶあいてしまっていますが。

よく考えたら私の実家は浄土真宗らしいのです(熱心ではないと思いますが)、あびらうんけんって真言宗ですよね。(般若心経は死んだ祖父も唱えてたような気もするけど。。)浄土真宗の家のうまれの人は「あびらうんけん」唱えるのをやめたほうがいいでしょうか。
もしくは、浄土真宗から勝手な判断で個人で真言宗にくらがえしても大丈夫でしょうか。
般若心経を唱える前に、なにかとなえたいのですが、なにをとなえたらいいでしょうか
仏様をどなたか、おしたいしたいのですが、どなたが私にあっているのかわかりません。
大日如来様は真言宗ですが、熱心でないとしても仮にも浄土真宗の家のものがおしたいしても大丈夫でしょうか。
わかりにくい文章ですみません。

A 回答 (4件)

 私は浄土真宗の人間ですから、浄土真宗の立場については少しお話できるとともいます。


問1、月参りは途中でやめてはいけないしばちがあたるか?
 浄土真宗の立場からすれば、そのようなことはまったくありません。父母が自分の子供を不幸にしてやろうと思うかどうかということです。たとえ墓参りにこなくとも、毎日一生懸命生きている自分の子孫たちを不幸にしようとする御先祖様はいないと私は思います。そして、こちらがわは自分の父母やご先祖様に不幸でいてほしいとは思わないでしょう。お互いにそう思っていれば良いのではないでしょうか?
 浄土真宗でも他の宗派と同じように、墓というものを大切にします。ただ、墓はあくまで遺体の奉安所であり、故人とのつながりを確かめ合い、今をご先祖様方のお陰をもって生かさせていただいていることを、感謝する気持ちをあらわす場所です。「墓に亡くなった故人の魂が宿る」とか「墓参りしないと罰が当たる」などは迷信としてとらわれません。
 墓参りについて言えば、それを仏縁として自分自身が仏様の教えに会うということを大切にします。

問2、浄土真宗の家のうまれの人は「アビラウンケン」唱えるのをやめたほうがいいのか?
 浄土真宗の立場からすれば、望ましくないということは言わなければなりません。基本的には浄土真宗は「南無阿弥陀佛(阿弥陀様に身も心もお任せします)」という趣旨の宗派だからです。もしあなたのおっしゃる「あびらうんけん」が「オンアビラウンケン」ということであるのなら大日如来に身も心もお任せしますという意味ですから、二人の仏さん同時に任せちゃう浮気者になっちゃいますよ(笑)まあ、「大日即弥陀(大日如来=阿弥陀如来)」なんて考え方もあるくらいですから、仏様はそんな堅いことは言わないでしょう。ですが、浄土真宗としてはあくまでメインは阿弥陀様です。

問3、浄土真宗から勝手な判断で個人で真言宗に鞍替えしても良いか?
 宗旨替えということに関して言えば、かまわないと思います。もし宗旨替えをするのであれば、家族にその旨はしっかり伝えたほうがいいでしょう。もし、自分が家の施主(寺にその家族の代表として登録されている人)であるならば、しっかり寺に出向き「離檀(檀家をやめる)」届けをしなくてはいけません。それが、義理かと思います。

問4、般若心経を唱えるまえに何か唱えたい。
 これも質問の意図が、「般若心経をよむ以前に他の経典にも触れておきたい」ということなのか「般若心経をよむ直前に、何か称える真言をおしえてほしい」のかがちょっと曖昧なのでわかりませんが、
 まず前者ならば、仏教全般を学びたいのでしたら般若心経はもってこいのお経だと思います。しかし、浄土真宗の立場で言えば『般若心経』はよみません。分かりやすく解説すると「般若=仏の智慧」ですから、『般若心経』は「仏の智慧の心のお経」となるわけです。そのような尊いお経をわれわれのような凡夫(なかなか煩悩から離れられない人々)が正確に理解できないという立場からよみません。浄土真宗では『正信偈』という偈文から、入るのがわかりやすいと思います。
 そして後者であるならば、そちらの専門の方に聞くのが最も良いでしょう。(こんな答えですみません。)

問5、仏様をどなたかおしたいしたいが、どなたが私にあっているのかわかりません。
 厳しいようですが、あなたがわからないのであれば私にもわかりません。仏教は自覚の宗教などといわれることがあるそうです。自分と見つめ合ってよく考えてみなくてはなりません。
 また多くの宗旨に触れるというのもいいかもしれません。私も今は浄土真宗であるといっていますが、多くのお寺をたずねたり、本を調べたり、仏教系の大学の講義を聴いたり、試行錯誤した時期がありました。そうしたことで、見えなかったことが見えてくることもたくさんありました。目からうろこで楽しいですよ。そして私は、浄土真宗は適していると思ったので、浄土真宗を名乗っています。
 あなたがそうなるかどうかはわかりませんが、しっかり自分の眼で見極めることが大切です。そして、自分が信じるべきものに出会ってください。

問6、大日如来様は真言宗ですが、仮にも浄土真宗の家のものがおしたいしても大丈夫でしょうか?
 これは問2の答えと同じです。そんなケチなことは仏様は言わないと思います。

えー、ながながかきましたが、煎じ詰めて言えば「自分がどの教えをもって生きて生きたいかです」それぞれの宗派にそれぞれ良いところがあるはずです。そういった多くの仏教を学ぶことで自らの仏教観をもってほしいと思います。人から言われたことを鵜呑みにするだけでなく、自ら考える力を養ってください。

駄文を書き連ねてきてしまいました。申し訳ありません。参考にしていただければ幸いです。合掌 南無阿弥陀佛
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この回答へのお礼

ご回答どうもありがとうございます。大日即弥陀(大日如来=阿弥陀如来)という説をはじめて知り驚きました。詳しくわかりすくお答えくださって無知な私にもよく理解できました。大日如来様は好きですが、やはり、南無阿弥陀仏でいこうかと思います。 

お礼日時:2007/01/08 23:11

専門家の回答がつきませんね・・・



特定の宗派の解釈にすぎないものを、いかにも仏教一般論であるかのように自信を持って回答している自称専門家が見受けられます。
専門家として回答する場合、この点を十分に留意すべきです。
また質問する側も自分の宗派の教えとは違うものを正しい回答と勘違いしないよう、気をつけなければなりません。

さて、本題に入ります。

このご質問、浄土真宗側と真言宗側では回答が違ってきます。当方はどちらでもありませんが述べさせていただきますと・・・

歓喜天信仰を続けるのならば歓喜天に仏縁があったのですから、勝手な判断でくらがえしても大丈夫です。“アビラウンケン”も誦えましょう。しかしこの場合、
「実家の菩提寺は浄土真宗だけれども、自分は聖天様を信仰しているんだ」
この自覚を持たなければなりません。このことについて菩提寺はいい顔をしないでしょうから、その自覚がもてないのなら歓喜天信仰を考え直したほうがいいです。

>月参りは途中でやめてはいけないしばちがあたるのと聞いたのですがそれは本当ですか・・・?もうだいぶあいてしまっていますが。

歓喜天信仰は“月参りは途中でやめてはいけないしばちがあたる”と、言われているのは事実です。これは歓喜天を信仰するなら、“それだけの覚悟(信念)を持たなければ信仰してはならない”ということです。詳しくは宝山寺に確認しましょう。
ご無沙汰しているようなら、早速行ってきましょう。いい機会です。ちゃんとそれなりのモノを持って。

>般若心経を唱える前に、なにかとなえたいのですが、なにをとなえたらいいでしょうか

これも宝山寺に聞きましょう。

>仏様をどなたか、おしたいしたいのですが、どなたが私にあっているのかわかりません。

わからなくていいんです。わかるわけありません。
が、仏縁があれば自然に呼ばれます。
基本は“不動明王”か“観世音菩薩”です。

熱心でなくても大日如来をお慕いしても大丈夫ですが、信頼のおける導師のもとに信仰しなければなりません。
とにかく宝山寺へ行ってきましょう。

かさねて言いますが、
「実家の菩提寺は浄土真宗だけれども、自分は聖天様を信仰しているんだ」
この自覚を持たなければなりません。

もっと信念を持たないと・・・

・・・・・・・・・・

以上、お力になれないかもしれませんが、またお訊ねください。

合 掌
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この回答へのお礼

ご回答どうもありがとうございます。お礼が遅くなって申し訳ありませんでした。 
信念ですか。。。。無知なところが多いので、一度宝山寺にいって、わからないことをいろいろ聞いてみたいと思います。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2007/01/08 23:17

生駒山宝山寺は真言宗のお寺さんです。


大日如来の真言は「あびらうんけん」「ばざらだどばん」の二通りあります。「胎蔵界」「金剛界」によって形が変わっているし、真言も変わります。真言宗といっても全てのお寺さんが大日如来が本尊ではありません。他宗でも大日如来を本尊としているお寺もあります。
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この回答へのお礼

ご回答くださりどうもありがとうございます。
お礼が遅くなってしまって申し訳ありませんでした。
>他宗でも大日如来を本尊としているお寺もあります。
いまさらですがやはり、奥が深いですね。
いろいろと勉強が必要ですね。

お礼日時:2007/01/08 23:19

真の門徒ならば、唱えるものなどないと思います。

ただ阿弥陀仏に願うのみです。また、改宗しても、ばちなどあたりません。あなたの信ずるものをひたすらに信ずるべきと思います。家の信教など、何の拘束力も持たないと、私は思います。
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この回答へのお礼

ご回答どうもありがとうございます。お礼が遅くなって申し訳ありませんでした。参考にさせていただきます。

お礼日時:2007/01/08 23:03

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